2018年12月16日日曜日

意志の疎通

どこか、暖かいところで、温かい食べ物を食べたかった。
このままでは病気になってしまうという危機感があった。

「鳥よ、温かい物が食べたい」
だが、赤い鳥は何も答えない。

赤い鳥は自分の意志は言うが、まともな会話が成立するわけではないと気が付くには、少し時間が掛かった。ちゃんと、通りの人々に聞こえるように質問しなければ。

「え~」
と言うやいなや、赤い鳥は叫んだ。
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方は、温かい食べ物を欲しておられる!」

この大仰な言い回しが赤い鳥独特なものなのか、人々にはどのように聞こえているのか、わからないことばかりだ。
だが、鳥の一声を聞いて、夫婦らしき二人組がこちらに向かってきた。顔貌が違っても、彼らが笑顔であることは、わかった。

2018年12月9日日曜日

鳥の役割

赤い鳥は、肩にとまった。そのまま付いてくる気のようだった。
どうやら、通訳をしてくれるらしい。追い返す理由はない。

育った街は捨てたに等しい。消えず見えずインクが消えない限り、あの街には戻れない。
この街も、望んで来たわけではない。だが、せっかくだから、少し探索してみようと思う。通訳もいることだから。

人々の視線を感じながら歩き、振り返ってあの鳥籠を見た。鳥も鳥籠も真っ赤だと思っていたが、今にも朽ち果てそうな青銅色だった。

改めて周りを仰ぎ見ると、建物の色も、道も、銅が朽ちかけたような青緑だった。
見慣れない姿の人々の服装も同じ色で、肌も青白い。それに気が付いた途端。ひどく寒気が襲ってきた。

肩の赤い鳥を胸に強く抱いた。
「旅のお方よ、少し力を緩めてはくれぬか?」
赤い鳥の甲高い声が、青銅色の街に響く。

2018年12月6日木曜日

簡潔な説明

鳥籠から出るかどうか、ずいぶん迷った。
人々の顔貌も、恰好も、見たことがないものだった。異国風というのとは、ちょっと違うように思う。
人間だけではなく、鳥や犬や猫と思しき生物も、見たことがない姿形なのだった。何故、鳥や犬や猫だとわかるのか、不思議である。

このまま、この真っ赤な鳥らしき生物と一緒に鳥籠に居たほうが、幾らか安全なのではないかと思ったが、向こうもこちらが珍しいようで、鳥籠の周りを囲まれてしまった。
人だけでなく、犬や猫も集まってしまった。

とてもこちらの言語が通じる人々だとは思えなかったが、何か言わなくてはと考えて
「え~」
と、声を出すと
「こちらに御座しますのは、消えず見えずインクの旅券を持つ、旅のお方である!」
と、赤い鳥らしき生物が、甲高い声で口上を述べた。
鳥籠の扉が重々しく開き始めた。

2018年11月30日金曜日

たぶん街

左腕が擽ったいような、痒いような気がしたのは、1秒だったような気もするし、1時間だったような気もする。
そこはもう電話ボックスではなくて、鳥籠だった。
左腕の消えず見えずスタンプに押し当てていたのは真っ赤な電話機の受話器ではなくて、真っ赤な鳥の嘴だった。
真っ赤な鳥は何もかも真っ赤で、見たこともないような鳥だけれども、たぶん鳥なのだ。
見たことがないと言えば、鳥籠の外の景色もまた、見たことがなくて如何とも形容しがたい。
たぶんここは街の中なのだけれど、街の真ん中に巨大な鳥籠があって、公衆電話くらいの真っ赤な鳥がいて、そこに人が居ていいのだろうか。
鳥籠から、どうして出られるだろう? 

2018年11月25日日曜日

艶やかな電話

サイン入りの顔写真カードをポケットに突っ込み、小さなボストンバッグを持って、アパートの階段を降りる。鉄製の階段の足音が、いつもより低く聞こえるのは気のせいだろうか。

「電話ボックスに行くといい」と白い服の男は言っていた。2ブロック先にある電話ボックスに向かうことにする。
公衆電話を使う者などもういない。「歴史的遺産」として、町には電話ボックスがそのまま残されている。が、不用品が放置されているが如く、ただそこにあるだけの物体になっていた。

だが、2ブロック先のその電話ボックスは違う。他の公衆電話は黒く埃をかぶっているのに、その電話だけは赤く、いつも艶やかで、本当に誰かと話ができそうだった。

電話ボックスに入ると、生まれて初めて「受話器」を手に取り、左腕の消えず見えずインクのスタンプ(があるあたり)に赤くて重たい受話器を押し当てた。

2018年11月24日土曜日

くすぐったい旅券

ある朝、目覚めると白い服の男がいた。
シャワーを浴びて、伸びすぎた触覚を剃り、コーヒーを飲むのを、じっと見ていた。
朝の身支度が一通り終わると、白い服の男に背を向けて、シャツを脱いだ。
いつかはこうなるとわかっていたのだ。いや、こうなることを望んだのは自分だ。
白い服の男は、消えず見えずインクでスタンプを背中に押した。
乱暴にされるかと思ったが、とても慎重な動きだった。
くすぐったくて一瞬、身体が動く。左腕の内側にも同じスタンプ。やはり、くすぐったいのだった。

顔写真を撮られ、サインをした。
所持品をまとめようと思ったが、まとめるほどの所持品はなかった。
ともかく、旅に出るのだ。ここにはもう、居られない。

2018年11月19日月曜日

11月19日 入れ替わりサンド

サンドイッチが食べたくなった。
私が好きなのは、ハムサンド。
卵サンドは好きじゃないから、拾わない。
けれど、ハムサンドはあんまり落ちていないのだ。
あちこち散歩して、やっと拾ったハムサンドを持って帰る。
もちろん、コンビニやスーパーだって見たよ。
最初から拾うつもりだったわけじゃない。
だけど、どういうわけか、今日はコンビニやスーパーのサンドイッチの冷蔵棚には、落ち葉が冷えていたんだ。秋だね。

2018年11月16日金曜日

11月16日 動く温度計と動かない温度計

我が家の動く温度計が、本格的な寒さを観測した。
動かない温度計によると、現在の室温22度。
なるほど、動く温度計の「寒い」は22度と判明した。
来冬は動かない温度計を見ずとも温度がわかるはずだ。
私はといえば、動く温度計のおかげで、重くて動けないし、おまけに、ちょっと暑い。

2018年11月9日金曜日

二世役者

石飛功という三枚目俳優が主演の、昭和56年開始ドラマ「石飛荘十二人の住人」を、このほど瓜二つの息子、石飛研一が引き継いだ。
親子はあまりにもそっくりで、昭和のリマスター再放送が始まったと思っている視聴者が大半である。

2018年11月1日木曜日

新種目

選手は麗しい衣装を着て、華麗に料理を作り、テーブルセッティングをして、そのままマラソンをするという競技が、異世界のオリンピックで大人気だそうだ。
観客は、マラソンを観戦しながら、ごちそうを食べる。
選手は、競技場に戻ってきても、自分の作った料理が残っているとゴールできない。料理が無くなるまで走り続けなければならないのだ。
私は異世界にオリンピックがあることに驚き、いろいろと訊きたかったのだが、異世界人は、どれだけごちそうがおいしくて大量なのかをひっきりなしに語るので、口を挟めなかった。

2018年10月26日金曜日

秋深まる

午睡から覚め目の前にあった掌、肌理がよく見える。
粗く、見慣れない、自分のものとは思えない、中年の掌。
自分のものでないなら、その筋は誰か歩いた道かもしれない。微細な虫が歩いたかもしれない。
いや、やはりこれは自分の掌だ。四十回近い数の秋を過ごした掌だ。

2018年10月21日日曜日

モノレール

遊園地から最寄り駅まではモノレールが便利だ。遊園地に何をしに行ったかは、もう忘れたけれど、私はいま、モノレールに乗っている。
平日の昼間、モノレールは空いている。私と、知らないおじさんが一人。
おじさんは私の隣に座って話しかけてくる。なんてことのない世間話で、適当な相槌を打つ。
最寄り駅の空中に着いた。降りるときに、母が忘れた買い物バッグが先頭の座席にポツンと置かれていることに気が付いた。
かつて私が着ていた服で作った買い物バッグだから、母のものに間違いない。野菜や卵が入っている。遊園地はスーパーマーケットではないはずだが。
モノレールを降り、頼りない外階段を長々と降りると、最寄り駅の改札だ。
見上げるとモノレールの線路は消えている。
このまま実家に行き、買い物バッグを母に届けることにする。

2018年10月4日木曜日

爆音

ヘリコプターがひっきりなしに飛んでくる。
「うるさいなぁ」
と呟いたら、猫が大あくびしてから、ゴロゴロ言い出した。
猫のゴロゴロはどんどんクレッシェンドして、もっともっとクレッシェンドして、ついにヘリコプターの音をかき消すくらいの激しいゴロゴロになった。
どんなに爆音でも猫のゴロゴロは猫のゴロゴロで、眠い。
ヘリコプターの音は静かになったから、たぶんヘリコプターも眠たくなったんじゃないかな。ヘリコプターが居眠りしたらどうなるかは、知らないけど。

2018年9月28日金曜日

卵マンの襲来

親指の先がひどく痛む。
タマネギを切ると染みるし、鍋をかき回すと湯気に触れて痛い。
もちろん、物が当たっても痛い。
理由はわかっているのだ。
さっき、卵マン(そう名乗った)がやってきて、この卵型カプセル100個に疑似卵黄を入れてくれと頼まれたのだ。礼はたんとやると言うので引き受けた。
卵型カプセルを割り、疑似卵黄を入れて、割った卵型カプセルを嵌める。
この卵型カプセルがなかなかどうして、硬くて割れない。それで指を痛めたのだ。
疑似卵黄をあまりおいしそうではなかったが、卵マンは旨そうだったので、とっつかまえてオムレツにしてやろうと思ったのに、卵型カプセル100個を背負ってさっさと帰ってしまった。

2018年9月25日火曜日

雨の日のドライブ

 父に誘われて、土砂降りの雨の中、車に乗った。
 ワイパーが追い付かないほどの雨、どこに行こうというのだろう。
「こんな雨じゃないと見られないから」
 と言って、水たまりの雨水を酷く撥ねながら車は走る。
 着いたのは、大きな貯水池だった。水面に雨が激しく叩きつけられている。
 その水面、ところどころで、ポンっと一瞬、顔のようなものが現れ、沈んでいくのが見える。見えるような気がする。
「……あれは何?」
 父は
「子どもの頃から、死んだてるてる坊主だと、俺は思っていた」
 と言い、しばらく黙って眺めていた。
「帰るか」
「うん」
 家に着く頃には、雨が止み、日が差し始めていた。

2018年9月11日火曜日

寡黙な人

 いつもの喫茶店に行くと少女が働いている。年は13、14といったところだろうか。まだ慣れない様子で、引きつった顔でコーヒーを運んでいる。
「ありがとう、いただきます」
と言って受け取ったら、心底驚いた顔をして慌てて引っ込んでしまった。
 店主の親父によると、酷く無口なこの少女は、学校に行きたがらないそうで、家で膝を抱えてるよりマシだろうと店の手伝いをさせていると。店主の実の娘なのかどうかは聞きそびれた。
 慣れてくると、少女は私の読んでいる本を覗き込んでくるようになった。読み終わった本をやるとペコリとお辞儀をして、奥へ引っ込む。
 いつの間にか、店主の親父よりも旨いコーヒーを出すようになった。もう少女と呼べないほどに大人になったのに、声はまだ聞いたことがない。
 本は一冊も返してもらっていないが、律儀に感想文を手紙に書いて寄越す。手紙の少女は饒舌だ。どこに潜んでいるのだろうかと、声を探してやりたくなる。少し意地悪い気分で。

2018年9月4日火曜日

万年筆の要求

愛用している万年筆の調子が悪い。インクは十分にある。ペン先も乾いてもいない。
そういえば、近頃はメモを取るくらいしかしていなかった。手紙を書く、というような、まとまった文章を書く機会がなかったのだ。
それで機嫌を損ねたに違いない。以前にもそんなことがあった。もう8、9年前になるか。
そのときは、ご機嫌を取るのにずいぶん手間取ったものだ。本棚を眺め、一冊の本を出す。
短い小説を写すことにした。ゆっくり、力を入れ過ぎてはいけない。インクが出てこなくても焦らずに。
これで機嫌を直してくれるはずだ。

2018年8月26日日曜日

涙製物語

しょっぱなから泣かされる話だ。
本を読んでも映画を見ても高校野球をラジオで聞いても泣いてしまうほど涙腺のゆるい私だ。
そんな私でも冒頭三行でだらだら涙を流すのはどうかしている。
もっとどうかしているのは、涙を拭うと本の文字が読めないということだ。
眼が変調を来たしたのかと、傍らの新聞を見てみたが、大丈夫そうだ。やはりこの物語はどうかしている。
仕方なく、そして、思う存分、涙と鼻水をボタボタと頁に落とすとしよう。

2018年8月22日水曜日

八月二十二日 濡らしたり、乾いたり

猫の足跡は、濡れると現れて、乾くと消えてしまう。
だからといって、ずっと濡らしておくわけにはいかないのだ。 とても残念なことだけれど。

2018年8月19日日曜日

#FF00FF

マゼンタ色のワンピースと帽子を被った老婆が、同じ色のカートを引いて、夜の駅前ロータリーを背筋を伸ばして歩いている。
突然立ち止まったと思ったら、カートから桃を取り出してかぶりついた。
妙に濃くて鮮やかな、そう、老婆の装いとよく似た色の桃だった。

2018年8月18日土曜日

澄まし顔の向日葵

向日葵畑に人間が押し寄せる。向日葵は自慢の黄色い顔を太陽に向けて澄ましている。
向日葵畑に向日葵を見にやってくる人間の数は決まっている。
畑の向日葵の数と、きっかり同じ数の人間。理由は向日葵にもわからない。
向日葵は、やってきた人間を数えながら、夏と花の終わりが近いことを感じる。
太陽を見上げる。

2018年8月17日金曜日

読書の秋始め

八月の湿度が下がった日、本に秋の始まりを告げる。
よく手を洗い、温かいお茶を淹れ、お茶請けの菓子を用意し、本棚から本を一冊選び、椅子に座る。
一口、茶をすすり、パラパラと本を捲る。
夏の湿った空気を吸って重たくなっていた本が、秋の呼吸を始める。本棚の本たちも一斉に秋の訪れに気が付くのがわかる。
 お茶を飲み、菓子を食べ、本を一章ほど読んだところで、羊毛のはたきで本棚の埃を払う。これで本棚の秋支度が済んだ。いよいよ読書の秋の始まりだ。

2018年8月8日水曜日

8月8日 スーパープリンタイム

今日のプリンは特別だった。一口食べるごとに、どこからともなく拍手が聞こえる。それがとても素晴らしく陽気な拍手なので、得意になってプリンを食べる。するとまた拍手が起きる。高らかにプリンを食べる。盛大な拍手が起こる。
ついに最後の一口を食べ終えると、拍手喝采! 窓が軋む。いや、拍手ではない、強風だ。まもなく台風がやってくる。

2018年7月22日日曜日

傘が溶けた

 あまりの暑さに、日傘が溶けた。
 まず、布地が溶けた。チリチリと縁から縮み、それから一気にズルリと骨から垂れ下がり、地面に落ちて、アスファルトの上で「ジュッ」と音を立てた。
 そのまま骨だけの傘を差してしばらく歩いていたが、とうとう骨も溶けた。
 意外にも、中骨から溶け始めた。なんとなく持ち手が軟化してきたような気がすると思ったら、突然グニャグニャになった。
 親骨は傘の形を保ったまま、頭に落ちてきた。慌てて傾けると、ぼとぼとと親骨は外れ、八本の親骨は、二本ずつ四組になって、まるでヒトの足のようにスタコラサッサとどこかへ去っていった。
 次は私が溶ける番だ。

2018年7月13日金曜日

ペペペペペ

 雪の上に、見慣れない足跡がある。いや、本当に足跡なのかどうかはわからない。しかし、ひとまず足跡と呼ぶのが適切な気がする。
 「ペ」と読める。カタカナか、ひらがなかは、わからない。
 それは等間隔で続いている。追いかけようかと思ったが、隣家の畑の上を歩くことになるのでやめた。

 夜道、後ろから聞き慣れない足音がする。「ぺたん」でも「ぺこ」でもなく、ただ「ペ」だ。
 いつかの冬、雪の上に見た足跡の主だろうと思う。この音は「ひらがなだ」と、わかる。
 振り返って姿を見てやろうと思ったが、途端、右へ曲がってしまった。隣家の畑の方角だ。矢張り、あの足跡の主だと確信する。

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500文字の心臓 第163回タイトル競作 
〇5 △1 正選王

2018年6月10日日曜日

箱を開けると7

 箱の中には、色とりどりの小さな折り鶴がぎっしり詰まっていた。
 一羽摘み出して、手のひらに乗せると、羽ばたき出した。
 羽ばたきが上手くなってきたところで、息を吹きかけると、窓の外へ飛んで行った。
 箱の中の折り鶴たちもソワソワとし始めたので、一羽ずつ手のひらに乗せ、羽ばたくのを待ち、息を吹きかけ、飛び立たせた。
 たくさんの折り鶴が順番待ちしているので、二羽ずつでもいいかと思ったけれど、どうしても一羽ずつでないといけないようだったので、延々と繰り返した。
 最後の鶴を見送った頃には、月が出ていた。

2018年5月15日火曜日

箱を開けると6

 箱を開けると、手紙が入っているはずだった。出せなかったラブレターが二十四通。仕舞いこんだまま、十年が過ぎた。もう、潮時だ。破いて捨ててしまおう。私はあのころには想像していなかったような生活をしていて、おそらく相手も同じだろう。たとえ出会っても、二人の人生は交わることはないのだ。
 箱の中には自分のものではない筆跡の手紙が入っていた。若かったあのころ、欲しくて欲しくて堪らなかった、彼女からの手紙だと気が付くまで、何秒掛ったのか、何分掛ったのか、自分でもわからない。切手は貼られておらず、開封もしていない。この手紙もまた、出さなかったはずの手紙なのかーー
 私が出さなかったはずのラブレターが、彼女の元にあるとしたら

2018年5月9日水曜日

箱を開けると 5

箱を開けると、造花に埋もれて人形が横たわっていた。
棺だ。
そう思ったら、人形が目を開けたので、放り出した。
人形は転がるふりをして、壁際に行儀よく座った。
箱はぐちゃぐちゃになった。簡単に潰れるような箱には感じなかったのだが。
敷き詰められた造花も散らばった。
こんなに不気味なのに、箱に閉じ込めることができなくなった。どうしたらいいのだ。
睨みつけると、人形は項垂れ、そして首を落とした。

2018年5月6日日曜日

箱を開けると 4

 強い風の吹く夕方だ。
 どんどん薄暗くなっていく駅前で、白い箱が風に吹かれて空中に踊っていた。
 風に乗って電信柱にぶつかり、屋根に落ちて転がり、ふいに浮き上がり、また落ちかける。
 空飛ぶ箱に気が付く人がひとり、またひとりと増え、駅前には髪をなびかせながら箱をポカンと見上げている人でいっぱいになった。
 ついに、オレンジ色の街灯に勢いよくぶつかって(それは風のせいではなく、意志があるようにさえ見えた)、箱は開いた。
 スーツの男に降り注ぐ紙吹雪と、「おめでとう」の垂れ幕。駅前で起こる、拍手喝采。「おめでとう」の理由はわからないままに。

2018年4月16日月曜日

箱を開けると3

 ぽこぽこと歩く箱が部屋に現れたので、猫と追い掛け回した。
 猫が勢い余って潰してしまうことを恐れたが、箱は猫の手をうまく逃れ、ぽこぽこぽこぽこ歩く。
「はこー、ちょっと待ってー」
 ぽこ。箱が立ち止まる。
「あなたには何が入っているの?」
 ぽこぽこぽこぽこ。箱が逃げる。
 ようやく追い詰めて、箱を捕まえると、おとなしくしている。
 蓋を開けると、「ぽこぽこ」が入っていた。

2018年4月9日月曜日

箱を開けると2

テーブルの上にリボンを掛けた箱が用意されている。
箱の中は、私の誕生日ケーキ。
リボンを解き、箱を開けると、新築したばかりの我が家にそっくりのケーキが現れた。
ナイフを入れるのに、やや躊躇するがこのままでは食べられない。
ナイフを当て、えいっと力を入れると、バリバリと天井から不穏な音が聞こえてきた。
私もまたケーキの中にいる。

2018年4月8日日曜日

箱を開けると1

小さな小さな箱である。
爪の先を使ってやっと開けると桜の花びらが一枚、窮屈そうに入っていた。
棚には同じ大きさの箱が十八個並んでいる。十九個目を隣に置いた。
「いつか助けた桜からの便り」と言いたいところだが、実のところ、なぜ毎年届くか、わからないのだ。

2018年3月8日木曜日

夢 浴槽からの客人

 我が家の訪問者は浴槽から現れる。インターホンが鳴ると私は風呂場に行き、風呂蓋を外す。
「お届けものです」
 荷物を受け取ると、風呂蓋を戻す。どういう仕組みになっているのかわからない。家の者は玄関から出入りするのだが、客はどうしても浴槽に現れてしまう。

ピンポン

 来客の予定も、宅配物が届く予定もなかったが、風呂の蓋を取った。髪の長い人が浴槽に現れて、「あら、ごめんなさい。間違えました」という。
「いえいえ、間違いは誰にでもあることです」
 私は最大限に感じの良い笑顔で応える。
 風呂蓋を戻すために浴槽に目をやると、多量の髪の毛がこびりついていた。

2018年3月1日木曜日

豆本の世界10

豆本は男の汚れた背広のポケットに長いこと居た。かつては書店の小さな棚に居たのだが、男の手によってポケットに入れられたのだ。男はおそらく書店に支払いをしていない。つまり、豆本は盗まれたのだった。
豆本はすぐに男から忘れられた。ポケットに手が入ってくることすらなかった。豆本の周りには埃や糸くずが増えるばかりで、背広は一度も洗濯屋に持ち込まれることもなかった。
それは突然の出来事だった。男が背広を脱ぎ、乱暴に椅子の背に掛けた。その拍子に、豆本は外へ転がり落ちたのだ。幾らかの埃や糸くずとともに。
しばらく人の足を眺めていたが、ふいに持ち上げられた。小さな手だった。豆本はその手を「丁度よい」と感じた。
そして、小さな手によって豆本は初めて頁を捲られた。気恥ずかしくもあったが、歓びが勝った。あどけない声が豆本を読み上げる。物語が始まる。

2018年2月18日日曜日

豆本の世界9

 その古くて厚い本は、自分の中に収められているのが、壮大な、かなしい詩であることを知った。それを知るのに要した三百年の歳月は、己の体である紙や革の傷みで感じていた。
 本は、涙を流した。ポロリと零れ落ちた涙は書棚を転がり落ち、短い、かなしい詩を収めた豆本となった。
 「この豆本を誰かが拾い上げるのはいつのことだろう。きっと私は、かなしい詩とともに朽ちるのだ」と、本は思い、また涙を流した。

2018年2月11日日曜日

豆本の世界 8

国家にはそれぞれ固有の豆がある。国が増えれば新種の豆が誕生し、国が滅びるということは、ひとつの豆が絶滅することを意味する。
その国の一番大きな図書館の奥深くに、国の豆のすべてが書かれた小さな本がガラスケースに収められている。豆の品種名や詳細な栽培方法、おいしい食べ方が細かな文字でびっしりと記されている豆本だ。
その豆本もまた、国が生まれ、中央図書館が建てられるといつの間にか現れる。
図書館の館長が豆本の誕生を王に報告する儀式は、王の戴冠式よりも盛大に行われる。

2018年2月3日土曜日

豆本の世界7

世界中の書物が豆本になると、本には必ず虫眼鏡が付くようになった。本の内容に合わせて装飾を施された虫眼鏡は、書物以上に珍重された。愛書家の書棚はみるみる小さくなったが、虫眼鏡を陳列するための棚は、かつて本が豆本ではなかったころの書棚よりも大きくなった。

2018年1月30日火曜日

御伽噺集

『御伽噺集』と書かれた背表紙を見つけ、手に取った。積もった埃を思わずフッと吹き飛ばす。辺りが白くなった。
 貸出カードを見ると最終貸出日は1962年。この小さな図書館の狭い書庫で五十年以上も眠っていたと思うと、不憫に思った。
「埃だらけにしてゴメンね」
 同僚たちに見つからぬように貸出手続きをし、鞄にそっと仕舞った。
 帰宅後、ベッドに入って『御伽噺集』を開いた。
「昔昔、あるところにおじいさんと、おばあさんが暮らし、て、いま……」
 それ以上は 読み進めることができなかった。文字は乱れ踊り、掠れ、解読できない。読める箇所を追おうとしたが、掠れた文字と古い紙の匂いは強い眠気を誘った。『御伽噺集』を抱くようにして眠った。
 夢を見た。鮮やかすぎる夢だった。私は「おばあさん」として一寸法師の世界にいた。赤子の一寸法師を慈しみ、体の大きくならない息子を心配した。都に出たいという息子に針を渡す時には胸が引き裂かれる思いだった。
 目覚めると『御伽噺集』を胸に抱いたままだった。本を開くと一寸法師がしっかりと読めた。続きのページは掠れた字が僅かに見えるだけ。次の夢は、浦島太郎だろうか、鉢かつぎだろうか。


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「もうすぐオトナの超短編」氷砂糖選 優秀賞
兼題部門(テーマ超短編「お伽話」

2018年1月16日火曜日

豆本の世界6

 その豪奢な豆本は、まさに「手のひらの宝石」と呼ぶにふさわしいほどだった。
ページをめくると「ぽとん」と豆が零れ落ちる。この豆は、いくら本を読んでもなくならず、食えば腹が膨れるという不思議な豆だった。きらびやかな装丁にもかかわらず「災害時用」として人気があった。
 ある年、干ばつによるひどい飢饉があった。豆本の奪い合いが起き、たくさんの豆本が破かれたり燃やされたりした。そして大きな戦となった。
 待ち望んだ雨が降って、ようやく長い戦が終わり、親を失った子らは、弔いの代わりに豆本から零れ落ちた豆を戦場に植えた。子らは親から豆本を譲り受けることが多かった。豆本を形見として戦の間も大切に携えていたのだ。
 彼らが青年になるころ、豆本の木は大木となり、豆本のなる森となった。

2018年1月8日月曜日

豆本の世界5

 世界中に本が溢れかえり、神と呼ばれるものは考えた。世界の構成単位を本にすればよい、と。
 海が書かれた本は海を満たすのに十分存在したし、山についても同じだった。炎も金属も、不足ない本があった。
 生物についても問題なさそうに思われたが、生物を生み出すには通常の本では大きすぎることがわかった。「ならば」神は決めた。「豆本で生物を構築しよう」。
 森羅万象は本であり、血肉は豆本である。自分を探す旅をしたい少年少女は、顕微鏡で自らの髪や爪を読破することに没頭している。

2018年1月6日土曜日

豆本の世界4

 店主はザルから豆をひと掴み、鍋に放り込んだ。グラグラと豆が煮えるのを、ゆっくりと箸でかき混ぜる。
 ここは書店の奥にある土間。昔の書店にはこうして大鍋があったものだが、今では珍しくなった。この店主もだいぶ年寄りだ。
 茹で上がった豆を、板に一粒ずつ並べていく。ある程度、間隔を広くしておかないと、本になったときにぶつかり合って、捩れた本になってしまう。捩れた本は好事家には人気だが、書店の店主にとってはただの不良品だ。
 決して広くはない書店の奥の間だから、あまりゆったり豆を並べるわけにもいかない。豆がどんな大きさの本になるのかはわからない。本に弾けたときにぶつからず、隙間もない、絶妙の間隔で並べていくのが、店主の腕の見せ所。
 深夜の書店の奥、豆が弾けて本になるポコン、ポコンという音が小さく響く。

2018年1月5日金曜日

豆本の世界3

 豆本へ旅行に行った友人が帰ってきた。幾度となく長い旅をしてきた人だが、今回はいつにも増して長かった。筆まめな友なのに便りも寄こさないので、さすがに少し心配したが、豆本はよほど楽しかったのか、水が合ったのか、待ち合わせの喫茶店に、充実した顔つきで友人は現れた。
「豆本に長く滞在した影響はないのかい?」と尋ねてみた。豆本に旅行する者は少なくないが、長期滞在する人はあまりいない。
「ひとつだけ不自由している……というか、不自由させていることがあるんだ」
 そう言って鞄から手帳とペンを取り出して何やら書き付け、こちらに差し出した。
「虫眼鏡を携帯することにしたよ」
 渡された虫眼鏡を覗くが、なかなかピントが合わない。
――親愛なる友へ しばらく文通は控えよう
 もちろん賛成だ。