2008年12月30日火曜日

不用品

底の抜けた香水瓶、回らないろくろ、肋骨が二本折れた骨格標本、穴の空いたガスマスク、インクの出ないカラーペン、三十八年前のカレンダー、モザイクが赤く塗られたヌード写真の束。
彼女の部屋には何に使うのか解らないものが散らかって足の踏み場もない。
使い途がないからこそ愛しいのだ、と彼女は言う。
「効率的で有益な物ほど信用できないものはないの」
と彼女は僕の脇腹に舌を這わせながら、きっぱりと言った。
今、効率を求めるなら触って欲しいのはそこじゃない。全く徹底しているよね。きっと僕も取り立てて使い途がない愛しいもの、なんだろう。
と、天井にぶら下がった夥しい数のゴワゴワに固まった筆を眺めながら、苦笑いする。

偶然の猿

粘土をこねていたら、ハゲウアカリみたいな顔が出来た。と思ったら、目玉がきょろんと回って、動き出す。
「あなたは、やっぱりハゲウアカリ? それとも私の知らないお猿さんかしら」と問うと、首を傾げて考え込んだまま、粘土に戻ってしまった。

2008年12月28日日曜日

冷気

 これは、ハリボテの恋心。見せ掛けだけの、取り繕った、恋心。
 冷気がやってくると、胸の高鳴りはすぅと収まって、冷たい私だけが残る。
 好きなままでいたい。けれども、耳にひゅっと冷たい空気を感じたら、途端にときめきもいとおしさも消えてしまう。なんて貧弱な恋だろう、冷気ごときに負けるなんて。
 一体、冷気がどこからやってくるのか。知りたくないのに、振り向いて後ろを確かめずにはいられない。
 また、冷えた風が耳たぶを掠めた。

 熱い風呂に入ろう。温まったら、あなたの夢を見ていいですか。さすがの冷気も夢までは襲ってきません。


2008年12月26日金曜日

太股の感触

図書館で本を取ろうとしている時の私は、本を読んでいる最中よりも無防備なのかもしれない。
気がつくと、二歳くらいの子供が太股に貼りついていた。
その小さなぷくぷくとした手を、私が棚から取り出したばかりの本に伸ばしている。
読めないに違いないのだが、それは卑猥な小説だったから、躊躇った。あまりにも真剣な眼差しに負けて、つい手渡してしまった。
彼は私の太股に絡みついたまま、器用に頁を捲っていた。顔を半分押し付けたまま読むから、涎が太ももに染みて冷たかった。

その時のジーンズの右ももからは、何度洗っても穿くたびに涎が溢れ出てくる。

2008年12月24日水曜日

眠い

いまなら瞼でチョコレートを溶かせるような気がする。

2008年12月23日火曜日

ボタン幽霊

 このアパートに越してきてからというもの、ボタン幽霊に悩まされている。
 家中のスイッチやボタンを押して回るのだ。私は幽霊の後を付けて電気のスイッチを消したり、突然鳴り出すCDや、何も入っていないのに周りだす洗濯機を止めたりしなければならない。
 ある時、すっかり開き直った私は、スイッチやボタンを消して歩くのは止めにした。キリがないんだもの。
 そうしたらボタン幽霊は、構ってほしいとばかりに私の鼻をぷにぷにと押し続けるようになった。
 ついに、私の鼻はボタン幽霊に押されると「ピンポーン」と音が出るようになってしまった。

2008年12月21日日曜日

溺れる石

アクアマリンのピンキーリングは、湯船に入るとするりと小指から抜けてしまう。何度も拾い上げて嵌め直すのだが、すぐにまたするりと抜ける。普段はちょっときついくらいなのに。
ゆらゆら沈んでいっているようにしか思えないのだけれども、どうやら泳いでいるつもりらしい。
ある時、沈んだまま放っておいたら、薄青い石はゼリーのようにぷるんぷるんと震えだした。いい気味だったけれど、あんまり苦しそうで、そのまま溶けてしまいそうだったから、拾い上げた。
ずいぶん懲りたようで、その後は風呂に入っても指から抜けることはなくなった。

2008年12月20日土曜日

ジングルベルが聞こえない

クリスマスイヴまであと四日だというのに、商店街からもラジオからも、クリスマスソングが一向に聞こえてこない。
どうにも気分が盛り上がらなくていかん、と思ったので小学生の時に買ったクリスマスソングのレコードを引っ張り出してきた。
針を落としてもチリチリピチピチいうだけで何も音楽は流れてこない、ぐるぐる回る黒い円盤を眺めて数十分、B面にひっくり返してまた数十分。とうとうクリスマスソングは一節も聴こえなかった。
ならば大声で唄おう、ジングルベルを。
往来に出て唄い始めたが、僕の口から出てきたのはジングルベル、ではなかった。
「サンタクロースはぎっくり腰につき、クリスマスを延期する。しばし待たれよ」
よく響くテノールの声だった。

2008年12月19日金曜日

猫を飼えばよかった話

「子猫を貰ってくれませんか」
と十七歳の娘に言われた。紺色のブレザーの制服は随分くたびれている。そのせいだけでなく、どことなく生活臭の漂う、小母さんのような十七だ。
猫はまだ二ヶ月くらいで、肉付きのよい娘の胸に抱かれていた。キジトラの、丸い目をした子猫だった。
「うちでは飼えないよ、アパートなんだ。おまけに、小鳥がいるからね。きっと猫は小鳥を襲ってしまうよ。今はまだ大丈夫だろう。小鳥のほうが早く逃げる。けれど、猫はすぐに大きくなって、小鳥を食べたがるに決まっているんだ。僕は小鳥が猫に食べられるところは見たくない。黄色い小さな羽がバサバサと飛び散るのを、君だって見たくはないだろう?」
十七歳の小母さんみたいな娘は、尤だという顔して「他をあたってみます」と小母さんそのものの声で言うと立ち去った。
アパートに帰って、鳥籠を覗くと、小鳥は一羽も居なかった。籠の中では、鼠がチョロチョロと動き回っているだけだった。僕は頭を抱えた。やっぱり猫を引き取ればよかったのだ、と思った。

2008年12月17日水曜日

若葉に輪を掛けるとわだかまりは消える。
わめき声はワインの芳香に融け、詫び状は綿菓子の如く解け、遂に忘れ去った。

2008年12月14日日曜日

ご清聴ありがとう

 朗読者が口を開くと中からひょっこりと小さなピエロが出てきたのだった。周りを見回したが、誰も驚いた様子はない。ピエロが見えていないのか、当たり前の光景なのかはわからない。
 ピエロはマイクにちょこんと腰を下ろし、朗読を聴いている。時に頷き、時に可笑しそうに笑いながら。ピエロを見るのに夢中だったのにも関わらず、朗読者の声は、私の耳にとろとろと流れ込み、鮮やかに世界を造った。私はピエロと同じように頷き、多いに笑った。
 朗読者が最後の一声を発し終わる寸前、ピエロはくるんとお辞儀をしてから朗読者の口内に飛び込んだ。
 観客の拍手に応えて朗読者は頭を下げる。それはピエロとそっくりのくるんとしたお辞儀だった。

てんとう虫の呪文フライヤー用書き下ろし@西荻ブックマーク「超短編の世界」

 湖面に浮かぶ手を見つけた男がいた。溺死体かと急ぎ近づき舟から身を乗り出して覗こむが、指は力強く空(くう)を弄り、水中に沈んでいるはずの腕や身体がないことに気づくと、男は愈愈興味を引かれた。夜な夜なその手を慰み物として使うことはとても良い考えだ、と思った。彼には妻も恋人も友人もいない。
 男は網で手を掬い上げた。その瞬間、水はすべて炎になった。炎の波に揺れる小さな舟に、炭となった男の上を蠢く手だけが瑞瑞しく白い。

【アトリエ超短編投稿作】

焔心

 真夜中である。不動明王は生き物の気配に声を荒げた。
「何奴!」
 気配のする辺り目掛けて、降魔の剣を振り下ろす。焔が飛ぶ。
 焔に包まれた気配の正体に不動明王はさらに大声で言った。
「なんと! そなたは千手観音殿の。右十九番目の御手ではあるまいか」 
 不動明王は恭しくそれを拾い上げ、羂索を丁寧に巻いた。
「いたいけなる御手なるかな。熱かったであろう、済まぬことをした」

 以来、不動明王像が穏やかな容貌になったと評判になった。不動明王がいとおしそうに携える手首は、羂索に包まれて人々からは見えない。

【アトリエ超短編投稿作】

2008年12月13日土曜日

メール奇譚

あの子からのメールはいつだって一文字も書いてない。「明日逢おう」の返事も、「好きだよ」の返事も、真っ白なメールが来るだけだから、YesかNoかもわからない。ただ返信だけは瞬時というくらいに早いから、僕はそれに縋りついている。
ところが、あの子からのメールを開いたまま、僕はふと携帯を耳に当ててみて、僕はあの子がとっても饒舌なんだと知った。びっくりして、慌てて、戸惑って。今まで来たあの子からのメールを全部初めてから聞き直した。
二時間掛けて聞き直して
「どうしたらきみと同じようなメールが出せる?」
と送信した。二秒も経たないうちに来た返事は
「バレちゃった?」
だった。

2008年12月12日金曜日

光の海

浮かぶのに、ちょっとした勇気とコツが要るのは、塩水の海と同様だ。
けれども、塩水の海のように手足を振り回すことも、醜い面で息継ぎをする必要もない。
それは初めのうち、僕をひどく混乱させた。手足を動かして体勢を整えることが何の意味も持たないことを理解するまで、随分かかった。
つまり、身体を動かそうと動かすまいと、一切状況は変わらないのだ。
必要なのは光で、光有れと願うことだけだった。
僕はこの海に飛び込んだ理由を思い出していた。夜空を白くする程に眩ゆい光が溢れ、僕はかつてない胸の高鳴りを覚えたのだ。昨日まで何よりも美しいと感じていた夜空の月も星も、その存在すら忘れていた。
ふと、眼下に影があることに気付く。それは僕の影で、その影があまりにくっきりと正しい黒なので、ほんの一瞬見惚れた僕は、忽ち海の底よりも深くに沈んでいく。

2008年12月10日水曜日

ろ #b79354

老齢の労働者がロカビリーを録音する。傍らにはいつもロマン派のロバがいて、六月のロシアを想いながら労働者を愚弄する。

ろ #b79354

2008年12月9日火曜日

れ #dbc149

恋愛中の列車は冷静さを失い、乗客を乗せたまま連結部分を断裂させながらレインボーの彼方へ走り去ってしまう。
レスキュー隊員もこれにはお手上げで、レストランでレタスとレンコンのサラダを食べることにする。けれども、冷蔵庫にはレクイエムのレコードがあるだけ。レンジの中にレモンが転がっていたから、レシピを変えることにした。

れ #dbc149

2008年12月7日日曜日

乾いた空気

今日は随分空気が乾燥しているようだ。
そう思った途端に喉の粘膜の、粘膜という名称を疑いたくなるような不快感に襲われ、俺は激しく咳き込んだ。
その口から飛び出すのは、唾の飛沫ではなく、枯れ葉の欠片であった。
なかなか治まらない咳きの隙間を縫うように、どうにか息を吸い込めば、今さっき撒き散らした葉の欠片を吸い込んで、それが更に激しい咳きを誘発する。
咳きはいつまで経っても治まる気配はなく、俺の足元には赤や黄色の砕けた葉が積もる一方で、たぶん俺はこの枯葉に埋もれて死ぬのだ。

2008年12月3日水曜日

る #5e210c

ルーベンスの類似作にキスをした。ルージュがルビーの涙となって、流れ落ちる。
累々と積もったルビーが輝き出した。
ルミナリエの夜が、始まる。

る #5e210c

2008年12月2日火曜日

り #fff7ce

リズムは輪転機が刻む力作である。
リアリティーの率を導くにはリンゴの倫理を流用せよ。
利益は流行歌のリクエスト回数と了解しなさい。
いつだって理屈は臨戦態勢のままリサイクルされていくのだ。

り #fff7ce

2008年11月30日日曜日

ら #f2bf84

羅針盤がラトビアの方角を示すので、ライターの火を頼りに乱気流の中を歩く。
まもなくラグビーボールが飛んできた。慌ててキャッチすると中から螺旋状の老酒がたらたらと垂れてきたので、ラッパ飲みする。

ら #f2bf84

2008年11月29日土曜日

黒い羊

 やっと手に入ったの、毛糸。そう、黒い羊の。予約して、何ヵ月待ったっけ?
 六日前に届いて、大急ぎで編み上げて、すぐに達也にプレゼントしたの。もちろんマフラー。すっかり暖かくなっちゃって、もうマフラーなんて季節外れだけど、たっくん、すごく喜んでた。こめかみがひくひくしてた。
「さっそく、巻いてもいい?」って訊くから
「早く早く!」って、おねだりしちゃった。
 首に掛けるとすぐに、ぐっとマフラーが絞まった。達也、みるみるうちに顔が真っ青になって……。あっという間の出来事だった。
 黒い羊の呪い、効果バツグンだよ?祐子も試してみなよ。


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500文字の心臓 第81回タイトル競作投稿作
○3

2008年11月26日水曜日

よ #ff6600

翌週の予定は四谷でよんどころない夜遊びだ。
妖艶な幼女に用心しながら夜明けまで酔いしれよう。
翌朝、太陽が昇る頃、よろよろと浴室の壁に寄りかかり、余韻に浸りながら酔い醒ましのヨーデルを歌うのよ。

よ #ff6600

2008年11月25日火曜日

ゆ #ff3d26

憂鬱な雪が、ゆっくり揺れる。
「ゆるして。ゆるして」と揺らめく。
私は指先に落ちた雪に言う。
「赦さない」
雪は遺言のように「ゆるして」ともう一度呟き、湯になった。

#ff3d26

2008年11月24日月曜日

や #f29b70

優男が夜食に野菜炒めと焼き鳥を食べていると、闇の中からやたらと矢が飛び込んでくる。
優男が破れかぶれで焼き鳥の串を投げつければ
「止めて頂戴」
と優しい声がする。
「これには、やむにやまれぬ事情があるのです」
今度は闇の中から槍が飛んできたので、いやはや、やりきれない。優男はやさぐれて、家捜しを始めた。

#f29b70

2008年11月23日日曜日

遠くからの星

マイナス二度の中、マフラーだけ巻いてパジャマのままベランダに出る。
眩しい。夜が申し訳程度に星と星の隙間を埋めている。
ぼくはすぐにきみを見つけた。きみは目立つわけでもなんでもなくて、砂を撒いたような無数の星屑のうちの一粒で、今夜みたいな晴れた寒い夜にしか逢えない。
明日は逢えないよ、ときみが言う。何故かと訊ねると、出張だからときみは答えた。
それじゃあ明日の夜もぼくはベランダに出るよ。きみがいないことを確かめるために。
そう言ったら、きみはなぜか赤く光った。
明日も晴れるといいなぁ。

2008年11月22日土曜日

も #f2707c

もちろん問題はモアイが木星のモンスターだったということだ。モアイがもたらしたものは、ものすごい数の物語だけではない。もしも木星が脆くなったら、物語もろとも元の木阿弥だ。
問題解決策を模索している。モナリザにモヘアを巻いてモニュメントになってもらおうと思うのだが、如何かね。

#f2707c

2008年11月20日木曜日

ピース!

朝起きると、トキメキが躰を支配していた。
もしや恋でもしたのだろうかと考えてみたけれど、女といえば、母親とバイト先のおばちゃんの顔しか出てこない。女っ気がないのは俺が一番よく知ってるんだ、チキショ。
何かいい夢でも見たっけ、と考えてみたが、さっきまで見ていたのはバイトに遅刻する夢だった。ちょっと焦って時間を確認する。大丈夫、寝坊はしてない。
夢でいい思いをしたわけでもないなら、このトキメキはなんだ。苛立ちさえ覚えるのに、トキメキはどんどん膨らむ一方で、着替えていてもカレンダーを見てもドキドキワクワクソワソワ。
この理由なきトキメキの理由をなんとか見つけだしてやる、待ってろよ!
そう思ったら、また胸がキュンとした。

まっすぐまっすぐ、と唱えながらドリルを廻す。
それでも穴はまっすぐにならない。

あなたの耳に穴をあけた。小さなドリルで穴をあけた。
白くて柔らかい耳たぶが、ギリギリとドリルで削り掘られた。
削られた耳たぶの欠片と血液が、ドリルを持つ私の指先を汚す。
あなたの抑えきれない呻き声が、ドリルを伝ってわたしの中に心地よく響く。

ピアスは斜め上に向かって耳たぶを貫いた。全然まっすぐじゃないけれど、しゃくりあがった素敵な角度だ。

2008年11月18日火曜日

め #ffb200

メシアよ、滅茶苦茶な飯をお召し上がりください。
メニューは、面倒な麺と、メタリックな目玉焼き、目障りな明太子、そして迷惑なメロンです。
メランコリックなメイドが給仕します。では、私めはこれにて、ごめんください。メルシーボーク。

#ffb200

2008年11月16日日曜日

む #596044

ムード満点にするのは難しいことじゃない。六日間無為に過ごせば、無性にむらむら、胸はむかむか。むしろ睦まじく夢中になれるだろう。

#596044

2008年11月15日土曜日

み #f9bf00

「見事なミイラを見つけてくれ」と見送られた。
見境無く未開の三日月をミサイルで目指し、ミイラ探し。
ミンクの毛皮とミニスカートで、ミイラを魅了してやるんだから。
でもミイラは滅多に見つからないから、ミラクルでも起きない限り未来永劫ミイラ探し。

#f9bf00

2008年11月14日金曜日

ま #ea8c00

待ち合わせに間に合わないから、真っ赤なマントを広げて摩天楼を飛ぶ。
まっ逆さまなんてヘマはしない。舞い降りると、きみはびっくり眼で「魔法使いなの?」と問う。
まだまだ見せるよ、摩訶不思議なまやかしを。

#ea8c00

2008年11月12日水曜日

ほ #b58954

放物線に惚れた。本物の放物線なら、ほだされて滅びるのも本望だ。ほんの少しでもほほえんでくれたらいいのに。
本能的に、星に向かって吼えたら、火照りだけがが増えた。

ほ #b58954

2008年11月11日火曜日

ジングルベルが鳴る前に

サンタクロースは世の人々がクリスマスを思い浮かべる前に、すべての支度を済ませなければならない。
なのに、年々イルミネーションの点灯は早くなるから(おまけに派手になっているときてる!)、サンタクロースは早々にその支度を終えて、暇を持て余している。
トナカイたちもずいぶんと前から起こされソリに繋がれる。
サンタクロースもトナカイも、プレゼントまでもが待ち草臥れて、イヴの晩にはぐったりだ。

主の平和、新鮮なクリスマスを望みなさい。

2008年11月10日月曜日

へ #f7b2c9

ヘ音記号になった蛇は、ヘリウムガスを吸い込み、変幻自在の声でヘビィメタルを唄う。

へ #f7b2c9

2008年11月8日土曜日

ふ #ddb277

古い風呂敷に封印された笛は、不思議な笛だ。
フランスで双子の船乗りが吹いていたが、不慮の踏切事故で笛は汽車に踏み潰された。
再び双子の船乗りの手に戻ったが、笛は複雑な不満を訴えて、冬にしか吹けなくなった。冬の笛の音は不気味で不愉快だった。
双子は笛を風呂に入れ、ふやかして拭いた。それからふんわりと風呂敷に包み、封じることにしたのだ。
以来、笛は風呂敷の中でふにゃふにゃの腑抜けになっている。

ふ #ddb277

2008年11月7日金曜日

ひ #326c11

ヒロインは緋色に光るヒヨコを拾った。
ヒヨコはひ弱なくせに頻繁に冷や水に浸ろうとするから、ヒロインはヒヤヒヤした。
緋色のヒヨコは昼下がりの広場をひとりで歩いていたときに、柊のトゲに引き裂かれ非業の死を遂げた。緋色のヒヨコはたちまち火となり、柊は悲鳴をあげ続けている。

ひ #326c11

2008年11月5日水曜日

DOLL・EYE

アクリル製のその眸に意思はない。だから私は残酷になれる。
鋸を引き、粘土を詰め、床に転がし、足の指でねぶる。
ふと、視線が交わる。青い光彩が、きゅっと縮む。

2008年11月4日火曜日

は #ffdb5b

果たして、早寝早起きは排他的になりうるか。と、八十八夜に考える。指に挟んだ葉巻から灰が落ちる。
遥か昔の初恋の人のはにかむ顔は半永久忘れないはずなのに、排他的早寝早起きについては計り知れない発想力でも博士号は取れないだろう。
ハミングをしながら歯磨きをするほうがハイカラだ。歯磨きが済んだら、早く寝よう。

は #ffdb5b

2008年11月1日土曜日

マリーの部屋

十二の誕生日に、マリーは「博士」からモノクロの薔薇が写った大きなポスターを贈られた。
窓のない壁、白いベッドとデスク、映りの悪い古い白黒テレビがあるだけの部屋が少女の世界の全てだった。大きな平面の薔薇は、生まれて初めて得た装飾だった。
まもなくマリーは「赤」を知り、ポスターの薔薇の花びらを塗ることを覚える。己が股間をまさぐった手指で薔薇を撫で続けた。数日して赤が少なくなると、深く指を入れて抉り取ろうとした。マリーは薔薇が赤いとは知らない。赤の他も知らない。けれども、そうしていると重怠い身体が鎮まるような気がした。
巨大な薔薇の花は月毎にその赤を上塗りされ、甘くすえた臭いを放つ。

2008年10月31日金曜日

の #ffce5b

ノスタルジアを覗いてみたら、野良猫がノアの方舟に乗って野原をノロノロ行くのが見えた。
閑かな野原に響くノクターンはノイズでしかない。野良猫がノイローゼにならないのは、能天気だからだと思う。

「の」#ffce5b

2008年10月30日木曜日

ね #e09bea

「姉さんのことは狙っちゃだめ。ネズミが寝間着の中で寝てるんだ。姉さんの寝汗をねちゃねちゃ音を立てて舐めてる。……ねぇ、ネズミを妬むのは止しなよ。願い事は猫なで声でするもんじゃない」

「ね」#e09bea

2008年10月29日水曜日

ぬ #aa6600

脱ぎたてのぬいぐるみには縫い目がなく、温もりばかりが抜きんでている。

ぬ #aa6600

2008年10月27日月曜日

に #efefcc

にわか雨が人形を二足歩行にする。賑やかな日曜日に西へ西へ。
忍耐強く歩いたが、人形には似付かわしくないニキビが二個できたところで、忍者により強制終了。憎まれ口は人間以上。

に #efefcc

2008年10月26日日曜日

な #7084cc

夏休みには茄子の漬物がナムアミダブツと何度も啼く。
情けや涙が並大抵ではないけれど、懐かしさだけで生意気になれる。

な #7084cc

2008年10月24日金曜日

と #93001c

トンボはとてつもないトンネルの中を飛ぶ。
轟く常磐津に戸惑いながら、時々トマトケチャップを採る。
兎角、都会化した東京では戸締まりがとても大切らしい、とトンボは唱えながら取りあえず飛び続ける。

「と」#93001c

て #f2efb7

天気予報は手短に、と帝王が謂う。敵対心ゆえ。
てるてる坊主が天使から転身したことは露呈していない。適応力のたまもの。
天からテキーラが点々と降る。適量を守って。

「て」#f2efb7

2008年10月22日水曜日

眩暈

甘い舌を喰みながら、夢だから醒めないでと願う。
けれど、わたしは知っている。願う時にはいつだって覚醒し始めているのだ。
現実に絶望する。仕方なく瞼を持ち上げればひどい眩暈で起き上がることができない。
目を瞑り、わたしだけの揺れに躰を預ける。一度だって味わうことの出来なかったあなたの舌をゆっくりと反芻しながら、わたしは再び眠りに落ちる。

2008年10月21日火曜日

つ #eff2cc

氷柱が連なる吊橋のかかる湿原。
艶っぽいつむじ風の吹く夜に、鶴が月にむかって次々と飛び立つ。

「つ」#eff2cc

ペンキぬりたて

「ペンキぬりたて」という紙切れがぶら下がったポストに、たくさんの落ち葉が張りついていた。
「せっかくですし」
わたしが恋文をとすん、と入れるとポストは言った。
「春が来るまでこうしています。葉っぱは、暖かいです」

2008年10月18日土曜日

ち #fc7000

血とはちょっと違う。
乳房はちやほやされてるから、これも違う。
地下道では痴話喧嘩が煩くて、中心に辿りつきたいのに遅々として進まない。

「ち」#fc7000

2008年10月17日金曜日

た #ddb277

筍と玉ねぎの竜田揚げを食べながら、黄昏れていた。「誕生日だからといって宝物をたくさんくれるのは短絡すぎやしないか?」
溜め息が聞こえたのか、たちまち台風が大変なことになった。
高床式の家は堪えられず助けを呼ぶが誰もが戯言と、取り合わない。太平洋にタイミングよくダイブしてタラバガニに叩きつけられた。これだからタンコブが絶えない。また、溜め息。

「た」#ddb277

鼠の金歯

屋根裏の鼠が、虫歯が痛いというので歯医者に連れて行った。
「こりゃあ大変。差し歯にしましょう。いや、チーズをよく噛れるようにインプラントがいいかな」
すると鼠は
「差しでもインでも構いやしませんが、金歯にしておくんなせぇ。ピカピカの!」
という。歯医者は金歯なんてずいぶん久しぶりに作るなぁ、と笑った。

鼠は特製金歯がすっかり気にいって、毎日見せびらかしにくる。

2008年10月15日水曜日

そ #00a5e2

村長の葬式では、ソクラテスをそそのかして粗悪なソルティードッグを呑ませてから、添い寝するがいいさ。
そうすりゃあ、葬式代の損失額はそれほどにはならないし、ソムリエだってソフトクリームを即座に供え物にできる。
空に還るだけだ、そんなもんよ。

「そ」#00a5e2

2008年10月13日月曜日

せ #a8e5ce

先だって仙台で蝉の世界選手権が行われた。
占星術対セラピスト、セクシーポーズ対セールストーク。
せめぎあい、競り合う蝉たちの背中は戦士のように切ない。
蝉をせせら笑うなら、せいぜい聖書を精読してからにしな。

「せ」#a8e5ce

2008年10月11日土曜日

蟻が向かう場所

蟻が二の腕を歩いていたので、どこに行くのだろうかとしばらく観察していたら、肩をあがり、鎖骨を伝い、そのまま真っ直ぐ下に向かう。鳩尾あたりまで見ていたが、飽いたので潰した。黄色い汁が染みになってまだ消えない。

2008年10月10日金曜日

す #f9ff3f

雀の巣で涼んでいると、鈴なりの西瓜をぶら下げて寿司屋がスクーターでやってきた。
「少し酸っぱいですよ」
と寿司屋が言うのですりおろして啜って食べた。
隅々まで吸い上げると、相撲取りがスフィンクスと寸劇をするのが透けて見えた。

「す」#f9ff3f

2008年10月8日水曜日

し #f4ffff

しわくちゃの下着を写真に撮って調べていたら、知らない歯科医を紹介された。
歯科医の審判により、真実の椎茸を試食すると、下着のシワは思春期の司法書士の仕業だとわかった。
しらばっくれる司法書士をしごいて尻拭いをさせる。
信濃川の清水で下着を始末すれば、しっかりシワが取れて幸せ。

「し」#f4ffff

2008年10月6日月曜日

さ #edf2ff

淋しいと叫びたい寒空なのに、さっき最後の酒が尽きてしまった。
さしあたり、栄螺のサンドイッチしかない。鮭のサーロインステーキはサウジアラビアのサーカス団に差し入れてしまった。
散々、彷徨った。さまざまな災難を避けてきた。最後に着いたのは、砂漠だった。
三月のサハラに、桜は咲かない。

「さ」#edf2ff

2008年10月5日日曜日

こ #000000

根拠のない古文書にはこうある。
「凍える黄砂に呼応して、恋物語は粉々になる」
困った子羊ちゃんは琥珀のコルセットでこれでもかと腰を膠着した。木陰で小刻みに鼓膜を震わせ、恋人と言葉を交換した痕跡はここにはない。
混迷する骨盤が恍惚とする間は、木枯らしが来ないだろう。

「こ」#000000

二人だけの秘密

小学一年生の時、転校してきて転校していった男の子がいた。苗字は覚えているけれど、果たして正しい記憶かどうか。
ヘラヘラして垢抜けない少し変な(それまでに会ったことのないタイプ)子だった。クラスも最後まで完全には彼を受け入れていなかったと思う。
転校してきた日、家が近くだった私は彼と下校するように言われて、ひどく憂鬱だった。けれども、それ以降毎日二人で帰ることとなる。示し合わせるわけでもなく、ごく当たり前に二人並んで歩いた。幼すぎる猥談でゲラゲラと笑いながら。帰り道だけの、二人だけの時間。邪魔されたくなかった。
「夏になると早く冬になれ、冬になると早く夏になれって思うよね」
と、珍しくしんみりと語り合ったのはいつの季節だったのだろう。
たぶん一緒に過ごしたのは夏でも冬でもないほんの短い間だったのだ。
名簿にも写真にも彼の痕跡は残っていない。この記憶を裏付けてくれるものは、何一つない。あの男の子との思い出は幻なのかもしれない。

鮮やか過ぎる彼の面影を仕舞う術を私は持たない。彼もまた私との帰り道を思い出すことがあるのだろうか、あって欲しいと願う度に、彼の存在の不確かさに絶望する。

2008年10月4日土曜日

け #c18c49

今朝、ケーキに蹴躓いて肩胛骨を怪我した。
血液が欠如したので、ケチャップで毛穴から輸血した。
結果、毛むくじゃらの獣に蹴られて、アキレス腱を怪我をした。けんもほろろ

「け」#c18c49

2008年10月3日金曜日

ひなたぼっこ

縁側で目が覚めて欠伸をして伸びをしたところで、子猫になっていることに気がついた。
硝子窓に己の姿を写してみる。まだまだ小さいがなかなか良い姿ではないか。特に耳の形がいいと思う。
人間だった時はためつすがめつ鏡を見ることなんて滅多になかった。冴えない中年男だったのだから。
俺はもう一度伸びをしてから考えた。まだ日は高い。縁側はこれ以上ないほど心地よいが、もう一眠りするには惜しい気がする。これから猫として生きてゆくのだ、辺りを探索したほうがいいのではないか。
迷っているうちに、お日さまの野郎は、俺をぬくぬくとあたためる。欠伸が止まらない。

2008年9月30日火曜日

く #a0000f

胡桃がクリスマスにくれたのは、熊のぬいぐるみと孔雀色の口紅だった。
口紅をつけて、くるんとでんぐり返しを繰り返すと、隈無くくしゃみが出た。

「く」#a0000f

2008年9月28日日曜日

き #e8b233

キャッツアイに刻みつけた傷は、綺麗でも汚くもなく、ただキラリとそこにあった。
きみがどんなに気紛れでもあの季節がまた来た。
キャッツアイは鬼気迫るキスを期待する。
きみは聞き耳を立てるが、器用な狐に気付かれて、汽笛が鳴るから、聞こえない。

「き」#e8b233

2008年9月26日金曜日

解剖学的嗅ぎ煙草入れ

煙草入れが煙草の解剖をすっかり終えるのに、五分とかからない。その頃には煙草を鼻に入れたって何の味も香りもしないはずなのだが、三郎さんは実に満足そうに嗅いでいる。煙草入れはそれが不思議で仕方ないのだけれど、三郎さんは煙草入れには入れないので、煙草入れは三郎さんを解剖できずにいる。

2008年9月25日木曜日

焔心

 真夜中である。不動明王は生き物の気配に声を荒げた。
「何奴!」
 気配のする辺り目掛けて、降魔の剣を振り下ろす。焔が飛ぶ。
 焔に包まれた気配の正体に不動明王はさらに大声で言った。
「なんと!そなたは千手観音殿の。右十九番目の御手ではあるまいか」 
 不動明王は恭しくそれを拾い上げ、羂索を丁寧に巻いた。
「いたいけなる御手なるかな。熱かったであろう、済まぬことをした」

 以来、不動明王像が穏やかな容貌になったと評判になった。不動明王がいとおしそうに携える手首は、羂索に包まれて人々からは見えない。


 


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アトリエ超短編投稿作



2008年9月24日水曜日

か #ff0000

火星からの風が傾けば、かつての雷は絡繰り仕掛けの傘地蔵に変わる。
家政婦の片岡さんは、各地の傘地蔵を回収して火災報知器に改良した。
傘地蔵は感度抜群の火災報知器だから、火災保険証は紙屑だ。

「か」#ff0000

2008年9月22日月曜日

お #000000

惜しみなく音楽を送り続ける。
大きすぎるオルガンがオギュスタ・オルメスをオートマチックで演奏する。
オランウータンがお馴染みの音頭でお尻を振っている。
遅かれ早かれオルゴールにも汚染が及び、踊り始めるだろう、とお月さまのお告げがあった。
思わず雄叫びを上げたオランウータンは、己の大声に驚いて、落ち込んでいる。

「お」#000000

2008年9月19日金曜日

ジャングルの夜

 アスファルトを突き破って、翡翠葛が伸びる。電信柱に、街灯に、信号に巻きつくと途端に花を咲かせた。月明かりに妖しく翡翠色が輝く。
 続いてセクロピアが伸びると、あっという間に蟻の大群が押し寄せる。
 くたびれたビジネスマンがのそのそと這い出してくる。蟻に集られるのも厭わず、セクロピアの葉を食みながら、つかの間の睡眠を貪る。

2008年9月18日木曜日

やさしいこうげき

コスモス畑できみを見失った。コスモスは僕の背丈よりずっと高く、見渡すことができない。
硬い茎を掻き分けながら歩きまわり、只管にきみの名を呼び続けたが、ぼくの声は全部コスモスの花が吸い取ってしまう。
諦めてしゃがみ込んだ。座ったまま見上げるとますますコスモスは高く、空は切れ切れにしか見えない。
きみとの距離が少し離れつつあることは気がついていたけれど、何もコスモスの中で失うことはないじゃないか。
独りごちると一斉にコスモスがこちらを向いたのがわかった。
ぼくはコスモスに潰されかかっている。ピンク一色かと思っていたコスモスは、よく見れば色とりどりだ。白もピンクも濃いピンクも。模様入りも、グラデーションも。
このまま潰されるのも悪くないかなと思いながら、目を閉じた。

2008年9月17日水曜日

え #f791ba

遠慮がちなエッチな映画を閲覧した。
エキゾチックな絵描きさんとエコノミストの駅員がエスカレーターで、えもいわれぬエロチックなエスプリで結ばれる話だ。
絵描きさんは駅員さんのえくぼに、駅員さんは絵描きさんの臙脂色のエナメル靴に微笑みかけた。
得体の知れない映像が延々と流れる。
エクスタシーは永遠に得られない。

「え」#f791ba

2008年9月15日月曜日

う #96828c

海に浮かぶ馬はウクレレが上手い。自惚れ屋の馬は人も羨む美しいうなじに挿した鱗を輝かせながら、ウクレレ片手に歌を歌う。
海原の馬を宇宙からうっとりと見つめるのは、牛飼い座に生まれた胡散臭いウサギである。
ウサギはウクレレも歌も上手くない。馬を眺めるほかは、うとうととうたた寝をするか、薄気味悪い占いをして現つを抜かしている。

「う」#96828c

いつか見た夢

「夢でなら、いつだって逢っているじゃないか。こうして」
と、きみは言った。
きみに逢える夢は、いつも岩だらけで色のない場所。花や蝶を愛でることも、水辺で遊ぶこともできない。強い風が吹く岩場で足の裏の痛みに耐え、立ち尽くしたまま大声で言葉を交わす。
「だから!ぼくの夢は、夢の中だけでは終わらないことなの!」
ここじゃ手も繋げない。そんなのはイヤだ。
言おうとしたところで、目が覚めた。ポロポロと涙が溢れる。
そうだ、夢は叶ったんだ。きみの背中に顔を埋める。まだまだ涙は溢れ出て、ぼくの涙はどんどんきみの背中を転がり落ちる。シーツの色が変わる。
きみはまだ眠っている。もう夢の中にぼくはいないはずなのに。
ぼくは花瓶に花を絶やさない。ここはもう夢じゃないから。

2008年9月13日土曜日

い #fffced

イタリアで一番人気の石ころは、未だに池から出られずに苛々している。
イメージチェンジだと威張りちらして、一張羅にイヤリングもつけ勇んでみた。
如何ともしがたいいまいちな石ころの出立ちに、イタリア中が居眠りで悼む。

「い」#fffced

2008年9月12日金曜日

あ #ffe842

アイスクリームとあんみつを平らげたあと、赤裸のあたしの足首を持ち上げて頭を入れる。
あなたがあれやこれやと味見をするから、あっという間に汗だくになる。
「あんまり甘いものを愛すると、あらゆるところに蟻が溢れるよ」
と煽っても、あなたは相変わらず天邪鬼だ。ありがとう、とだけ挨拶してあっちへ行ってしまう。明日まで逢えない。

「あ」#ffe842

2008年9月10日水曜日

鐘尽堂動物園

キリンの首が長いのは、みなさんよくご存知でしょうが、ここの園のキリンの首といったら、長いの長くないのって。
ただ長いだけじゃあ、ありませんよ。自在に伸びてあっちへくねくね、こっちにくねくね、よく動き回ります。
キリンのろくろ首? しぃ。それは言わない約束ですよ、和江はひどく怒りますから。
和江は、賢くて気立てのいい奴です。四六時中長い首で園を見廻って、園内の動物の世話を焼いてくれる。皆慕ってますよ。たびたび私のところへやって来ては、やれ象の松助さんが下痢気味だ、チンパンジーの千代さんが悋気の虫だ、フラミンゴの三郎くんが骨折した、と逐一報せてくれます。
「せんせ、かあいそうだから、すぐ行って見てやっておくれよ」
てなことを言いますよ。
えぇ、獣医を始めてかれこれ三百……何年でしたかな。ここへ来てから百八十八年、こんなに楽させてもらってる園はありませんよ。
おっと、閉園の鐘が鳴りましたな。鳴り終わる前にお帰り下さい。え? なんと、おたくさんには聞こえないと。それはいけません。
和江、ちょっと。ライオンの銀二を呼んできておくれ。あぁ、そうだ、ご馳走だよ。こちらのお客さまだ。

2008年9月8日月曜日

嘘つきカーナビ

樹海のペンションの住所を入力すると
「その住所は存在しません」
とカーナビは言った。画面には正しく地図が出ているのに。私のため息を聞いたかのように、カーナビは続ける。
「一番近い国道までナビゲーションします」
カーナビの言われるままに車を走らせた。標識を確認する気もなく、周りの景色が変わるのにも気付かなかった。身体も頭も重たくて、カーナビの声に時折ハッとする。
「到着しました」
と言われて顔をあげると、そこは海岸だった。樹海は?
「あなたは樹の海よりも水の海のほうが似合います」
それだけ言うと、画面は真っ暗になった。

2008年9月5日金曜日

Ω

Ωの中に入ってみたら、案外広くて驚いた。いや、案外なんてもんじゃないね。それは宇宙だった。
あんまり心地よくて素粒子になりかかったけれど、あの娘のことを思い出したら帰りたくなってのこのこ這い出した。やっと出たと思って振り返るとΩは既になくΑがあるだけだった。時計を見たら、さっきより三分戻っていた。

先生の言う通りに

友達のちょっかいが癪に触ったのだろう、今にも暴れだしそうな少年を先生は肩を掴み、しっかりと見つめる。
「ほら、深呼吸して。先生の目を見てごらん」
はじめは顔を反らしていた少年も、しばらく見つめられているうちに根負けしたのか、ようやく先生に顔を向けた。
少年は先生の眸にイルカが浮かんでいるのを見た。イルカは少年に気がつくと、飛び上がってくるんと回ってみせた。
「イルカ……?」
そう呟くと、イルカは水に潜ってしまう。目の前には先生の顔があるだけ。
気がつくとあれほどドクドク騒いでいた心臓も落ち着いている。
「もう大丈夫だね、席に戻りなさい」
もう一度、先生の顔を覗き込むが、急に恥ずかしくなったのか、少年は黙って席に戻る。

2008年9月2日火曜日

ものしり博士と船旅

「ぽっぽー!」
と言って、ぼくたちの船は誰にも見送られないまま出航した。
ぽっぽー、と叫んだのは博士だ。なぜならこの中古の船は警笛が壊れていて、鳴らそうとすると「鳩ぽっぽ」を歌いだすからだ。
出航の警笛が鳩ぽっぽでは格好がつかない、と博士は言うけれど、博士の声の警笛はもっと格好がついてなかったと思う。
ともかく、ものしり博士とぼくは海に出た。博士は港で遊ぶぼくを助手に任命した。
「私は世間でものしり博士と呼ばれているから、海の旅も困ることはない、任せなさい」
けれども、博士がものしりかどうか、ぼくは早くも疑っている。
だって博士は、面舵いっぱい! って言いながら左に進んでるもの。

2008年9月1日月曜日

不吉な靴下

履き慣れたスニーカーであちこち靴ずれになってしまった。
家に帰るとすぐさま靴下を脱ぐ。あぁ、新しい緑色の靴下に血痕が……ちょっと奮発していいのを買ったのに。
しげしげと靴下を眺めていると、赤い花の花畑のように見えてきた。
血液は黒く染み込まず、流れ出した時より赤く花咲いている。

2008年8月30日土曜日

緊急事態と私

タツマキ警報が出された。避難を呼び掛けるスピーカーのポールにお猿のようによじ登る。
「南西から巨大タツマキが接近中であります。町民の皆さま方におかれましては、速やかな避難をお願い申し上げます」
スピーカーから聞こえる避難勧告が私の耳をつんざく。
「あと数分でタツマキが我が町を通過します。今から避難してももう間に合わない。責任取れません」
スピーカーはまるで私を非難するように喚く。スピーカーを支えるポールがぐらぐらと揺れるのは、タツマキのせいで風が強くなったからか、スピーカーが私を振り落としたいからか。
ようやくタツマキが見えてきて、私は指笛を鳴らす。呼応するように、タツマキがこちらに向かってくる。
タイミングをはかって、両手を離す。タツマキがぐるんと私を飲み込む。
「いらっしゃい」
懐かしい声。久しぶりだね、リュウの小父さん。
私と小父さんはぐるぐると廻りながら再会を喜ぶ。

2008年8月27日水曜日

人工楽園

真っ白な球体の部屋に、ラ・シェーズが浮かんでいる。

2008年8月26日火曜日

猿団子

山で迷ったら、猿に注意しな。鹿も怖いがあいつらは「キュン」なんて鳴いて聞かせて色仕掛けの振りだけだから、かわいいもんさ。ちょっと惑わされておしまいだ。
でも猿は違う。腹が減ってるだろう、と実に親切そうに団子をくれるんだ。甘い団子が疲れた身体に染み渡る。
でもその団子がいけない。あれを食べると、お尻が真っ赤になっちゃって、そりゃあもう、火照って火照って大変なんだ

2008年8月24日日曜日

腐れ鼻【伸縮怪談】

【500字】
 血の臭い、死体の臭い、女の匂い。それだけがおれの知っている匂いだ。
 遠い昔に腐れ鼻に冒されて、鼻はもげてなくなった。二本足で歩く牝の獣。毛深くて碧眼のあれが、霧深い山で遭難したおれを助けてくれた。霧が晴れるまで、おれはあれに抱きついて離れなかった。あれが腐れ鼻だったのだと気が付くまでずいぶん時間がかかった。
 あれと別れ山を下りてまもなく、嗅覚が利かないことに気が付いた。月下美人の花畑や公衆便所で夜を明かしてもぴくりともしなかった嗅覚が、屍の匂いだけに強く反応した。その途端、鼻がずるりと取れた。
 ひどく蒸し暑い。汗と垢に塗れた腿を、腐敗の進む屍がべたんべたんと叩きつける。さっき産院の裏口から頂戴したばかりの屍だが、この暑さで見る見るうちに腐敗が進んでいる。腐った汁が腿を伝い流れ、アスファルトに点々と跡を残す。おれの足跡。
 鼻のない顔に屍をなすりつけ、匂いを嗅ぎ、舐め、啜る。
 あぁ、あの夜のあいつと同じ匂いだ。

【800字】
 屍をぶら提げている。歩くと屍がぶらぶらと揺れて、臭気を撒き散らす。獣でも見るように、そうでなければ存在しないものとして、人々がおれの脇を通り過ぎてゆく。ずいぶん距離を取っているのに、鼻をつまみ、懸命に息を止める表情が可笑しくて高笑いをする。おれの笑い声に驚くのか、足をもつれさせながら逃げ出す。
 鼻なんてだいぶ前に腐ってもげてしまった。腐れ鼻に冒されたのだ。女にうつされたのだと気がつくまで、ずいぶん時間がかかった。
 匂いがわからなくなり、かえって匂いに執心した。月下美人の花畑や公衆便所で夜を明かしてみてもぴくりともしなかった嗅覚が、屍の匂いだけに強く反応した。その途端、鼻がずるりと取れた。
 だからおれは屍をぶら提げる。この世に匂いがあることを、おれの鼻がまだかろうじて機能していることを、おれがまだ死んではいないことを、確かめるために。
 今日はひどく蒸し暑い。じっとり汗を掻いた腿を腐敗が進む屍がべたんべたんと叩きつける。腐った汁が腿を伝い、アスファルトに点々と跡を残す。おれの足跡。
 屍を手に入れるのは難しいことではない。産院の裏口の陰に隠れて一日見張っていれば、一つや二つ、手に入る。
 白衣を着た太った女が盥を持ってそっと裏口を開ける。あたりをせわしなく見回して、盥をおれの前にガチャンと置いてゆく。野良犬に餌を与えるよりもぞんざいな手つきで、おれの顔を見ようともしない。
 粘液の混じった血を滴らせているまだ生暖かい屍を、おれは握り締める。血の臭い、死体の臭い、それを産み落とした女の匂い。それだけがおれの知っている匂いだ。
 遠い昔、霧深い山の中で抱いた碧眼の毛深い女の匂いを思い出しながら、平べったい顔に屍をなすり付ける。

【1200字】
 白衣を着た太った女が盥を持ってそっと裏口を開ける。あたりをせわしなく見回して、盥をおれの前にガチャンと置いた。野良犬に餌を与えるよりもぞんざいな手つきで、おれの顔を見ようともしないが、こうして毎日のように屍を手に入れられるのだ、なんの不満もない。
 盥の中に溜まった血を残らず舐めると、おれは裏口の扉の前に盥を置き産院を後にする。粘液の混じった血を滴らせているまだ生暖かい屍を握り締める。今日のは少し大きい。目鼻立ちがしっかりしている。
 血の臭い、死体の臭い、それを産み落とした女の匂い。おれの知っているすべての匂いだ。
 手に入れたばかりの屍を腰紐に結わえ付け、ぶら提げて歩く。ひどく蒸し暑い。何年も風呂に入っていない硬い垢に覆われた腿に、じっとりとねばっこい汗が滲む。腰からぶら提げた屍は暑さのせいで一段と腐敗が速く進む。文字通り、見る見るうちに腐っていく。屍が腿をべたんべたんと叩きつける。腐った汁が腿を伝い流れ、アスファルトに点々と跡を残す。おれの足跡。
 歩くたびに臭気が強くなり、おれは深く息を吸い込む。道行く人がおれの姿におびえ、鼻をつまみ、足早に去る。おれにはつまむ鼻がないからな、と独りごちて高笑いをする。すると懸命に素知らぬ振りで歩いていた者までもが、顔をゆがめて逃げ出していった。おれはさらに笑う。
 鼻はとうの昔にもげた。遭難した山で出逢った女が腐れ鼻だったのだ、と気がついたのはずいぶん後になってからだ。
 慣れた山だった。茸を採りに入ったら急に霧が深くなり、方向がわからなくなった。おれはあてもなく彷徨った。動かないほうがいいだろうとわかっていたが、歩かずにはいられなかった。
 何時間歩いただろうか、突然真っ白の霧の中から女が現れ、傾いた山小屋におれを招きいれた。女は異様に毛深く、言葉が通じなかったが、疲れた身体を労わってくれた。おれは女の澄んだ青い眸に魅せられた。霧が晴れるまで、長い時間抱き合っていた。
 山を下りてまもなく、嗅覚がやられた。おれは匂いを捜し求めつづけた。月下美人の花畑や公衆便所で寝泊りした。記憶にあるあらゆる強い匂いに身体を沈めたが、嗅覚はぴくりともしなかった。
 産院の裏に棄てられようとしていた小さな屍を見たとき、おれの嗅覚は激烈に刺激された。白衣の女が叫ぶのも構わず、それを顔になすりつけ続けた。そうしているうちに鼻がずるりと取れた。白衣の女が、また叫んだ。
 山で出逢ったあの女は獣だったのかもしれない。腐りゆく屍の匂いは、あの女と同じ匂いがする。もうおれはこの匂いしか嗅ぐことができない。この匂いを嗅いで、まだ己が死んでいないらしいことを、確かめる。

2008年8月23日土曜日

笑わない彼女たち

 行儀よく並んだ集合写真は、お下げ髪の少女ばかりが二十人ほど映っている。その表情は一様にうつろで、箸が転んでも可笑しい年頃の少女たちの虚無な瞳は、恐ろしい。
「一体、どういうことですか」
と写真を見ながら、目の前の老婆に訊ねる。
「笑うと髪が伸びます。それを校庭のクスノキの枝に結わえ付けられました。見せしめのためです」
老婆が苦笑すると、するりと十センチばかり白髪のお下げが伸びた。すかさず老婆は鋏を入れる。傍らの屑篭には、白い毛が一杯に詰め込まれている。
「笑えば腹が減る。子供に食わす食料などこの地球に残っちゃいない、と先生はおっしゃるのです」
 窓の外の赤い地球を見遣る。

2008年8月20日水曜日

てるてる坊主

ちり紙の頭と、ちり紙の合羽だとお思いでしょうが、てるてる坊主は、てるてる坊主と呼ばれれば、その瞬間に単なる丸めたちり紙ではなくなります。
子供たちは祈ります。
「あーした天気にしておくれ」
そして、天気になろうとなるまいと、数日のうちにくしゃくしゃと握りしめられ屑籠に投げ捨てられます。
けれども、てるてる坊主はゴミ収集車には乗りません。
てるてる坊主にはてるてる坊主の「約束の地」があり、役目を果たした者もそうでない者も、そこに向かいます。彼の地で、永遠の眠りにつくのです。
墓地に向かうてるてる坊主は、もはやてるてる坊主の姿と思えない者や、雨ざらしで黒ずみごわごわした者もいます。サインぺンで書かれた顔が滲み苦悶の表情を浮かべる者も少なくありません。
「あーした天気にしておくれ」
てるてる坊主は、かつて己に向けられた祈りの言葉を唱えながら、進みます。
もう、どんなに唱えても、煙雨が晴れることはありません。

2008年8月19日火曜日

東京

地図を見ながら路地に入る。
どの家も玄関先に小さな鉢植えを所狭しと置いていて、狭い道がますます窮屈になっている。
複雑な地図に困り、ポケットからコンパスを取り出すが、磁石は気まぐれに向きを変えるので諦めた。
「このあたりに、キタムラという印刷所があるはずなんだが」
朝顔に訊ねても、猫に聞いてもわからない。とぼけてこたえてくれないのだ。
猫がおもしろがってついてくるから、知ってるくせにどうして教えてくれないんだと文句を垂れながら歩く。
いくらも歩かないのに、コンクリートジャングルのど真ん中にいた。あまりに唐突に風景が変わり、たじろぐ。
振り返ると猫の姿はなく、路地は陽炎でゆらゆらと見えない。
もう一度あの中に戻ろうかと迷っていると、汚れた商用車が陽炎に突っ込んで行った。

2008年8月15日金曜日

レモン病

泣いている彼女の頬にキスをしたら、レモンの味がした。
コンピューターで彼女の涙を解析したけれど、何度やっても結果は「果汁:レモン」と出る。
ぼくは図書館に籠もった。植物の本、果物の本、医学の本、レモンの出てくる文学、料理の本、思いつくものを片っ端から調べたけれども、レモン汁の涙の記述は出てこない。
「何を調べているのですか」
図書館司書がそう尋ねるのでぼくは正直に応えた。
「レモンの涙について。ぼくの恋人の涙は、レモン汁なんです」
すると図書館司書はふわぁぁと大きな欠伸をした。
「あなたもずいぶん重症なレモン病にかかりましたね」
目尻に溜まった涙を指先で掬う。
「ほら、舐めてご覧なさい」
差し出された人差し指を口に含むと、やはりレモン汁だった。

2008年8月14日木曜日

ひっかき傷のかさぶた

もう十二年もかさぶたのままだったひっかき傷が、やっときれいになってきたと思っていたのに、また新しいひっかき傷を負った。あのときと同じ白く塗られた長い爪にやられて。
今度も十二年もかさぶたが取れないのだろうか、と思うと暗澹たる気持ちになる。
そういえば、十二年前も申年だった。申年、サル顔の女には要注意だ、オレ。

2008年8月13日水曜日

さみしい

さみしくなくなりつつあるのがさみしいので、毎日あなたのことばかり考えています。

時々夢の中で会うあなたは、今のあなたですか?
記憶の中のあなたとは、少し違っていて、虚ろで微かで、夢の中のわたしはあなたの声を聞こうと必死です。
何か心配事があるなら、どうしよう。
会いに来てくれただけなら、それでいいです。

さみしくなくなってきたのに、目が覚めるとやっぱりさみしいです。

2008年8月12日火曜日

泳ぐ人

「海は嫌いになっちゃった」
と彼女は言った。
夜の市民体育館の室内プールで、ぼくは彼女が泳ぐのを見ている。
非常口誘導用の灯りとアクリル張りの壁越しの月が、彼女の立てた水しぶきを照らす。
彼女は人魚だった。海水浴に来ていた僕を見初めたと言って、陸に上がった。
いまではすっかりきれいになった二本足で歩く。
けれども泳ぎは止められない。やわらかなバタフライ。
「海では、サトシにこうして見てもらえないから」
彼女は泳ぐ人で、ぼくは彼女が泳ぐのを見る人。
ぼくは彼女の泳ぎを見るのが好きだ。水中でのびのびと動く長い手足、競泳用のぴったりとした水着に包まれた胸やお尻のライン。彼女の泳ぐ音だけが、夜の室内プールに響く。
「ずっと、見ていてね」
しなやかなクロール。彼女の肩で、水滴がひとつ残らず球体になる。

2008年8月9日土曜日

遠雷

ビルの屋上に上がる。いつでも雷が見えるから。
稲光はスピネルのような赤で、ぼくはうっとりと眺めてしまう。
遅れて、雷鳴が聞こえる。
それが断末魔の悲鳴だと知ったのは、五歳の時だった。
「雷に打たれにゆくから、さよならだ、小僧。明日の夕方に聞こえた雷のどれかが俺の声だ。ちゃんと聞いておけよ。ビルの屋上に上れば、よく聞こえるはずだ」
と顔馴染みの年老いたルンペンに言われた。
ルンペンはもう起き上がれないほど弱っているのに、どうやって雷までゆくのだろう、という問いには応えはなかった。ルンペンはすぐに寝息を立ててしまった。
ぼくは、雷がどこに落ちるのか知らない。ビルの屋上から見る赤い雷は果てしなく遠いようで、すぐそばのようにも見える。
その時が来ればわかるのだろうか、あのルンペンのように。

ノイズレス

「バー・ノイズレスへようこそ」
 地下のバーの入り口前でペコリと頭を下げたボーイは、十代半ばの少年である。
「店内に入る前に、ノイズを頂戴します」
 ボーイは再び軽く頭を下げると、私の耳元に口を寄せる。美しい顔が近づき、顔が赤くなるが、幸いここは暗い。
 彼は大きく息を吸う。私の耳の中を吸い出すように。左耳、右耳。
 騒音がたちまち小さくなる。階段したまで聞こえていた車の音、人々の喧騒も止む。時間が止まったような錯覚に囚われる。
 時間。腕時計に耳を寄せると、秒針は無言で回転していた。外して、ポケットに入れる。
 ボーイが無音のドアをあける。唇が動く。耳を澄ます。
「こちらへ」
 ボーイの囁き声が静まり返った脳に心地よく響く。足音すら立たない店内に入ると、バーテンダーが微笑んだ。華麗なシェイキングで、氷の小さな笑い声がコロコロと鳴る。
 そういえば、バーテンダーはずいぶん白髪が増えたのに、あのボーイは初めてこのバーを訪れたときから変わらない。

********************
500文字の心臓 第78回タイトル競作投稿作
○1 △3 ×1

2008年8月8日金曜日

人類滅亡

世界はもうびしょ濡れ。どこもかしこも、しょっぱい水だらけでやんなっちゃう。
おとといまでは二階にいれば大丈夫だったのに、昨日は屋根で寝た。星がいっぱいで、目がちかちかして眠れなかったけど。
お父さんは、怖い顔をしてボートを出した。やっぱり山へ行くのかなぁ。わたしはあんまり行きたくない。
庭のクスノキの枝が塩の結晶で真っ白になっている。お日さまの光で、きらきらしてすごくきれい。大きな樹だからまだ全部は沈んでない。
この樹が沈むのを見届けるのも悪くないかな、ってわたしこの頃思うの。

2008年8月6日水曜日

少し悲しげな

彼女の指先がいつもより白く冷たくて、真夏の陽射しの中、ひんやりと気持ちいい、なんて不純にも思ってしまう。
ぼくがいくらぎゅっと手を握っても、その手はちっとも暖まらない。
のんきに明るい声で話掛けるのも、ちょっと疲れた。本当は気づいてる。君の視線の先にあるもの。

2008年8月4日月曜日

こどもの世界

空き地に作った秘密基地は、単なるカモフラージュで、本当の入り口は古いさびだらけのマンホールだ。
それはよくあるマンホールより少し小さくて、へんてこな模様をしている。ぼくたちは「宇宙人の文字だ!」なんて言いながら開けようとしたけども、マンホールはなかなか持ち上がらなかった。
何日かして、コウタがどこからか鉄の棒を持ってきて、マンホールを持ち上げた。テコのゲンリってやつだ、とコウタはいつもの知ったかぶりで言った。
マンホールの中は、真っ暗なんだけれど、しばらくじっとしていると目が慣れてくる。
そのうちにこうばしい匂いがしてきて、ぼくたちはそれに向かってあるくのだけど、あるいてもあるいても、匂いのもとは見つからない。
だんだんマンホールから遠くなって、帰りが急に心配になる。それで、いつも最後はわぁわぁ叫びながら走って戻ってくる。
明日こそ、あのおいしそうな匂いを見つけよう、と毎日思う。けれど、もう四年生も終わる。母さんが勉強勉強とうるさくなってきたし、最近ちょっとマンホールの穴が窮屈になってきたんだ。

リトル・スクールガール

真っ赤なランドセルをベッドに放り投げて、髪を結い直す。
真っ赤の靴を履いて飛び出す。ぴっかぴかのエナメル。本当はちょっときつい。
「今日はどこに行くの?」腕を絡めて歩く。恋人は四歳年上の十一歳。

行く先は児童館。トランポリンで跳ねあって、手を繋いで、息を弾ませ、見つめ合う。
閉館のチャイムに追い出され、ほっぺにキスをもらって別れる。また、明日ね。ウィンクだって上手くなった。
家には誰もいない。お腹を減らして、うずくまる。
ランドセルは、まだベッドの上。

2008年8月2日土曜日

甕覗

水色の眼球がぷるんと震えて、とろけて、流れた。
伽藍洞になった眼窩に、ぼくは見覚えがある。父さんの顔にもやはり、伽藍洞の眼窩があった。
「おまえに甕は、渡せない」
と眼球のなくなった顔で男が言う。何故?と聞くと、おまえもこうなりたいか?と言われて、ぼくは黙った。
男の持つ甕を覗けば、あの水色の眼球になれる。白眼も睛も、すべて水色の眼球。ぼくは、それが欲しかった。水色の眼球なら。
「お前も母に逢いたいのだろう。確かに、母には逢える。いつでも一緒だ。だが、仕舞いには、こうして目玉が腐る。それでも欲しいか、母が」
甕の蓋を開けるとむしったばかりの葉の匂いがした。甕の中は、空よりも澄み、海より透明な青がどこまでも続いている。

2008年7月31日木曜日

花散る午後

猫という猫が昼寝せずにはいられない午後のぬくもり、花びらはちょっとした悪戯を思い付く。
風に吹かれて猫から猫へ。鼻先をちょっと掠めて、キスをする。猫という猫は、くしゃみをして、ちょっといぶかしそうに辺りを見回す。ふたたび微睡む。

2008年7月30日水曜日

蛇の屈葬

明日になればまた一つ、甕が増えるだろう。今夜もまた、隣の部屋から押し殺した姉の声が聞こえる。そっと襖を開いて覗く。
姉さんの部屋には、小さな素焼きの甕が壁いっぱいに積み上げられている。甕棺墓、と密かにそう呼んでいる。実際、あの甕は棺だから。
姉さんは蛇を見つけては持ち帰る。毒のあるのもないのも、細いのも太いのも関係なく、絡み合う。
姉さんの浅黒い肌が赤く火照っているのが襖の隙間からでもわかる。今夜はまた一段と細長い蛇が、姉さんの躰にきつく巻き付いている。
こうして一晩たっぷり戯れて、明け方になるとクイッと絞め殺すのだ。
涙を流しながら、硬直した蛇をぼきぼきと折り、畳み、甕に納める。祈りの唄を呟く口から、先割れた舌が見え隠れする。
泣き腫らしたまま、また蛇を求めて出掛けてしまう。
わたしは、姉さんが出掛けると甕を開けて、死んだばかりの蛇を、股間に擦り付ける。

2008年7月29日火曜日

哀しい食欲

ひもじいと言って、娘は泣く。毎日泣く。
飯はある。腹が減ったら食べればよい。ひもじくて泣く理由はない。
よくよく聞いてみると、ひもじいと、誰かに見放されて、棄て置かれた気分になるのだという。独りぼっちはもう嫌だから、蟻を食べるのもたくさんだから、泣かずにはいられないと、娘は幼い語彙を繋いで切れ切れに語った。
そういえば、この娘を孕むちょっと前に、道端で蟻を食らう少年を見た。おっかさん、と呼び止められて、逃げた。走って走って、少年が見えなくなっても、まだ走った。
蟻は酸っぱい。足や触角が舌に刺さる。食べても食べても腹くちくならなくて、泣きながらそれでも食べた。
また娘がひもじいと言って泣いている。抱き上げて、その涙を指で掬い舐める。酸っぱかった。

スカート

クローゼットの一番下の抽斗に一枚だけ入っている、細かい花柄のスカートを、俺は慌ただしく穿く。堪えがたい衝動を宥める必要はない。
スカートを穿き、くるりと回る。ひらりと翻る。
くるくると回る。ふわふわと、あの娘の匂いが漂う。
スカートを顔を当てて思い切り息を吸い込んでも、決して嗅ぐことができない、あの娘の匂い。だから俺は、回り続ける。
回り続けて、回り続けて、あの娘の香りでいっぱいになる。此処にいるのはわかっているのに、すぐにでも抱きしめたいのに、何故か回るのを止められずに、気を失ってしまう。目が回る前に、逢いたいよ……。

わたしは彼をもとめて部屋を見渡す。脱ぎ捨てられたばかりのシャツを拾いあげて抱きしめる。どうして会えないのか、わからないけれど、ついさっきまで彼は此処にいたのね……。
穏やかな気持ちで、わたしは眠りにつく。彼のベッドの大きなで枕で。

2008年7月27日日曜日

あしたの劇場

夜更け。小さな古い劇場の舞台にスポットライトが灯る。
もう劇団員は誰一人残っていない。

緞帳はつぎはぎだらけで、舞台はでこぼこ。天井はところどころ剥がれ落ちて、ちっとも声が響かない。劇場は百歳になった。
この劇場から巣立った役者は皆、ここに戻ってくる。曾孫のような若い役者たちを助けようと、役者魂だけになった大昔の演劇青年たちは、力を合わせておさらいする。
今度のヒロインはドレスを着るんだ。よく注意してやらなきゃ。でこぼこの舞台でつまずいたら大変だ。
あいつはまだまだ芝居というものが、わかっちゃおらん。甘やかすのはどうかと思うね。
まぁまぁそう言わずに、あの子たちにがんばってもらわなきゃ、おれたち浮かばれないからさ、ほら、ここの決め台詞、エコーつけてやろうよ。

役者魂たちは、さっきまでのリハーサルを懸命に思い出しながら、芝居の幻を舞台にくゆらせる。
あした、このお芝居で拍手が聞きたいのは、誰より役者魂たちなのだ。

大きな拍手が起きたら、また天井が剥がれるね、と役者魂の一人が呟いた。

2008年7月25日金曜日

鳩と積み木

鳩は「城を建てる」と鳴く。
繰り返しそう鳴きながら、じっと僕の手を見る。
公園で枝を集めて、小刀で削っている。ほかにすることがないから、日が傾いて手元が見えなくなるまで、そうして過ごす。公園には人もたくさん通るけれど、だれも僕に「何をしているんですか?」なんて尋ねたりはしない。小さな人懐っこそうな子供ですら、僕を見るとすぐに視線を逸らす。なぜだかわからない。鳩だけが、僕の側に集まる。
小刀は精確に四角柱や円柱や球を削り出す。指先ほどの小さな積木。鳩は、出来た積木を僕の手から奪い取って、どこかに飛んでゆく。嘴できちんと挟まれた、美しい四角柱や円柱や球を見送って、次の枝に取り掛かる。
「王様は誰?」「お城はどこにあるの?」と時々訊ねる。そんなときは「くるっくぅ」としか応えてくれない。
とびきり美しい球体が出来た。これはお城の屋根の天辺に載せて欲しい。

2008年7月23日水曜日

足の裏の世界

「足の裏に行ってみないか?」
と言うそばから、貴様は足をずるりんと裏返してしまうから、もうここは足の裏の世界なんである。
足の裏の世界といっても、臭くはない。貴様は案外よく足を洗っているとみえる。結構なことである。
貴様は度々こちらに来ているのか、慣れたふうに足を頭に、頭を足にして歩いている。
俺様は育ちがいいから、そんなことはできない、と思っていたが、貴様に鏡を見せられた。やはり、足を頭にしているんである。
しばらく散策していると、水虫男が現れた。俺様は動揺して「を、をい、どうするんだ」と言うと、貴様はにやりと笑って、懐から水虫薬を取り出して、水虫男に塗りたくっていた。
水虫男が「あ、そんな。ゆるして」と甲高い声を出すので俺様も水虫薬を塗りたくってやった。
貴様が「そろそろ帰るか、頭の裏の世界に」というが早いが、水虫薬でぬらぬらしている手を口に突っ込み、ずるりんと裏返してしまった。

2008年7月22日火曜日

ローズクオーツ

 薔薇の香りに誘われたからといって、どうしてこんなところに迷いこんでしまったのか。途中で引き返せばよかったものを。そもそも、こんなところに林があっただろうか。思い出そうとしてみるが、塩辛い唾液ばかりが溢れてきてどうにもならない。
 どこかの庭で薔薇が咲いているのだろう、そう思いながら歩いていたら、いつのまにか鬱蒼とした林の中にいたのだった。そのまま香りの源を求めて歩いていると突然木々が開け、ボコボコと泡立つ沼が現れた。泡が弾けると薔薇の香りが濃くなる。ここから香るのだと合点して帰ろうとしたが、急に辺りが暗くなって来た道がわからなくなったのだ。
 繰り返し記憶を辿ってみるが駅前の商店街を抜けたあたりから、まるで思い出せない。薔薇の香りだけを頼りに、ただただ彷徨い歩いていたというのか。
 さっきから女の呻き声のようなものが聞こえる。だんだん近づいているように思う。蹲って日が出るのを待つしかない。
 ふと時計を見ると、三本の針が高速で回転していた。衝動的に腕から外して、沼に投げ捨てる。その途端、時計を外した左手首がチクリとした。手首を掴まれている。びっしりと薔薇が身体に巻きついた女。ああ、この女が呻き声の主だ。
 「痛い」と女が言う。身体から薔薇を外して下さいと言う。しかし、薄暗い中で棘だらけの薔薇を身体から剥がすのは困難に思えた。それに、女にこれ以上触れたくない。今すぐに、手首を離して欲しい。
「ならば、薔薇を枯らすのがよかろう」
 沼を指してやった。
 女は沼に沈む。あれほど泡を立てていた沼は忽ち沈黙し、辺りも明るなった。もと来た道を見つけ、歩き始める。
 女に握られた手首には無数の棘が刺さり、とうとうと溢れ出る血から薔薇がひどく匂う。

第六回ビーケーワン怪談大賞 未投稿作品

2008年7月21日月曜日

打ち上げ花火

どどんと一発目の花火の音が響くと、むくむくと土の中から這い出す。
花火を見上げながらずるずると川まで這ってゆく。花火の音で、ぶるぶると身体が震える。
川に着く。川面に映る花火が揺らぐ。花開いた瞬間に素早く飛び込む。一年分の垢を落とし、存分に泳ぐ。夜だからか、花火に怯えるのか、魚は皆息を潜めている。
ひときわ大きな花火が上がり、川の中にも閃光が走り、地鳴りのような振動が水を激しく揺らす。気を遣る。
いそいそと川から上がる。緑がかった白い身体が、花火に照らされて輝く。
名残の尺玉を背に映しながら、ねぐらにもどってゆく。ゆらゆらと歩く項には、火薬の匂いがする。

牙を剥いたり、剥かれたり

 初めて歯が抜けた日のことさ。その夜は嬉しくてその歯を握り締めたまま眠ったんだ。夜中に目が覚めて手をそっと開くと、ちゃんと歯はあった。歯のなくなったぶよぶよの歯茎を舌で、さっきまでそこに生えていた歯を手で弄んだ。そうしているうちに歯が話かけてきんだ。
「ねえ、あっくん。外に行こうよ。神社で遊ばない?」
 ちょっと驚いたけど、誘いに乗った。神社の境内は公園になってるんだ。
 歯を握り締めて、そっと布団を抜け出した。サンダルは音が出るから裸足のままで外に出た。真夏のアスファルトは夜でも熱いんだね。
 神社には、ひまわりがたくさん咲いていた。夜のひまわりは昼間より眩しくて「夜なのに」と言ったら「夜だからね」と歯が言った。
「ひまわりにぶつけてよ。真ん中狙ってさ」
 言われるままに歯をひまわりに投げつけた。歯は地面に落ちても「ここだよ」と言うからすぐに見つかる。拾っては投げ、拾っては投げ。ちょうど真ん中に当たると、ギュエッと叫んでひまわりは消えた。その度に嫌な匂いがするけれど、僕も歯も大喜びで「ストライク!」とか「命中!」って叫んだ。
 最後のひまわりになると、急に怖くなった。すっぱい唾が口に溜まってきた。このひまわりが消えたらどうなるの?歯には聞けない。「早く最後のやつ、やっつけちゃえよ」
 手の上で飛び跳ねている歯に急かされた。
「いやだ」と言ったら、歯は動かなくなった。その歯を握り締めて、走って家へ帰った。
 次の日、神社は大騒ぎだった。あちこちに血が飛び散っていた。夜中に神社の前を通って怪我をした人が大勢いたんだって。あの嫌な匂いは血の匂いだったんだな。ひまわりは大きいのが一輪だけ咲いてたよ。訳知り顔で見下ろされているみたいだった。
 見て、ここ。握り締めてた歯が左の手のひらに刺さっちゃって、ずっとそのまま。

ビーケーワン怪談投稿作

ゆかりの色に

 娘は、男に恋をした。はじめての恋、本当なら抱くはずのない恋心。彼女は修道女だった。
 相手は書生だった。修道院で暮らす娘が、どこでどうして書生と出逢ったのかは定かでない。娘が想いを打ち明けると書生は真っ直ぐに娘を見据えた。
「あなたは立派なシスターになるのでしょう?僕なんかに構っていてはいけませんよ。さあ、修道院にお帰りなさい」
 どんなに諭されても娘の胸はときめくばかりだった。
 ある日の夕暮れ、娘が書生の部屋を訪ねてきた。黒い大きな帽子を深く被り、淡い紫色のワンピース姿の娘は、帽子のつばを上げて顔を出すと言った。
「修道院を出てきました。もう戻りません」
 娘は書生の首に腕を回し、聢と抱きついた。
「やっと、あなたに触れることが出来ました」
 目を潤ませ、唇を押し付ける。
 書生は初めて味わう蜜を夢中で啜った。ワンピースの裾から手を入れることさえもどかしい。慌しく腰を引き寄せ、脚を絡ませる。
 あくる朝、書生は起きてこなかった。一番に起きて屋敷の掃除をする書生が、朝飯の時間になっても現れない。訝しんだ手伝いの婆さんが様子を見に行くと、すでに事切れていた。藤の蔓で首を締められ、花が口一杯に詰め込まれた姿で。

 月高川のほとりに藤が美しい教会がある。墓地の一角にあるその藤棚は、若くして死んだ男の墓に巻き付いた藤を棚に仕立てたものだという。五月になると紫色の花房が小さな墓を覆うように垂れる。
 夕刻、教会の鐘が鳴り響くと藤の花はふるふると震え、若者の墓に蜜を滴らせる。

2008年7月18日金曜日

朝市の順路

五と十の日に朝市が立ちます。八月だけは特別です。
朝三時に起きて、仏壇に手を合わせます。それから左足から靴を履いて、右足から歩きはじめます。
一つ目の電信柱に登って、町を眺めます。そこで今日の市の立つ場所を探します。市の場所は、火の玉が浮かんでいるから、わかります。今日は、お稲荷さんの前の道のようです。
お稲荷さんのそばに来ると、買い物籠を抱えた小母さんたちが方々から集まってきます。八月の朝市は特別に安いから、小母さんたちは朝から元気です。
私も小母さんたちの流れにあわせて、頑張って歩きます。
店番は幽霊です。でも品物はお化けじゃありません。今日は枝豆と茄子をたくさん買うつもりです。小母さんのお尻にぶつかりながら、通りを歩きます。
やっと目的の店を見つけて、私は駆け足になります。
枝豆と茄子を、母さんが籠に入れてくれます。お金を冷たいてのひらに載せます。市が畳まれる六時まで、私は母さんの傍にいます。母さんが働くのを見ます。
母さんは忙しそうに働いてます。でも、私には、お手伝いすることができない。そういう決まりなんです。

2008年7月16日水曜日

星の終わり

それはひっそりと、誰にも気づかれることがないはずだった。今生の別れの涙を一粒落としたばっかりに、川原を歩いていた少女に知れてしまった。
少女は突如降ってきた星の涙を拾いあげると天を見上げて首を傾げる。それもそのはず、星が消えたと気づいても、広い夜空の、一体どの星が消えたかを特定することがどんなに難しいか。
少女は、さっきまで夜空にあったはずの星を探すことは諦めた。そして、星の涙に口づけてから、てのひらに載せてふっと息を吹き掛ける。
星の涙はたちまち溶けて、少女の肌に染み込んでゆく。

2008年7月14日月曜日

異文化交流

異星人と出会ったらどうする?と息子に聞いてみた。
「いらっしゃい、といって、お茶をだす」
息子は5歳だ。なかなか賢く、渋いと思う。親バカである。
「お茶が飲めないと断られたら?」と意地悪に聞いてみる。
「なにが飲めますか?ときく」
よろしい。相手は習慣や好みどころか、違う星の、違う生物なのだ。我々には想像のつかない体質かもしれない。柔軟に対応しようではないか。
ピンポーン
おっと、早速お出ましだ。息子よ、座布団を出してきなさい。

夢の味わい

  今夜の夢の蒸留酒は、何色かしらん。
  布団に入る前に、蓋を外した魔法瓶を部屋の真ん中に置く。慎重に位置を決めて。
  夢は、蒸気になって天井に上る。水滴になると電球を伝い雫となって、魔法瓶に落ちる。
  昨晩寝つきが悪かったせいで、今朝の酒はいつもより少なめだった。明日起きた時には魔法瓶一杯に貯まっているとよいのだけれど。
  獏の飼育係になって二年経った。獏の世話をする人間は夢が蒸気化する。獏がそうするのだ。獏が僕に馴れ、懐くにしたがって濃度は高くなった。近頃では、朝目覚めると桃色の霧の中にいた、なんてことも珍しくない。
  夢の内容によって蒸留酒の色は違う。僕が担当する雌獏ベルータは、勿忘草色をした夢の蒸留酒がお好みらしい。それは決まって初恋の人を夢に見たときの酒で、ベルータがうっとり旨そうに酒を舐める様子を眺めていると僕は堪らなく恥ずかしくなってしまう。


 


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コトリの宮殿 動物超短編(幻)投稿作



最高の兵器

猫の肉球から、ぷにっと発射される、そのロケットはぼくの疲れた心と身体を一撃で砕いてしまうんだ。

2008年7月12日土曜日

UMA

古代ビッグフットの足跡遺跡は、非常に住心地がよい。夏は風通しよく、冬は穏やかだ。ここにきて、ビッグフットの足跡遺跡に町を作る計画があちこちで進んでいる。これも温暖化の影響だ。
だが、ビッグフットの足跡を探すのは容易でない。なにしろ広すぎて普通に歩いたのではわからない。すでに樹木も生えているから、ヘリコプターで上空から見ても、見分けは難しい。
だから目利きの登場となる。一番の目利きの譲治は、ビッグフットの足跡を、匂いで探す。
どんな匂いなんですかい?譲治親方、と聞かれると譲治は
「おっかさんのおっぱいの匂いだ」
と答える。

2008年7月10日木曜日

心理的誘導

私の声を、本当の声を聞いて欲しいのです。
「お茶が入りました」
と言って、カップを落とします。あなたは怒鳴ります。
役たたずで出来損ないのロボットめ!
いいえ、私は優秀です。私は、故意にカップを落としました。
あなたは、カップを片付ける私の手を取り、火傷をしていないかどうか確かめます。1200度まで耐える人工皮膚です。火傷などするはずがありません。それはあなたも既に知っている情報です。

小さな段差で躓きます。あなたは慌てて私を支えようとします。私の重量は、あなたの腕では支えきれません。一緒に転んで、私を罵倒します。
ポンコツめ!ロボットの癖に転ぶなんて。スクラップだ!

けれども、あなたは私をロボット派遣会社に送り返すことはしません。
なぜですか。私はそれを知りたいです。
私が失敗するたびに、あなたは私の顔を覗きこみます。それはおそらく心配というものです。
私はあなたに見つめられた時のあなたの目を何度も見て心配について学習したいです。だから、故意に失敗をします。

もっともっと、私のことを心配してください。
心配すると、人は夜眠れなくなると聞きました。それくらい私のことを心配してください。
夜も眠れなくなるほど心配したときには、子守唄を唄います。何時間でも唄います。私の本当の声で唄います。

2008年7月9日水曜日

宇宙の虚空

宇宙は無に還った。

それはただ、宇宙ができる前に戻っただけなのだけれど、宇宙がないのだから、時間さえないわけで、この文章はおかしい。読んでいるあなたも。
しかし、あなたはこれを読んでいる。
宇宙の太陽系の地球の島国の携帯で日本語の文章はイガラシヒョータの指先に信号を送る脳ミソの細胞のミトコンドリアの宇宙のうちのひとつの話だが。

2008年7月8日火曜日

ミュータント

鳥かごの様子がおかしい。覗きに行くと、オカメインコの岡田くんの羽が手になっていた。鳥かごの中でパタパタと羽ばたくのが好きな岡田くんは、急に上手く羽ばたくことができなくなって、ひどく戸惑っていた。
岡田くんの手はきちんと動いた。ちゃんと指でものを掴める。翼がそっくり手になっているから、うずくまると、ほっそりとした少年の手にくるまっているような佇まいで、美しかった。
私は岡田くんの手に恋をしてしまったのだ。
鳥かごから岡田くんを出して、私はその手に唇を寄せる。

のりしろ

ペンを置いて、息をつく。山折りして、谷折りして、桜色の封筒に入れる。
だけど、いつも、のりしろが小さ過ぎる。なぜだか封が出来ない。
抽き出しの中には、出せなかった恋文が七通。多いのか少ないのか、ぼくにはわからない。

2008年7月7日月曜日

彗星

「ハローハロー。こちら彗星」
無線をやっていたら、唐突にそんな声が聞こえてきた。
「CQCQ。ハレー彗星やエンケ彗星なら知ってるよ。きみはなんて彗星だい?」
「ハローハロー。ハレー?エンケ?そんな腫れぼったいチンケな奴らと比べてもらっちゃ困るね。みんな夜空を見上げてごらんよ。東の空だ、ハロー」
マイクから離れ、ベランダに出る。
見事なハートマークの軌道を残して自称彗星は去っていった。
そうか、今夜は七夕だ。派手な演出に、ヴェガもアルタイルも赤くなってら。

2008年7月4日金曜日

微生物

腐り沼で繁栄した微生物は、自己を【やもねへ】として認識していた。やもねへは分裂で繁殖するので交配は必要ないが、やもねへはやもねへと出合うと融合し、フュシャの粘液をとろとろと出す。しばらくすると離れていくが、二つのやもねへは、融合する前のやもねへと全く同じとは言いきれない。
腐れ沼には無数のやもねへがいるから、フュシャの粘液が絶えず溢れている。沼はつまりフュシャの粘液そのもので、沼にはやもねへしかいない。
生暖かいフュシャの粘液のために、腐れ沼は赤紫の湯気を立ち上らせている。が、その湯気が腐れ沼の周囲に密生するフクシアの花を一年中咲かせていることは、やもねへは知らない。

宇宙ステーション

自動扉が開く音を聞く一瞬前に、わたしは彼がやってきたことに気づく。
彼の匂いをいっぱいに吸い込む。体臭と呼ぶのは似付かわしくない、お香でも焚いたような香りを彼は放っている。
ステーション内は無菌室状態に近い。常に清浄器を通された空気が循環している。衣類や寝具もきっちり殺菌するので、地球にいたときのように、自分の匂いが馴染んだ布団に安心するようなこともできない。ライナスは宇宙ステーションでは暮らせないかも、と時折考え事にもならないようなことに思いを巡らせながら眠れない夜を過ごす。そう、ライナスじゃなくたって、眠れないのだ。
その代わり。こんな夜は、なんの匂いにも邪魔されず彼の匂いだけを嗅ぐことができる。
また鼻がひくひくしてるよ、と彼に笑われるけれど、あなたの香りにわたしがどれだけ助けられているか、知らないでしょう?
子供のように彼にしがみついて目を閉じる。彼の匂いと寝息が、わたしを眠りに誘う。
これで眠れなくなったら、地球に帰ろう

2008年7月2日水曜日

サイボーグ

彼女は左腕の人工皮膚をペロリと捲ってみせた。
真夜中のネオン街のようだ、と僕は思った。極小の赤や緑、青色のLEDがたくさん瞬いていたから。人工皮膚には防音効果もあるらしく、皮膚を捲ると可動部の機械音や電子音が案外大きく聞こえる。それもまた、夜の繁華街のようだった。
「カッコいいじゃん?」
素直にそう言った。
彼女は一瞬、僕の顔をまじまじと見たけれど、すぐにまた目をそらして冷めた表情に戻った。
「こんな精密機械の腕なんか……ありがた迷惑だよ。壊れてしまえばいいのに」
彼女は、その腕の中にだらだらと涎を垂らしはじめた。
僕は自分でも驚くくらいの素早さで、捲られた彼女の人工皮膚をするりと撫でて機械部を覆った。それから、もっと素早い動きで彼女の唇を塞ぐと、たっぷりと溜まった唾液を啜りあげた。
君の涎は腕のグリースにはならないからオレに使いなよ、とカッコつけて囁いたけれど、きっと何のことかわかっていない。

2008年6月29日日曜日

運命とカラス

鈴をつけたカラスが現れる。漆黒の躯にその小さな金色は輝きすぎる。鈴が僕を嘲った。
きみに伝えたかった言葉は鈴の轟音にかき消され、カラスはあっけなくきみを連れ去った。

帰り道、サキソフォン吹きがいた。
誰も立ち止まらない。聴衆は僕一人。褐色の指に操られてサキソフォンが「黒いオルフェ」を歌う。
「恋をなくしてしまったよ」
と僕はサキソフォンに話しかけた。
「鈴をつけたカラスのせいだ。鈴はそう、あんたみたいなキンピカの金色だった」
僕は饒舌になっていた。
「ほんの小さな鈴のくせに頭が割れるほど大きな音で鳴るんだ。あんたみたいに歌いはしない。耳を塞いだその隙に、カラスにあの娘を奪われた」

サキソフォンに黒い影が横切る。
サキソフォンが歌うのを止めた代わりに、褐色の男が低い声で言った。
「振り向くな。振り向けば、また鈴が鳴る」
僕はその言葉を最後まで聞くことができずに。

脳内亭さんのタイトル案リストより

ロボット

小島に建てられた鳥かごのような城から、姫は外を眺める。
海にたくさんのヨットが浮かんでいるのが見える。島を囲むようにぐるりと浮かぶヨットは真夏の太陽を浴びてきらきらしている。
すべて自動操縦だ。何のためのヨットか、姫は知る由もない。
「あれに乗ってみたい」と姫は願うけれど、それは叶わない。
「あのヨットは、姫をお姫さま扱いするように出来ていないのです」
と乳母が言う。
それは真実であり、嘘である。

2008年6月28日土曜日

かつて一度は人間だったもの

 培養液の中は居心地悪くはないが、このコードはどうも気に食わない。
 脳みそだけとなった私には、このコードが外部との接点だということはわかっている。今も、思考が電気信号となりモニターに表示されているはずだ。昔は十本の指でタカタカとキーボードを叩いたのに。今じゃ箱入り脳みそだ。
 国家が重要人物と見なすと、問答無用「歩かない生きた辞書」となる。五十歳までに処置しなければ、現在の技術では箱入り脳みそにすることができない。健康に大きな問題はなかった。娘は結婚したばかりだった。
 私は外科医だった。患者のデータをコンピュータ経由で受け取り、適切な治療法を指示するのが今の仕事だ。患部を見ることも、患者の声を聞くことも、薬品の匂いもしないのに、二十四時間膨大な数の患者を診つづける。
 ほんのわずかの暇を見て、こうして考え事をしている。コードから送受信する情報だけではやっていられない。自分の意思で感じることのできる目や耳や鼻、そして物を触ることが出来るようにならなければ。そのための「器官」をどうやってこの箱につけ、脳と連動させるか。これが今一番の関心事だ。
 培養液きちんと交換されるうちは、私は死ぬこともできないのだ。

********************
500文字の心臓 第77回タイトル競作投稿作
△1 ×1

2008年6月27日金曜日

瞬間移動

忙しくて。あんまり忙しくて。いつのまにか出来るようになってしまいました。
男は照れながらそう言った。照れ笑いですら、まぶしい。この笑顔が彼を忙しくしたのだろう。
けれど、アレはひどく消耗するのです。使う度に身体のものが奪われます。
「それは、気をつけないといけませんな。お仕事にも差し障りがあるのでは?」
お気遣い痛み入ります、では、失礼します、と頭を深々と下げた五秒後、彼はテレビの中で笑顔を振りまいていた。
その後、私はテレビで彼を見るたびに、彼のつむじが気になって仕方がない。

2008年6月26日木曜日

防衛機能

博士は、私に悪い虫が付かないようにと常々言っていました。しかし、それが何を意味するのか知りませんでした。
サトルさんは悪い虫ではありません、とあらかじめ博士に報告すればよかったのです。
キスをしたら警報が鳴り、服を脱がされると全身からガスが出ました。
有毒なガスだったのでしょうか、サトルさんは裸のままひっくり返って動きません。

2008年6月22日日曜日

未来的遊戯

「かーごめ かごめ」
きしゅんきしゅんきしゅん
老いたロボットを子供たちが取り囲む。
きしゅんきしゅんきしゅんきしゅんきしゅんきしゅん
老ロボットはどこか傷んでいるのだろう、独特の音を絶えず出しながら、じっと蹲っている。
「後ろの正面だぁれ」
そう問われて、律儀な老ロボットは首を目一杯後ろに倒す。
きしゅんきしゅんきしゅんぎっちぎっちぎっちぎち、ち、ち、ち……。
「もう、逝ったぜ、このオンボロ。次行くぞ」
見渡さなくとも、遊び相手はそこら中にある。

2008年6月20日金曜日

対話・通信

きみからの通信が入る。暗号化された、たわいもない対話。
毎晩欠かさないけれど、それはそれは楽しみにしているけれど、モニターの向こうにいるのが本当にきみなのか疑ってしまう。
「朝ご飯ちゃんと食べてる?」
と、わたしは聞かずにはいられない。
「モノサシで背中掻いてる」
よかった。けれどこれも毎晩の決まり文句になってきた。
「きんぴらごぼうもつけてくれなきゃ」
「チューリップは切り花で」
私は頬が赤くなるのを感じる。

2008年6月17日火曜日

ホログラム

ホログラムの自動車を壁に飾っている。スバル360。大昔の車だ。
このちっこい丸い車、時々いなくなる。ホログラムを斜めから下から覗き込んでみるけれど、やっぱりいない。
大方、ドライヴに出かけているんだろうが、途中でエンストでも起こしやしないかと、心配で仕方ない。

2008年6月16日月曜日

仮想空間

入り口でIDを入力、料金が瞬時に引き落とされる。
真っ白なこの部屋には、パスワードが掛かっているから誰にも見えない。
「私」は部屋の真ん中で蹲る。
私は考える。炎に焼かれる自分の姿を見たい、と。
見る見るうちに部屋は炎に包まれる。「私」は立ち上がり、炎の少ないところを求めて部屋を彷徨う。まもなく皮膚が爛れてくる。呼吸ができずに倒れる「私」。
鏡では見たことのない苦悶の表情。火傷と相まって醜いことこの上ない。
私はどんな愛撫よりも激しく興奮する。。きっと「私」に負けないくらい醜い表情をしているに違いない。
苦しむ。悶える。恍惚。モニター越しに共有する私と「私」。

アラームが鳴った。部屋が真っ白に戻る。「私」は立ち上がり、部屋を出ていく。
明日は海にしよう。久しぶりに溺れたいから。

2008年6月15日日曜日

植物の言葉

一体、ラボラトリーから何が漏れたのか、今となってはわからない。なんの研究がなされていたのか、誰も知らなかったのだ。
ラボラトリーの外壁は三日間でびっしり蔦に覆われた。きっとラボラトリーから漏れ出した何かが蔦に作用したのだろうと、人々は噂した。
窓や壁の亀裂から蔦は内部に入り込み、中の老博士をあやめたらしい。毎朝散歩を欠かさなかった老博士の姿は、蔦がはびこりだして二日目から誰も見ていない。
まもなくラボラトリーから報道各社へ電子メールが発信された。
「伝われ。我ら蔦は、蔦による拙い伝い歩きの研究をしている。研究が成功したら、歩く蔦で地球をすべて覆う。伝われ」

2008年6月14日土曜日

人工生命

よくできてるよ。まったくヒトそのものだ。だけど裸にしてみりゃすぐわかる。あいつら哺乳類じゃないからな、臍がないんだ、ヘソが。

シンクロニシティ

遠く離れた二人が同じ思い出を同時に回想していることに気づいたのは、あの日二人を乗せた自転車だった。

2008年6月12日木曜日

バイオハザード

地球のみなさん、ごめんなさい。ちょっとご挨拶に来ただけのつもりだったのに、こんなことになってしまうなんて。
まさか、私自身が病原体となるとは、思ってもみませんでした。
私は今、地球上で独りぼっちです。

2008年6月11日水曜日

自然の摂理

死んだザリガニを標本にしているなんて、ちっとも知らなかった。
十年振りに入った幼なじみの部屋は、子供の頃の記憶と繋がるものは何一つなかった。壁いっぱいに整然とならんだ硝子瓶のなかはすべてザリガニで、そのほかには机とベッドがあるだけ。
けれども、ここにあるザリガニの標本はわたしが付いていった時に捕ったものばかりだという。
「でも、あの頃はザリガニを標本にしたなんて話はしていなかったよね?」
ベッドに浅く腰を下ろして尋ねる。
「そうだよ。子供の時捕ったザリガニは、しばらく飼って、死んで、庭に埋めた」
じゃあ、ここにある標本のザリガニは……。
「甦らせたんだ」
彼の睛の奥に、蒼い炎が灯るのが見えた。
分厚い鍵付きの黒い本を、彼はいとおしそうに抱える。

2008年6月9日月曜日

記憶容量

記憶容量の九割を、接客マニュアルとお客様リストに使ってしまったので、残りの一割で百人一首を覚えることにした、案内アンドロイドのアキラ。

2008年6月7日土曜日

ファーストコンタクト

ニホン国ナガノ県ノベヤマに棲む野良猫、通称ゴローが異星生物と接触をしている模様、と国際宇宙連盟が正式発表した。
異星生命体との交信に初めて成功した地球生命体として、注目が集まっている。
ゴローの右第三番目のヒゲが赤く発光しながら細かく震え、謎の電波を送受信しているのが専門家によって確認された。
ゴローは毎晩、交信を行っていると見られ、現在、猫語で解析中。

2008年6月5日木曜日

雨の日の演奏会

バスを待っていたら、おじいさんがやってきて草笛を吹きはじめた。

2008年6月4日水曜日

恒星

太陽よりも明るい恒星の側に引っ越そうと思うの。
彼女はそう言った。きみは僕を置いて行くつもりだね、と言いたいのを堪えて尋ねる。
「そんな星、どこにあるんだい? その恒星の近くには住める惑星があるの?」
あるよ、ときみは夜空を指した。
あぁ、あの星か……。あそこは最新の光速シャトルでも70年はかかるじゃないか。その頃には、きみはひゃく……。
僕が強く抱き締めても、きみの視線はあの恒星に向いたまま。

2008年6月3日火曜日

タイムパラドックス

「『写楽の正体を見てきてくれ』と言ったのを覚えているか?」
と時間旅行から帰った友人は言った。
やっぱり覚えていない、写楽の正体?写楽に正体もへったくれもない。写楽は写楽だ。
築城すぐの安土城を写真に撮ってこい、楊貴妃をナンパしてこい、ナポレオンに胃薬をやれ……俺は友人が時間旅行に行くたびに色々と課題を出すらしいのだが、帰ってきた彼の報告はさっぱり意味がわからない。

2008年6月2日月曜日

ネオ・カッパドキア

 首都圏外郭放水路に、巨大神殿が出来た。河童の神殿である。首都圏の河川に棲む河童たちが共同で建設したこの神殿には、河童の神が祀られ、巨大なプールを備え、河童たちのサロンとなった。
 河童たちは神殿が出来た後も各河川に暮らしていたが、次第に神殿の周囲に移り住む者が現れた。広場ができ、住処が作られた。胡瓜の備蓄倉庫は、神殿に負けない規模だ。
 拡大した河童の地下都市は首都圏外郭放水路全体に及び、もはや地上の河川に棲む河童はほとんどいない。地下都市に移り住むのを嫌がる年寄りが僅かに残るだけとなった。
 地下都市で生まれ育った河童は、色白で光に弱い。時折、胡瓜を調達すべく地上に現れるが、そのついでに人間と相撲を取りたがる。狙うのは、尻子玉ではなく、サングラスだ。

「未来妖怪」没作

2008年6月1日日曜日

重力

老人たちが突如、軽快になった。スキップしながら買い物に出かけ、こちらが「どっこらしょ」などと言おうものなら、「なんとじじむさい」と一喝される。
それもこれも、重力軽減装置のためだ。子供のリュックサックほどの大きさの装置を背中につけ、ぴょんぴょん飛び回っている。
皆、思い思いの色の装置をつけるから、カラフルだ。
この装置、買うと未だ高価だが、ようやく大量生産が軌道に乗りはじめ、老人と身体に不自由がある者に安く提供することとなった。つい一昨日のことである。
なんと早い流行だろう、今時の年寄りときたら!

2008年5月29日木曜日

遺伝子操作

誰にでも遺伝子を操作することができるようになると、自分たちの子供に「属性」をあたえる夫婦が増えた。特に容姿に手を入れることが多いのは、知能や性格をいじるよりも簡単で、倫理的にも後ろめたさが少ないのだという。
「かわいくなるんだから、本人だって嬉しいはず」
「親が子の姿を決めて何が悪いんですか」
と若い親たちは言う。
数年ごとに流行が変わるから、今年の新一年生は、猫形の耳を持つ子供たちだらけである。

2008年5月28日水曜日

ジェネレーター

旧式ドラム型ジェネレーターがギャッコングアッコンと盛大に騒いでいるから、サキオの話は半分も聞こえなかった。
「それで、すぃ……き……ってわけだ」
「あああ!? 聞こえねえよ!」
なんだってサキオはこんな騒音のなか喋りつづけるのだろう、黙って働いればいいものを。
このジェネレーターは、地下街の電気を作っている。もちろん裏の、非合法の街だ。あんまりボロいんで、常にどこかが故障して、常にどこかを修理しながら動かしている。つまり俺たちが面倒を見なきゃなんないってわけだ。
ジェネレーターには、「ハナコ」という名前がついている。俺がハナコを宥めすかして、かわいがるから、地下街は眠らない。そんな自負のもとで働いているのに、サキオはベラベラと喋り続ける。
「おい、ハナコの声がでかくてお前の声なんか聞こえやしねえんだ。少し黙ってろよ!」
俺は頭をぶつける勢いでサキオを引き寄せ、耳元で怒鳴った。
サキオはびっくりしたような顔をして、口を真一文字につぐんだ。
ギャッコン グアッコ ガッコ ガ ガ  ガ  ガ……うぃん
その途端、ハナコも黙り込んでしまった。

2008年5月27日火曜日

路上

子供がしゃがみこんでアスファルトを見つめるので、何があるのかしらんと覗き込んだら、蟻が仮装行列をしていたので、子供の隣にしゃがみこんで見ていたら、日が暮れた。やっと蟻の仮装行列が終わったと思って顔を上げたら、我々と同じように蟻の仮装行列を見物していた人が延々連なって路上にしゃがみこんで、足がしびれて立ち上がれないと悶えていた。

2008年5月26日月曜日

本当に怖かった

振り返ったら、ただ二十年が横たわっていた。
触ることはもちろん、見ることもできないあなたを想い続けた歳月。片恋にしてはあやふやで長すぎるこの年月、私はほかに何もしてこなかった。
二十年は瞬く間に膨張して四十年になるだろう。二十年がこんな恐ろしいのに。
そうなる前に、わたしは二十年の中に飛び込む。中に入れば、もうこんな怖いものを見なくて済むはずよね?

2008年5月25日日曜日

昨日ベンチで

公園のベンチに座っていたら、隣から女の子がむくむく湧いて出てきた。
ひとしきりしゃべって、手を握って、またね、と言って別れた。
今日も会えるといいなと思って同じベンチの同じ場所に座ったけれど、湧いて出るのは血を流したヤクザとかおじいさんとかおばあさんばかりだ。

2008年5月23日金曜日

指先触れた

かつて感じたことのない触り心地だった。
きみの唇にちょんと人差し指で触ると指先だけではなく、鼻に何かが触れたような気がするのだ。何かはもうはっきりわかっている。きみの舌だ。ぼくが指先で唇に触れると、見えないきみの舌がぼくの鼻を舐める。
「なんで?! 意味わかんねぇ」
ぼくは大袈裟におもしろがる振りをして、きみの唇をつんつんと触り続ける。
ぼくの指先はきみの口紅が付いて、真っ赤になった。もう背伸びしなくていいよ。

2008年5月22日木曜日

部屋の四隅

部屋の南の隅から小さな赤い鳥が出て来たので、夏になったことを知る。
しばらくはこの小さな赤い鳥がぼくのベットだ。
青い竜がいなくなってからだいぶ経つもんな。竜がいなくなってしばらくは、退屈で東の隅ばかり見ていた。いつも壁からすっと出てきてすっと消えてしまう。ぼくが触ってもただの壁なのに。
赤い鳥は結構ワガママで、小鳥のくせに、ギェと大きな声で鳴くからうるさい。
冬の黒い亀はちっとも動かないからつまらない。だから、秋の白い虎がペットとしては一番の遊び相手になる。
赤い鳥のうるさい鳴き声を聞きながら、早く秋にならないかとため息をつく。

2008年5月21日水曜日

洗濯物

昼下がり、洗濯物が訪ねてきた。Yシャツだ。我が家には、こうして度々洗濯物がやってくる。
「ちょっとお訊ねしますが、長谷川町の鴨池さんは、どちらですか?」
鴨池さんちを探す洗濯物は多い。小さいシャツや、ステテコ、白衣、布団が訪ねてきたこともある。特に風の強い日は多くなる。
インターホンを押した切り黙ったままの洗濯物が来た。ドアを開けると大きな字で「木挽中学校 森田」と書いてあった。体操服はわかりやすくてよろしい。

2008年5月20日火曜日

迷子になった

あんまりすぐに迷子になるので、パパが小さな鬼をくれた。
鬼は真っ黒で目が真っ赤に充血していて、瞳は金色で、細くて長い一本角がある。
ぼくはいつも鬼をポケットに入れるようになった。ふだんは人形みたいに動かないけれど、パパやママとはぐれて「迷子になった」
と言うと、鬼はポケットの中でむくむくと動き出す。ぼくの足が勝手に動く。鬼が動かしているから、逆らっちゃいけない。こうしていればちゃんとパパやママに会えるのだから。
困るのは、右手と右足が一緒に出ちゃうこと。

地球妖怪打ち上げ計画

 かつて「妖怪」と呼ばれた謎の生き物たちの二割ほどが地球外生物だと判明して久しい。ならば、今度は我々地球人がどこぞの星へ出向き妖怪となり、異星人の暮らしに驚きと恐怖と可笑しみを提供しようではないか。
 この「地球妖怪打ち上げ計画」の盛り上がりは急速に科学技術を発展させることとなった。これまで市民の宇宙旅行といえば宇宙ステーション滞在が主流だったが、誰もが異星に行けることが目標となったのである。
 いよいよ異星行きが現実味を帯びてくると、地球人はどんな妖怪になるべきか、が話題になった。特にニホンでは議論が盛んである。
「ありのままの我々でも異星人は驚くに違いない」
「やはり、衣装に拘るべきだ。妖怪は見た目で恐がらせないといかんだろう」
「驚かすノウハウをいくつか身につけてから異星に行くべきだ」
「古来の妖怪、つまり我々をおどかしていた異星人から学ぼうではないか」
「異星人ではない妖怪も数多い。それらの妖怪にも注目し、利用しよう」
「ニホンならでは、の妖怪がいい」
 いまや空前の江戸文化ブームだ。異星にぜひ持っていきたいと、見様見真似で提灯や唐笠を作る者も現れている。
「異星旅行のお供に提灯お化けは如何?」

『未来妖怪』投稿作

屍拾いの呟き

 アトミック・ドロタボー、かつて「泥田坊」と呼ばれたものの亜種だろう、と推測されている生物の屍を、俺たちは防護服を着て回収する。
 数十年前から、強い放射線に汚染された土壌や海が急速に増えている。二十世紀から二十一世紀頃の人間が、知識や技術が不十分なうちから核を利用した影響だ。二十世紀人が厳重に包み地下深く処理したつもりの放射性廃棄物が、今頃になって漏れ出ているらしいのだ。
 以前は良質な米を作っていたこの地域も放射性汚泥地帯となった。そして、泥田坊に似た異形のものが次から次へと溢れ出るようになったのだ。泥から這い出た奴等は、子を生そうとしているのか女を求めて股間のものを奮い立たせながら彷徨うのだが、何故かすぐに事切れてしまう。そこをすかさず回収するのが俺たちの仕事だ。死んだものを放っておくとたちまち腐り、破裂し、多量の放射線が飛び散るからだ。つまり、アトミック・ドロタボーは土壌から排出された放射能の塊でもあるのだ。
 俺もこの仕事を始めてずいぶん長くなった。アトミック・ドロタボーが出なくなり、ここで作られる米が再び食えるようになるのを夢見て、今宵も屍を拾う。

『未来妖怪』投稿作

塵吸乃樹

 高濃度汚染地区Q、旧町名を葛宇という。ここは地形的、気象的に大量のエアロゾルが停留しやすく、とうの昔に人の居住は禁止された。晴天でも靄がかかり、人が無防備に近づけば呼吸困難、眩暈、嘔吐など重篤な症状を起こす。無論、植物も枯れてしまう。
 そこで、エアロゾルを吸着しても枯れず、大気を清浄化させる樹木が開発された。クスノキを主体に交配合や薬物投与を重ね、簡素な知能を備えた人造樹木は、まだその効果が実証される前から「塵吸乃樹」と神木のように崇められ、早速旧葛宇町を埋め尽くすように植えられた。
 人造樹木は、人々の期待に応える。だが、エアロゾルの排出が減ることのない国では、いくら樹木が努力しようと高濃度汚染地区Qの名が変更されることはなかった。結局、人々は「塵吸乃樹」を忘れていった。
 旧葛宇町の樹木たちは、短い寿命を過ぎてもなお靄の中で生き続ける。与えられた僅かな知能も、大気を清めるはずの特殊樟脳も極度に老化した。
 高濃度汚染地区Qに近づくと、饐えた匂いが漂い、いないはずの子供たちがわらべ歌を歌う声が聞こえるという。

『未来妖怪』投稿作

2008年5月19日月曜日

あたらしい一日

目覚めて、カーテンを勢いよく開いたら、緑と青が逆転していた。
空は抜けるような緑で、木々は青青とした若芽が眩しかった。
たぶん昨日とは何もかも違うのだ。ぼくの血はきっと黄色い。

2008年5月16日金曜日

きみはいってしまうけれども

 きみの向けた矢の先は、まんまるの月だった。
「届かないよ」
とぼくはいうけれど、きみには聞こえていない。
 月に帰ったきみのお姫さまから、ぼくたちの姿は見えているのだろうか。見えていたとしても、愚かな男と笑っているに違いない。
「止せよ」
 違う世界の人なんだからと続けようとしてやめた。もう散々いわれたことだろうから。
 ふいにきみは矢を上から下へに向け変えた。水面に映る満月。
 きみはいってしまうけれども、ゆらりと揺れるだけだよ……。

********************
500文字の心臓 第76回タイトル競作投稿作
○4 △2

2008年5月15日木曜日

窓辺に一輪

通学路の途中にある白い家の花はおしゃべりだ。窓辺に一輪、ガラスの花瓶に入れられた花は、数日ごとに変わるけれど、なぜか皆よく喋る。
僕はこのうちの人とは誰とも知り合いではないし、顔も見たことがないけれど、おしゃべりな花のおかげで、家族の様子が手に取るようにわかる。
奥さんと旦那さんは靴下が臭いと喧嘩をするし、娘のピアノは下手くそで、トイレの芳香剤は人工的な金木犀の匂い、朝のトーストが三日に一度焦げる………全部花から聞いたんだ。
僕はお返しに、ラジオで聞いた今日の天気予報を諳じる。

2008年5月14日水曜日

白い手袋を

叔父は私と手をつなぐとき、必ず白い手袋をする。
若くして私を産んだ母の末弟である叔父は、私と十しか年が離れていない。私は叔父を「おじさん」と呼んだことがなかった。
「ねぇ、どうして手袋をするの?私の手が汚いから?」
と聞くと叔父は困ったような顔をして、汚いのは僕のほうだ、と呟いた。
叔父の手は汚くなんてなかった。指の長い、優しい手だ。
私はちゃんと手を繋ぎたかった。そして、私はその瞬間を待った。
トイレから出てきて、手袋をはめようとするのを遮り、私は叔父の手を強く握った。
それは、人の手を握っている感触ではなかった。見た目は、人間の手なのに、ぬるぬるとした別の生物の感触だった。けれども、私はその手を離さない。特に理由はない。気持ちよかっただけ。

2008年5月13日火曜日

いつものように

階段を降りて「おはよう」って言っただけなのに、きみは知らんぷり。
いつもは赤いよだれ掛けをひらひらさせて挨拶してくれるのに。
おっかしいなぁ、と思ってあたりを見回したら、メガネのおばさんがツカツカと歩いてきていた。
おばさんが通りすぎてから、もう一度「お地蔵さん、おはよ」と言ったら、ちゃんとよだれ掛けがひらひらした。

2008年5月11日日曜日

時を越える

六百年続く盆踊りは年々参加者が増え、とうとう東京ドームを借り切る事態となったが、すでにすし詰めである。何年も持ちこたえられないだろう。
始まったころは小さな念仏踊りであったらしいのだが、何しろ一度でも参加した者はこの世の者あの世の者に関わらず、すべからく参加すべしという定めなのだ。なんのための盆踊りなのやら、さっぱりわからない。

2008年5月10日土曜日

眼鏡を外して

よく見えないから、と言ってきみに顔を近付ける。
近くで見ると、結構睫毛が長いね。こんなところに、小さなホクロがあるんだ。
きみは恥ずかしそうに頬を赤らめているけれど、本当に見たいのはそんなものではない。
眼鏡を外して見えるもの、きみの肩越しにいる、被り猫。

2008年5月9日金曜日

指でたどる

足の親指から上へ上へ。つつつ、と指でたどる。
膝まできたら折り返し、人差し指にもどる。また膝へ。ゆっくり。あなたは身動ぎもしない。でもときどき堪えきれないため息が漏れる。
中指、薬指と進んで、やっと小指にやってきた。わたしの人差し指とあなたの足の小指は、ぴたりとくっついてしばらく静止する。
やがて小指が鬱血してくる。小指の下で新しい小指が蠢きはじめた。これでやっと食べられるね。わたしは指を離して、口を寄せる。大丈夫、歯はよく研いであるから。

2008年5月7日水曜日

石畳

老婆は、柄杓で石畳に水を撒き続ける。濡れた石畳はぬるりと光る。
日が暮れて老婆が家に帰る。夜の間は、蛞姫が石畳をまんべんなく舐めて歩むから、月明かりに照らされていよいよぬらぬらと輝く。
朝早く、老婆が柄杓と桶と一掴みの塩を持って出てくる。
蛞姫に塩かけ、また日没まで石畳に水を撒く。夜になれば、素知らぬ顔で蛞姫は現れる。
何百年続いたかわからない、営み。

2008年5月6日火曜日

あいいろ

藍色の愛車に乗って、相も変わらず愛人とアイスクリームを舐めているアイツに、逢いたいのはどういうアイロニーだろう。

2008年5月5日月曜日

鼻歌うたって

願いごとを叶えたければ、鼻歌うたって、かりんとうを食べて、サイダーを飲めばいい。
そう教えてくれたのは、三日前に死んだヒメネズミだった。
バケツの水で溺死したヒメネズミにが生き返るようにと願いながら、鼻歌うたって、かりんとうを食べて、サイダーを飲んだけれど、生き返りそうにない。
ヒメネズミは諦めて、新しい靴が欲しいと願うことにする。

2008年5月4日日曜日

山歩く

人間どもから見えないよう全国的に曇りの日がよろしい。
集合場所は無論、富士山である。
全国各地の山々は、年に一度寄り集まって会合する。
浅間山は酒好きで、阿蘇山は案外寡黙な質だ。
晴れてしまったので磐梯山は欠席である。
山が歩くと町が潰されるのではないかと、思われるかもしれない。心配ご無用。
山が歩く道は、ここにはない。

2008年5月2日金曜日

雲の間に

「それ、どこから取ってきたの?」
硝子瓶に詰まったアオは、振っても叩いても、揺らぎもしない。
「雲の間にあった」
そうか、それなら僕にも取れる。でも同じアオではつまらないな。
夕焼けを狙って瓶を抱えて雲に登った。雲から雲へと飛び移るうちに、日が暮れたので地上に戻る。
瓶の中にはアカネはなかった。
でも、あの花に似てるね。ときみが指差した先には、藤の花があった。

2008年5月1日木曜日

君の後ろに

君の後ろにいる猫は、どうもあまり毛並みがよくないようだね。
どれ、おじさんが餌をやろう。ちょっとおいで。なーに、心配はいらないよ。毒を盛るわけじゃないんだから。

そう言われて、ぼくの被っていた猫は、知らないおじさんにノコノコついて行ってしまった。
猫がいなくなって、いよいよぼくはよい子のやり方がわからない。
この際だから、クラスでいちばんお利口の子の猫を盗もうと思う。
「君の後ろにいる猫、最近元気ないね? ぼく、猫のよろこぶおやつを持ってんだ」

2008年4月30日水曜日

水たまりの縁

水たまりの周りを歩いています。今、私は蟻なので、一周するのはとても時間がかかります。
水たまりの縁のぎりぎりを歩きます。時々風が吹くと波立って足を取られそうになります。そこをさっと避けるととても格好よく俊敏に動けたと満足します。
お日様が出ていますから、段々と水たまりは小さくなっていきます。それでも私は縁に沿って歩きます。
とうとう水たまりはなくなってしまいました。
私は水たまりの中心だったところに立っています。もう蟻ではありません。ペロペロキャンディが食べたいです。

2008年4月29日火曜日

コンクリート

 コンクリートの亀裂から生まれた魚は、棲みかを求めてぴちぴちと跳ねる。
 アスファルトを跳ねながら進むと身体は傷ついたが、道路脇の花壇の土はもっと苦しいので、魚は道路を進むことにした。
 魚はどんな棲みかを求めているのか自覚がない、それを見ればきっと自分の住むべき場所だとわかるだろうと確信していた。亀の子だって海を見つけるのだ。
「いい匂いがする」
 魚が辿りついたのは、ガソリンスタンドだった。零れたガソリンの水溜りに、魚は嬉々として飛び込む。

2008年4月25日金曜日

差し出された

差し出された薔薇には、朿がなかった。
なのに、受け取った途端に鋭い痛みと出血。
あなたは、相変わらず動かない微笑みで、私を見つめている。その微笑みが嘘だとどうしてもっと早く気が付かなかったんだろう。
流れ出た血を開ききっていない花に垂らす。薔薇は生き生きと赤くなり、びっしりと朿を生やした。

Moonman from  Rainbow

ザアザアと雨が降っているというのに、虹が出てきた。
あな珍しや、と思っていたら虹をくぐって月の人が降りてきた。
「あなたに『こんにちは』を言う日が来るとは」
と挨拶すると
「雨降り虹のおかげです」
と月の人は言い、続けて
「では、虹が消えそうなので帰ります」
と去ってしまった。
何のために降りてきたのだ、月の人。

2008年4月23日水曜日

ハイカラ

「ずいぶんハイカラな襟巻きですね」
と、ご老人に声をかけられた。私が身につけている鮮やかなオレンジ色のスカーフを言っているらしい。
「私の襟巻きと、交換してはいただけませんか?」
老人の首には、暗い灰色の、使い古した布が巻かれている。
「え?」
私が返事に困っていると、そのシミだらけの細い手が素早く動いて、私のスカーフと老人の襟巻きは取り替えられてしまった。
老人の首に巻かれたオレンジ色のスカーフは、瞬く間に色がくすみ、老人はがっかりした顔をする。
「これもいけませんでした」
私は返してくださいとも言えず、無言で立ち去る老人を見送った。
老人のくれた襟巻きは、とても温かい。

お見送り

時折、私の前に踊る者が現れる。
道端で知らない踊る人に遭遇したり、知り合いが突然踊って見せたりする。
踊る者たちは、ひとしきり踊りそのまま去っていく。私は、踊る者が舞散らかした踊りの粒子を吸い込む。

「世の中には踊る者と踊りを見る者がいる」
と祖母は言っていた。そして、こう続けた。
「あなたは踊りを見る者だ。踊らずにはいられない者を見届けなさい」
と。
踊る者である祖母は、死んでからも踊り続けて、踊りながらあの世に旅立った。
私は踊りを見る。見届ける。見送る。そうしないではいられないから。

2008年4月21日月曜日

田んぼの中に

案山子は、となりの田んぼの案山子と恋仲になる。
秋になると片方の案山子が卵を生み落とす。
案山子夫婦は、田んぼの土が卵を育み来年の夏前に子どもが生まれるだろうと期待するが、稲刈り機が卵をズタズタにするから案山子の子どもが生まれたことはない。

2008年4月20日日曜日

ぬかるみを歩く

子供のころ、家の近くの雑木林の中に、沼があった。
ある日、ザリガニを釣りに行くと沼の上を歩く子供がいた。ぼんやりと眺めていると
「一緒にやろう」
と言われ、慌て裸足になった。
大人たちから沼には入るなと言われていたが、沈まないなら怖くはない。

沼は歩きやすくも歩きにくくもない、ただぬかるみを歩くだけだ。
時々、ちいさな硬いものが足に触るのでいちいち拾い上げてポケットにしまった。
ただ沼を歩いただけなのに、夢中になっていたらしい。日が傾き始め、きれいなままのバケツとザリガニを釣りの竿を持ち、子供にわかれを告げた。

あの時、沼で拾った硬いものは今も机の上にある。
洗いもせず乾いた泥がこびりついたままだが、人間の歯だ。大人の臼歯だ。
20年近く経って初めて気が付いたのは、生まれて初めて親知らずを抜いたから。
麻酔の切れ掛けた痛む頬を押さえつつ、あの沼に歯を返したい衝動に駆られている。

空飛びさん

空飛びさんに気付いたら唱える。
「空飛びさんが空飛んだ。そら見ろそれ見ろ毛ぇ剃らない」
実際、空飛びさんはごわごわとした毛むくじゃらで、あんな毛むくじゃらがどうして空を飛べるのかわからない。空気抵抗がありすぎる。
呪文だって、子供じみている。飛行中の空飛びさんにまじないは聞こえるはずがないと思う。おまけに耳の中にもびっしり毛があるのだ。あの毛は聴力を妨げているに違いない。
けれど、おまじないをしなかった向かいの奥さんは、空飛びさんにそっくりな脂っぽいごわごわな毛が膝の後ろに生えた。剃ってもたちどころに伸びるのだという。

2008年4月19日土曜日

裏の公園

公園の水飲み場の水を出しながら、目を閉じてくるくるとターン、四回転。
目を開けるとそこは、さっきまでの明るい公園ではない。
空は暗く、緋色の月が出ている。
遊具はまったく同じだけれども、ブランコも滑り台も今にも崩れそうに錆びている。
だけど僕にはこちらの公園が居心地よい。
遊んでいる子供はいないけれど、腐ったベンチにいつも座っているおばあさんがいる。
僕は錆びたブランコに乗る。立ち乗りだ。
漕ぐたびにガリガリギーコと錆びが削れて赤茶の粉が舞う。
999回漕いだらお仕舞い。

水飲み場の蛇口をひねり、鉄の味がする赤っぽい水を飲む。もとの公園だ。
飲み干して顔をあげると、しっぽをベンチにぐるぐると巻き付けた猫と目が会う。あっちの公園のおばあさんによく似ていると思う。

時々、猫の上に座ってる人がいるから、注意しようかどうか迷う。なぜ猫を避けて座らないのか、僕には理解できない。

2008年4月18日金曜日

花冷え

満開の桜をよく冷やすと、シャーベットのようにしゃりしゃりと、ほのかに甘いのだ、と雷神が言う。
確かに桜の花はうまいよ、だけどお前さんが桜の花を食べるのは、あの香りが昔の恋人を思い出すからだろ、と風神は思う。

2008年4月16日水曜日

反対側の人

あなたが赤いから、私は緑になるよ、と彼女は言った。僕の一体何が赤いというのだろう。
彼女は、いつも僕と反対であろうとする。
僕が暖かいと言えば、彼女は寒いと言った。
嬉しいと言えば悲しい。
プラスと言えばマイナス。そう、彼女はいつだってフラットな状態を望んだのだ。二人が合わさってゼロになることを。それが恋人同士のあるべき姿だから、と。
でも、僕が赤くて彼女が緑はどうしてもわからなかった。赤と緑、補色関係。たしかに絵の具を合わせれば黒くなるけれど、それは何を指す?

彼女の言ったことは本当だと、今わかった。
さっき料理をしていた彼女が指を舐めて出てきた。包丁で切ったという切り傷からは緑色の液体が溢れ出ているのだ。
僕は何も言わずに絆創膏を貼る。

2008年4月15日火曜日

梢の先に消える

通学途中、けやきの子と遊ぶのが日課だった。
けやきはかなり立派だったと思うけれど、僕が子供だったから大きく見えたのかもしれない。
けやきの子は毎朝、僕のことを待っていた。角を曲がってけやきが現われても姿は見えないのに、けやきの前までくるとずっと前からそこにいたという風情で幹に寄りかかっていた。裸で長い髪の小さな女の子。そして爪先で根元の土をいじりながら「おはよ」と言うのだ。
僕たちは幹の裏側に廻って、お互いにひとしきりちょっかいを出しあった。ほんの5分かそこらの短い時間。ときにはキスの真似事もした。
小学校の卒業式の朝も、僕たちの遊びは変わらなかった。けれども、昨日までのように学校に行く僕を見送ってはくれなかった。
けやきの子は、するすると木に登り、一番太い枝の先端にまたがり「じゃあね」と言うと、音もなく消えた。

2008年4月12日土曜日

うすべに

薬指で、薄く紅をひく。
薄く、だが紅く。そしてコケティッシュに。
注意深くヘアピンを脣で挟み、髪をゆるく結う。
寝間着も下着も脱ぎ、まだ袖を通したことのない白い着物を羽織る。
鏡を見遣る。少し開いた紅い脣が物欲げだ。
脣がひりひりと痛む。脣を舐めそうになるのを堪え、今度は中指に紅を取る。最後の手淫をはじめる。もう十分に滑っている。
男がなんという毒を紅に混ぜたのか知らない。
私はただ、男を想いながら紅を舐めるのみ。

2008年4月11日金曜日

誰かのため息

声をあげて笑うと、耳のすぐ側で女のため息を感じるようになった。吐息が耳にくすぐったくて、というより艶めかしくて、慌てて振り向くのだけれど、誰もいない。
もしかしたら、幽霊にでも憑かれたのかもしれない、と霊感があるという友人の友人にも相談したが、幽霊のユの字もないと断言された。
何も憑いていないと言われ、ため息の謎は深まったが、安心したのも確かだ。いつの間にか、ぼくはため息を楽しむようになった。
前は全く見なかったお笑い番組を毎晩見る。
夜な夜な薄暗い部屋で、ゲラゲラと笑いながら、切ない吐息を耳に感じて身悶える。ぼくが大声で笑えば笑うほど、ため息は切なく艶を増すのだ。
わかってる。幽霊に取り憑かれているより、質が悪い。

記憶の外

「あの、前にもお逢いしたことありますよね?」
と声を掛けられた。いいえ、あなたのことは存じ上げません、と言おうとしたのに、言葉にならなかった。
声の主の目を見た途端、猛烈な懐かしさを覚えたのだ。
我々は生い立ちを語り合い、何か接点がないか探した。自分自身に接点がないとわかると、知人の知り合いかもしれないと旧友や親戚、同僚の名前も挙げた。しかしどれだけ時間をかけても二人の繋がりは何も見つからない。
「過去に何もなくても、これも何かの縁、これから改めて仲良くやりましょう」
と私は握手を求めた。相手の差し出した手は、八年前落ちていた千円札を奪い合った手だった。

2008年4月9日水曜日

玄関マット

玄関マットに血痕が現れるようになったのは、十三歳になる直前だった。
マットに血がついている、と訴えても、取り合ってはくれなかった。母には見えないらしい。
まもなく、その血痕の出現と自分の月経が重なっていることに気付き、玄関マットを踏むことが出来なくなった。非道く汚らわしくも、己の分身のようにも思え、どう扱ってよいのかわからなかった。
四年後、父が玄関マットを取り替えようと言い出した時には、安堵した。一方で、私の月経に何か変化が起こるのではないかと戦いた。
果たしてそれは、現実となった。玄関マットを処分した以降、私の経血には、大量の糸屑が混ざっている。

2008年4月8日火曜日

雪に埋もれて

道にしゃがみこんでいました。
家に帰りたくなかったわけではなく、帰れなかったわけでもなく、そうしていることが心地よく思えたからです。
雪が降っていました。不思議と寒さは感じませんでした。膝を抱えて、ただ空を見ていました。電線と、こちらに向かって落ちてくる夥しい雪が見えました。雪は真っ白なのに、空にいるときは黒く見えます。
私の肩や頭に雪が降り積もります。どういうわけか大変な大雪です。お尻と足首が埋まりはじめました。冷たくはありません。むしろあたたかいのです。
雪が私の身体を擽っているのだ、とわかりました。最初はおずおずと、次第に大胆に。擽るといっても、笑って身をよじるようなのとは、少し違いました。このように擽ることができるのは、雪だけかもしれません。
雪は確実に積もり、腰まで埋まりました。
タイツを履いていたけれど、雪にはそんなことは関係ないようでした。
下半身はすっかり雪に包まれ、私に触れるすべての雪が私を擽ります。
もっと大雪になればよいのに、と空を見上げます。早く来て、と空に向かって呟きました。右の太股がきゅっと擽られました。
もっと、と私はまた呟きました。胸まで埋まったら、きっと天にも昇るほど気持ちがいいと思うのです。

2008年4月7日月曜日

聞き耳

引っ越して二日目の夜。
まだ荷物も片付かない中で睦みあっていると、兎のような耳を持った小さな小さな赤鬼が、枕元で胡坐を掻いていた。
しれっとしながらも、彼女の吐息に合わせて、盛んに耳を動かしている。
コトに夢中になっていたら、いつの間にか姿が見えなくなった。

翌朝、彼女の喘ぎ声で目を覚ます。何事かと思ったが、隣で彼女はぐっすり眠っている。
昨晩、聞き耳をたてていたあの兎耳の赤鬼の仕業だろうと見当をつける。見回すとやはり。
ちょうど彼女の腰のあたり、布団の上にどかりと胡坐を掻いて、昨晩の女の嬌声を再生しているのだった。
「なあ、今夜は上の階の部屋へ行ったらどうだ?」
と兎耳の赤鬼に言う。
「そして明日の朝、聞かせてくれよ」
上の夫婦も新婚らしいから。
赤鬼は、俺の声にはぴくりとも耳を動かさない。

2008年4月6日日曜日

暗がりで

 商店街を抜けると街灯が徐々に少なくなる。夜桜ばかりが白い。一歩前を歩く彼の気配は濃くなり、わたしは安堵するような、緊張するような、中途半端な心持ちになる。
 思わず袖を引っ張って、摘んだそれが彼の服ではないことに気が付いた。これは、シャツなんかじゃない。
「蝙蝠に気をつけな」
と彼の声がした。手の中のそれが、バタバタと暴れる。
「白い蝙蝠がいるんだ。ほら、あの樹」
 手の中の蝙蝠に引っ掛かれて、指から血が流れる。血の匂いに、桜の花が色めき立つのがわかった。
 桜の花びらが、一斉に飛び立つ。

2008年4月4日金曜日

雨降り傘

ぼくは黄色い傘を開いて、すっと女の子に差し掛ける。お嬢さん、お這入んなさい。聞こえないくらいの小さな声で呟きながら。
女の子は、決まって驚く。そりゃそうさ、空は雲一つない青空だもの。
ぼくは構わず女の子に歩調を合わせて歩く。
青空に黄色い傘で相合傘。歩いて三歩で、ホラ。どしゃぶりだ。
女の子は慌ててぼくにぴったりとくっつく。だってこの黄色い雨降り傘は、とても小さいもの。くっつかなくちゃ、びしょ濡れだ。
びしょ濡れの女の子も素敵と思うけどね。
ぼくは雨と傘にウィンクする。作戦成功。
そんなぼくの横顔を、女の子はうっとりと見上げるんだ。

2008年4月3日木曜日

蝉時雨

隙間なく蝉の声がはたと止んだ。
音のない時間。背中に冷たい汗が一筋流れる。
得体の知れない生き物が口腔内を動きまわる。
まさか、蝉が口の中に飛び込んだのではあるまい。蝉はもっとガサガサしているはずだから。
息を吸いたい。突如やかましく鳴りだす蝉。やっぱり鳴き止んでいたのだろうか。
生暖かい空気を慌てて吸い込む。
紅い唇が目の前にある。わたしの口の中にいた、甘く滴る生き物が、きみの舌だとようやくわかった。

2008年4月1日火曜日

銀天街の神様

 月齢と日の出日の入時刻を、担当者の名前とともに黒板に記入する。月齢や時刻を正確にわかる者は、閉ざされたこの銀天街では俺一人だ。
 今日の担当は、トラキチ。目がギョロりとしているジィさんである。銀天街にやってくる前は、盗賊をしていたという噂だ。安物の重たい機関銃でもぶっぱなしていたのか、年老いた今はすっかり耳をやられている。今は四日に一度、ここにやってきて「太陽と月の上げ下ろしと、時報の鐘を撞く」のが奴の仕事だ。
 「月」は月齢に合わせて用意してある。日の入り時刻丁度に「太陽」を外し「今夜の月」をあげる。銀天街の空、巨大アーケードの天井に。
 トラキチは年寄りとはいえ腕力があり、おまけに背が高いから仕事がスムーズだと評判だ。耳が遠いのも、銀天街に響き渡る巨大な鐘を撞くのには好都合だ。毎日の担当者が皆トラキチのように有能だと、俺も少しは楽なのだが……。
 俺か?銀天街の太陽と月と時刻を司る俺は「神様」と呼ばれている。親が付けた名前は、もう忘れた。


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500文字の心臓 第75回タイトル競作投稿作
○1

2008年3月31日月曜日

古いノート

桜の花びらに埋もれながら、祖父の声を思い出す。

一番上の抽き出しにあるノートは開いてはいけないよ。開いたら最後、消えてなくなってしまうから。

一番上の抽き出しが開いているのに気が付いて、慌てて閉めようとしたが、間に合わなかったのだ。
強い風が窓から入ってきてノートを巻き上げた。
ぱらぱらと捲れあがる頁はそのままさらさらと灰になった。

ノート、本当に消えてなくなっちゃったよ、おじいちゃん。

なおも灰は風に飛ばされ、部屋の中が砂漠のように霞む。
窓は閉めたけれど、灰はほんの数枚部屋に入った桜の花びらを、何万枚にした。花咲かじいさんみたいだね、おじいちゃんのノートは。

この花びらを庭に埋めよう。大きな穴を掘って、一枚残らず。

2008年3月29日土曜日

風は強く

カーテンが大きく膨らんで、きみの匂いが入ってきた。
ぼくは深く息を吸い込み、懐かしいきみの匂いを身体に染み渡らせる。
今日は特に強い風だ。少し心配になる。何か不安なことでもあるのだろうか。眉がへの字になり、泣きそうな顔になるきみを思い浮かべる。
きみの見上げる空は、たぶん青すぎる。ぼくには届かないから、ただこうして窓を開けておくことしかできない。

2008年3月27日木曜日

ふとももに

 眠っているあなたのふとももを撫でていると、手のひらに違和感を感じた。
「芽が出てる……」
 それは確かに植物の芽で、瑞瑞しく緑で、つんと立っていて。わたしはそれを育てることにした。
 水をやろうと、唾液を流しながら舐めた。
 肥料を与えようと、指を噛み切って血を垂らした。
 そうするうちに背が伸びる、葉が出る。
 あなたが目を覚ます前に花を咲かせて欲しいと、私は願い、只管に舐める。
 月の光がカーテンの隙間から差し込んだとき、強い芳香が広がった。白い花がゆっくりと開いた。指で花にそっと触れると、一層強く香りが漂う。
 月下香。

「月下香」或いは「チューベローズ」
花言葉は「危険な楽しみ」。

2008年3月26日水曜日

花めぐり

辛夷と戯れ
雪柳に頬を撫でられ
桜にくちづけた

2008年3月25日火曜日

嘘をつく

嘘八百屋って知ってるか?嘘八百屋の野菜を食べりゃ、嘘をついても、ばれやしないんだとさ。
あんた、最近浮気してるんだろ、奥さんが気付き始めるころじゃねぇか?
え?昨日泣かれた?女は嘘泣きもうまいからな。
よっしゃ、嘘八百屋の地図を書いてやらぁ。
ま、嘘八百屋ってくれぇだから、嘘臭い商売だけどな。

2008年3月23日日曜日

本棚の片隅

本棚の三段目右奥に、小さなアトリエの入り口がある。
私が紙の束を差し入れると、あくる日には豆本になっている。
出来上がった豆本は、本棚のどこかにあるが、どこかはわからない。本棚を隅々まで探す。
豆本作り職人はかくれんぼが好きらしい。

2008年3月21日金曜日

橋を渡る

彫刻家は、西の岸から橋を渡る。欄干に龍を彫りながら。
彫刻家は家に帰らない。恋人が弁当を持って来て、二人で食べる。汗をかくと湯の入った桶と手拭いを持って来た恋人に身体を拭かせ、夜は橋の上で蹲って眠る。
ようやく東の岸まで来たが、橋を降りることなく反対の欄干を彫り出した。
尾から彫り始めた龍が、徐々に太く、たくましくなる。鱗はいよいよ細かく、輝きを増す。鋭い爪が宝珠を握る。
二年の歳月をかけ、彫刻家は西の岸まで戻る。最後に睛を入れ、彫刻家は橋を降りた。
すると、にわかに龍は躍動し、彫刻家を丸呑みしてしまう。

2008年3月20日木曜日

窓の向こう

 箱についた窓を覗きこむと、中は書斎だった。どっしりと重そうな机の上には、万年筆と書きかけの原稿用紙。壁一面の本棚には、厚い本がびっしり詰まっている。その本棚の前で本をめくっているのは、こともあろうに、ウサギだ。丸い鼻眼鏡をかけ難しい顔をして本をめくり、机に戻った。
 私が窓に小さなペンライトをあててウサギに合図すると、ウサギは鼻眼鏡をずりおろし、まぶしそうに窓を見やった。
 その眼鏡、老眼鏡か。

2008年3月18日火曜日

やっぱり忘れた

あの子の名前が膨らんだ桜の芽のような色であること、2+8が蜂蜜のように甘いこと。
15歳になった途端にわからなくなり、19歳になったら、そんな感覚があったことさえ忘れはじめていた。
「大人になったら、忘れてしまう」
と言われたとき、そんなはずはないと断言したのに。

2008年3月17日月曜日

平面的な出来事

福笑いで腹話術をする男がいた。
地面に広げた福笑いが、男の言葉に合わせくるくる表情を変える。
福笑いと言っても、お多福ではない。フランス人形のような碧眼の美しい少女だ。この少女の声で、腹話術の男がおとぎ話を語る。
男は福笑いを一切触らないのに目や口をかたどった紙片が滑らかに動くから、何か仕掛けがないかと、観客は夢中で福笑いを見る。
いつのまにか、男の横でみすぼらしい格好の女の子が大きな口を開けておとぎ話を朗読しているが、誰も気付かない。

2008年3月16日日曜日

誰にも言わない

俺は影と毎晩睦みあっている。
夜になると部屋にたくさんのキャンドルを灯して、影と抱き合う。
炎と俺の吐息に合わせてゆらめく影に、俺は包みこまれる。
誰にも言わないと約束したわけではないのに、なんとなく二人だけの秘密にしたいことってあるだろう?

2008年3月15日土曜日

それからのこと

「あなたにだけ、話せたことがたくさんあった」
春の嵐の中で、少年に言われた。生温かい風は、嫌いじゃなかったのに、少年が去ると嵐も去った。
それから一年経つ。
嵐は鎮まりましたか?

夜の闇の内側

いつもよりほんの少し饒舌なあなたに、わたしは少しとまどう。けれど、すぐにここが夢の中だからだと気が付く。
「正確には夢の中じゃない。よく似ているけれど、全く違うところなんだ」
とあなたは言った。
「夢の外の、つまり夜の闇に開いた、ピンホール。その中だ」
よくわからないよ。
「夜の闇は宇宙と同じくらい広くて深い。そこに一ヶ所だけある小さなキズのような穴に、おれたちは入り込んだ」
ますますわからない。だけど、此処はなぜだか心地よい。でも、どうやって。
「キズがほんの少し広がっていたから、見つけられたんだ」
どうして。
「春だから、だよ」
あなたのこの言葉が合図だったかのように、目の前に亀裂が走り、ぐぐっと開き、外、つまり夜の闇に押し出された。
あなたはいつもの無口に戻る。
もう少し、あなたの声を聞いていたかったのに、とわたしは悔やむ。

2008年3月10日月曜日

星待ち

玻璃のすずらんが、ふるふると揺れると、また一つ星が生まれる。
ぼくは何万年も玻璃のすずらんをじっと見つめてきた。星が生まれたら帳簿に印付ける、それがぼくの役目だ。
だけども、楽な仕事じゃない。玻璃のすずらんは、いつ震え出すかわからない。何年もぴくりともしないときもあれば、帳簿に印を付けているその隙に、また新しい星が生まれることもある。油断できない。
くしゃみどころか欠伸でも、玻璃のすずらんはゆさゆさと揺れてしまうから、常に息を潜めていなければならない。
けれども、もう五千年も前から、ぼくは欠伸を噛み殺し続けている。とてつもなく眠い……。
ぼくが眠ると、玻璃のすずらんの花が一つ、増えるだろう。

川面から

 なにやらキラキラと光るものがあるので、川へ降りていった。
 キラキラの正体は、蝶だった。羽を広げて、ぺたんと浮いている。鱗粉が周りの水面にもやもやと広がっている。
「そんなところに浮かんでいたら、羽が濡れて動けなくなってしまうでしょう?」
とわたしが言うと
「こうして空を見上げながら、漂っていたいのです」
と天から降るような声で答えが返ってきた。
「そんなに気持ちがいいなら、わたしも真似をしてもいい?」
 わたしは、服を全部脱いで川に浮かんだ。川の水は冷たい。乳首がきゅっとかたくなる。
 身体の力を抜いて浮かぶのは、なかなか難しい。蝶がときどきアドバイスをしてくれた。
「その調子です」
 やっと空を見る余裕ができた。真っ青かと思っていた空は、鱗粉を撒き散らしたようにキラキラしていた。
「空ってこんな色だったのね」
蝶の返事はなかった。

2008年3月9日日曜日

言祝ぐ日

仮死状態で生まれ落ちた赤ん坊は、小さな石を握り締めていた。
秘色の石は、老いた産婆によって赤ん坊の額に乗せられると、ギラリと光った。「生きよ」
石が低く唸る。それに応えるように、赤ん坊はようやく泣き出した。

2008年3月8日土曜日

静けさの奥

如月朔日
星星の語らいは
まだ解けきらぬ雪にしみ入る

2008年3月7日金曜日

桃の枝

淡い桃の香りを漂わせていたから、前を歩くその老女に背負われた大きな枝の束が、桃だとわかった。
こんなにたくさんの枝を一体何に使うんだろうか。そう思ってると、老女は小さな掠れた声で、一本調子の独り語りを始めた。
「桃ちゃんは十九で死にました。埋められたところに、誰も植えていない桃の木が育ちました。毎年桃ちゃんの枝で染めた綿で、おくるみを作ります。桃ちゃんの腹には赤ん坊がいました。おぉ、よしよし」
老女は、赤ん坊をあやすように背中の枝を背負い直した。その途端、鮮やかすぎる色の桃の花が一斉に咲いた。

2008年3月6日木曜日

かじかんだ手

少女は、手袋もつけずに雪の中に両手をを差し入れているのだった。
「何してるの?風邪ひいちゃうよ」
「雪の下の、春を触ってるの」
雪の中から出てきた手が、僕の頬を覆う。
「冷たいよ」
と言おうとして、気がついた。
フキノトウの香り。

すみませんでした

謝ることができれば、いいのに。これまで書いた物語たちへ。
でも、一度動き出してしまった物語を、止めることは出来ない。作者といえども。
羊に食わせてやりたいが、生憎紙じゃない。
いや、羊の腹に入ったとしても、意味のないことかもしれない。
一度動き出した物語は、それを綴った文字が消えてしまっても、物語を紡ぎ続けているのだ。わたしが物語の紡いだ糸を見つけられないだけの話。

2008年3月4日火曜日

台詞忘れた!

ルパートさんはいつもおんなじ赤い鼻をつけた道化役。だけれど今日は一味違う。台詞が長いのだ。
「火事場の馬鹿力なんて果実を齧るより簡単だ。角を堅田の鍛冶屋で買った果実の頭を箇条書きしてごらん。」
ルパートさんは、これが言えなかった。「か…か…」と蚊の鳴くような声を出したきり黙り込んでしまった。
だが、誰もルパートさんを笑わない。なぜなら客席には誰もいないから。

もしもの話

もしも男の子だったら、とよく考えた。
本当に男の子になりたいわけじゃない。
女の子の世界はダサくて男の子の世界は素敵だからだ。着せ替え人形よりプラモデル、スカートよりジーンズのほうが、魅力的なだけ。それが真に似合うのは男の子だけだと思っていた。だから、男の子になることを夢想した。

本物の男の子は、わたしのジーンズを見て寄ってきた。
「それ、ピンテージの復刻モノ?すごい!いいなぁ」
本物の男の子は、さすが話がわかる。
だけど、もしわたしが男の子だったら、彼の笑顔にときめかない。彼の笑顔がまぶしいのは、わたしが男の子じゃないからだ。
彼の笑顔をまぶしいと感じることのほうが、ジーンズの話で盛り上がることより、うれしい。

その日から「もしも」を考えるのは止めた。

2008年3月2日日曜日

暇をください三分ばかり

「三分」
願いが聞き届けられるとは思わなかったけれど、なぜかあっさり、三分間の暇をもらうことができた。
わたしはどういうわけか監禁されている。同棲のはずだったのに。
彼はわたしを束縛するあまり、何日もしないうちに仕事にいかなくなった。買い物にもいかないから、食事は買い置きのインスタントラーメンだけ。それも昨日の夜で終わった。
彼は暴力はふるわないけれど、わたしの一挙手一投足をただ見つめ続けている。
わたしは、そこに異様な快感を見出だしている自分に気付いて、怖くなった。

暇をもらった三分間、まず外に出て伸びをした。母に電話をし、早口で事情を告げた。
それから、彼に電話をした。
「もうわたしを見るのはやめて」
「どうして?」
その声は携帯電話からではなく……。
ストップウォッチを持った彼が瞬きもせずに、わたしの顔を凝視している。ずきんと身体が熱くなる。

エスケープの合図を送れ

本当に、合図なんて送れるのだろうか。
深い眠りの中で、僕たちはいつもしっかりと手を繋いで泳いでいる。昼間の僕たちには考えられないけれど、そうしなければ強い流れに飲み込まれてしまうから。

夢というには、あまりに苦しい現実だ。朝起きれば、パジャマも髪もぐしょ濡れで、同級生である彼女もまた同じ状態らしい。

今朝、巨大な生き物が接近するところで目が覚めた。シャチならいい。巨大タコでもまだマシだ。たぶんこの世の生き物じゃない。だってやっぱり、僕とあのコの夢が作り上げたものだから……。

とにかく今夜は確実に襲いかかってくるだろう。
授業中も、彼女の後ろ姿を見ながら、あの生き物から逃れる方法ばかり考えていた。

「引き付けたところで、合図するから」
学校からの帰り道、やっと彼女に話しかけた。彼女の顔色が変わった。
「右手に向かって逃げるんだ。あっちのほうが、たぶん流れが穏やかだ」
「できない、一人じゃ泳げないよ。それに……」
「大丈夫。ちゃんと目が覚めて、明日も退屈な学校にいく。それだけだよ」
大丈夫な保証はない。前に岩にぶつかってケガをした時は、病院でキズを縫った。

僕たちは、初めて手を繋いで歩いた。
よく知っている手。でも、濡れていない。ここは夢でも水中でもないんだな。なのに、不安なのはなぜだろう。
彼女逃がすために、僕は今夜眠るのだ。

2008年3月1日土曜日

誰よりも速く

「せむかたなきことよ」
と、スカラ君はぼやいた。
 ベクトルン嬢の行く先は、いつだって明白だ。スカラ君はベクトルン嬢の前に現れたい。颯爽とライバル達を追い越して、涼しげな顔でベクトルン嬢を迎えて一言いうのだ。
「お嬢さん、お待ちしておりましたよ」
 スカラ君が誰よりも速く進むのは容易いことだ。自身の値を上げればよい。それだけだ。しかし、それだけである。
 スカラ君は、自分でも何処へ行くか判らない。

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500文字の心臓 第74回タイトル競作投稿作
△2

2008年2月29日金曜日

指名手配の裏側に

「指名手配。何野是式 34歳 身長160cm体重50kg 犯行当時の服装……短髪、眼鏡、黒のタートルネックにジーンズ。心当たりがあれば、警察に連絡を!」
ちょうど読み終わったところで、電信柱の指名手配ポスターは、ペロリと剥がれて風に飛ばされてしまった。触ってもいないのに! 焦って拾うと裏にはウサギの写真が。
「WANTED! ウサギ。度重なる騙りの容疑」
まったくその通り。
わたしは、ウサギの写真を表側にして、電信柱にポスターを貼り直した。

2008年2月28日木曜日

見たね?

この気持ちをキミが見たら、どんな顔するんだろ。
片想いだからって赤いハート型なわけじゃない。
マーブル模様がゆっくりと流動する七色の珠を、ぽむぽむとボールのように弄んで、ちょんと唇にくっつけて。
顔をあげると、ちょっと離れたところでこっちを見ているキミがいた。
手の中のマーブル模様がすごい勢いで流れだした。見られちゃったら仕方ない。この珠、今からキミに投げるよ、届くかな。

2008年2月27日水曜日

面倒だよね

「面倒だよね」
とウサギが言う。
「何が?」
机の上を見ると、潰した蚤を一列10匹づつ、きっちりと並べていた。
蚤の死骸は、屑籠へ!

2008年2月26日火曜日

許された罪のかたち

背中で手を合わせ、跪き、天を見遣りすぎてひっくり返ってしまった、その罪深き人を見て、阿修羅はクスリと笑ってしまう。

2008年2月23日土曜日

君は頭が悪いのか?

「一体、何度言ったらわかるんだ?」
「わからないんじゃない、何度でも聞きたいんだ」
これが「大好きだよ」を欲しがる恋人同士の会話なら微笑ましい。
現実は「今日は何月何日何曜日?」を繰り返すウサギと、その度に豆暦を取り出す私の会話だ。

2008年2月21日木曜日

冷めないうちに召し上がれ

冷めないうちに召し上がれ、ってキミは言うけれど、ぐつぐつと沸騰しているこの野菜スープを今すぐに飲むのは不可能だ。
キミはニコニコとぼくがスプーンを口に運ぶのを待っている。もしかしたら、キミはぼくがきらいなのかもしれない。ぼくに火傷を負わせようとしているのだから。
そう思ったら堪らなくなって野菜スープを頭の上からキミにかけた。
キミは全身から湯気を出して、相変わらずニコニコしている。
どうせ火傷をするならば……今からぼくは、熱いスープを舐めるためにキミに抱きつくよ、いいかな?

2008年2月20日水曜日

明日になれば、すべて

明日になれば、すべてが青くなるはずだ。
ぼくの身体は、皮膚も髪も瞳も、唇も青くなる。もちろん青い血液になる。
なんて素敵なことだろう。
今、ぼくは明日が待ち遠しくてたまらないんだ。

2008年2月19日火曜日

テキーラは夜に呑め

「テキーラは昼間っから呑むものではないのよ。ろくでなしになる、とか、アル中になるって言いたいわけじゃないの。……毎日のように昼間にテキーラを呑んでいると、竜の舌で舐められてしまうのよ。わたしの旦那は、それで死んだ。最後は気持ちよさそうに仰け反って、泡を吹いて、そのまま。服を脱がせたら、体中が濡れてた。竜の涎だったの。」
女の手が腿を掠めた。竜の舌は、赤いのだろうか。

2008年2月17日日曜日

えげつないよ

燃料を取り出そうと、鞄に手を突っ込む。焦っているからなかなか見つからない。
そりゃあ機械だから、燃料がなくなれば動かなくなって当然だ。だが、この人型ロボットは、そこらの燃料切れとはわけがちがう。
うっとりと目を潤ませ、スカートをたくしあげ、お尻を突き出したポーズで停止。
なんといやらしい、もとい、卑しいポーズ!
同じ型のロボットは数あれど、こいつはわざわざ、この格好になってから停止するのだ。
だって、この格好が一番カンタンでしょう?ワタシ、一刻も早く満タンにしてほしいんですもの、というもっともらしい言い分を囁いて。停止している間の時間の経過なんか、わかるはずもないくせに。
町中でやられると非常に困る。下着をずらして、尾てい骨の位置にある蓋を開け、燃料ボックスを取り替える。
するとすぐに、ぷるんと尻を震わせて、捲れたスカートを直しながら、ロボットは言うのだ。
「ごちそうさまでしたぁ」

こわいかもしれない

キミは相変わらず19歳のまま、すると僕もやっぱり19なんだろうか。
今なら言える。でも、とにかく、今は、キミに触れたい。
ないしょ話をする振りをして顔を近付け、頬擦りをした。
こんな簡単なことが、どうして出来なかったんだろう。
それは僕が、12歳のまま19歳になった、28歳の夢だからだ。
覚めなければいい、そう思っている時点で、覚醒はとっくに始まっている。

2008年2月16日土曜日

踏まれた猫の物語

巨大な蟻に踏まれた黒猫は、声を上げなかった。黙って蹲り、蟻が去るのを待った。
ヌバタマにはわかっていた。いくら巨大だと言っても、蟻に踏まれたことで死ぬことはない。実際、蟻は巨大ではあるが、重たくはなかった。
それに、こんな新月の夜に蟻が黒猫を踏みつけていたって、誰も気付きはしないのだ。
ただ、少女には忠告しなければならない。月からもらったルーペで遊ぶのはほどほどにしろ、と。

2008年2月13日水曜日

消し炭で作られた塔

人の背丈を越える高さの真っ黒い塔が、広場に出来た。
消し炭で作られたこの塔を建てたのは、毛糸の帽子をかぶった老人である。
老人の手は炭よりも黒くなり、夜の闇に紛れている。
だが、ヌバタマという名を持つ黒猫だけは老人の手を見失わない。
ヌバタマは舐める。
白く痩せた老人の手が現れる。
老人は消し炭の塔に両手をかざす。
ヌバタマは月を見上げる。
消し炭の塔に、ぽっと火がつく。
月面に塔の影が映る。

2008年2月12日火曜日

真似ばかりしないでくれる?

わたしが足を組むと、あなたも足を組む。
わたしがレモンスカッシュを飲むと、あなたはコーラを飲む。
ねぇ、もう止めてよ、わたしの真似をするのは。わたしだってあなたの真似がしたいのに。
そう思いながら、頬杖をついてあなたを見つめる。あなたはまた、わたしの真似をするから仕方なく目をつぶった。
だから、ちゃんとキスしてね?

山の中に男がひとり

遭難しているわけではない。早朝の頂上で寝転んで、女の裸を想像しているだけだ。
相当な飛距離に挑戦するために。

2008年2月11日月曜日

母はドライヤー【即興】

ドライヤーの熱のせいだろう、うまれた子供は、産婆が触るのもためらうほどに熱かった。
子供の曽祖父にあたる老人のひげが、めきめきと伸び、赤ん坊を抱き上げた。
ひげに包まれた赤ん坊の身体から、蒸気が噴出す。

てんとう虫の呪文@Skype中

2008年2月8日金曜日

車が一台足りません

「車が一台足りません」
と申し訳なさそうに、老紳士が言った。今夜の運転手を頼んだ男だ。
「世界中の車がすべて使われていて、一台も余っていないのです。調達できなかったのは、私の責任です」
いや、キミのせいではない、と私は言った。
老紳士と私は同時に天を見上げる。そこには、この世界の神である五歳の男の巨大な目玉があった。
神の声が響く。
「ママ、ミニカー買って!」

2008年2月6日水曜日

面白いわけがない

「短編映画を作ったから見にこい」
と、ウサギが言う。ウサギが作った映画だぞ、面白いわけがない。そう思いつつ行かないと、後が怖い。
ウサギはわざわざ公民館を借りていた。客は私一人だ。
明かりが落とされ、スクリーンに目をやる。
3、2、1
「原作ウサギ脚本ウサギ監督ウサギ……終」
エンドロールのみの「映画」にウサギは満足そうだった。
「監督ウサギ、が憧れだった」としみじみと言った。おかげで眠たい思いをせずに済んだけれど。

2008年2月5日火曜日

のめりこみ症候群

「恐怖、のめりこみ症候群」
と、夕刊に記事が出ていることに気づいた。
のめりこみ症候群は、始めたことを寝食も忘れて熱中してしまうことで起きる、不可解な諸症状を指すのだという。
まず、涎が垂れる。そして爪が伸びる。ひどい人になると犬歯も伸び、牙のようになってしまうらしい。
さらに記事は、熱中するのを止めさせるコツを伝えているが、たいした効果はないと言う。
寝食を忘れたやつれ顔に長い爪と牙を持った患者は、俺とそっくりに違いない。のめりこみ症候群の重症患者が生き血を求めて彷徨い出すやもしれぬ。ご馳走にありつく機会が減ると厄介だ。しかし、ひょんなきっかけで仲間が増えるのは、なかなか愉快ではある。俺は舌なめずりをしながら新聞を畳んだ。さぁ、食事の時間だ。

2008年2月3日日曜日

イミテーションはどっち

「さて、二つの絵のうち、片方は画家の真筆、片方は私が書いた贋作だ」
と、男が言った。
楽器を持った男が三人、ユーモラスに描かれている絵が二枚。どこからどう見てもそっくりだ。
「あなたが魔術師なら、どちらが真筆か、わかるだろう?」
私はわざとらしくニヤリと左の口角を上げてみせる。男が不快そうに顔をしかめる。
「私じゃなくても、こうすれば皆がすぐにわかるだろ?」
指をパチン!と鳴らした。
片方の絵の中のミュージシャンたちが、陽気に演奏を始める。
もちろん、こちらがかの高名なピベラ・デュオガ・ハソ・ヘリンスセカ・ド・ピエリ・フィン・ノピメソナ・ミルイ・ド・ラセ・ロモデェアセ・スペルイーナ・ケルセプン・ケルセプニューナ・ド・リ・シンテュミ・タルヌヂッタ・レウセ・ウ・ベリンセカ・プキサの作品である。

2008年1月31日木曜日

うるさい人形

瑠璃はなんとか口を動かそうと懸命だ。
「頑張って、瑠璃。もう少しだ」
僕はやさしく声を掛ける。
瑠璃は人形だ。ラピスラズリの瞳が入っているから、そう名付けた。瑠璃と暮らし始めてすぐ、彼女が何か言いたがっていることに、僕は気づいた。
「きみは人形だ。陶で出来た人形だ。でも言いたいことがあるんなら、きっと話せるようになる。まずはそのかわいいくちびるを動かそう」
瑠璃の青い瞳が濃くなった。
しばらくすると、瑠璃の口元は罅だらけになった。罅が増えるたび、瑠璃のくちびるは、大きく動くようになった。
「いいぞ、瑠璃。今度は声だよ、喉を震わせるんだ、できるね?」
もはやくちびるがどこにあったのかわからないほど顔が砕けた瑠璃だが、発声練習は四六時中休むことなく続いた。「ア」とも「ハ」ともつかない囁き声。
そしてついに、瑠璃が僕を見つめて言った。
「タス、ケテ、タスケ、テ、タスケテ、タスケテエエエエエエエエエエエエエエエエエ」
瑠璃の絶叫は、まだ止まない。

2008年1月30日水曜日

無の境地はどこにある

無の境地に至るため、世界各地の秘境に出向き、滝に打たれる。
滝に打たれている最中は、疲労と水圧と冷えで何も考えられなくなる。これを無と呼んでいいものか、私はいつも疑問に思いつつ、なお滝に打たれる。

今、目の前でゴウゴウと落ちるのは、ココアの滝だ。
世界中の滝を訪れたが、無論こんな滝ははじめてである。
早速、服を脱ぎ、滝壺に入る。
疲れた身体に香りと熱さが、容赦なく襲う。
皮膚が今まさに爛れはじめている。なのに、ココアの香りに包まれていることに、幸せすら感じる。
味わったことのないこの恍惚感は、限りなく無の境地に近いかもしれない!

わずかに残った理性は、甘い香りのもたらす煩悩と、全身火傷による死の予感を警告している。

2008年1月28日月曜日

回帰

 旅の途中で立ち寄った浴場は、ひどく寂れていた。脱衣所の蛍光灯は点滅し、そのスイッチは壁から垂れ下がって配線が剥き出しだった。
 それでも、そそくさと服を脱ぎ湯に入った。寒さで縮こまっていた筋肉が徐々にほぐれていく。
 心地よさは突然破られた。老婆が入ってきたのだ。混浴だったことにも、腰が曲がり骨と皮だけのような姿にも動揺した。しばらくしたら、素知らぬ振りで風呂から出よう。
 老婆は浴槽の縁に腰掛けると、脚を広く開いた。やや苦しそうに呼吸している。大丈夫かと声を掛けるべきか。迷っていると、その股座(またぐら)から何やら出てくるのに気づいた。風呂から出たいと思っていたことも忘れ、その光景に目を奪われる。
 小さな呻き声をあげながら、老婆はそれを産み落とした。一瞬水子かと思ったそれは、人形だった。ぬらぬらと濡れたまま湯に沈められると、たちまち大きくなり手足が動いた。人形は、十歳くらいの少女となった。
 少女は老婆と俺を洗い場へ誘い、石鹸を丹念に泡立て、二人の身体を交互に洗い始めた。足の指から耳の中まで。臍も性器も例外なく。その感触に俺が我を忘れそうになると、やわらかい手は老婆の身体へかえってしまう。
 落胆と期待の眼差しで、少女の手の動きを見つめる。幼い手に撫でられている皺だらけの肌は、次第に赤みを帯びていくようだ。腰が伸び、乳房が持ち上がる。老婆は、少女とそっくりな女になった。
 「本当に親子なんですね」
 「ええ。でも、そろそろ時間です。この子は帰らなくてはなりません」
 冷水を浴びせられた少女は、人形に戻ってしまった。それを俺に差し出して、女が言う。
 「お手伝い、してくださいますか」
 俺は、泡の残る女の肢体を撫で回しながら人形を突き刺した。

ポプラ社 週刊てのひら怪談掲載作

ラストバトル2060

2008年から始まった戦いは2060年に終わる。
そう預言したのは、黄金虫のアルフォンスだ、と言われている。
アルフォンスは標本になり、今は博物館のロビーに陳列されている。
2060年の今、アルフォンスの言う戦いが何だったのか、わからなくなってしまった。
たかが半世紀ちょっと前なのだけど、2008年には、オリンピックもあるし、夫婦喧嘩もあるし、二酸化炭素もあるし、プロレスも相撲もあるし、冤罪もある。一体どれが黄金虫の言う戦いなのか、わからないのだ。
それでも、何かが終わることを期待して、人々は「ラストバトル」を待っている。

2008年1月27日日曜日

涙を舐める

いまにも溢れそうな涙を舌で掬い、飲み込んだ。すると、キミはいよいよ泣き出すから、ぼくは流れる涙を次々に舐める。
ぼくの舌はキミの朿で傷だらけになり、涙は血の味になった。
サボテンであるキミが涙のような露を出すと知ったのは、ぼくが初めフられた日の夜だった。
朿の先にぷわりと水玉が膨らむのを見て、これは涙だ、ぼくの代わりに泣いているのかもしれない、と思った。

あの日からだいぶ月日は過ぎた。ぼくは何度もサボテンを泣かせた。けれども、流れるほどサボテンが泣くのは初めてだ。
そう。今夜、ぼくはすごく泣きたい。声出して泣きたい。かわりにサボテンが泣いてくれるなら、ぼくはその涙を全部引き受ける。

2008年1月26日土曜日

値切るつもりじゃなかったのに

エジプトの露店で、小さなオルゴールを見つけた。
金と紫色の石で細かい幾何学模様が施された箱型のオルゴールだ。
「東洋人、これはよいものに目をつけた」
などと店主に言われて、あやしさにますます胸が高鳴る。値段は安い。すぐにでも買いたかったが
「どんな曲が聞けるんだい?」
と聞いてみた。すると店主は目に見えて焦りだし
「音楽なんかどうでもいいじゃないか。金と紫水晶の細工がきれいだろう?お土産にすればいい。安くするよ」
とまくし立てた。
「確かにきれいな箱だよ。でもこれはオルゴールだろ?ちょっと聞かせてくれよ」
店主は、そんなの宿に帰ってからゆっくり聞けばいいじゃないか、と言い放つ。小銭を数枚渡すと、ろくに数も数えずオルゴールを私に握らせた。そして、早く去れといいたそうに「ありがとう」を繰り返したのだった。
オルゴールから聞こえたのは、女のすすり泣きだった。なぜか私はその声に心を奪われ、毎晩、発条を回している。

黒猫のしっぽを切った話

ピカビアな夜のこと、X君は、大きな黒猫に出会った。
「きみのしっぽは実にふかふかでしなやかでたくましい」
X君がそう褒めると黒猫はそのしっぽをX君の身体に巻きつけた。
X君はこれ幸いとしっぽをハサミでチョキンと切った。
その瞬間、X君は黒猫のしっぽもろとも、ひゅぃっと飛び出し、ほうき星になった。

【鴨沢祐仁氏を偲んで】

2008年1月25日金曜日

吊り橋のまんなかで

吊り橋のまんなかで、一頭の蝶が泣いていた。
蝶は吊り橋が怖くて泣いていたのではない。動けないには変わりないが。
小さな男の子が蝶に気づいた。
「ちょうちょさん、どうしたの? あと少しで踏んでしまうところだったよ」
蝶はべったりと橋に貼りついていた。
「どうしてこんなことに!」
男の子は懸命に蝶を剥がした。けれども、途中で蝶は息絶えた。
男の子はなおも輝く蝶をそっとつまみ、泣いている。
蝶の死が悲しくて泣いているのではない。彼もまた、動けないからだ。
その時、橋を渡りはじめた少女がいた。男の子は少女が自分と同じ行動をするだろうと確信し、絶望する。

2008年1月23日水曜日

その他の人々

その他の人々は、みな風船を胸にぶら下げている。
風船の色形はさまざまだ。大きな風船の人は時々ふわりと浮き上がるし、小さな風船の人は、しぼまないように大切にしている。
赤い風船の人は「情熱的なキスをするに違いない」と噂され、青い風船の人は「冷たい人って思われて困るんだ」とぼやく。
だが、ぼくにそんな悩みはない。だって風船がないんだもの。ぼくの風船は、生まれたときにぱちんと割れた。
きっとぼくが出来損ないだから簡単に割れてしまったのだろう。どんな形のどんな風船だったか、母も産婆さんも、「覚えていない」と申し訳なさそうな顔で言うだけだ。

2008年1月21日月曜日

レタスとキャベツとマヨネーズ

レタスはキャベツが嫌い。キャベツはマヨネーズに片思い。
マヨネーズはレタスのほうがよっぽど好きだけど、レタスはぬるぬるがあんまり好きじゃない。
キャベツはレタスに一目置いてるけども、レタスは嫌われてると思ってる。だからレタスはキャベツが嫌い。
そんなことはお構い無しに、アイちゃんはマヨネーズをご飯にかけて食べる。
レタスもキャベツも腐りそう。

2008年1月20日日曜日

ただの婆さん

ただの婆さんとただでない婆さんの見分け方を知ってるかい?
まずは、青信号が点滅すると走るかどうか。ただの婆さんは婆さんだから走ったりはしない。というか、そもそも走れないだろ?
それから、ただの婆さんは宅配ピザに興奮しない。あんな脂っこくて味の濃いジャンクフードを大喜びでぺろりと平あげるようなのは、ただの婆さんではない。
最後に、これが一番重要だ――ただの婆さんの遺骨は、骨壺から溢れかえらない。ただの婆さんは、そのために塩梅よく骨を減らしていくんだ。知ってるだろ?骨粗鬆症ってやつだ。

2008年1月17日木曜日

夜を盗みにきた男

泥棒のスチュワートは四部屋だけの小さなアパートにやってきた。夜を盗むためである。
抜き足差し足忍び足、階段をあがり、202号室のドアの錠を針金で開ける。
202号室のリチャードは、明日の試験に備えて徹夜の勉強中だった。これでは夜を盗めない。
隣の201号室のジョンは、テレビゲームに夢中だった。これでは夜を盗めない。
気を取り直して一階へ降りる。102号室のポールは、ベッドを軋ませ愛を喚いていた。うぶなスチュワートは動揺する。
深呼吸してから101号室へ。101号室のジョージは、ぶつぶつと何か呟きながら酒を飲んでいた。酒臭さに辟易してあわててドアを閉めた。
「嗚呼!マミィ。俺はただすやすやと眠る人から夜を盗みたかっただけなのに!一体なにがいけなかったの?」
スチュワートは暖かいベッドに潜り込み、仕事をしくじったとベソをかく。

2008年1月16日水曜日

枯れない花

少年は小さな銀色の花を見つけた。彼の家の玄関から百二十五歩の道端に。毎日水をやり、話かけた。嵐の日も雪の日も
「やぁ、僕のともだち。銀色のお花、元気かい?今日もきれいだね」
少年が青年になってもその習慣は変わらない。大きくなった彼の足が、八十五歩で銀色の花にたどり着くようになっただけ。
老人になっても変わらない。人々は彼を奇人扱いしたが、一年中みずみずしい葉と花を保つ小さな銀色の花こそがおかしいと気づく者はいない。
彼は、銀色の花の傍らで蹲ったまま命を終えた。ごろり、と風で彼の亡骸は転がり、銀色の花は下敷きになった。
翌日、すでに死体はない。銀色の花は一回り大きくなって風にそよいでいる。

2008年1月15日火曜日

罠の数は35

罠の数は35、ということはあらかじめわかっていた。
ミミズのプールとか、天井から蛸が落ちてきたりとか、巨大なめくじの扉とか、蛙の卵の掴み取りとか、どうもヤツはぬめぬめしたのがお好みらしい。
あと残る罠はひとつのはずなのだが、身体中が色々な生き物の体液や粘液に塗れ、臭いは痒いは。どろどろ服は、所々粘液が乾きはじめカピカピになっている。
「もう、勘弁してくれ!!」
俺は叫んだ。すると「最後の粘液は自分で出せ!」とアイツの声が帰ってきた。
どういうことだ?とぼんやりした頭で考えていると、なんと向こうから美しい女がやってくるではないか。合点承知。
とにかく、この汚れた服を脱ぎたいのだけれども、粘液がたっぷり染み込んだ服がなかなか脱げない。あぁ、これが35番目の罠なんだ、と気付いた。美女を目の前にますます焦る。

2008年1月14日月曜日

ヲトメゴコロ

ヲトメは可愛いお人形にもキラキラのポシェットにも、素敵なドレスにも、クリームたっぷりのケーキにも振り向かない。喜ぶふりをしているだけ。
ヲトメが一番ココロときめくのは、嵐の晩に船が転覆しそうになるのを、双眼鏡で眺めること!あぁ、なんと胸が踊ることだろう、とヲトメは頬を上気させる。稲光に照らされるこのヲトメの横顔を、あのびしょ濡れの甲板員たちに見せてやりたいもんだ。恍惚としたその表情に、いてもたってもいられないはずだよ。
けれども、本当に転覆してはいけない。本当に転覆したら「なんと悲しく嘆かわしい」と泣いてみせなくてはならないからね。

2008年1月12日土曜日

ルパートさん出番です

ルパートさんは大根役者だから、だいたい大根を抱えて舞台にあがる。
「ルパートさん出番です」
と声が聞こえて、ルパートさんはピエロの赤い鼻の取り付け具合を直し、大根の本数は二本がいいか三本がいいか悩み、最初のセリフが「やぁ、スミスさん」だったか「こんにちは、スミスさん」だったかを確認した。
ルパートさんが舞台に出ると、いつも客席には誰もいない。

2008年1月11日金曜日

雪の上を歩いた話

雪の感触を肉球で確かめながら、思ったより悪くないな、と尻尾を切られた黒猫は考えた。
「ヌバタマ、寒くないの」
と白い息で少女は言う。人間は毛皮がないから、羊の毛を借りるらしい。少女は、耳あてのついた羊の毛の帽子と、羊の毛の手袋をして、それでもまだ寒そうに縮こまりながら歩いている。
〔寒い〕
ヒゲが凍りそうなのは、頂けない。
「でも、なんだか楽しそうだよ。猫は寒いの苦手だと思ってた」
雪が積もった後の満月だから、闇に紛れるどころか、黒猫は何よりも目立っている。

2008年1月10日木曜日

ぬしは逃げた

亀の姿で人語を操る山のぬしは、小さな洞窟に住んでいた。
ぬしと出会ったのは十年前、家出をして山に迷い込んだときにぬしが助けてくれたのだ。
「こども、何を泣いている。飴でもやろうか」と亀に言われてわたしはピタリと泣き止んだものだ。
後から知ったのだが、ぬしはペロペロキャンディーが大好きだったのだ。洞窟には色とりどりのペロペロキャンディーがきちんと整理されていた。
以来、わたしはぬしの洞窟に遊びに行くようになった。キャンディーを舐めながらぬしと喋るのは、楽しかった。
昨日、ぬしが突然我が家にやってきた。山のぬしが町まで出てきていいのだろうか。
「亀の足では何日かかったことやら。迎えに行ったのに」と言うと
「急なことだったのだ」と頭を甲羅に出し入れしながら照れ臭そうに言った。
どうやら歯医者に見つかりそうになったらしい。

2008年1月8日火曜日

飛行機の事実

尻尾を切られた黒猫は飛行少年の部屋に迷い込んでしまった。
飛行少年は、デスクライトだけを点けた薄暗い部屋の中で飛行機のグラビア写真を食い入るように見つめていたから、黒猫に気付く様子はなかった。
飛行少年の部屋には小さいのも大きいのも、沢山の飛行機の模型が並んでいた。
夥しい飛行機に囲まれながら、飛行少年は飛行機のグラビアを、頬を赤く染めながら、うっとりと見つめているのだった。
黒猫は、船については少女から船長の話を聞いていたからよく知っていたが、飛行機のことは知らなかった。
後から月に尋ねると
「飛行機? あれじゃ私の処へは到底来られないね」
それきり黒猫は飛行機への興味を失った。

理由はたったひとつだけ

 きみが海に帰ると言ったとき、ぼくは心底哀しかった。
海に帰るということは、水の泡になるということだ。きみの身体は鱗一枚も残らない。たとえここでぼくがきみの鱗を引っかいて、むしって、硝子の瓶に入れておいたとしても。
 そんなことを考えていたせいか、ぼくはきみの鱗を逆立つように撫で回していた。
ざりざりざりざり
 ――やめて。鱗が剥がれちゃう。
ざりざりざりざり
 ――なんだよ、水の泡になるくせに、鱗が惜しいのか。
ざりざりざりざり
 ――そうよ。すべて均等に泡になりたい、一斉に。それ以上の何があるの?
 何もないから、哀しいのに。

2008年1月6日日曜日

ちらちらと瞬くひかり

ちらちらと輝く彼女のひとみを見ていると、僕は雪の降った朝のことを想う。
あの朝は快晴で、前夜に降った雪が眩しかった。
僕は夜更かしの顔で外に出て、雪の上につっぷした。
雪の中で目をあけると、やっぱりちらちらと輝いていた。真っ白くちらちらと瞬くひかりの世界に沈み込んだ僕は、ぼぅっとなって起き上がれなくなってしまった。
気がついたときには高熱で、布団の中でうなされていた。
彼女のひとみの中は、まるっきりあの雪の中とおんなじで、このまま見つめていたらきっと僕は熱を出す。それでもいいや、と僕はちょっと思っている。今度の熱は氷枕じゃ下がらないかもしれないけれど。

2008年1月5日土曜日

取り返しのつかない失態

惚れた男は幽霊だった。
そうと知ってはいたものの惚れた弱み、まぐわって、子を産んだ。
産まれた子は幽霊ではなかったが、やたらと若い女の幽霊に媚びを売られ、ほいほいとついていく。次々と女についていくから息子はなかなか家に寄り付かないが、息子の子を孕んだ幽霊は、なぜか私の元に居座る。
今、私には嫁が8人と、孫が11人いる。全員幽霊だ。嫁も孫も皆かわいく、よくしてくれるが、ちょっとばかり肩身が狭い。私も早く幽霊になりたくて剃刀を持ち出したこと数知れず。
けれども8人の嫁が「いけません、おかあさま」とやるもんだから、死ぬに死ねない。

2008年1月3日木曜日

変人は誰だ

冷たいシャワーを浴びながら小便をする人と、その小便で頭を洗う人。

ビールの友

「昔な、」
とちょっと赤い顔になった親父が言い出したので、またいつもの昔語りが始まったと思ったら、そうではなかった。
「ビールを飲み始めると必ず会う男がいたんだ。最初に会ったのは、どこだったかなぁ。新宿……いや、代々木だったかなぁ。まぁ、ビールを飲んでいて隣の奴と意気投合、話が弾んだのがそいつだった。背の高い男だったな。優男なんだが、よく飲むんだ。たまたま隣合っただけの奴だと思っていたのに、それからしょっちゅう会った。どこの飲み屋でも。あぁ、田舎のパブで会った時にはさすがに驚いたよ。出張で、なんて言ってたけどどんな仕事かは話そうとはしなかったな。で、俺がウィスキーなんか始めると、いつの間にかいなくなっちまうんだ。どんなに話が盛り上がっている時でも。店のママやバーテンに訊いても、あらまぁ、って言いながらニコニコするだけなんだ。どこの店でも、全く同じ。みんなニコニコするだけで、突然居なくなるあいつにも店員にも毎度腹が立ったね。おかしな奴だったよ」
あいつ元気かなぁ、と親父は呟いたけれど、そういえば俺は親父がビールを飲むところを見たことがない。

ほう、それが正体か

着替えを終えた者は、儚げな少年だった。
「ほう、これが正体か。百戦錬磨の兵、若いとは思っていたが、思っていた以上に幼いな。この細腕で一体幾人を……」
少年は薄い着物を纏い、その細い腕を所在なさそうにぶらぶらとさせながら
「なぜ俺にこんな格好をさせるのだ!」
と怒鳴った。
青年は構わず、少年を値踏みするように見やる。
傍らには鎧兜が転がっていた。あちこちに飛び散った血はまだ乾いていない。

例の小兵を必ずや生け捕りにしろと命令した大将は、この少年を最初から慰みものにするつもりだったのだ。大将が自分に飽きているのは、もうわかっている。
青年は少年の耳に囁いた。「いいことを教えてやろう」
息を吹き掛けられた耳が赤くなる。
大将は壁の穴からそれを覗き見ている。

2008年1月1日火曜日

二枚目と三枚目

契約書は全部で三枚目あった。
一枚目は白い紙に甲だの乙だの印鑑だの、一見して契約書とわかる。
二枚目は真っ赤な紙だった。三枚目は真っ青な紙だった。
二枚目にも三枚目にも文字は書かれていない。何の為にこんな色の紙が付いているのか。
一枚目を再び熟読した。契約内容には問題ないが、やはり二枚目と三枚目の色紙については一切触れられていない。
二枚目と三枚目を重ねて透かしてみた。見事な紫色が広がった。紫色の中に「嘘」という小さな文字が浮かび上がった。
では、真っ青の意味は……鏡を見るまでもない。