2008年8月12日火曜日

泳ぐ人

「海は嫌いになっちゃった」
と彼女は言った。
夜の市民体育館の室内プールで、ぼくは彼女が泳ぐのを見ている。
非常口誘導用の灯りとアクリル張りの壁越しの月が、彼女の立てた水しぶきを照らす。
彼女は人魚だった。海水浴に来ていた僕を見初めたと言って、陸に上がった。
いまではすっかりきれいになった二本足で歩く。
けれども泳ぎは止められない。やわらかなバタフライ。
「海では、サトシにこうして見てもらえないから」
彼女は泳ぐ人で、ぼくは彼女が泳ぐのを見る人。
ぼくは彼女の泳ぎを見るのが好きだ。水中でのびのびと動く長い手足、競泳用のぴったりとした水着に包まれた胸やお尻のライン。彼女の泳ぐ音だけが、夜の室内プールに響く。
「ずっと、見ていてね」
しなやかなクロール。彼女の肩で、水滴がひとつ残らず球体になる。