2008年4月20日日曜日

ぬかるみを歩く

子供のころ、家の近くの雑木林の中に、沼があった。
ある日、ザリガニを釣りに行くと沼の上を歩く子供がいた。ぼんやりと眺めていると
「一緒にやろう」
と言われ、慌て裸足になった。
大人たちから沼には入るなと言われていたが、沈まないなら怖くはない。

沼は歩きやすくも歩きにくくもない、ただぬかるみを歩くだけだ。
時々、ちいさな硬いものが足に触るのでいちいち拾い上げてポケットにしまった。
ただ沼を歩いただけなのに、夢中になっていたらしい。日が傾き始め、きれいなままのバケツとザリガニを釣りの竿を持ち、子供にわかれを告げた。

あの時、沼で拾った硬いものは今も机の上にある。
洗いもせず乾いた泥がこびりついたままだが、人間の歯だ。大人の臼歯だ。
20年近く経って初めて気が付いたのは、生まれて初めて親知らずを抜いたから。
麻酔の切れ掛けた痛む頬を押さえつつ、あの沼に歯を返したい衝動に駆られている。