2012年9月25日火曜日

時を告げる声

毎年、祖父が死んだ日になると、祖母は正気を取り戻す。


私はその日を待ち構えて、祖母とあれこれ話をしようとするが、「なんだか今日のあなたはずいぶんおしゃべりだねえ」とあしらわれてしまう。


祖父が息を引き取ったのは、午後16時18分だった。


祖母は、その時刻ぴったりになると、目を黒々とさせ、低い声で「時間だよ」と言う。


その声は、祖母の声であり、祖父の声であり、死神の声だと思う。


そうして、それを境にまた祖母の記憶は揺らめきはじめ、翌日には孫の顔も忘れてしまうのだった。



2012年9月20日木曜日

鏡を割る

玄能で鏡を叩き割る。彼女の毎朝の日課だ。
力加減は慣れたもので、罅は入るが飛び散りはしない。
彼女はその割れた鏡に向き合い、念入りに化粧をする。
 
完璧な容姿である彼女の元には、多くの人形師が訪れる。
彼女と瓜二つの人形は、文字通り世界中に居るはずだ。
彼女の名前を冠した一連の人形に、多くの人々が夢中なのだ。
「忌々しい」と、一度だけ彼女は人形を評して言った。
人形を壊すことが出来ない代わりに鏡の中の己の顔を割るのだろうと、私は推測しているが、本当の所はわからない。
 
私は彼女が家を出た後で、割れた鏡を片づけ、真新しい手鏡を伏せて置いておく。
まさか鏡も翌朝には割られる定めとは思ってもみないだろう。鏡とはいえ、気の毒なことだ。
私は鏡から破片を一つ摘み上げ、唇へ寄せる。血がにじむのも構わずに。
そして、部屋に一体だけ隠し持っている彼女と同じ顔の人形にくちづけるのだ。

今日は、買ってきたばかりの鏡を諸事情で割ってしまったので、こんな話になりました。

2012年9月15日土曜日

無題

そこは象の背中の上だった。「おはよう」と、象は鼻をこちらに伸ばして挨拶してくれた。


「ぼくはどうしてきみの背中に乗っているんだろう?」


象は「まあ、いいさ」とでも言うように、ゆっくり歩いている。明日はキリンかもしれないな。


こうしてぼくは毎朝違う景色を知る。



9月14日ついのべの日 お題


2012年9月13日木曜日

面

多面体の仮面を付けた男が面倒くさそうに歩いている。
彼は正義の味方だろうか、それとも……。
考えながら歩いていたら、電信柱に顔面を殴られた。


2012年9月10日月曜日

連れてゆく

 ある朝、まだ着替えないうちに、クマ氏がやってきた。
「お連れします」
 と言う。どこへ? こんな格好のままでよいのかしら? お財布は? 鍵は? 歯も磨いていないのよ?
 色々と質問が湧いてきたけれど、クマ氏は私に背中を向けて屈んだ。
 私は仕方なく、クマ氏の背中にしがみついた。
 よれよれの赤いチェックのパジャマのままクマにおんぶされる。
 クマの背中は広かった。
「私をどこに連れてゆくの?」
 答えを聞く前に、私は眠ってしまった。
 あんまりクマ氏の背中が頼もしいから、どこに連れて行かれてもいいような気がしている。


2012年9月6日木曜日

夜夜中

 夜が、夜中を迎えに行く。
 上手く夜中が見つかればよいけれど、なかなか見つからないこともある。
 そんな時は、夜はずっと夜中を探しまわらなくちゃならない。
 夜と夜中が無事に出会って夜夜中、ハラハラしていた月も安心して、しっとりと輝きを増す。


2012年9月3日月曜日

プラスティックロマンス

 陶製のお人形が落ちて粉々になったとき、幼かった私はもう人形など手に入れないと決めた。
 だが、両親は私の決意など露とも知らず、「これなら割れないから」とプラスティックの人形を買ってきた。
 それは、よく見かける塩化ビニルの弾力ある人形とも、もちろん陶製の人形とも違う、どこか未来的というか、SF(SFという言葉はもっと後に知ったのだけれども)の世界に暮らしているような雰囲気の、少年の人形だった。
 しかし、結局ほとんど遊ぶことはなく、人形は部屋に放りっぱなしになった
 時が経ち、周りの女の子が芽生えたての恋心を語り始めても、私には好ましい男の子が現れなかった。なんとなく置いてけぼりの気分が続いていたとき、部屋で埃をかぶっていた人形と目があったのだ。
 私は、人形の年頃に自分が追いついたのを知った。
 一番お気に入りのハンカチを水で絞ってくると、洋服を脱がせ、彼の体を拭った。埃がこびりついていた顔もみるみるうちにツルツルになり、心なしか顔色もよくなったような気がする。
 人形は存外に精巧な作りだった。両親がなぜこれを私に与えたのかと訝しみながら、なかなか彼の体を拭うのをやめることができない。


2012年9月1日土曜日

何の音だ

何の音だ?
雨の音ではない。

何の音だ?
足音でもない。
救急車も通らない。
シャックリをする人もいない。

何の音だ?
私は隣にいるはずの恋人に訊ねようとする。
「何の音だ?」
ひどく錆びた歯車が軋む音がするだけだった。
恋人が私に何か言う。
壊れた自転車のブレーキの音しか聞こえない。
相変わらず、何の音だかわからない音が聞こえるけれど、カラスのか細い猫撫で声で啼いているから、帰ろう。