2026年1月15日木曜日

暮らしの140字小説57

一月某日、晴。ドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」第一楽章の始めのホルンの音を合図に熱々のアップルパイにナイフを入れる。ところどころレコードがプチッと鳴る。紅茶がおいしい。アップルパイはすぐに食べ終わってしまったが紅茶は湧いて出てくるので、しっかり全楽章を聴いて、席を立った。

2026年1月6日火曜日

暮らしの140字小説56

一月某日、晴。正月には丸い餅と四角い餅を食べることにしている。丸餅は煮て、角餅は焼いて食う。両方の餅を食べるのは幾つかの事情と信条と心情を丸く収めた結果だが、丸でも角でも餅は美味いと毎年思う。ただし、丸餅は角餅に角を立てる。焼かれて膨れた角餅を嗤うのだ。丸餅を諌めるのも毎年恒例。

2025年12月31日水曜日

暮らしの140字小説55

十二月某日、晴。晒に鋏を入れる。新年から台所の手拭きとして使うのだ。長く売れ残っていたらしく袋には埃が積もっていた。中は綺麗なままだ、と買って帰った。晒は真っ白だが、やはり相当に年月を経ていたようで、時々飛び上がろうとする。「一反木綿の赤子め」と宥めながら、容赦なく手拭いに切る。

2025年12月24日水曜日

暮らしの140字小説54

十二月某日、雨。他に客のいないバスに乗っていると真っ白なケースに入ったチェロがひとりで乗り込んできた。あんまり寒そうなので帽子とマフラーをあげた。「よく似合ってる」と言ったら喋り出した。「今夜はクリスマスコンサートなんです」とチェロが言う。「誰に弾いてもらうかは、自分で決めます」

2025年12月23日火曜日

暮らしの140字小説53

十二月某日、晴。年賀の葉書を準備せねばと思いながら、日が経っている。葉書の手配を馴染みの郵便配達人に頼んでいた頃が懐かしい。今はほんの数枚しか出さないが、黄色い老風船には出さねばなるまい。風船への手紙は郵便風船が配達する。馬の切手を貼って、赤い風船に括って、乾いた青空に飛ばそう。

2025年12月18日木曜日

暮らしの140字小説52

十二月某日、晴。むかご飯を炊く。この家の周りでは見当たらないのだが、鳥が気を利かせて集めてくれたようだ。ベランダに散乱したむかごを見たときには何事かと思ったが。拾い集めたむかごを洗い、米と土鍋へ。塩も少し。土鍋の蓋がガタガタ騒ぎ出す。いつもよりうるさい。むかご入りが楽しいらしい。

2025年12月13日土曜日

暮らしの140字小説51

十二月某日、晴。小瓶が洗面台に落ちた。小瓶はゴミ受けを弾き飛ばし、排水口の中に吸い込まれた。浅いところで引っ掛かっているので割り箸でつまみ引き上げると、透明だった瓶は玉虫色に変わっていた。そもそもこの小さな瓶がいつから洗面所にいるのか何の瓶だかも判らない。何度捨てても戻ってくる。