2005年12月29日木曜日

望みの雨

「こちらへどうぞ」
と扉の前に案内された。
町の真ん中に扉だけポツンと。だが、あるべくしてある、というようなたたずまい。
私はちょっと雨に当たりたかった。
頭を冷やすためのような気もするし、アンニュイな気分に浸りたいからかもしれない。
どちらにせよ、そんな気分になるのが馬鹿馬鹿しいような天気だ。
太陽はひたすらに照り、空はどこまでも青い。
扉を開けると、しとしとと雨が降っていた。
周りの景色は何も変わらない。ただ一歩前に出たかのように。
しばらく辺りを歩いてみた。どんよりとした雲、沈んだ町の様子、なにもかも希望通りの雨。
気付くと扉は失くなっていたが、私の心は晴れ晴れしい。

時空

「1779.6.18」
とシールが付いている。私の字だ。
小さな瓶の中にはこの日付けの雨が入っている。
未来の自分のために、私は雨を瓶に詰めたのだ。
これを飲むと、どうなるか……どうもなりはしないだろう。
何年も経った雨水だから腹を壊すかもしれないが、ほんのわずかな量だ。
一度下痢をするかしないか。

2005年12月27日火曜日

代償

「びしょびしょじゃないか。どうしたんだ?」
というと妻は困った顔した。
「だって……」
リビングが水浸しなのだ。
彼女が格闘していたのは、娘が作ったてるてる坊主である。
明日は遠足だというのに、昨晩からの雨が止みそうにない。
娘は真剣にてるてる坊主を作っていたそうだ。
ところが、どうしてもひっくり返って頭が下になってしまうというのだ。
妻は娘が寝てからも、糸を付け直したり、頭の詰め物を減らしたりと手を尽くした。
ようやく安定したてるてる坊主が出来上がり、窓際に吊すと途端に部屋の中で雨が降ったという。
「でも、うちの中で降っている間は、外の雨は止んでいるの」
妻の指は、逆さまにてるてる坊主を摘んでいる。
こうしていれば部屋の中では雨は降らないが、外はザアザア降りだ。
「どうしよう……遠足」
私は妻の手からてるてる坊主を取り上げ、風呂場に向かった。
私はてるてる坊主をシャワー掛けに吊し、入浴した。
雨とシャワーに降られたティッシュペーパー製てるてる坊主は、無残な姿で床に落ち
恨めしそうに私を見上げた。

2005年12月25日日曜日

すれ違い

煙るような雨だ。あまりに細かい雨で傘は何の役にも立たない。髪や服がじっとりと重たく、しみじみと寒いことだけが、雨の証。
さっきから僕の後をつけている人がいる。
何度か振り向いたけれど、煙雨が視界を悪くしているから顔は見えない。
思い切って回れ右をした。近づいて「何か僕に用ですか」と言ってやろう。
少し歩を速めて見たが、なかなか出会わない。
相手もこちらを向いて歩いているのに。
早く顔を見たくて小走りになる。
でも、距離は縮まらない。
息が上がるほど走っているのに、景色は変わらない。僕が吐く息よりも白く煙る雨のせい。
雨はまだ、止みそうにない。

2005年12月24日土曜日

佇む三輪車

驟雨の中、三輪車が途方に暮れている。
坊ちゃまは急な雨に驚いて走って帰ってしまった。果てさて、どうしたらよいものか。
坊ちゃまは大分大きくなったから、迎えにきてくださらないかもしれない。
昨日もパパ上に「自転車が欲しい」と言っていたっけ……。
三輪車は濡れた坂道を転がり出した。

2005年12月22日木曜日

ご自慢の傘

銀座の街を老紳士がフキの葉の傘を差して歩いていた。
仕立ての良さそうな服に包まれ、速くも遅くもない歩調で進む彼は、実に雨の銀座にお似合いだ。
「結構な傘ですな」
と話しかけると、老紳士はにっこりと微笑んだ。
「貴方こそ良い傘をお持ちじゃございませんか」
愛想のない黒い私の傘は、青々としたフキの葉になっていた。

2005年12月20日火曜日

雨呑み

じっとりと蒸し暑い雨が盛大に降る中しゃれこうべと出くわした。
汗と冷や汗と雨で濡れたシャツは肌に張り付いた。
しゃれこうべは、お喋りだった。
「こんな腐った雨の日だから俺はお前と話しができるんだ。カッカッカッ」
歯を鳴らしながら「幸運だ」と喜んだ。
「ケイサツに届けないと…」
とぼそぼそと言うと
「はあ?俺は死体じゃないぜ?」
と宣う。
雨は本当に腐っていた。鼻にツンとくる。息をするのも辛い。
「この雨は美味いぞ、呑んでみな。チーズのような…おい、アテはないか?」
呆れた僕は回れ右をして歩きはじめた。
「するめ買ってこいよ~雨が止む前に!」
ヤダね。

2005年12月19日月曜日

白い着物

早朝の天気雨はキツネが出るぞ、とすれ違いざまに老人が言った。
「は?」
振り返るとそこに老人の姿はなく、若い女がいた。
その白い着物が花嫁衣装だと気付くのに、ほんの少し間がかかった。
この子はどこぞの野郎と結婚するのだ、と理解しつつ僕は迷わず女の衿に手を入れ「死装束でなくてよかった」と呟いていた。
その途端、雨と女は消えていた。
手のひらには乳房の感触と金色の毛が残った。

2005年12月17日土曜日

昇りたい昇りに昇る

電信柱にしがみつく少年に尋ねる。答えはわかっていたが。
「何してるんだい?」
「雨、待ってんの」
「雨? 昨日降ったばかりじゃないか。」
「あれは違った」
少年の視線は雲を射るように鋭い。
「……ふーん。疲れないか?」
「ここは、すこし高いから。雨が来るのが見える」
「そうか」
私はそれしか言わなかった。少年を見て、私は四十年前の自分を思って笑った。こんなに間抜けな姿で雨を待っていたのか、俺は。
「じゃあな……雨、来るといいな」
「うん」
少年は私を見なかった。下を見ると怖いんだよな、と私は呟きながら立ち去る。

2005年12月16日金曜日

とまどいの傘

ジロじぃさんは、傘を杖代わりにして歩いている。
「よぉ! ジロじぃ。午後から雨だってよ」
と声を掛けると
「そりゃ大変!折りたたみ傘を持って行かねば」
と言う。
「傘なら持ってるじゃねえか」
オレがからかうとじぃさんは真面目な顔で
「これは杖! これをさしたら歩けないだろうが」
と言う。
午後四時、予報通りの雨の中、目一杯伸ばした折りたたみ傘を杖代わりにして歩くジロじぃさんがいた。

2005年12月15日木曜日

雨の日のおまじない

「ほら」
と雨の中駆け寄って来た彼女が手を開くと雨粒小僧がいた。
この同級生は、どうして僕にコレを見せるのだろう、と訝しがりながら
はじめて見る雨粒小僧にしばらく見とれていた。
小僧は不貞腐れた顔で胡座を掻いている。
「こいつの頭、撫でてみ」
と言われて僕は恐る恐る人差し指で小僧の頭を撫でた。見る見るうちに小僧の表情が和らいだ。
彼女は優しい顔になった雨粒小僧を左耳にグイグイと突っ込んでしまった。
「ナニしてんだよ?」
「これでキミの声がいつでも聞ける」
同級生はバシャバシャと水溜まりも避けずに駆けていった。

2005年12月14日水曜日

むかしばなし

森の中で雨が降って来たの。そうしたら、いつもは薄暗い森が、ぱぁっと明るくなった。
町で雨が降る時とは逆ね。町は雨が降ると暗くなるでしょ?
雨粒はキラキラ輝いてた。私は服を全部脱いで、雨を浴びたの。手足も顔も真っ黒に汚れていたからね。森の雨はどんなシャワーより気持ちよかったのよ。
身体もすっかりきれいになって、クルクル回ると、小さな虹ができた。だから何度も回った。ずっと回ってたら目眩がして倒れちゃった。
森の中で寝転んだことがある?繁った葉の合間から、光と雨粒が降り注ぐの。雨がやむまでそうしていたかったけど、邪魔が入ったのよ。がっかりでしょう?
続きは、パパに聞いてらっしゃい。

2005年12月13日火曜日

Rain‐Boots ☆Boogie-woogie

雨が降ると靴箱の中の長靴が騒ぎだす。散歩前の犬みたいに興奮する。
靴箱から出してやると長靴はタップを踏みはじめる。
実に軽やかでジェントルマンだ。右足と左足、息もピッタリ。
雲よりもどんよりとしていた僕もウキウキしてくる。
さあ、長靴くん! お気に入りの傘を持って雨の街に繰り出そう。

2005年12月11日日曜日

話の途中

 雨が降ったら、おしまい。
と言って、おじさんは紙芝居を始めた。
うさぎの耳の付いたシルクハットを頭に載せ、右手で紙芝居を、左手で台車に載った大きなオルゴールを操る。
音楽に合わせて調子よく紙芝居を読んだ。
おじさんの瞳は赤かった。この街は、いろんな色の目をした人がいるけれど赤い目を見たのははじめてだった。
 雨はなかなか降らなかった。
おじさんは昼は子供向け、夜は大人向けの紙芝居をした。
子供はきっかり7時で追い出された。
「時間だ!お家へお帰り、坊ちゃん嬢ちゃん。また明日」
大人ではなかったけれど子供でもなかった僕は追い出されずに済んだ。
夜の紙芝居を見る時、僕は自分の顔が赤くなるのを必死で隠さなければならなかった。
そんな時に目が合うと、おじさんの目はピカリと輝いた。
 雨が降ったのはおじさんが来てから8日目の夜中だった。
「雨が降ったからおしまい」
お話の途中だったのに、右手に傘を、左手に紙芝居を持って、オルゴールに跨がって赤い目のおじさんは消えた。

2005年12月10日土曜日

誰のおかげか

じいちゃんはその年はじめて降った雨水を溜める。
一月の雨、これ以上ないくらいに寒いのに傘も差さずに庭に出てガラスの器を置く。
溜まった雨水でじいちゃんは、墨をするのだ。
じいちゃんの字は自分でも読めないほど汚いのだが
雨水で書いたじいちゃんの書は、何百万で売れる。
俺には、さっぱりわからない。
じいちゃんも、さっぱりわからないそうだ。
ちなみに、じいちゃんが使っている硯と墨と筆は、俺の教材のお下がり(お上がり?)だ。

2005年12月9日金曜日

百年の恋

「モンドくん、モンドくん明日の天気はどうだね?」
とレオナルド・ションヴォリ氏が言うので主水くんは鉛筆片手に無線機に向かった。
主水くんは、熱心にノートに何やら書き留めてから無線機のスイッチを切り、ションヴォリ氏に告げた。
「博士、明日の降水確率は80%、薔薇の香りです」
ションヴォリ氏は飛び上がって喜ぶ。
「ほっほーい!」
翌日、薔薇の香りの雨がしっとりと降る中、ションヴォリ氏はばら色のスーツにばら色のレインコート
ばら色の長靴にばら色の傘を差し、薔薇の花束を抱えて、墓参りに出かけた。
初恋の人、ロザンナに会いに行くために。
レオナルド・ションヴォリ氏は、じいさんだ。
どれくらいじいさんかと言うと、年がわからないくらいのじいさんだ。

2005年12月7日水曜日

表情

銀杏の葉がすっかり落ちて、道が眩しい。
そこを目の前にして、僕は立ち止まる。昨日、雨が降ったから。
人に踏まれ雨に濡れた銀杏の葉に、僕の恋人は飲み込まれた。ちょうど一年前。
ぬぼぬぼ ぬぼ ぬぼ
一瞬前まで「黄色い道だよ」とはしゃいでいた彼女は黄色い道に沈んで消えた。
ここを通れば、彼女に会えるのかもしれない。
だけど、僕は行かない。
沈んでいく彼女の表情は、見たこともないくらい恍惚として醜かった。
僕はあんな顔をさせられないし、見たくもないから。
僕はくるりと向きを変えて歩きはじめた。
空が青い。

2005年12月5日月曜日

追い雨

突然の大雨で町はちょっとした騒ぎになった。
天気予報士は「一日中晴れ」と自信満々だったのに、この雨。
その雨の中を堂々と歩く紳士がいた。
傘はなく、スーツは色が変わり、歩く毎に靴から水が溢れる。
だがそれを気にする様子はない。
雨はそれが面白くて仕方ない。夢中で紳士を追い掛ける。

2005年12月4日日曜日

馬鹿げた話

「かたつむりが傘差して歩くくらい可笑しなことはないね!」
と親父が言った。
傘を差して歩く親父の禿頭の上をかたつむりが歩いている。

2005年12月3日土曜日

拾いもの

雨の日の晩に男の子を拾った。
段ボールの中でうずくまって震えていた。
髪から滴が落ち、頬は真っ白。
大きな黒目でじっとこちらを見ている。
連れて帰り、びしょり濡れた身体を拭いてやった。
いくら拭いても彼の身体は濡れたままだった。
タオルを何枚も使って身体中を拭いた。
男の子は黙って立っている。そういえばこの子の声を聞いていない。
タオルを持つ手にだんだん力が入らなくなってきて
「おかしい」と思った瞬間に、男の子は消えてしまった。
後には床の水溜まりとぐっしょり重いタオルだけ。
私は何をしてたのだろう。

2005年12月2日金曜日

紳士のたしなみ

前夜からの雨がいよいよ強くなってきた時、ウサギが訪ねてきた。
玄関を開けると、傘を差し長靴を履いたウサギがニッコリと微笑み
「とんだお天気で」
と言った。
ウサギも傘を差すのか、と感心しながら中へ招くと
ブルッと身震いして水しぶきを私に浴びせる。
「傘を差してきたのに、なぜ身震いするのだ」
と文句を言うと
「余所様のお宅に上がる時のエチケットだ」
とのたもうた。

2005年12月1日木曜日

退屈な雨の日

雨粒氏が言うには「アクビってのは実によくできている!素晴らしい!」
ぼくは、適当に相槌を打ちながらアクビをした。
「ハラショー!ブラボー!ワンダフル!」
雨粒氏が騒ぐからまたアクビが出る。

2005年11月30日水曜日

呟きは月に届く

さらさらと雨が降る晩、空には満月が煌々と輝いていた。
「夜の天気雨か」
と呟くと、いっそう月は明るくなり、雨は止んでしまった。

2005年11月29日火曜日

雨を飲む

 ぼくが雨を飲んでいるとほとんどの人が変な顔をする。もっともだ。ぼくはぐちゃぐちゃにぬかるんだ地面に
寝転がり、大口を開けて雨を飲んでいるのだから。
 たまに声を掛けて来る人もいるが、それは「具合悪いですか?救急車呼びましょうか」という台詞に限られて
いる。
 でも、この娘は違った。雨を飲むぼくの傍らにしゃがむと静かな、でもよく通る声で言った。
「おいしい?」
 ぼくが雨を飲んでいることに気付いた初めての人だった。
「わたしも隣で飲んでいい?」と言うのでぼくは驚いて起き上がった。
「やめなよ。服が汚れるし、風邪ひくかもしれない」 娘は、ぼくの忠告にお構いなしで、大の字に寝転んだ。
娘の顔が、足が、服が段々と濡れていく様に、何故か見惚れてしまう。
「どうしたの?一緒に飲もうよ、雨」
ぼくはもっときみを見ていたいんだとは言えずに、仕方なく寝転んだ。
「雨って同じ味のことがないんだ」
 だから雨を飲むのは止められない、とぼくが言うと娘はそうだね、と返した。
 娘は、いままでコップに雨を溜めて飲んでいたのだと語った。
「一度身体で雨を受け止めてみたかったの。コップで飲むのは、ずるいような気がしてた」
 娘が手を伸ばしてきた。ぼくはその小さな濡れた手を握りしめた。もうお腹が一杯だけど、雨はまだ止んでほ
しくない。

きららメール小説大賞投稿作

2005年11月28日月曜日

お役目ご苦労

夜中、小さな呟き声が聞こえて目を覚ますと
てるてる坊主が何事か唱えていた。
何を言っているのかわからない。
小さく、低くしゃがれていて、老人のような声だ。
「……では、あんじょうお願いします」
最後にこれだけ聞きとることができた。

駐車場で

猫が輪になって踊っているから、たぶん土砂降りになる。

2005年11月26日土曜日

旅の途中

十日間の滞在中、その町で雨が止むことはなかった。
「ずいぶんよく降りますね。晴れが待ち遠しいでしょう?」
と宿屋の亭主に言うと、彼は全く訳がわからないという顔して言った。
「ハレ? ハレとはなんだい?」
雨は匂いを変え、声を変え色を変えながら降り続ける。雨が止むなんて聞いたことがない、と亭主は言った。
「洗濯物が乾かないのではないか」と尋ねると大笑いされた。
町を離れる日、静かな雨が降っていた。
家々の軒下に、シャツや下着が心地良さそうにそよいでいた。
私は傘を閉じた。

2005年11月25日金曜日

雨干し

待ち望んでいた雨がやってきた。
女は一斉に外へ出て、服を脱ぎ捨て雨を浴びる。
男には苦痛でしかない雨。
それは痛くて強くて悲しすぎる。
声も出さずに身を縮こませて、ようやくやり過ごす。
雨が去り、女が戻ると家も町も、ほんのり色づく。
雨の香りを身に纏った女に抱かれ、男はようやく心安らぐ。

2005年11月23日水曜日

ピエロ

あんまり雨がおいしいので(ピーチ味だった!)グラスを持って街角に立っていたら
グラスには次々コインが入って、ちっとも雨は溜まらなかった。

2005年11月22日火曜日

濡れて

朝から降り出した雨は、地面を濡らすことができないでいる。
いくら勢いよく叩きつけても、どんなに時間をかけても
アスファルトも、庭も、傘も、濡れることはなかった。
アスファルトに落ちた雨粒は、音もなく消え
庭に落ちた雨粒は、染み込む前に乾き
傘に落ちた雨粒は、弾けて消滅。
一体何が雨を拒んでいるのだろう。
今日の雨はこんなにも優しいのに。
僕は息を潜めて窓から覗くことしかできない。

2005年11月21日月曜日

Lemon‐Rain

「雨がレモン色ならいいのに。あのコのスカートと同じ色の」
じめじめとした雨の日曜日、そんなことを思いながら歩いている少年がひとり。
「坊ちゃん、ちょっと雨を舐めてごらんなさい。レモン色ではないが、本日の雨はレモン味ですよ」
しずかに雨を降らせながら、呟く雨鬼がひとり。

2005年11月19日土曜日

雨とダンス

彼女は、雨が好きだった。
「どうして?」
「カラフルでしょ?」
僕にはどんよりとした冷たい雨しか思い浮かばない。

雨の朝、傘を差して踊る彼女がいた。
傘はオパールのように七色に輝いていた。
雨音は彼女のダンスに合わせて音色を変えた。
「ね?カラフルでしょ?」
一番鮮やかなのは、彼女の頬だった。

もう三日も雨が降り続けている。
テレビは、17回目の堤防の決壊を伝えた。
彼女はどこで踊っているのだろうか。
「やめろよ……なぁ? ……やめろったら!」
叫んでみても烈しすぎる雨音に消されるだけ。

雨の声

雨音が聞こえない。
こんなにも土砂降りなのに町はしん、としていた。
「声出して泣きなよ」って低い声がして、振り向いたら
乳母車に乗った赤ん坊が低い雲を指さしていた。
赤ん坊はさっきよりもっと低い声でもう一度言った。
「声出して泣いていいんだ」
途端、雨音で何も聞こえない。

2005年11月17日木曜日

Midnight-Rainbow

キナリは傘も差さずに土砂降りの町に飛び出した。
雨粒のリズムにピッタリ合わせてスキップしたから、
ちっとも濡れずに夜の虹をくぐる。

どうか、傘が溶けませんように

「雨がくるぞ!」
キュウカクが鼻をひくつかせて叫ぶ。
人々は、嬌声をあげながら大急ぎで建物の中に入り、傘を差す。

ぱらぱらぱらぱら
これは雨がやってきた音。ぱちぱちぱちぱち
これは人々が傘を差す音。

誰もいない大通り。
道が黒く濡れる。
木々は緑が濃くなる。
建物の窓から色とりどりの傘が見える。

「ほら、雨が来たよ……」
右手で傘を持ち左手で妻の肩を抱き寄せて、雨が通るのを眺める。
向かいのビルの窓、ヤンさん夫婦が抱き合ってる。実に器用に二人の身体で傘を支えながら。

2005年11月14日月曜日

操り人間と発条ネコその25

操り人間の後について歩くと、造作なくポスターを見つけることができたのでキンキュウジタイは助かった。
いくら操り人間の歩みが鈍いといっても、立ち止まってくれるわけではないのでキンキュウジタイは大急ぎで爪で引っ掻き、おしっこを引っ掛けなければならなかった。
安田はこの発条の町の出口を見つけた。
結局「いつでも緊急事態のネコ」を見掛けることはなかった。
ネコは何匹も見た。でも「緊急事態のネコ」かどうかわからなかった。
全匹発条ネコだったから。
キンキュウジタイは町を出る操り人間を追い掛けなかった。
たいやきは故郷のものが一番だとわかったから。
発条の町を出た安田は、石につまずいて転んだ。
木枯らしが安田を人形に還す。

おしまい

2005年11月13日日曜日

操り人間と発条ネコその24

「It's an emergency! 我が町からキンキュウジタイが消えたことは緊急事態である」
とポスターには書いてある。
キンキャウジタイは、ポスターを爪で引っ掻き、おしっこを引っ掛けた。
これから町を隈なくまわり、すべてのポスターに爪跡とおしっこを残さなければならぬ。
ポスターは目立たぬように貼ってあるので、捜すのは難儀だ。
26枚目のポスターにおしっこを引っ掛けている最中、キンキュウジタイは、操り人間を見つけた。
安田はたいやきの発条巻きに難儀していた。

2005年11月11日金曜日

操り人間と発条ネコその23

安田はこの町が騒がしいことに気がついた。
あらゆる方向からジギジギと音がする。
「これは……!」
安田は独りごちた。
「発条の町だ」
周り中の人や物が安田の声に振り向いた。人も家も自動車も発条仕掛けの町。
「みんな人形みたい……」
と安田はパンジーの発条を巻きながら思う。かつて操り人形だった安田も大差ない。
右手の糸がパンジーに絡まる。
キンキュウジタイは、自分に捜索願いが出ていたことを知る。

2005年11月10日木曜日

操り人間と発条ネコその22

塀を乗り越えて気絶して、四時間後に歩き出した安田は、発条ネコの姿を探した。
見失いはしたものの、発条ネコなどそうそういるものではない。
しばらく探せば見つかるだろう。
思い返せば「いつでも緊急事態のネコ」はいつもいつのまにか安田の傍にいたのだ。
ひたすらに歩き続けていた安田の傍にいたということは発条ネコもまた、歩き続けていたということである。同じ方角を見て。
安田は発条ネコの健脚に感心した。
彼は自分の歩みが遅いことを知らない。
キンキュウジタイは整備場に入っている。

2005年11月9日水曜日

操り人間と発条ネコその21

発条ネコがひょいと塀に上がり、その向こうへ降りていく。
安田はあたりを見回した。それは袋小路と呼ばれるもの。
回れ右をしてもときた道を戻るのは、安田には考えられない。
彼は塀を登るしかない。発条ネコを追うためではなく、後戻りを回避するために。
塀の向こうは別の町だ。
キンキュウジタイは、町の景色を楽しんでいた。
この町はすべてが懐かしい。
塀を登った安田は肩が抜けた。
彼にとって幸いなことに、塀の向こうに墜ちて、腰が回った。

2005年11月7日月曜日

操り人間と発条ネコその20

病院を出た安田は少し前を歩く発条ネコを見つけた。
「あ、『いつでも緊急事態』の猫だ」
安田はなぜ発条ネコが病院にいるのか、さっぱりわからないがとにかく後を歩くことにした。
キンキュウジタイは腹が減っていた。発条が切れて眠くなるのはいつものことであるが
腹が減ってふらふらになるのは久しぶりだった。
ミミズを踏みつぶしたことを肉球に感じながらたいやき屋を目指す。
安田はまだ、ほかほかのたいやきを11個持っている。

2005年11月6日日曜日

操り人間と発条ネコその19

発条ネコのキンキュウジタイは、救急車を先導している。
救急車の前を軽やかに走りながら自動車を薙ぎ倒す。
救急車は発条ネコをすごすごと追い掛ける。
発条が切れると救急隊員が素早く巻いた。
安田はうめき声をあげながら救急車に揺られている。
たいやきを食べ過ぎた。

2005年11月5日土曜日

操り人間と発条ネコその18

発条ネコは町中を歩き回っていた。
操り人間を知らんかね? と聞いて回った。
操り人間は発条ネコのすぐ後ろにいると誰もがすぐに気がついたが誰もそれを言わなかった。
その代わり、人々は発条ネコにたいやきを与えた。
ピンクや紫や青いあんこの入ったたいやきをたらふく食べてキンキュウジタイはうんざりした。
潮時だと思った。明日この町を出よう。操り人間のことは忘れて。
安田はピンクのあんこのたいやきを30個買った。

2005年11月3日木曜日

操り人間と発条ネコその17

気絶していた操り人間安田が、清掃員に起こされ三日振りに歩き出した。
空腹を覚えてたいやき屋に立ち寄ると、発条ネコが寛いでいた。
「あぁ、いつでも緊急事態の猫だ」
安田がたいやきを頬張っているとやおら起きて、あくびを一つして歩き出した。
安田は発条ネコの後をついていくことにした。
発条ネコは安田の後姿を探している。

2005年11月2日水曜日

操り人間と発条ネコその16

発条ネコのキンキュウジタイが戻ってみると
操り人間はまだ寝ていた。
キンキュウジタイがたっぷり昼寝をして、目を覚ますとやっぱりまだ寝ていた。
キンキュウジタイは操り人間に見切りを付けて歩き出した。たいやきを食べに。
安田は気絶している。

2005年10月31日月曜日

操り人間と発条ネコその15

発条ネコが目を覚ますと操り人間が傍で眠っていた。
安田は珍しくきちんと手足を伸ばして寝ている。
「今日は解いてやる必要はないな」
キンキュウジタイはたいやき屋を目指して歩き出した。
黄色い海を見下ろす街のたいやきは緑のあんが入っていた。キンキュウジタイはこの街が気に入った。
しばらくここにいたいと思う。
だが操り人間を尾行するのを止めるのは惜しい。
安田はまだ寝ている。

2005年10月30日日曜日

果たして僕らは仲良しだったのか

高層ビルの谷間を黒眼鏡をかけた蝙蝠が飛び交う。
ずいぶん明るくなっちまった、この海辺の町。
僕らは走る。足並み揃えて。
象は大量の女たちに揉まれて逃げ出した。足枷を引きずって。
僕らは走る。生まれたままの姿で。
レントゲンを撮ると、胃袋にニッポンの女の子が暮らしていた。
僕は走る。大きな蝋燭の傍をひとりで。
隣に乗り合わせた男がポルノ小説を読むので汽車の中で妊娠した。
僕らは走る。抜け駆けする奴らを放って。
黒眼鏡をかけた蝙蝠たちは、香水瓶に帰っていった。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
佐々木マキ「うみべのまち」をモチーフに

操り人間と発条ネコその14

操り人間安田が歩いていると、段々風景が変わっていった。
家の窓に剣が刺さり、木にはたわわに牛乳が実っていた。
芝生はピンク色で、ブタが二足歩行している。
安田はそんな光景に目もくれず歩いていた。
ただ、発条の切れたネコを見つけた時だけは立ち止まって、発条を巻いてやるのだった。
キンキュウジタイが目を覚ました時には、もう10メートル先を歩いていたけれども。

2005年10月28日金曜日

操り人間と発条ネコその13

安田が歩いていると目の前に海が現れた。
安田は迷わず海に入る。彼は後戻りはしないのだ。
海の中に入るとすぐに安田の細く糸の付いた手足は絡まり、その格好のままぷかりと浮いた。
「こうして浮いたまま寝ていれば、目が覚めるころには向こう岸に着くだろう」
発条ネコのキンキュウジタイは生まれて初めて海を見て溜息をついた。
発条が錆びる。

2005年10月27日木曜日

操り人間と発条ネコその12

キンキュウジタイは、真夜中の迷子とじゃんけんをしている。
真夜中の迷子はキンキュウジタイの発条をもう8回回した。
キンキュウジタイはとっくにじゃんけんに飽きている。
だが、そのおかげで今晩安田は悪夢を見ない。

2005年10月25日火曜日

メアリーポピンズみたいな

「知ってるか?タマネギを切ると涙が出るのは、」
と、わたしがタマネギを切る後から覗き込みながらケンちゃんが言う。うっとおしい。
「包丁持ってるヒトの回りでうろちょろしないの!」
ケンちゃんはもっともらしい冗談を言って、わたしを騙すのが好きなのだ。ときたま本当のウンチクが混ざるからタチが悪い。わたしが混乱するのを心底喜んでいる。知ってるか、が始まったら要注意。
「カンドーするからなんだよ」
「は?勘当?」
「感動」
ケンちゃんは、私の涙を人差し指で掬って、その指をチュウと音を立ててしゃぶった。
タマネギで感動するなんて、いくらなんでも有り得ない。騙されないぞ、と決意しながら
「どういうこと?」
と聞いてみる。
ケンちゃんは待ってました、って顔をして、指をパチンと鳴らした。メアリー・ポピンズみたいに。
それは本当にメアリー・ポピンズと同じだった。
わたしは、タマネギを刻みながら感動の涙を流していたんだ。
タマネギの歌は厳そかなハーモニーで、キッチン全体がその声に震えているのがわかった。
ケンちゃんがもう一度指をならすと、キッチンはもとのパッとしないキッチンに戻った。
「ケンちゃん、今の魔法?」
「知ってるか。タマネギを切ると涙が出るのは、タマネギの中のアリシンが」
「感動するから、でしょ」
今度はわたしが指で掬ったケンちゃんの涙をしゃぶる番。

きららメール小説大賞投稿作

操り人間と発条ネコその11

操り人間の安田はかつて操り人形だった。
どういう経緯で操り人間になったのか、安田は覚えていない。
しかし、操り人形だった時のことはよく覚えている。
安田は道化だった。操作する者(安田は親方と呼んだ)によって踊りがうまくなったり下手になったりした。どちらにしても、笑われるのだが。
安田は、自分で軽やかに踊る夢を見ている。大観衆から喝采を浴びている。

公園の真ん中でひっくり返っている安田の身体をキンキュウジタイが解いている。
それを見た人々は指を指して笑う。

2005年10月24日月曜日

操り人間と発条ネコその10

発条ネコのキンキュウジタイはたいやきが好きで、たいやき屋を見つけると必ず立ち寄る。
どのたいやき屋も心得たものでキンキュウジタイを招き入れると、たいやきをひとつ与え、油を注し、発条を巻き、ブラシをかける。
キンキュウジタイはたいやき屋で至福の時を過ごす。
キンキュウジタイが店の裏で発条を巻いてもらう間、たいやきを買いに来た安田は待ちぼうけを食った。

2005年10月23日日曜日

操り人間と発条ネコその9

操り人間の安田が歩いていると
「だるまさんがころんだ!」
と声がした。
思わず立ち止まり、ひとつ息をしたところで再び歩き出す。
「だるまさんがころんだ」
今度は構わず歩き続けた。
「安田さんが動いた!」
腰の抜けた安田を、はじめは大騒ぎで弄んでいた子らも次第に飽きて、ひとりふたりと散っていく。
日が暮れはじめて最後の子も帰っていった。
安田は腰を抜かした時よりも複雑な体位で眠りこける。
キンキュウジタイはだるまさんが転ぶと同時に発条が切れた。

2005年10月21日金曜日

操り人間と発条ネコその8

発条ネコのキンキュウジタイが赤い風船と遊んでいる。
キンキュウジタイが前足で風船を突くと、風船はキャアキャアと笑う。
キンキュウジタイが尻尾で風船を撫でるとヌムヌムと身をよじる。
風船はとうとう気が違ってきて
走っているダンプカーにぶつかった。
バン! と大きな音がしてキンキュウジタイは風船の最期を思った。
ところが壊れたのはダンプカーで、赤い風船は相変わらずヌムヌムと浮遊している。
安田は驚いた拍子に腰と膝と首が抜けた。

2005年10月20日木曜日

操り人間と発条ネコその7

発条ネコは発条が切れると動かない。
かつてキンキュウジタイは四年間眠っていたことがあった。
目が覚めると最前と景色が違うことにキンキュウジタイは笑ったものだ。
今、目の前にはぐにゃりと倒れた操り人間がいる。
キンキュウジタイは絡まった身体を解いてやる。
「世話のやける人間だ。」と思いながら、また後についていくつもりでいる。

2005年10月19日水曜日

操り人間と発条ネコその6

操り人間の安田は歩き続ける。
安田が行く処、すべからく未踏の地であるべし、である。
安田が夜の街で眠っている発条ネコを見つけた。
「よく見掛けるけれども、一度も動いているのを見たことがないネコ」である。
安田は「コイツはいつでも緊急事態だな。」と呟きながらキンキュウジタイのヘソについている発条のネジを巻く。
力を入れ過ぎて膝が萎え、その場に崩れ落ちて気を失った。

2005年10月17日月曜日

操り人間と発条ネコその5

安田が歩いていると、ごぼうが「コンニチハ、安田さん」と言った。
「こんにちは」と最高の笑顔で返してから
「はてな、ごぼうの知り合いはいたかしらん」
と考えていたら、転んだ。
背中の上に頭を乗せたまま、ごぼうの知り合いについて考えているうちに眠ってしまった。
キンキュウジタイは安田の22メートル後にいる。

2005年10月16日日曜日

操り人間と発条ネコその4

操り人間安田は真夜中の道端で転んで身悶えていた。
悶えれば悶えるほど手足は絡まるが、こんな田舎道、真夜中に通り掛かる人はいない。
安田は諦めて、右手が左足に絡み左足が頭に絡み右足が右手に絡み右手が左手に絡んだまま眠ることにした。
発条ネコのキンキュウジタイは安田の一部始終を見ていた。
難儀な人間であることよ、とキンキュウジタイは考えた。
キンキュウジタイは尻尾を巧みに使い安田の手足を解いて、その場を去った。

2005年10月15日土曜日

操り人間と発条ネコその3

キンキュウジタイが歩いているとしばしば時限爆弾騒動が起きる。
キンキュウジタイは、騒ぎの周囲でうろつき回って慌てている人間どもを見物した。
しかし、次第に発条が切れてきて眠くなる……。
何者かによって発条が巻かれたキンキュウジタイが目覚めると時限爆弾騒ぎはすっかり収まっていた。

2005年10月14日金曜日

操り人間と発条ネコその2

安田はしばしば自分の手足についた糸が絡まって、甚だしい格好になる。
たった今、安田は段差に躓いた。
安田は周囲の人に助けを求める。
はじめはひとりか二人だったのが次第に人数が増え、知恵の輪に興じるがごとく色めきと苛立ちで安田に取付く。
安田は身体を玩ばれながら、詫びの言葉を繰り返す。
「まことにお手数をおかけまして……」
その表現は正しい。

2005年10月13日木曜日

操り人間と発条ネコその1

操り人間の名前を安田という。
操り人間とは、何か。
操り人形ならご存知であろう。マリオネットである。
操り人形の人間版が操り人間。至極明解。

発条ネコの名前をキンキュウジタイという。
発条ネコとは、何か。
発条仕掛けで動くネコである。スプリングキャットといえば、お解りか。至極単純。

2005年10月12日水曜日

金色のまどろみ

ココア湖のほとりできみと、ほお擦りしあった。
きみの頬っぺたはマシュマロみたい。
きみが照れた。ぼくも照れた。
マシュマロがココアに飛び込んだ。
温かいココアの中でマシュマロがとろける。

【金色】

2005年10月11日火曜日

最初の審判

臍の緒を腹からぶら下げたまま、その人はローズグレー色の目玉で私の顔を見つめている。
思慮深く冷静な視線で、私は観察された。

新生児の泣き声がする。

【rose grey C0M10Y20K50】

2005年10月9日日曜日

ウィスタリアのライン

 八歳の時、好きな子がいた。年下の子供だった。初恋と呼んでよいのか、どうか。
 ある日、ウィスタリアの三本のラインを地面に見つけた。あまりにもきれいだったのでラインを辿って歩くと三輪車に乗った子供がいた。
ドキドキした。
「見つけた」と思った。
その子が通ると、地面には三本のウィスタリアのラインが残るのだった。それはつまり、三輪車タイヤの跡なのだけれど。
 あの子に会いたいときにはウィスタリアのラインを辿った。あの子を見つけるといつもドキドキした。そして、後について歩いた。
時々あの子は振り向いて、笑った。
その瞬間だけ、ウィスタリアは途切れた。
もっとドキドキした。

【wistariaC50M45Y0K0】

2005年10月7日金曜日

お茶の時間

カップの中に、セルリアン・ブルーの小さな湖が広がった。
香りと味は、セイロンティーのそれなのに、何度も瞬きしても色は変わらない。
テーブルの向こうに座ってお茶を飲んでいる人形の瞳と同じ色だ。

【cerulean blueC80M0Y5K30】

2005年10月5日水曜日

天馬

「エルム」と私は馬を呼んだ。エルムグリーンの毛色をしていたからである。
エルムは年寄りの牝馬だった。ある日突然ひとりでやってきて、何十年も主がいない我が家の馬小屋に住み着いた。
エルムは無口な馬だった。声も滅多に出さず、気配も淡かった。
エルムに乗って草原へ入ると彼女の体は草葉に紛れ、
私は広大な草原を独りで浮遊しているような心持ちになった。
そんな時は半ば縋るようにエルムの首筋を撫でたものだ。
そうして自分とエルムが生きて確かめた。何度も何度も確かめた。
エルムと過ごした時間はそれほど長くはない。我が家へ来た時、すでに十分年を取っていたのだ。
だがエルムは、私の前では死ななかった。
一晩で羽根を生やし、最初で最後のいななきを響かせ、軽やかに飛びたっていったのだ。

【elm greenC0M0Y80K40】

2005年10月4日火曜日

毛糸玉

メイズ色した毛糸玉が籠山盛りにできた。
三年かけてやっとこさ貯めたタマネギの皮で染めたのだから玉蜀黍の色なんて言うのは笑っちゃうけど
出来上がった毛糸はメイズと呼ぶのにふさわしいような、ぽかぽかしたかわいらしい黄色になった。
猫が早速、籠の中に入ってじゃれている。

【maizeC0M15Y70K0】

2005年10月2日日曜日

涙の効果

褪せたセピア色の写真を見せると、祖母は泣いた。
涙は頬を伝って落ち、写真を濡らし
「ありがとう、もう十分」
とだけ言って写真を私に返した。
私の手には、鮮やかな天然色の祖母の青春があった。

【sepiaC0M36Y60K70】

2005年10月1日土曜日

外国から届いた手紙の話

「キナリ、手紙だよ。プキサからだ」
と船旅から帰ったばかりの船長が封書を差し出した。
長い名の絵かきは、異国へスケッチ旅行に出掛けている。
「あれ? 外国語だ……船長読んで」よし、と船長が読みはじめる。
「親愛なるエクルへ。ナンナルやチョット・バカリーは元気かい? こちらは寒い日が続いています。ヌバタマが喜びそうなおいしいミルクを毎晩温めて飲んでいます。――今日描いた小品を同封します。今暮らしている部屋から見た風景だよ。満月の晩に。プキサより」
少女は尋ねる。
「エクル? キナリに来た手紙じゃないの?」
「もちろんプキサがキナリに書いた手紙だよ。エクルはフランス語でキナリという意味だ」
「エ、ク、ル……エクル……」
少女はその名前が「キナリ」の次に気に入った。
「ねぇ、ナンナル。エクルって呼んでみて」
月は、ひどく照れた。

【ecru beigeC0M8Y20K4】

2005年9月29日木曜日

野道を駆けるションヴォリ氏

レオナルド・ションヴォリ氏はじいさんで、カーマイン色のスクーターに乗って野道を疾走する。
おんなじ色のヘルメットとゴーグルとライダースーツを身につけ、「らったったった」と野道をかける。
驚いた案山子がひっくり返るのを見てションヴォリ氏は大喜び。

【carmine C0M100Y65K10】

2005年9月28日水曜日

ヌバタマの独白

漆黒の夜は二百十日続いた。
月も星も電灯もない。
輝くのは夜と瞳だけ。
夜はそれだけでつややかだった。
今晩は最後の漆黒。明日からは、また何事もなかったように月が満ち欠けするのだろう。
ナンナルが長い旅に出ている間、キナリはずいぶん髪が伸びた。
鶸色の瞳も、夜を重ねる毎に黒くなった。
皮肉だね、漆黒の夜が一番似合う娘になったよ。

【漆黒C50M50Y0K100】

2005年9月26日月曜日

秋の日の出来事

松田タケオ
表札を確認して声を書ける。
「ごめんください」
「はーい!」
ずいぶんかわいらしい声だと思ったら
煤竹色のちゃんちゃんこを来た女の子が出て来た。中学生だろうか。
「タケオさんはご在宅でしょうか」
「父は夜まで帰りません」
言い振りは大人だが、瞳は見知らぬ訪問者への好奇心で溢れている。
「では……」
「留守番退屈なんだ。おじさん、遊んでよ」
おじさん…はじめて面と向かって言われた言葉に一瞬動揺すると
それを狙っていたように、娘は着ていたちゃんちゃんこを素早く脱いで私の頭に被せた。
「捕まえた!」
煤竹色だったはずなのに、目の前は明るい桃色だった。
何をするんだ、と言おう息を吸い込んだら、桃より甘い少女の匂いにむせ返る。
えぇい、どうにでもなれ。

【煤竹色C0M30Y30K72】

2005年9月25日日曜日

空の風呂敷

深川鼠に朱色の水玉の風呂敷―一体どこでこんな柄の風呂敷を売っているんだが―を持って、八年ぶりに弟は帰って来た。
「ただいま」
と言うなりその趣味の悪い風呂敷の包みをどさっと降ろし、それを開いた。
中は、空だった。
弟が見ていた海の向こうの空模様は、風呂敷よりもけばけばしく、それでいて魅惑的だった。
じっと空を見下ろしている私に
「どうしても、持って帰りたくて」
と照れ臭さそうに笑った。
深く息を吸い込む。これが弟を魅力した空の匂い。

【深川鼠C20M0Y30K33】

2005年9月24日土曜日

さあ、眠りたまえ

滅紫色の長櫃が届いた。
「ご苦労さま」
担いできた若者二人は、ペコリと頭を下げると
荷物は何もないのに、エッサホイサと帰っていった。
長櫃の中には、人形が入っている。フランス人形、日本人形。小さい人形、大きい人形。何体あるのか、数えたことはない。
長櫃を滅紫に塗ったのは、彼らが暴れないように、人形の気配が外に漏れないようにするためだ。
色々と試した末に滅紫になった。
人形を閉じ込めて眠らせておくのは、心が痛む。
だが、彼らは私の精気を吸い取っていくのだ。
殺さないだけ、いいでしょう?
【滅紫C15M50Y0K70】

2005年9月22日木曜日

シオン色のブタちゃん

シオン色のブタちゃんが夕焼け空を飛んでるよ。
ブタちゃんがお空を飛ぶから、お庭のジョウロもついでに浮かぶ。ぷかぷか
だからきっと、夜には雨が降るよ。
おやおや、お空はブタちゃんを先頭にジョウロの行列だよ。ぞろぞろ
きっと今夜は土砂降りだ。

【紫苑色C40M40Y0K30】

花戯れ

隣の家の幼い娘は、紫色の長い髪をしていた。
楝の花で染めるの、と少女は言った。
「五月になったら染めるの。見る?」
私は、「是非」と答えた。
五月のある日、少女は井戸水で念入りに髪を洗った。
真っ白になった髪を日なたで乾かしながら、私たちはとりとめのない話をした。
髪が乾くと、少女は服を脱ぎ裸になり、花をつけた楝の木に登った。
伸びやかに四肢を動かし、するすると登る姿は、あまりにも眩しい。
しばらくして降りてきた少女の髪は、見事な紫色に染まっていた。
素裸のまま私の前に立ち「今年はうまく染まったよ」と笑う瞳は、先よりも少し大人になったような気がする。

【楝色C40M42Y0K0】

2005年9月20日火曜日

名月の晩の話

九月の満月が藍錆色の影を作るので、街行く人がみんなフワフワしている。
「きれいだろう。年に一度だからな」
人々の影を眺めながら、小父さんは満足そうだ。
おかげでぼくは、スキップで歩かなければならないんだけれどね!

【藍錆色C70M60Y0K30】

2005年9月18日日曜日

転校生

転校生は「ブラスバンド部に入りたい」と隣の席のわたしに言った。
「わたしもブラバンだよ。学活終わったら、一緒に行こう」
転校生は、さも当然だという顔をしてにこりともしなかった。
音楽室には一番に着いてしまった。まだよくしらない男の子と二人きり…あとから来たみんなに何を言われるか。
わたしの心配を知ってか知らずか、彼は細長い黒いケースを出した。
フルートだ。
慣れた手つきで楽器を取り出す。
「あ!」
転校生のフルートは青かった。
「珍しい?縹色のフルート」
わたしの声に転校生がはじめて笑った。
返す言葉が出ない。あまりにも驚いたから。それを構えた転校生の姿が、あまりにも美しいから。
「ハナダイロ」の上で転校生の白い指が踊っている。
なぜだか音が聞こえない。

【縹色C70M20Y0K30】

2005年9月16日金曜日

七ツの星は天に輝く

部屋の中を歩いていた虫を危うく踏み潰すところだった。
逃がしてやろうと拾いあげると、この虫、青い。青いてんとうむしだ。
「ほんとうにてんとうむし?」
「失敬な。確かにナナホシテントウですよ、ぼくは」
「しゃべった」
「これまた失敬な。なんて失礼な人でしょうね、あなたは。私は天色のナナホシテントウ。たいていのナナホシテントウはお天道様の赤い色ですが、時々、天の色が生まれるのです。ぼくのような」
「アマの色……」
「失礼な上に頭の回らない人だな。天。天空ですよ、宇宙ですよ。この美しいぼくの色」
そう言っててんとうむしは、私の手の平から飛び立った。
まったく失礼はどちらやら。

【天色C55M10Y0K0】

2005年9月15日木曜日

ある晴れた朝

納戸色の雲がぽっかり、浮かんでいる。
ストローを空に突き刺して、納戸色の雲をズルズル啜った。

【納戸色C82M0Y22K40】

2005年9月13日火曜日

染色

「さあ、こちらへ」と兎が扉を開けると、そこは常磐色の部屋だった。
常磐色の天井と壁、常磐色のソファーと常磐色の
「ここで何をするの?」
「あなたは、ソファーでゆっくり休めばいいのです」
私がソファーに腰を沈めると、足元からじわじわと常磐色になっていった。
黒いスカートも、紅梅色のシャツも常磐色になって、私は部屋に溶け込んだことを知る。
頭では怖いと思いながら、それを上回る心地よさに、私は目を閉じた。

【常磐色C82M0Y80K38】

2005年9月11日日曜日

英国人と思われる男が萌黄色の背広を着て、ステッキをついてやってきた。
「ごめんください」
と彼はなんの訛りもなく言った。
「お宅のお風呂を通らせて下さい」
「は?」
「わたくしが進むべき道と、この家の風呂場が重なっているのです。ご迷惑はかけません。通るだけですから」
私はよくわからないまま「どうぞ」と言った。
すると彼はその眩しい色の背広の内ポケットからハンケチを出して、靴の裏とステッキを丁寧に拭き始めた。
我が家の床よりあなたの靴の裏のほうが、ずっときれいです…と言いそうになったが、黙って見ていた。
ハンケチを畳み、ポケットに戻すと、彼は迷わず風呂場に向かい、扉を開け
「お邪魔しました」と頭を下げ去っていった。

【萌黄C38M0Y84K0】

2005年9月10日土曜日

じいさんのノート

異様な感触に一度手を引っ込める。
「あった……」
物置の奥から、ヌルリとした海松色のノートをようやく見つけた出した。
生暖かく濡れているような触り心地で、気色が悪い。何年もほったらかしのはずだが、埃はほとんどついていない。
じいさんが言うことは本当だった。
「物置にヌメヌメノートがあるから取ってこい。中は見るなよ」
全く意味がわからないと文句を言いながら、仕方なく物置を漁っていたのだった。
早速じいさんにノートを差し出すと、見たこともないような顔で喜んだ。
「で、それ何?」
「ヌメヌメノート。触るといい気持ちだ」
じいさんは、肌身離さずノートを撫で回している。
オレはその姿を見て自分の顔が歪むのを感じた。、
ノートには、たくさんの裸婦像が描かれているのを、しっかり見たのである。

【海松色C0M0Y50K70】

2005年9月9日金曜日

お出かけ

「明日の朝、迎えに参ります」と兎が言う。
翌朝、やって来たのは刈安色の自動車だった。
兎があまりにも怪しいので、乗り気ではなかったが
その自動車を見た私は、そんな気持ちをすっかり忘れてしまった。
「さあ、出掛けましょう」
兎は荷物をトランクに、私を後部座席に乗せた。
シートもハンドルも刈安だった。
兎は運転席に座るともう一度言った。
「さあ、出掛けましょう」

【刈安色 C0M3Y65K8】

2005年9月7日水曜日

16歳

初めて出会ったとき彼女は16歳だった。
彼女は空五倍子色の霞を漂わせていた。
「何か辛いことがあったの?」
と聞かずにはいられなかった。若い子には珍し色だから。それが僕の真ん中をひどく悩ませたから。
「そんなことない、です」
遠慮がちな彼女の声に合わせて、空五倍子色が僕の鼻腔をくすぐった。

【空五倍子色…C0M15Y40K50】

2005年9月5日月曜日

変わらぬ香り

ケガをした僕に二宮さんがくれた白いハンカチは、ずいぶん色が変わってしまったけど
いまも二宮さんと同じ匂いがする。

【薄香 C0M7Y25K5】

2005年9月3日土曜日

リスの栗梅

「おーい!クリムメや、クリムメや」
私が呼ぶと森の奥からリスが現れた。
「ご機嫌うるわしゅうございますね、タカシ」
クリムメは、私がリスに付けてやった名前である。
『お前は毛並みが美しいからして、クリムメと呼んでやろう。栗も梅も美味なる実を結ぶ』
初めて会った日に私がこう言うと、栗梅はたいそう喜んだ。
「本日のご用向きは何でございますか、タカシ」
「明日の風向きを教えて欲しい」
「明日は…北西の風、ケンジロウは機嫌好し、オカルは持病の癪、キンジは憂い気味、コウスケは穏やかな心持ち」
「そうか…オカルに会うのは止めておくとしよう。癪のオカルはオッカナイ」
クリムメは、ペコペコと頭を下げて森へ帰っていった。

【栗梅 C0C70Y70K53】

2005年8月31日水曜日

ベニ子を探して

ぼくは、褪紅色の小さな足跡を追い掛けた。
「ベニ子、どこまで行ったの?ベニ子、迷子?」
涙目になって妹に訴えられたら探さないわけにはいかない。
セミの死骸の上、輝くボンネットの上、褪紅の点が続く。
その時、まさに褪紅色の影が視界の端を横切った。
「ベニ子!」
ぼくは餌袋を振り回しながら、ベニ子に近づいた。
「にゃおん」

【褪紅 C0M30Y20K10】

2005年8月30日火曜日

トースター襲来

苺色した外国製のトースターが、我が家の食卓に襲来したのは、今日の午後四時だった。


【苺色 C0M70Y35K30】

2005年8月29日月曜日

桜色の傘

バス停に向かうと並ぶ傘の中にひとつ、桜色の大きな傘がいた。
台風が近づいた暗い朝の中、そこだけふんわりとしている。
……こんなに淡くはかなげな色の傘は、雨の日に使うのが勿体ないようだな。
桜色の傘の持ち主は、立派な白髭のおじいさんだった。ぼくは、おじいさんの後ろの席に座り、通路側の手で握られた桜色の傘を見つめていた。すぼまった桜色の傘から滴る水は、なんだかとてもきれいだ。
バスを降りる時、おじいさんは振り向いてぼくに笑いかけると、桜色の傘でぼくの黒い傘をちょんと突いた。
黒いぼくの傘は、見る見るうちに桜色に染まった。
【桜色 C0M7Y3K0】

2005年8月28日日曜日

 13才の13月13日、朝起きるとあたしは、巨大なパビムンだった。
溜め息が出た。
無理矢理ベッドを抜け出ると、ママは無言であたしを抱きしめた。
あたしは大暴れして、外へ飛び出した。
 外は、よく晴れていた。
あたしは道路に仁王立ちになって道行く人を睨みつける。
パジャマのままのパビムンなあたしを、みんな見て見ない振りをしてる。
 いくら待っても、誰も立ち止まらない。
血溜まりの中、あたしのパビムンは急速に縮んでいく。
血溜まりが深いから、長靴が欲しいよ、と小指の爪くらいになったパビムンに言った。

2005年8月26日金曜日

手紙

ぼくはいつもパビムンに手紙を書いた。
パビムン、今日はいい天気です。
だけどぼくはパビムンがどこに住んでいるのか知らない。
パビムン、明日は誕生日なんだよ。11才だ。
だから宛先は書けない。
グランドで転んじゃった。
手紙は机の引きだしの中。
パビムンは森に入ったことがある? 暗い夜の森。
真っ白の封筒が百通たまった。
天国の天国はどこにあるのか、知ってる? パビムン
本当はパビムンなんていやしない。
珊瑚礁が見てみたいんだ。
だって、ぼくが妄想で作った友達だから。
たくさん血が流れた。
万が一いたとしても…パビムンはぼくを知らない。
パビムン、君への手紙は全部焼けました。

2005年8月25日木曜日

パビムン風

夏に吹く湿った風をパビムン風、と土地の人は呼んだ。
乾いたこの地に湿った風が吹く理由は、まだ解明されていない。
荒涼とした大地と羊の群を見渡しながら
パビムン風を胸いっぱいに吸い込む。
「パビムン、とはどういう意味ですか?」
尋ねると男は羊の群を従えながら答えた。
「昔、ここにパビムンという名前のじいさんがいた。パビムン風は、パビムンじいさんと同じ匂いがするんだ」

おねだり

パビムンを頂戴。
アンタが持っているその黄色の緑マーブル模様。
触らせて頂戴。
ブヨブヨしてるんでしょう?
聞かせて頂戴。
電子の虫がうごめく音で、ゾクゾクしたいの。
匂いを嗅がせて頂戴。
古いゴムみたいな匂いが忘れられない。
舐めさせて頂戴。
甘くてブツブツしてるの、知ってるんだから。
ね? はやく、パビムンを頂戴。

2005年8月24日水曜日

パビムン王

パビムン国のパビムン王である。
王は薄暗いカビの生えた城に暮らしているので
家来は昼間でも燭台を片手に働いている。
パビムン王は、薄暗い城内を燭台も持たずにトッテラ・トッテラと歩きまわり、すれ違う家来を「ばあ!」と脅かす。
パビムン王は二歳四か月。

2005年8月23日火曜日

パビムン・パビムン

「ただ、パビムンだったのさ……」
男はそう言ってシワだらけの顔を歪ませた。
その顔は笑っているようにも、泣いているようにも見えた。
私は男の節くれだった手にくちびるを寄せ、家を出た。
空には三日月が三つ。

2005年8月21日日曜日

パビムン音頭

夕刻、帰り道。なにやらお囃子のような音が聞こえてきた。
盆踊りのお稽古かしらん…はて、この近所に夏祭りなんかあったっけ?と、思いながら耳を澄ます。
「パビムンパビムンスッテンテン」
と聞こえてきた。「パビムン?」私は音を頼りに家とは逆方向に歩き出した。
「パビムンパビムンツクテンテン」
音がいよいよ大きくなり、私は野原に出た。
大音量で「パビムンパビムン」が流れる古びたラジカセが、野原の真ん中にぽつんと置かれている。
私はラジカセに近づき、しばらく眺めていた。
「いつかテープが終わるだろう」と思ったがパビムンは終わらない。
「テープを止めてやろう」と思ったが、ラジカセの大きなボタンはサビとホコリで動かない。
私は「パビムン音頭」の振りを考えることにしたが、これはうまくできた。
パビムンパビムンスッテンテン

2005年8月20日土曜日

パビムンとギュヒチ

「あ、パビムンだ」
と息子が指差した先には、石ころがあった。
「へぇ、これがパビムン?」
「ほら、ここがパビムン」それは私が子供のころ「ギヒュチ」と呼んでいたものだった。
「これはギヒュチだよ。パビムンはこっち」
「ちがうの! これがパビムンなの!」

2005年8月18日木曜日

パビムン列車

寝台列車に乗るのは、15年振りだ。
時間に余裕があったから、あえてゆっくりの旅を選んだ。

文庫本を閉じて周りの様子を伺うと皆寝静まっているようで寝息やイビキが聞こえてきた。
酒を飲んでいる者など一人もいない。
まだ11時を過ぎたところだ。皆ずいぶん行儀がいい。
明朝7時には目的地の「ハテム」に着くはずだ。
私は周囲の寝息をBGMに目を閉じた。

朝日を感じて目を覚ますとずいぶん賑やかだった。
カーテンを開けると「兄ちゃん、ずいぶん寝坊だね!」と向かいの男に言われた。
男はすっかり身支度ができている。
「もうすぐパビムンに着くんだぜ! あの、パビムンだ」
紅潮した男の顔を私は見つめ返した。
「パビムン? ハテム行きのはずだが」
と私が言うと、男はあからさまに嫌な顔した。
パビムン……昔話に出てくるおとぎの町だ。堕落した男が辿り着いた理想の町。
汽車が止まり、私はホームに降りた。
深呼吸すると、空気は妖しく甘かった。
振り返ると線路はなかった。

2005年8月17日水曜日

パビムンウイルス

新しいウイルスは「パビムン」と名付けられた。
鮫肌医科大学のジョンソン教授は
「体内に侵入したパビムンは、脳内でパビムン革命を起こす。パビムン革命が成功すれば、その人はパビムン体質となりパビムン的効果を得やすくなる。もし革命が失敗すれば、抗体によって以後もパビムン体質になることはない。そればかりか、鼻糞がちょっと増える」と説明した。
「ちょっと増える、とはどれくらいですか?」と、新聞記者が尋ねた。
「ちょっと、です。パビムンですから」

2005年8月16日火曜日

鮫肌デパートのパビムン

ぼくの町の「七不思議」の一つに『鮫肌デパートの北エレベーターに四階から乗るとパビムン』
というのがある。
これにはいくつか条件があって
・昇りであること
・誰もいないエレベーターに乗ること
・お昼の十二時台であること
以上をすべてクリアしなくちゃいけない。
ぼくはこの手の話は信じないタイプだが、どうしても「パビムン」が気になっていた。
誰に聞いても「パビムン」が何かわからない。辞書にも載っていない。
 ぼくは夏休みを使って鮫肌デパートに通った。
四階の北エレベーターの前に立ち、「△」ボタンを押し続ける。
開いた時に人がいてはダメだ。中の人に「あら、乗らないの?」なんて言われて気まずくなってもガマン。
一時間はあっという間に過ぎていく。
そしてまた、ドアが開く。
誰もいないエレベーター。
初めてのチャンス。
「パビムン」

2005年8月15日月曜日

パビムンに塗れる

「ふぅ」と息をついてサキは蛇口を捻った。
サキの身体が湯気に包まれる。
サキはしばらくシャワーに当たっていた。
鎖骨の辺りにシャワーを受け、その刺激と音に身を任せていた。
眠ったわけではないだろうが、ずいぶん時が経ったことに気付いたサキは
思い出したようにボディソープに手を伸ばし、身体を洗い始めた。
左腕、右腕と洗い、胸元までくるとスポンジを握りしめて強くこすった。
サキはケタケタと笑った。
身体をこする強さに比例するかのように笑い声は大きくなった。
白い泡に潜んだパビムンにまみれたサキは、身体をくねらせながら、笑い続けた。
頭の何処かで「パビムンに犯された」とわかりながら笑うのをやめることができなかった。

2005年8月14日日曜日

幻の酒パビムン

パビムンと呼ばれるその酒は、年に三本しか造られない。
造っているのは、小さな島に住む老人である。
三本のうち、一本は老人自身が飲み、一本は海に捧げられ、最後の一本が「誰か」のところに届く。
届けるのはウミネコとネコの役目である。
青黒く、とろみがあるが香りはあくまでも爽やか
という評は、去年ネコの訪問に預かった無口で有名な鍛冶屋のボブの談である。

2005年8月13日土曜日

妖怪パビムン

夏だからオバケの話をしようか。
ぼくの住む町にはパビムンという妖怪がいる。
パビムンはおかしな妖怪だ。
顔は緑で手足はびよーんと長くてピンク色、一つ目でツルッ禿、尖った細かい歯で「カコカコカコカコ」って笑う。
まあ、見るからに妖怪だ。
どこがおかしいかと言うと、町の誰もがみんな見たことがある「珍しくもなんともない妖怪」なんだ。

2005年8月11日木曜日

rain

今日もパビムンな雨が降る。
お気に入りのレインコートを着てレインブーツを履いて、わたしは買い物に出掛ける。
パンは今朝食べ尽くした。
アパートの階段を降りたところで空を見上げてから
レインコートのフードをすっぽり被り、雨の中に入っていく。
雨音が消える。
だってパビムンな雨だもの。

2005年8月10日水曜日

パビムン畑

少し郊外に出ると、そこにはパビムンの畑が広がっていた。
パビムンというのは、この地でしか採れないらしい。
一面のパビムン畑は、異様な光景である。
恐ろしくて逃げ出したくなる衝動に駆られながら、私は畑の中を歩いた。
写真を撮り、栽培者に話を聞かなければならないのだ。
だが、畑に入ってから人間の姿は見当たらない。
私は改めて景色をゆっくりと眺めた。
まず、この匂いが耐えられない。
青々とした畑は、焦げ臭かった。逃げなければ焼け死んでしまいそうだった。
花は目玉にしか見えない。
風に揺れる幾千万の目玉。
「あ……」
私は、たぶん気絶する。

2005年8月8日月曜日

バビムン遺跡

その奇岩地帯に遺跡が発見されたのは、つい半月前のことである。
ツルツルしたドーム型の岩がそびえ立つその一帯に、人間が都市を作っていたとは誰も想像していなかった。
なにしろ岩の上は滑りやすく、岩の下は狭すぎて
珍しい景色にも関わらず人々は近寄ろうとしないのだ。
年に一度か二度、冒険家が転落死するニュースで
人々は奇岩地帯があったことを思い出す。

遺跡は「パビムン」と名付けられた。
都市は、岩の内部に作られていた。
奇岩はビルディングだった!と新聞は見出しに付けた。
細い螺旋階段の回りに部屋が作られていた。
岩と岩を結ぶ通路はあちこちにあるが
岩への出入口は一カ所、それも屈んで入るような小さいものしか見つかっていない。
おそらく一生のほとんどを岩の中で過ごしたのだろう。
羊もビルディングの中で暮らしていたらしい。
パビムンの人々の生活が解明されるのはこれからだ。
最近、パビムン遺跡を真似た丸い屋根を付けた建物が人気らしい。
ビルディングやマンション、もちろん名前は「パビムン」である。

2005年8月7日日曜日

「パビムン!」

私がその町に入ったのは、夕方だった。
石作りの家々が並ぶ細い路地を歩くと、夕飯の匂いがあちこちから漂ってくる。
私は空腹を意識せずにはいられない、
小さな食堂を見つけてドアを開けた。
「パビムン!」
と奥から出てきた娘が言った。
私が何も言わずにいると、娘はもう一度「パビムン」と言い、空いている席を指した。
私が席に着くと、隣の髭面の男が私に笑顔を向けて「パビムン」と言った。
私は「パビムン」と言った。挨拶ならば同じ言葉を返せばいいだろう。
男は満足そうに頷き、食事に戻った。
私は充分混乱していた。
この国の挨拶は「ヤッチラ」ではなかったか?
「パビムン」初めて聞く言葉だ。あとで辞書を引いてみなければ。

娘がメニューを持ってきた。
メニューは「ラタトゥーユ・パンかライス」とある。
ラタトゥーユ、夏野菜のトマト煮だ。それでいい。
私が「ラタトゥーユ」と言うのを遮るように
娘は「パビムン? パビムン、パビムン」と言う。
私はライスの文字を指しながら「パビムン」と言った。
ラタトゥーユは旨かった。

2005年8月6日土曜日

パビムン理論

パビムンによる相対的絶対値がパビムン値である。
パビムン値に9.8736を乗算し、公式パビムンのxとする。
公式パビムンの解は、即ちパビムンである。

2005年8月4日木曜日

名曲パビムン

私が好きな曲は「パビムン」。
ジャズのスタンダードナンバーだ。
初めて買ったラジオのスイッチを入れた時に、流れてきたのが「パビムン」だった。
派手な曲ではない。静かなラッパの(後にコルネットと知る)フレーズが繰り返される。
初めて買ったレコードも「パビムン」だった。13才だった。
レコード屋の親父に「パビムンなんか聴くのか? 珍しい子だな」と言われた。
私はレコードを引ったくるように受け取り、家に帰った。
それからは「パビムン」が収録されているレコードは何でも集めた。
ほかの曲は無視して「パビムン」ばかり聴いた。
今聴いているのは、チョット・バカリーの「パビムン」だ。

2005年8月3日水曜日

双子のパビムン

兄はパビムン、弟はバピムン。
二人は双子。
たった今産まれたばかり。

2005年8月2日火曜日

魔女のパビムン

王様が魔女を呼び付けた。
若い魔女だが、評判になっていた。
噂を聞き付けた王様は、さっそく魔女を呼び
「世界一美しい馬が欲しい」と言った。
魔女は深くお辞儀した。
魔女は、まだ少女と言っていいほど若かった。
深く被った黒いフードから覗いた上目使いの視線に、王様はタジタジとなった。
魔女は、マントの懐から出した薬を細い指で壷に入れた。
王様は呪文を待った。まだこの幼い魔女の声を聞いていない。
そして魔女は叫んぶ。
「パビムン・パビムン・ラミラミラー!」

2005年8月1日月曜日

虫のパビムン

二足歩行の虫は「パビムン」と名付けられた。
20ミリほどで、直立して手を擦り合わせながら歩く。
胴体は緑色の筒状である。
触角は長く、卵はひとつしか産まない。
好物はグリーンティと判明した。
発見者のパビムン氏は「竹の小枝が歩いているようだった」と語った。

お利口さん

女は紅緋の着物を着ていた。唇も髪飾りも爪も、同じ色をしていた。
一目で「嫌だ」と思った。「こっちに来るな」と思った。
でも、女は近づいてきた。音もなく寄ってきて、私の頭を撫でる。
「お利口さんね」
声も紅緋色。
「お利口さんね……お利口さんね」
女は、そう言って私の頭を撫で続けた。
「お利口さんね」
私は全然いい子じゃないのに。お母さんにもお父さんにも「お利口さん」なんて言われたことがないもの。
私は心の中で呟いた。
「いいえ、お利口さんよ……とてもお利口さん」
女は言った。
撫でられている頭が温かくなってきた。
だんだん眠くなってくる。

【紅緋 C0M90Y85K0】

恋するパビムン

パビムンが家に帰ると、扉に顔が付いていた。
「パビムン、おかえりなさい」
顔は美しい女の顔で、声は鈴のように軽やかだった。
顔は玄関の扉だけではなかった。
便所の扉にも顔はあった。
「お腹の調子はどう? パビムン」
冷蔵庫の扉にもあった。
「お野菜もたくさん食べてね」
寝室の扉にもあった。
「おやすみなさい、パビムン。いい夢を」
まもなく、あらゆる扉に顔があるわけではないと気付いた。
パビムンが開け閉めする扉に現れる、のだ。

パビムンは、顔に恋をした。
扉の顔に話し掛け、キスをするようになった。
顔は、しっとりと応えた。
しかしすぐに不満になった。
顔と声では足りなくなった。
手や胸や腰に触れたいと思った。

パビムンは、扉の顔を持つ女を探す旅に出ることにした。

2005年7月30日土曜日

大木パビムン

パビムンは大木に寄り掛かって、待っている。
昼は夜を待ち、夜は朝を待った。
時折、パビムンを憐れみ施しを与える者があったが
パビムンは無関心だった。
パビムンは施しを待っていない。
晴れの日は雨を待ち、雨の日は晴れを待った。
時折、パビムンに話し掛ける旅人がいたが
パビムンは返事をしなかった。
パビムンは話し相手を待っていない。
今、パビムンが待っているのは、死である。

2005年7月28日木曜日

ワンナノサウルスと、硬貨

ワンナノサウルスが頭を下げるのは、謝っているわけでもお辞儀をしているわけでもない。
だが、人々は喜んで頭を撫でていく。
中には、拝んでいく人もいる。
小さな子供も、親に促されて頭を触る。
いつの間にか、硬貨を投げる人も出てくるようになった。
「ワンナノサウルスよ、おさい銭、おさい銭」
慌てて財布から硬貨を出す。
ワンナノサウルスは、硬貨が顔に当たるのを嫌がって、頭を下げる。
するとますます硬貨が投げられるので、彼らは頭があがらない。

《Wannanosaurus 白亜紀後期 全長1メートル》

2005年7月27日水曜日

竜巻【たつまき】

竜を巻いた鮨で珍味とされる。
竜は乱層雲の底からしか捕れない貴重なもので、ハンターは、巨大な渦に巻き込まれる。

The tornado is a sushi made from the dragon.

2005年7月26日火曜日

ティラノサウルスに、集う

たいていの空き地には、ティラノサウルスの頭骨が転がっていて、ネコの昼寝場所になっている。
夕暮れの子供たちはティラノサウルスの頭に腰掛け、秘密を打ち明け合う。
木の枝にもしばしば、ティラノサウルスの頭骨がぶら下がっている。
鋭い歯の生えた口の中や、睨みを効かせた目玉のあとに鳥や小動物が住んでいる。
暴君は穏やかな死後を送っている。

≪Tyrannosaurus 全長14メートル 白亜紀後期≫

2005年7月25日月曜日

トリケラトプスと、壁

トリケラトプスはツノがかゆい。
手頃な壁を見つけては、ツノを研く。
人気の壁は、穴があく始末。
おかげで迷惑したのがネズミだった。
トリケラトプスのツノ研ぎの振動や穴は、ネズミたちの住まいや道を破壊した。
そこで、ネズミはトリケラトプスの頭のフリルの中に住むことにした。
めでたしめでたし。

《Triceratops 白亜紀後期 全長9メートル》

2005年7月24日日曜日

ステゴサウルスと、画学生

お洒落なステゴサウルスは考えた。
「もっともっと素敵になるには、どうしたらよいでしょう?」
ステゴサウルスは、いいことを思いついた。
まもなく、ペンキと筆を持った若者たちがステゴサウルスの背中にあがった。
自慢の装甲板に、絵を描いてもらうのだ。
若者たちは、思わぬキャンバスを得て喜んだ。
自分の作品が街を歩くのだ、張り切らずにはいられない。
なんだかくすぐったかったけれど、世界一素敵になったステゴサウルスは、今日も街を練り歩く。

《Stegosaurus ジュラ紀後期 全長9メートル》

2005年7月22日金曜日

スコミムスと、魚屋

スコミムスはいつも魚屋の前でうろうろしていて、おこぼれを待っている。
よだれを垂らしながら物欲しげにしているスコミムスに魚屋の店主や客は、仕方なく魚を投げてやる。
図体のでかいこの無賃客に困った店主は、
一度スコミムスを追い出したことがあった。
ところが、どういうわけか客足が遠退き
結局、一週間もしないうちに向かえに行ったのである。

《Suchomimus 白亜紀前期 全長11メートル》

2005年7月20日水曜日

パキケファロサウルスと、タマゴ

パキケファロサウルスの頭骨は、ほとんどの家庭のキッチンに置かれている。
タマゴを割るのにもってこいだからである。
生卵を割るのもゆで卵を剥くのも、全く見事である。
小さな子供が、初めて覚えるお手伝いは、パキケファロサウルスでタマゴを割ることである。
これでホットケーキを作るのだ。
残念ながら、パキケファロサウルスは、タマゴを割るのが得意なことを生前は知らない。

《Pachycephalosaurus 白亜紀後期 全長5メートル》

2005年7月18日月曜日

オウラノサウルスと、トラック

オウラノサウルスは、長距離トラックに欲情する。
賑やかな電飾や、ペイントがあればあるほど夢中になる。
一度気に入ったなら、ハイウェイまでも追い掛ける。
一台のトラックを巡る争いもしばしば起きる。
だが、オウラノサウルスがそうして戦っている間に、トラックはいなくなっている。トラックは忙しいのだ。
そもそも、いくら求愛しようとトラックは卵を産まない。

《Ouranosaurus 白亜紀前期 全長7メートル》

2005年7月17日日曜日

ミクロラプトルと、摩天楼

ミクロラプトルのグイは、夜の摩天楼を滑空する。
巨大なビルディングを上から眺めるのは、実によい気分だ、と彼は思っている。時々、飛行機が彼の遥か上を飛んでいくが、対抗する気はない。
「上には上がいる」ことをミクロラプトルは知っている。

《Microraptor gui 白亜紀後期 全長0.7メートル》

2005年7月16日土曜日

ランベオサウルスと、ネオン

ランベオサウルスは、ネオン街の客引きをしている。
彼が勤める店の名は「パブ・エンジェル」
蝶ネクタイをしめ、恭しい態度で、道行く人に声をかける。
ランベオサウルスのトサカは、どのネオンよりも明るい。

《Lambeosaurus 白亜紀後期 全長15メートル》

2005年7月15日金曜日

ジンシャノサウルスと、横断歩道

ジンシャノサウルスは、横断歩道の脇に立って、歩行者の安全確保に努めている。
長い首を方々に動かし、気を配る。
赤信号を無視する者を見つければ、前に立ちはだかかり
年寄りや身体の悪い者は、ひょいとくわえて、向こう側に渡してやる。
全長8メートル余りのジンシャノサウルス、己が通行の妨げになっていることには、まだ気付かない。

《Jingshanosaurus ジュラ紀前期 全長8.6メートル》

2005年7月14日木曜日

月面炎上

ニュースキャスターは言った。
「Mr.オルドリンの、煙草の不始末によるものと思われます」

********************
500文字の心臓 第50回タイトル競作投稿作
○1

2005年7月13日水曜日

にんにく【ニンニク】

吸血鬼除けのために品種改良が進められたユリ科の植物で、強い臭気がある。
食すると侮辱や迫害に耐え忍ぶことのできる心を養う。

The insult and the persecution can put up by eating garlic.

2005年7月12日火曜日

インキシボサウルスと、時計

インキシボサウルスは、時計がお気に入りで時刻を触れて回っている。
甲高く掠れた「午前七時ちょうどです」という声は人々を閉口させたが、いつの間にか、すっかり頼りにされている。
インキシボサウルスに、狂いはないのだ。
彼を探す時には、尾にぶら下げた時計より、前歯が目印になるだろう。

《Incisivosaurus 白亜紀前期 全長1メートル》

2005年7月11日月曜日

ヒプセロサウルスが、広告

ヒプセロサウルスが、ご自慢の青いマフラーをたなびかせて、通りを歩く。
皆がヒプセロサウルスを注目する。
立ち止まって指差す者もある。
手を振る者さえある。
青いマフラーは、近所の雑貨屋「ダイナストアー」の店主がくれた。
「お前さんにプレゼントだ。特別製だよ。長い首に似合うといいんだが」
ヒプセロサウルスは、大層喜んだ。
店主は、続けて言った。
「そうだ。これを巻いて町を歩いてくれた日には、お前さんの好きなキャベツをあげるよ。約束だ」
それが彼に与えられた仕事だと、ヒプセロサウルスは知らない。

《Hypselosaurs 白亜紀後期 全長12メートル》

2005年7月9日土曜日

ゴヨケファレと、ネコ

ゴヨケファレが、町中でネコを追い掛けている。
ネコは、靴屋の看板娘のエリザベス。
エリザベスは、もう二十分もこうして追い掛けられている。
エリザベスが高いところや、狭いところに入っても
ゴヨケファレは必ず見つけて、また追い掛けっこが始まる。
ゴヨケファレは、飢えているわけではない。
ゴヨケファレの好物はピーマンなのだ。


《Goyocephale 白亜紀後期 全長2メートル》

2005年7月8日金曜日

フクイサウルスは、迷子

フクイサウルスは、歩く。
スクランブル交差点、ビルの屋上、地下道。
えっちら、おっちら、歩く。
きみなら彼に声を掛けるかもしれない。
「やあ、フクイサウルス。どこ行くの?」
フクイサウルスは、笑って答える。
「迷子なの」
えっちら、おっちら、歩くフクイサウルスは、なぜだか笑ったままなのだ。
とても楽しそうなのだ。
あまり迷子には見えないけれど、デパートの中、大通り、野外劇場。
フクイサウルスは、たぶん母を探して歩いている。

《Fukuisaurus 白亜紀前期 全長4.7メートル》

2005年7月7日木曜日

エルリコサウルスと、ピアノ

エルリコサウルスは、ピアノがお得意なのを、ご存知だろう。
彼は非常に恥ずかしがり屋であるから、ピアノを弾く姿を見るのは難しい。
しかし、お披露目の機会は、やってきた。
街の発表会にエルリコサウルスは、招かれたのである。
今まで噂だけで、誰も見たことがなかったエルリコサウルスの演奏を見られるとあって、会場は満席である。
彼が舞台に登場すると会場は、大歓声に包まれた。
いや、悲鳴だったといっていい。
青いリボンを巻いたエルリコサウルスは、舞台の天井を突き破りながら現れたのだから。

《Erlikosaurus 白亜紀後期 全長5メートル》

2005年7月6日水曜日

スーパーマーケットに、ダケントルルス

ダケントルルスがスーパーマーケットで、野菜を吟味している。
「あら、イイほうれん草ね。ブロッコリーもおいしそう」
だけど、ダケントルルスにスーパーマーケットの通路は狭すぎる。
ご立派なスパイクに、沢山の商品を突き刺しながら、ダケントルルスはお買い物。
店長が追い掛ける。


《Dacentrurus ジュラ紀後期 全長4.5メートル》

2005年7月5日火曜日

クリョロフォサウルスが、挨拶

「はじめまして。ぼく、クリョフォ……?」
彼の名は、クリョロフォサウルス。
「では、ここにサインをお願いします」
「OK、Cryol……??」
彼の名はCryolophosaurus。
気の毒なクリョロフォサウルス、己の名が覚えられない。

《Cryolophosaurus ジュラ紀中期 全長7メートル》

2005年7月4日月曜日

バガケラトプスが、散歩

バガケラトプスは散歩が好きなんである。
お気に入りの首輪をはめて、喜ぶんである。
バガケラトプスは、お洒落なんである。
「今日はいいお天気だから、公園に行きましょうよ」
そうは言っても、散歩の道は、決められないんである。
二本足に、従わなければならないんである。
バガケラトプスは、ペットなんである。

《Bagaceratops 白亜紀後期 全長0.9メートル》

2005年7月3日日曜日

バス停に、アンキロサウルス

アンキロサウルスがバスを待っている。
もう三時間も待っている。
バスが来ないわけではない。
バスは彼女の前を通り過ぎて行くのだ。
「んもぅ。運転手は、あたしが見えないのかしら」
また、一台バスがやってきた。
「待って!乗ります!」
と彼女は叫んだが、バスは速度を落とすことなく通り過ぎた。
残念ながら、バスはアンキロサウルスよりも小さい。

《Ankylosaurus 白亜紀後期 全長9メートル》

2005年7月1日金曜日

ナマケモノ【ナマケモノ】

�� 生の獣、の意。
煮焼きしていない、生のままの獣。
類:ナマゴム、ナマコンクリート、ナマキズ、ナマクリーム、ナマビールなど

2 ナマケモノ科の哺乳類。

Choloepus means a raw beast.

2005年6月30日木曜日

懐中電灯【かいちゅうでんとう】

懐中を照らし、懐具合を見るもの。
暖かい懐を、より明るく照らす。
非常時用の明かりとして持つ人も多い。
近頃はハンドルを回して発電するレトロなタイプが人気である。

A torch investigates a someone's financial condition.

2005年6月28日火曜日

蛇【へび】

爬虫類ヘビ亜目の生物。
腹はアコーデオンに、皮は三線に、口は水道に、目は傘に用いられ、捨てるところがない。

The bellows is made from snake's belly.

2005年6月27日月曜日

ビスケット【biscuit 】

ポケットを叩いて製造する菓子。
購入の際には、どのポケットで作られたかを確かめられたい。
エプロンポケット製が最高級である。
ジーンズ尻ポケット製は、おすすめしない。

Biscuit made from an apron pocket is highest-class.

2005年6月25日土曜日

道草【みちくさ】

道端に生えている草や菜。
果実を含めることもある。
誰でも摘んで食べてよい。
定番の道草は、春菊・菫・葱・蓬・人参など。
その土地ならではの道草を食うのは、旅の楽しみのひとつである。

Every loitering on the way is eaten.

2005年6月24日金曜日

傘【かさ】

コウモリが、日を避けるために使うもの。
特に洒落ているのは、ヘビの目玉をあしらったもので、カラカラと音がする。

A bat uses an umbrella for a shade.

2005年6月23日木曜日

電子レンジ【でんしれんじ】

火だるまの冬眠のために開発された特殊な箱。
かつてはオーブンが使われていたが、近年はより性能が良い電子式が主流である。
電子式の特徴は「廻る・電気は大切にね」
食品の加熱に使われることもある。
←→冷蔵庫

A flameman sleeps in a microwave oven in winter.

2005年6月22日水曜日

テープ【Tape 】

合成樹脂製で磁性及び粘着性がある細長い帯状のもの。
主な用途は、梱包、録音・録画、港で投げる、一位の人が切る、など。

2005年6月20日月曜日

きんかん【キンカン】

金色の輪を持つ果実。
砂糖漬けを湯に溶かして飲むと虫さされ・肩凝りによいと言われるが、効果は定かでない。
美味であるので効果に拘わらず飲むとよい。

The kumquat is fruits with a golden circle.

2005年6月19日日曜日

天国は、そこにある。

「だってそうだろ?花は雨が降らなきゃ咲かないんだぜ」
子供は大きな針を握りしめて、外へ出た。
一つ目のオバケちゃん。
足枷のランナー。
どこにでも花はあった。
要塞の中に花、階段の中に花、僧侶の戯れ事に花。
オバケちゃんは見ている。銃口を。
ランナーは走る。兵士を従えて。
コカコーラを飲むマフィア、爆弾を抱えて飛び回る天使、荷物を運ぶミイラ。
子供の握り締めていた針は、いつの間にか花になっていた。
一輪の花を傍らに置いて寝転がり、牢屋の天井を見る。
ここはなんて酷いところだろう。雨も降らない。雲の上だから。星も見えない。星の外だから。
「あぁ、見てごらん。飛行機が墜落するよ」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「天国で見る夢」佐々木マキ 1967 をモチーフに

2005年6月18日土曜日

電卓【でんたく】

「電子式卓上計算機」の略。
数ある計算方式の中で、電子式を採用した卓上計算機。
電子式計算の特徴は「速い・電気は大切にね」
卓上で以外で使用すると、計算を誤る。

You make a mistake in the calculation when the calculator is used excluding the table.

2005年6月17日金曜日

かりんとう【カリントウ】

空高くそびえるカリンの塔で、仙人が製造している菓子。
黒い砂糖が塗してあり、食べる際に「かりんかりん」としゃべる。
この菓子を食べても、怪我や病は治癒しない。

Even if it eats this Crunchy sweetmeat, neither an injury nor illness is recovered.

2005年6月15日水曜日

望遠鏡【ぼうえんきょう】

遠くへ行きたいと望む人が覗くもの。
「遠く」は地球外を指すことが多い。

A telescope is the entrance in another world.

2005年6月14日火曜日

スイッチ【Switch 】

決断を迫るもの。
多くの場合、指一本によって行使される。

A switch presses for decision.

豆まき【まめまき】

東の某島では、春の報せが訪れる直前、悪魔払いと家内安全を願う古代から続く風習がある。
オニと呼ばれる悪魔を懲らしめるため、オニの卵である豆を屋内外に撒き、また食することにより、恙無い一年を約束するという。
オニの卵を撒いてはオニが殖えるのではないか、という我々の疑問に、島民は一切答えない。

Beans which are a demon's eggs.

月【つき】

かつて月はチーズで出来ていた。
ミイラ取りに行くネズミの大切な食糧となっていたが
真ん丸だった月には無数の齧り跡がついた。
これをクレーターと呼ぶ。

The moon made with the cheese.

冷蔵庫 【れいぞうこ】

雪だるまの夏眠のために開発された特殊な箱。
現在では雪だるまの夏眠だけでなく、食品の保管にも使用されている。

A snowman sleeps in a refrigerator in summer.

ルーシーの伝説【Lucy】

カウンセラールーシーはマシュマロパイが大好物、黄色いセロハンチューリップの花畑で踊る。
ある朝、ルーシーは次の言葉を遺しオレンジの空へ飛び立った。
「あたしの助言は必ずあたる。100%の保証付き」
この偉大なるルーシーの伝説はジェームズ・マクドナルドによって歌い継がれている。

James McDonald sings a legend of this great Lucy.

赤鉛筆【あかえんぴつ】

郵便配達人が消防士にトマトの収穫時期を教えるために使ったのがその起源である。

A postman tells a fireman the harvest time of a tomato.

2005年6月13日月曜日

洗濯機 【せんたくき】

回転によって命を洗浄する箱型機器。
主に天使が使用する機器であるが、衣類の洗浄用にこれを流用する。
水を入れた機器を持ち上げ、回す作業は大変な重労働であり、社会問題となっている。

The washing machine which an angel uses for selection of a life.

2005年6月12日日曜日

羊羹 【ようかん】

ヒツジの影を冷やし固めた菓子。
人生に一度は食べないとヒツジの毛に襲われるので注意が必要。
豹屋のものが絶品である。ヒツジの影をヒョウが販売しているいわくは謎である。


sweet jelly made from a shadow of a sheep.

2005年6月11日土曜日

推薦の言葉

デラックス百科事典は、森羅万象の真実を端的に且つ短絡に示すものである。
広く人々の営みを助け、人生の指針となるであろう。
よってここに推薦する。
推薦者、阿礼

2005年6月10日金曜日

A MOONSHINE

月明かりに照らされて、黒猫は、緑に輝いた。
彼に尻尾はない。それは少女が持っている。
〔キナリ、そろそろ尻尾を返してくれ〕
と少女に言った。
少女は、手にした尻尾と黒猫を見比べた。
「返してって、コレくっつくの?元通りに?」
〔今晩ならば〕
黒猫は断言する。
「尻尾が元にもどったら、ヌバタマはどこかに行ってしまうんでしょう?」
〔そのようには、ならない。ただ…こうして喋ることは出来なくなる〕
少女は安堵の表情を浮かべた。
「わかった」
月明かりに照らされて、黒猫の尻尾は少女の手を離れた。
黒猫は、少女の前を気取って歩く。
尻尾があることのほかは、昨日の晩とまるで同じ。

×はじめてのともだち・ハスキーへ×

2005年6月9日木曜日

どうして彼は喫煙家になったか

「あれ? ピベラ・デュオガ・ハソ・ヘリンスセカ・ド・ピエリ・フィン・ノピメソナ・ミルイ・ド・ラセ・ロモデェアセ・スペルイーナ・ケルセプン・ケルセプニューナ・ド・リ・シンテュミ・タルヌヂッタ・レウセ・ウ・ベリンセカ・プキサが煙草吸ってる」
少女に言われて長い名の絵かきは苦笑した。
「キナリの前で煙草を吸うのは、はじめてだったね」
「いつから吸ってるの?」
「キナリが生まれるより前だよ……でも毎日吸うわけじゃないんだ」
「なんで?」
絵かきは、ちょっと憂いた顔をした。
「うまく絵が描けた時、お星さんやお月さんに、見てもらいたくて…煙に託すんだ。託すってわかる?」
少女は絵かきの吐いた紫煙を目で追った。
「煙なら、空まで届けてくれるかなと思って……いや、思いたいんだ」
終いは独り言のようになりながら絵かきは夜空を見上げた。
その煙は、しっかりと月に届いている。おかげで月は喫煙家になったのだから。

2005年6月8日水曜日

はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたか?

「よいな、すばやく振り向いて捕まえるのだ」
「わかってる」
月と少女は箒星を捕まえるために港へ来ていた。
二人は夜の波音の透き間から聞こえる箒星の音が近付いてくるのを待った。
「シュッシュッ」という音が段々と大きくなる。
「それ! 箒星さんみーつけ……た?」
少女が勢いよく振り向くと、そこにあったのはビールびんであった。
「ナンナル、箒星はどこ?」
月は、ためつすがめつビールびんを眺めた。
「この中に入っているのかもしれない」
少女の部屋に戻ってきた二人は、びんの栓を抜き、グラスに注いだ。
ビールは大袈裟に泡立ち、その泡は瞬く間に消えてしまった。
月が一口飲む。
「全く気が抜けてるよ。箒星の奴、とんだ飲ん兵衛だ!」

2005年6月7日火曜日

星と無頼漢

「あ、流星がケンカしてる」
「放っておけ」
月は心底興味がないという口ぶりで言ったが、少女は放っておくことが出来なかった。
少女は取っ組み合いをしている流星の近くまで行き、しばらくその様子を眺めた。
流星の相手は、いかにも無頼漢というような、身体が大きく毛深い男である。
流星が殴り、無頼漢が殴る。無頼漢が蹴り、流星が蹴る。いつまで経っても終わりそうにない。
「ねぇ、何してるの?」
声を掛けてはじめて流星は少女の存在に気付いた。流星は赤面して瞬く間に去ってしまった。
残された無頼漢は、所在なさげに街燈を蹴り、スネをぶつけて涙目になった。
「チビ、お前が止めるからだ」
無頼漢が少女を睨む。
「止められて止まるくらいなら、たいしたケンカじゃないでしょ」
「なんだと!」
無頼漢は少女に襲い掛かった。少女がスルリと股の間を抜けると無頼漢は街燈に顔面をぶつけた。
「恰好悪い」
少女の冷たい視線を浴びて、無頼漢は背中を丸めて逃げていった。
「痛かったね」
少女は街燈を撫でる。
「怖かったね」
街燈は少女を暖かい明かりで包んだ。

お月様を食べた話

「さてと」
月は、向かいに座らせた少年に向かって言った。
「訳を聞かせてもらおうではないか」
ふて腐れている少年は、少女よりずっと年長である。
道ですれ違った少年たちの一人が「月を食べた」と話ているのを聞き、彼を強引に連れて来た。
少女は二人の顔を見比べながら息を飲んだ。
「だから、『お月様』を食べたんだって言ってるんだよ!」
「いつ? どこで? どうやって?」
少女は叫んだ。
「ストップ! ナンナル、質問が下手!」
月は不意をつかれて、黙る。
「お兄ちゃん、『お月様』はおいしかった?」
「うまかった」
「んじゃ、ナンナルの勘違いだよ。お兄ちゃん、ごめんね」
少年はポケットから菓子の入った包みを出して、去っていった。

少年が置いていった『お月様』という名の新発売の菓子を食べながら月は言った。
「なぜおいしいかどうか、聞いたんだ?」
「ナンナルは、まずいから」
少女は誰よりも月の味を知っている。

2005年6月5日日曜日

土星が三つ出来た話

少女が問う。
「動物になるなら何がいい?キナリは、サル」
「キリン」
とコルネット吹き。
「ゾウ」
と絵かき。

「恐竜になるなら何がいい?ぼくは、プラキオサウルスがいい」
とコルネット吹きが問う。
「やっぱりティラノサウルス。キナリは?」
「ステゴサウルス」

「じゃあさ、太陽系の惑星になるなら何がいい?」
三人は同時に言う。
「土星」「土星」「土星」
「みんな土星だ!土星が三つになったら、楽しいかもしれないよ、あの輪っかが三つ並ぶんだから」
絵かきがそう言った瞬間、土星は試しに分身の術を使ってみたが、余りにも難儀だったのですぐに元通りになった。

2005年6月4日土曜日

赤鉛筆の由来

「赤鉛筆が欲しい」
と言うので、月は少女を連れて文具店に向かった。
文具店の店主は鈎鼻に眼鏡を引っ掛けた老人で、店の隅の椅子に腰掛けうたた寝をしている。
少女は瓶に入った赤鉛筆を一本つまみあげ、店主に声を掛けた。
「これ下さい」
店主は寝たまま応じる。
「赤鉛筆か。赤鉛筆の由来は、ご存知かな?」
赤鉛筆の由来、それを少女が知っているはずがない。
月は少女が助けを求めるだろうと思った。
「郵便配達人が消防士にトマトの収穫時期を教えるために使ったのがはじまり」
少女は淀みなく答える。
「出典は?」
「デラックス百科事典」
「よろしい」
少女は硬貨を店主の手に握らせ、店を出た。
「どこで覚えたんだ?赤鉛筆の由来を」
月は尋ねずにはいられない。
「このあいだ、阿礼って人が道歩きながら喋ってた」
「アレイ? 変わった名前だな」
「ナンナル、ほどじゃないよ」

2005年6月3日金曜日

お月様が三角になった話

「お月様は丸いよね」
と長い名の絵かきは言った。
「四角だったり……」
そう言いながら四角い月の絵を描く。
「三角だったり」
そう言いながら三角の月を描く。
「いいと思うんだ。ねぇ? ナンナル」
「こういうことか?」
絵かきの注文に応えた月の声は、怒っても笑ってもいなかった。
つまりは「その程度のこと」なのである。

2005年6月2日木曜日

月夜のプロージット

「乾杯」
緑色の瓶をぶつけ合う。
少女と月は、公園のベンチに腰掛けて、アップルタイザーを飲んでいた。
満月がジャングルジムを照らす。
少女は月を見上げていた。隣の男に出会う前と変わらない眼差しで。
月は少女を見ていた。この子はいつまでこうして月を眺めてくれるだろうか、と。
「ねぇ、ナンナル」
「なんだ?」
空になった瓶を見せて笑う。
「もう一本飲もう」
「お腹壊すぞ」
だって月がきれいだから、と呟いた声を、月は聞かなかったことにする。

2005年6月1日水曜日

黒い箱

広場に巨大な黒い箱が現れたのは、ほんの五分前のことである。
広場は騒然となり、人々はみな逃げていった。
黒い箱は完全な立方体で、表面は滑らかである。
「これ、何かな?爆弾?」
「さあ。私にもわからない」
「こわいものだよ、きっと。食べられるかもしれない」
「こわいなら、逃げればいい」
しかし、月と少女は逃げることはせず、箱の周りを歩いた。
三十六週しても箱は何も変化しなかった。
夜より深い黒い箱である。周囲を歩く少女が見上げると、迫りくる闇の壁のごとき様相だ。
「これ、何かな?」
「さあ」
「恐いものじゃないのかな」
「わからない」
十八回目の問答をした時、箱はズズズと音を立て縮み始めた。
見る見るうちに小さくなって、サイコロくらいになった。
「小さくなっちゃった」
少女は、黒い箱を踏み潰した。

2005年5月31日火曜日

A ROC ON A PAVEMENT

「見て、ナンナル」
少女の手にあったのは、ゴツゴツした石だった。黒くいびつな形の石てある。
「道に落ちてた」
「ただの石だろう」
月が関心を示さないので、少女は早口になる。
「歩いてたら、ガォって声が聞こえたの。でも誰もいなくて、でもずっと聞こえてて、そうしたらこの石が道の真ん中に落ちてて、近付いたらガォも大きくなって」
「ガォ」
「ほら!おもしろい石でしょう!キナリの宝物にする」
月はため息をつく。
「キナリ、鬼のところに行くぞ」

「オニ、これ見て……」
「まあ!これは鬼の卵よ、キナリちゃん。最近、卵を棄てる輩が多いの。育てる自信がないんですって。育児拒否よ。この子はあたしが預かるわ。拾ってくれなかったら、今頃自動車に轢かれてベチャンコよ。ありがとう」

2005年5月30日月曜日

どうして酔いより醒めたか

「ちょっとそこの、小さいお人よ」
と年寄りのどなり声がする。前から千鳥足の人影が近づいてきた。
「ハイ」
「はい?」
少女とコルネット吹きは同時言って、二人で笑った。
「何を笑っている、小さいお人よ」
年寄りがますます険しい声を出したのでコルネット吹きは謝った。
「ごめんなさい」
「おぬしを呼んだのではない。小さいおなごよ」
コルネット吹きは、少女を見た。
年寄りは背の低いコルネット吹きではなく、九歳の少女を呼ばわっているようである。
「なに?」
「この酔っ払いの年寄りの、頭を撫でて欲しいのだ。酔いを醒まさぬと、山の神がうるさい」
少女は、年寄りに近づいた。ひるむ程に酒臭かったが、近づいた。
息を止めて、年寄りの禿げ頭を撫でた。
しばらく撫でていると、酒臭さが散っていくのがわかった。
「ありがとう、お嬢ちゃん。妙なことを頼んで申し訳なかった。おかげで妻に叱られなくて済む」
年寄りはウィンクをしてみせ、颯爽と去っていった。
「あのおじいさんの頭、どんなだった?」
コルネット吹きが尋ねる。
「猫のおなか」

2005年5月28日土曜日

月の客人

「お客さまだ、キナリ。ご挨拶なさい」
そう言われても、少女には客人の姿が見えなかった。
「はじめまして。キナリです」
お辞儀をすると
「キナリ、彼はこちらだぞ。なにをやっているのだ」
と月が叱る。だが、見えないと言うのは、はばかられる。
「ナンナル。キナリちゃんには、私の姿は見えないのだよ。叱らないでやってくれ。キナリちゃん、はじめまして」
優しいテノールの声を聞いて、少女は少し安心した。
「キナリには見えないとは、どういうことだ?」
月には、わけが解らぬ。
「私は透明人間なんだよ、ナンナル。人間には、月明かりが強い満月の晩にしか、見えないんだ。今日は満月じゃないからね。キナリちゃんが見えないのは当然だよ」
月はうろたえる。
「しかし、私の目には……」
透明人間が笑うのが、少女にもわかった。
「ナンナルが見えるのは当然だよ、月なんだから。そういえば、ナンナルが友達を紹介してくれるのは初めてだね。だから、今まで透明人間なのを説明しなかったんだ。キナリちゃん、どうぞよろしく」
少女は頭を撫でられた。その感触を辿って、透明人間と手を繋いだ。


2005年5月27日金曜日

ニュウヨークから帰ってきた人の話

「キナリ」
「船長!」
珍しく船長から会いにきて、少女は大喜びである。
「ニュウヨークに行っていたんだ。お土産だよ」
お土産は、少女の好きなリンゴ味の飴玉とポストカードである。
「ありがとう! ニュウヨーク? ニュウヨークってどこ?」
船長は壁に貼ってある地図を指差す。
「いつも行っているアフリカはこっち。ニュウヨークはアメリカにある。ここだ」
「ふーん」
「ニュウヨークではね、月が小さいんだ。どうしてだか、ナンナルに聞いてごらん」

「……って船長が言ってた」
月は答えに困る。確かに、彼の地に降りることはほとんどなくなった。それは目の前の少女のためでもある。彼の地で月を待つ人間は、ひとりもいない。

2005年5月26日木曜日

真夜中の訪問者

「ごめんください」
少女の部屋の窓が叩かれる。ぐっすりと眠っていた少女は、跳び起きて窓を開ける。
「はーい」
「今晩は」
真夜中の訪問者は、スラリと背が高い青年である。少女が見上げると、ニッコリと笑い、白目と歯を光らせた。
「ハイ、どうぞ。今週の飴玉だよ。いつも通り、りんご味を30粒」
少女は、飴の入った箱を受け取ると、空になった箱を青年に渡した。来週はこの箱に飴玉が詰められ少女の手に戻ってくる。
「じゃ、サインをお願いします」
慣れた手付きでサインをし、窓から出ていく青年に手を振った。
ベッド戻った少女は、すぐにすやすやと寝息をたてはじめる。
毎週真夜中に届く大好きな飴玉。だが、それを知っているのは、尻尾を切られた黒猫だけである。

2005年5月25日水曜日

自分によく似た人

「コラ!キナリ、駄目でしょ!」
少女はハッとした。「なにもしてない」と言おうと思った。
しかし、振り返った少女の目に飛び込んだのは、彼女よりずっと小さな五才くらいの女の子であった。
「ねぇ、あなたもキナリ?私もキナリっていうの」
少女は怒鳴っていた母親を見上げると、言った。
「キナリちゃんのお母さん。キナリちゃんと遊んでもいい? わたしたち、とても仲良くなれると思う。だってこの子、リンゴ味の飴が大好きでしょう?」
二人の「キナリ」は、べぇと舌の上の飴を出して見せた。

2005年5月23日月曜日

THE WEDDING CEREMONY

教会から、黒いドレスを来た女が出てきた。
手には赤いバラだけで出来たブーケ。
「お嬢ちゃん、これ受け取ってくれるかしら?」
少女は少し驚き、隣の月を仰ぎ見る。
「もらえばいい」
月がそう言うと、少女はバラのブーケを受け取った。
「結婚したのよ」
女が微笑む。
「おめでとう、夫君は……吸血鬼氏だね」
月が言う。女が頷く。
「キナリ、そのブーケは大切にするのだぞ。生き血を吸ったバラは、何百年と美しさを保つ」
少女は満面の笑顔で女に言った。
「ありがとう、大事にする」
女は一粒朱い涙を落とした。

2005年5月22日日曜日

銀河からの手紙

「今朝、ナンナル宛ての手紙がポストに入っていたよ」
長い名の絵かきが持ってきた手紙を月は読み上げる。「前略ナンナル殿。当選おめでとうございます。この度は『銀河ワクワクキャンペーン』にご応募いただきありがとうございました。プレゼントは、後日改めて発送いたします。銀河理事会…なんだこれは?」
「ワクワクキャンペーンってなに?」
少女に尋ねられても月に心当たりはない。
翌日
「ナンナル!銀河理事会からリンゴが届いたよ!」
絵かきがリンゴ箱を自転車の荷台に載せてやってきた。
大量のリンゴに少女は大喜びである。
「キナリ、やったね!リンゴ好きでしょう?」
「うん!オニにアップルパイ作ってもらう」
月はようやく思い出した。681年前に出した懸賞葉書、応募パスワードは「KINALI」であった。

2005年5月21日土曜日

A HOLD UP

「手を挙げろ」
言われて少女はピッと両手を挙げた。
相手は拳銃を持ちながら笑う。中年の男だ。
「お嬢ちゃんに言ったわけじゃない。こっちのお月さんに用がある。まず手を挙げろ」
「なんの用だ?」
月が手を挙げながら問う。
「えーと。あの木のてっぺんに引っ掛かった、ラジコンヒコーキを、取ってほしいのだ」


2005年5月20日金曜日

AN INCIDENT AT THE STREET CORNER

「ちょっと待って」
「どうした?キナリ」
少女は十字路の手前で急に立ち止まった。
「こっちからなにか来る」
月は少女が指す右の角を見ようと足を出す。
「あ!ダメ!ストップ」
月の鼻先を巨大なラッパ鳥の行進が通り過ぎた。

2005年5月19日木曜日

見てきたようなことを云う人

チョット・バカリーはコルネット吹きだ。夜の広場でコルネットを吹き、硬貨を貰う。
時に力強く、時に切ない調べが、彼の小さな身体から溢れだす。銀メッキのコルネットを通して。
この晩、広場には老人が一人いた。
「ああ、あんたがラッパ屋かね」
「はい」
「今日は何と言う曲をやるのかね」
「『カメレオンの娘さん』を」
「ああ、あれは名曲だ。……月はカメレオンが支配していると、知っているかね」
「いいえ」
「昔、月に行ったおりに見てきたのだ。月をカメレオンが舐め取って満ち欠けを起こしていた。見事なものだった」
チョット・バカリーは『カメレオンの娘さん』を始めた。
その曲の間、月は黄色から緑色へ。緑色から銀色、銀色から紫色へ、と次々色を変えた。
いつの間にか、キナリとナンナルが来ていた。ナンナルはプリプリと怒っている。
それを見て、チョット・バカリーは愉快になった。


2005年5月18日水曜日

友だちがお月様に変った話

長い名の絵かきと、背の低いコルネット吹きが連れだって歩いていた。
「今日は、満月だね」
「ナンナルが来てるかな」
「キナリのところに行ってみよう。きっとナンナルにも会えるさ」
「あ!」
「え?」
二人はお互いを指さした。
「ナンナル!」
「ナンナル!!」
でもそれは、ほんの一瞬のことで、すぐに月ではなくなった。
「ナンナルを問い詰めなくちゃならないね」
「きっと教えてくれないけどね」
「月になった気分をメロディにしよう」
「友達が月になった様子を絵にしよう」

2005年5月17日火曜日

THE BLACK COMET CLUB

『ブラックコメットクラブ団員募集!五月十七日夜九時、広場集合』
「キナリ、この貼り紙見てごらんよ。おもしろそうじゃない?」
長い名の絵かきが言った。
「九時って、もうすぐだよ。広場に行ってみよう」
背の低いコルネット吹きも言う。
「ブラックコメットクラブ!どんなクラブだろう!」
少女の気持ちは多いに盛り上がる。

広場には誰もいなかった。九時になっても十時になっても誰も来ない。少女の目に涙が浮かぶ。
「楽しみにしてたのに、どうして……」
「さて」
少女の言葉を遮り、絵かきは言った。
「ただいまよりブラックコメットクラブ結成式を行います。部長は、キナリさん。異議は……ありませんね」
コルネット吹きが続ける。「副部長は、ピベラ・デュオガ・ハソ・ヘリンスセカ・ド・ピエリ・フィン・ノピメソナ・ミルイ・ド・ラセ・ロモデェアセ・スペルイーナ・ケルセプン・ケルセプニューナ・ド・リ・シンテュミ・タルヌヂッタ・レウセ・ウ・ベリンセカ・プキサ氏。会計はわたくしチョット・バカリーが担当いたします」
絵かきは、少女に笑いかける。
「特別顧問として、ナンナル氏を迎える予定になっております」
少女が続けた。
「ヌバタマを名誉会長にします!」
どこからともなく現れた黒猫が、三人の中心に座った。
「では、会長、開会のお言葉を」
〔本日は晴天なり〕
星の美しい夜である。

2005年5月16日月曜日

散歩前

黒猫にとって、散歩中以外はいつでも「散歩前」である。
「ヌバタマ、お散歩?どこに行くの?」
〔目的地があるのは、散歩とは言わない〕
少女は夜の散歩で友達に会えることを知っている。そわそわと窓から月を見つめる。
視線に気付いた月は、苦笑いして降りてくるのだ。

2005年5月15日日曜日

コーモリの家

「ナンナル、この家入ってみたい」
少女の目の先には、小さな古い家があった。
黒く煤けた家に明かりはなく、夜道で見つけたのが不思議なくらいひっそりとしている。
「…誰も住んでいないんじゃないか?」
渋い顔の月をよそに、少女は玄関扉の前に立った。
「ごめんくださーい!」
返事はない。
「ほら、キナリ。誰もいないじゃないか。行くぞ」
月が立ち去ろうとしたとき、扉が開いた。
「お月様の直々のお出まし、大変光栄に存じます」
現れたのはコーモリだった。
「コーモリの家だったか……」
月は驚きを隠せない。
「さ、さ。キナリお嬢さま、どうぞお上がり下さい」
少女は喜んで中に入ったが、月は頑なに遠慮した。

「おいしいお菓子をいただいたよ。ナンナルも来ればよかったのに」
と言って出てきた少女は、身体中に埃や蜘蛛の巣が付いていた。
「ちょっと埃っぽかったけど」
入らなくてよかったのだ、と月は自分に言い聞かせる。

2005年5月14日土曜日

黒猫を射ち落とした話

ある夜、尻尾を切られた黒猫が、街で一番高い煙突の上で鳴いていた。
「キナリ。ヌバタマの声がしないか?」
初めに気がついたのは、背の低いコルネット吹きだった。彼は耳がいい。
「キナリ、あそこだ。煙突の上にヌバタマがいるよ」
長い名の絵かきが、煙突を指差した。彼は目がいい。
少女は口から飴玉を出し、煙突にパチンコを向けた。彼女は耳も目も人並みだが、勘がいい。
少女の放った飴玉が、黒猫に命中したのかどうかは、コルネット吹きにも絵かきにもわからなかった。
しばらくして黒猫が三人の前に現れた。
〔痛いではないか〕
「にゃーにゃー鳴いてたよ」
コルネット吹きが言う。
〔猫がにゃーと鳴いて何が悪い〕
「目が光ってたよ、さびしそうに」
絵かきも笑う。
〔猫の目は光るものだ〕
「ありがとう、は?」
少女が迫る。
〔煙突の上は、いい眺めだ〕
しかし、黒猫はその晩ずっと少女たちから離れようとしなかった。

2005年5月13日金曜日

A TWILIGHT EPISODE

少女が目を覚ますと、黒猫の姿が見えなかった。
少女は黒猫から切り取った尻尾をにぎりしめて、夜明け間近の街へ出た。
公園のベンチでは、背の低いコルネット吹きが女の人と寄り添っていた。
街角では、長い名の絵かきが寝ていた。近付くと酒の匂いがした。
鬼のアパートの前に行くと、子供の泣き声と鬼の笑い声が聞こえた。
尻尾を切られた黒猫は、牛乳屋でミルクをもらっていた。
少女は黒猫がミルクを飲み終わるのを待ってから、強く抱きしめた。

〔色々なものを見たのだな。あのような姿も彼等の現実だ。何かが変わったのではない。キナリが知らずにいただけだ〕
猫の饒舌もまた、夜明け前。

2005年5月12日木曜日

煙突に投げ込まれた話

帰り道。猫の道と人の道は、いつも異なる。
尻尾を切られた黒猫は、少女には構わず人様の庭に入っていく。
「いいな、ヌバタマ。ここから行けば近道だもん」
すると『ならば別の近道を教えてやる』と聞こえた。
少女の身体は、ぐいと持ち上がり、高く舞い上がった。
次の瞬間、少女は暖炉にいた。全身煤塗れである。
煙突に投げ込まれたのだ。
「ありがとう、流星。でも、もういらない。ヌバタマより黒くなった」

2005年5月11日水曜日

THE MOONRIDERS

ビルの壁、街灯、道路、街中に貼り紙がしてある。
『THE MOONRIDERS参上』
「街を汚して……けしからん。掃除しなければ」
月の機嫌は悪い。
「ナンナル、ムーンライダーズって何?」
「私のファンクラブと名乗る、いかがわしい団体だ」
「ふーん。そのファンクラブの人たち、どんな人?」
「……会ったことがないから、知らない」
少女は声を立てて笑った。
「会ったことがないのに、どうしてファンクラブだとわかるの? キナリは会いたい、ムーンライダーズ」
少女の笑顔を見て、月は混乱する。
「お返事の貼り紙を貼ろう。『歓迎THE MOONRIDERS』って」
貼り紙の掃除はその後でいいか、と月は思いはじめる。

2005年5月10日火曜日

月のサーカス

「キナリ、サーカスというのを知っているか?」
月の問いに少女は答える。
「知らない」
「では、これから見て来なさい」
めずらしく、尻尾を切られた黒猫が付いてくる。
「誘っても来ないのに」
〔損得勘定〕

月が少女を連れてきたのは、港だった。
「ほら、船長だ。船長がサーカスに案内してくれるはずだ」
少女は、馴染みの船長に飛び付く。
黒猫は、新鮮なご馳走をいただこうと、どこかに走っていった。
「船長、サーカスはどこ?」
「サーカス? あぁ、今日は満月だな。こっちだよ」
船長の肩車で、船の中に入る。アフリカから荷物を運ぶ貨物船である。
貨物の中には、ゾウやキリン、ライオンがいる。
少女は声をあげそうになる。
「静かに。これはマボロシだ。アフリカで寝ている動物たちの夢が、船に乗ってきたんだよ」
キリンは綱渡りが得意で、ゾウは玉乗り、ライオンは積み木をしている。どこからか、賑やかな音楽も聞こえる。
いつのまにか、少女も動物たちの輪の中に入り、一輪車に乗っていた。
それを見た船長は、寝息を立てている少女を肩から降ろした。

2005年5月9日月曜日

電燈の下をへんなものが通った話

少女は長い名の絵かきとともに、背の低いコルネット吹きの部屋に来ていた。
「紙がいっぱい落ちてる!」
「ぼくの部屋より紙だらけだ」
絵かきも呆れる。
「チョット・バカリー、この紙は何?」
「楽譜だよ。ステキなメロディが浮かんだら、紙に書き留めるんだ」
一番多いのが書きかけの五線紙。それに出来上がっている楽譜、ボロボロになった教則本、音符が書き付けられた紙切れ。高価なスコアやレコードもある。それらが部屋に散らばっている。
コルネット吹きは、客人が座る空間を作るために、慌ただしく片付けはじめた。
「あ!」
少女が声をあげた。
「キナリ、どうしたの?」
「あそこに、へんなものが飛んでる」
少女が指差したのは、部屋の電灯である。絵かきが立ち上がって電灯に顔を近づける。
「チョット・バカリー、大変だよ。音符が飛び回ってる」
「アァ!なんてことだ。楽譜を乱暴にしたから、音符が逃げたんだ!」
少女は、飛び回る音符たちを捕まえて、五線紙に貼り付けた。
後にコルネット吹きがタイトルを付ける。
「MOONLIGHT BECOMES KINALI」

2005年5月8日日曜日

ココアのいたずら

「キナリちゃん、何飲む?」
「ココア」
よく晴れた夜、少女と月は鬼の部屋にいた。
「ハイ。どうぞ、めしあがれ」
「いただきます!…オニ、今日のクッキーはカクベツにおいしいよ」
少女がそういうと、ココアがクッキーを食べ始めた。
クッキーが次々とマグカップに飛び込んでいく。
たっぷりあったクッキーは、瞬く間になくなった。
「おい、まだ私はひとつも食べていないぞ。卑しん坊のココアめ。」
月が嘆くと鬼は言った。
「もう一度作りましょ」
「でも、またココアが食べちゃうかもしれない」
「心配ないわ、キナリちゃん。ココアはもう満腹で食べられないはずよ」

2005年5月6日金曜日

THE MOONMAN

「……月の男は、エリーをしっかりと抱きしめ、口づけをしました。エリーにはそれがお別れの挨拶だとわかりました。とうとう、二人のくちびるが離れました。そして、月の男は振り返ることなく去ったのです。おしまい」
長い名の絵かきは「THE MOONMAN」と題された本を閉じると、月に言った。
「この月の男は、ずいぶんモテるんだね」
背の低いコルネット吹きは
「この月の男は、ちょっとばかり、かっこつけすぎているよ」
と笑う。
「ナンナルは、こんなこと書かれてイヤじゃないの?」
少女の声は、刺々しい。
月は溜め息をついた。一体誰がエリーと月のことを書き残したのであろうか。863年も前の恋物語を。

2005年5月5日木曜日

月をあげる人

「お月様をあげます」
月と少女は、男に声をかけられた。
差し出された手には「月」と書かれた紙があった。
二人が何も言わずにいると
「お月様をあげます」
ともう一度言う。
「月は私だが…」
と月が言いかけると少女が遮った。
「ありがとう。お礼に飴あげる」
男はニコリとして去って行った。
「なんだ今のは。キナリ、やっぱり文句を言ってくる」
すぐに「お月様をあげます」と後ろでも声がして月は溜め息をついた。
その晩、街を歩く人は皆「月」の紙を持っていた。
「ねぇ、ナンナル。あの人、お月様がきれいなことをみんなに教えたかったんだよ。ほら、みんな月見ながら歩いてるよ」

2005年5月4日水曜日

水道へ突き落とされた話

月と少女が歩いていると、すぐ目の前のマンホールのフタが勢いよく跳ねて中からレオナルド・ションウ゛ォリ氏が顔を出し、「ほほーい」と言うとすぐ消えた。
月が驚いていると、ションウ゛ォリ氏は月の背後に現れて背中を押したので、月は水道に墜落した。
「ナンナル!」
心配そうに水道を覗き込む少女の隣で
「ナンナル殿、水も滴るいい月のできあがり、ですぞ」
と満足げなレオナルド・ションヴォリ氏は、じいさんだ。

2005年5月3日火曜日

はたして月へ行けたか

「ヌバタマ、今夜は一緒に月へ来てもらう」
月がそう言うと、しっぽを切られた黒猫はプルンと左耳だけを動かした。蝿でも追い払うように。
「キナリも行く」
少女は高らかに声をあげた。
「ヌバタマだけだ」
「なんで? どうして? ナンナル!」
月は応えず、黒猫を抱えて出て行った。
少女は長い時間ベッドの中で泣いていたが、やがて眠った。
朝、少女が目覚めると、黒猫はいつもの通り、お気に入りのクッションの上で丸まっている。
「ねぇ、ヌバタマ。月に行ったの? どんなところだった?」
黒猫は寝返りをうつだけ。

2005年5月2日月曜日

星におそわれた話

ドシン
流星に衝突されるのは、毎度のことではあるが今夜は少し様子が違った。
月は、オンオンと泣きはじめた。夜の街に月の泣き声が響く。
「ナンナルどうしたの? 痛かったの?」
つられて少女も涙を浮かべる。
「流星が泣いていたのだ。ウワーン、その涙も私を襲った。エーン、私をこんな目に合わせるなんて、流星の奴! ワーン」

2005年5月1日日曜日

星でパンをこしらえた話

ドシン
「流星!」
月は不機嫌な顔で流星の後姿を見送る。
「ナンナル。これ何?」
少女は道にばらまかれたものを指差した。
「あぁ、それはヤツのカケラだ。激しくぶつかったから、砕けたんだろう」
「流星は痛くないの?」
「痛いものか。それ、パンに混ぜると美味いぞ」
「じゃあ、オニに作ってもらう!」
月と少女はオニを訪ねた。「まぁ!星のカケラ!素敵ね。早速こしらえましょう。どんなお味かしら、楽しみだわ」
小さな少女と恐ろしい顔の鬼が一緒になってパンをこねる。それを見て、月は流星にぶつかるのも悪くないと思った。

2005年4月30日土曜日

自分を落としてしまった話

「やあ! キナリ。どこ行くの?」
長い名の絵かきが少女に声を掛けた。しかし、少女は返事をしない。
「こんばんは、キナリ。今夜も広場でラッパを吹くよ。来てくれるかい?」
背の低いコルネット吹きが少女を呼ぶ。しかし、少女は返事をしない。
「キナリ!こんな所にいたのか」
月が少女と並んで歩き始める。だが少女は無言のまま。
「おい?キナリ、どうしたんだ?具合が悪いのか?」月が肩を揺さぶる。
「キナリって誰」
「誰って、自分の名前がわからないのか!?」
〔落とし物だ〕
しっぽを切られた黒猫が駆け寄って来た。黒猫に差し出された小さな箱を受け取る。
「あ、ナンナルだ」
「キナリ?わかるか?……あぁ、よかった。その箱は何が入っているのだ?」
「ヘソノオ」

2005年4月28日木曜日

ガス灯とつかみ合いをした話

「あ、あのガス灯切れてる」
少女と月が夜道を歩いていると、一本の切れたガス灯を見つけた。
「どれ、私が見てみよう」
月がガス灯にしがみついてスルスルと登りはじめると、街灯は暴れはじめた。
「な、なんだ。修理してやるだけだぞ」
それでもガス灯が暴れるので、月は力尽くで抑え込む。
「待って、ナンナル。ガス灯が泣いてる。壊れてないから構うな、って。今夜は静かにしていたい気分なんだよ、きっと」
月が降りると、ガス灯はパッパと点滅した。
「どういたしまして」
「キナリ、ガス灯の言うことがわかったのか?」
「ナンナル、飴あげる」

2005年4月27日水曜日

星?花火?

夜空がヒュウゥと鳴った。
「花火だ!」
「星だ!」
背の低いコルネット吹きと長い名前の絵かきが同時に言った。
「ねぇ?キナリ、今のは星だよ」
「いいや、花火だったよね?キナリ」
少女はアップルタイザーをゴクリと飲んで言った。
「もう一度聞かないとわからない」
しかし、その晩二度と夜空は鳴らなかった。

2005年4月26日火曜日

TOUR DU CHAT-NOIR

〔キナリ〕
しっぽを切られた黒猫が少女を呼ぶ。
「なに?」
〔今夜、集会がある〕
「集会?」
〔黒猫の集会〕
「キナリも行きたい」
〔それはあんたが決めることだ〕
黒猫は、いつもの倍のミルクを飲み、いつもの倍、毛繕いをして出て行った。
少女は後を追う。黒猫が塀に上がれば、同じようにした。穴をくぐれば、同じようにした。
公園には、何百もの黒猫が集っていた。太ったのや痩せたの、しっぽが長いのや短いの、片目が潰れたのや足を引きずるもの、あらゆる黒猫がいたが、しっぽを切られた猫は一匹だけである。少女はブランコに腰掛け、黒猫たちの様子を眺める。
やおら一匹の黒猫が一匹の黒猫の背中に飛び乗った。その上にまた一匹が飛び乗る。さらにその背中に一匹。
それは何百回と繰り返され、最後にしっぽを切られた黒猫が飛び上がった。それを見て、少女は鬼のアパートへ向かって駆け出した。
最上階の鬼の部屋の窓から見上げても、頂点は見えない。
「ヌバタマ~!」
少女が叫ぶと、黒猫の目が一斉に光った。

2005年4月25日月曜日

AN INCIDENT IN THE CONCERT

「友達があっちの広場でラッパを吹いてるんだ」
長い名の絵かきとともに広場に行くと、少女といくらも変わらない程の背丈の男が、銀色のコルネットを吹いていた。足元には空の小さなトランク。
「やあ!プキサ!その子がキナリだね?はじめまして。ぼくの名前はチョット・バカリー」
「こんばんは。チョット・バカリー。不思議な名前」
「あなたもね」
挨拶が済むと、再び小さな男はコルネットを吹きだした。その音色を聞いた少女は、お気に入りのマグカップに作ったココアを思った。
「あ!ヌバタマ!」
いつの間にかしっぽを切られた黒猫が後ろ脚で立ち、小さな男の周りで踊っている。トランクは、硬貨が山盛りである。
少女と絵かきの他、観客は誰もいない。

2005年4月24日日曜日

星を食べた話

「ヌバタマ、何食べてるの?」
しっぽを切られた黒猫が、ビルの壁を舐めていた。
〔星〕
「星?キナリも食べる」
少女は猫の真似をして、四つん這いになり、壁を舐めた。
「星は酸っぱい」
〔星だから〕
「星だもんね〕
少女は、それが流星の…だとは、知らない。

2005年4月23日土曜日

THE WEDDING CEREMONY

教会から、黒いドレスを来た女が出てきた。
手には赤いバラだけで出来たブーケ。
「お嬢ちゃん、これ受け取ってくれるかしら?」
少女は少し驚き、隣の月を仰ぎ見る。
「もらえばいい」
月がそう言うと、少女はバラのブーケを受け取った。
「結婚したのよ」
女が微笑む。
「おめでとう、夫君は…吸血鬼氏だね」
月が言う。女が頷く。
「キナリ、そのブーケは大切にするのだぞ。生き血を吸ったバラは、何百年と美しさを保つ」
少女は満面の笑顔で女に言った。
「ありがとう、大事にする」
女は一粒朱い涙を落とした。

2005年4月21日木曜日

月光密造者

「ねぇ、オニ?」
「なぁに?キナリちゃん」
「月の光の作り方、教えて」
「なぜあたしに聞くの?」
「オニの本、月光鬼語っていうんでしょ。きっと月の光の作り方も書いてある」
「まあ。でも、どうして月の光を作りたいのかしら?」
「だって…今日は新月でナンナルに会えないから」
「わかったわ!キナリちゃん、協力しましょ。月の光は、フライパンで作るの。それから…粉を出してちょうだい」

鬼と少女は、大きなパンケーキを焼き、たっぷりのアップルジャムをのせて食べた。

2005年4月20日水曜日

雨を射ち止めた話

三日も雨が降り続いていた。風はなく、シャワーのように細かい雨が、ただひたすら降る。
路上で絵を描く長い名の絵かきは商売ができないと頭を抱えていた。
鬼は「ツノがカビちゃうわぁ」と愚痴をこぼした。
公園のブランコは確実に錆が増えた。
しっぽを切られた黒猫は、ヒゲ一本動かさずに眠り続ける。
少女は退屈していた。雨の町を窓から眺めるのは、嵐の晩だけで充分だ、と思った。
「もう!雨なんかこうしてやる!」
少女は舐めていた飴玉(もちろんリンゴ味である)をパチンコのゴムに引っ掛け、空に向け放った。
雨はハタ、と止んだ。

2005年4月18日月曜日

なげいて帰った者

少女がブランコをしていると、隣に老人がやってきた。
老人は立ち漕ぎをしながら
「最近は月が明るくて困る。そうは思わんかね?」
と16回言った後、宙返りしながらブランコを飛び降り、去っていった。
少女は拍手で見送った。

2005年4月17日日曜日

ポケットの中の月

「キナリ、ポケットに手を入れていると、転んだとき危ないぞ」
「へへーん。ポケットの中にはお月さんが入っているんだよ」
少女はスボンのポケットに入れたまま右手を動かす。
「なんだって?!」
月は狼狽する。
「見たい?」
少女はニヤリとする。
「早く見せろ」
「どうしようかな」
少女がポケットの中で右手を動かす。月が顔を歪める。それを見てますます右手を動かしてみせる少女。
無言の攻防の後、ついに右手が引き出された。
「これだよ。オニにもらった」
少女の手の平には飴玉がひとつ。
包み紙には小さな文字。
〔candy‐moonひと粒で月まで飛んじゃうおいしさ!りんご味〕

2005年4月15日金曜日

霧にだまされた話

しっぽを切られた黒猫の毛が、じっとりと重い。
「今夜は霧が深いな、ヌバタマ」
黒猫を撫でながら、月が溜め息をつく。黒猫は返事をしない。
少女は滑り台で遊んでいる。細かく濡れた遊具は、いつもとは違う遊びを思いつかせるらしい。何度も繰り返し、滑らない滑り台を昇り降りしている。
「キナリ、そろそろ帰るぞ」
月は黒猫を抱いて少女に寄る。滑り台から降りてきた少女は言った。
「あれ?ヌバタマは」
「ヌバタマならば、私が」
〔ここにいる〕
黒猫はクスノキの枝から飛び降りてきた。
月が抱いていたのは、カボチャであった。

2005年4月14日木曜日

キスした人

「あ!流星が来るぞ」
月が言い終わらないうちに流星は少女の目の前に現れた。
流星は少女を恨んでいるはずである。少女は流星を梅の種で退治した。少女は月と流星の格闘を強引に止めた。月は緊張する。
流星は少女の前に立ちはだかって動かない。少女もキョトンとしている。
「おい」
月の声も聞かない。
流星は流星とは思えないゆっくりとした仕草で、少女の額にキスをし、次の瞬間には去っていた。
「キナリ?」
「おでこ、あったかい」
月には信じられない。月は素早く冷たく痛い流星しか知らない。

2005年4月13日水曜日

押し出された話

その晩、長い名の絵かきの姿はなかった。イーゼルもキャンバスも絵の具も椅子も、いつもの場所にある。
「プキサはどこに行ったのだろう、大事な道具も置きっぱなしで…椅子はまだ温かいな。キナリ、プキサはまだ近くにいるはずだ。捜そう」
月と少女は辺りを見回す。
「あ!」
「見つけたか?」
「ナンナル!大変だよ!ピベラ・デュオガ・ハソ・ヘリンスセカ・ド・ピエリ・フィン・ノピメソナ・ミルイ・ド・ラセ・ロモデェアセ・スペルイーナ・ケルセプン・ケルセプニューナ・ド・リ・シンテュミ・タルヌヂッタ・レウセ・ウ・ベリンセカ・プキサはこのチューブの中だよ!」
イエローのチューブが膨れあがり、もぞもぞと動いている。
月と少女はパレットに黄色い絵の具を慎重に押し出した。中の絵かきを潰さないように。
絵の具がなくなって、最後に絵かきが出てきた。
「ありがとう、ありがとう」
絵かきは全身黄色のまま言った。
「でも黄色の絵の具がなくなっちゃったよ」
パレットの山盛りイエローを差し出して少女が言う。
絵かきは笑った。
「大丈夫!見て、今夜は満月だ。みんなで月を描こうよ」

2005年4月12日火曜日

はねとばされた話

少女は月に尋ねる。
「どうしたら月に行ける?」
月は少女に答える。
「月は行くものではない。会うものだ」
少女は空を指差して、なおも尋ねる。
「でもあそこにあるよ」
月は胸を指して答える。
「でも、ここにいる」
「もう!ナンナルのわからず屋!」
少女は月の胸を指で弾いた。
月は高く飛ばされ月に落ちた。

2005年4月11日月曜日

みんなで遊ぼう

 五月、午後の太陽は元気だ。冬のようにさびしくはない。冬の西日を浴びた影はぼくまでブルーにするからあまり遊ばせられないけど、今は違う。だからぼくは、影を放してやる。晴れた日は心置きなく遊ばせる。五月の強く明るい西日をいっぱいに浴びて帰ってきた影は、ぼくをウキウキさせる。影にもぼくにもいい季節だ。
影はご機嫌で帰ってくると、一緒に遊んだ影のことや変わった影のことを話してくれる。影たちがすごいのは、大人も子供も動物も植物も物も、みんな仲良く遊べるらしい、ということだ。猫の影の悩み事を聞いてやったとか、ケヤキの影と鬼ごっこをしたとか、信号機の影は頑固だ、と聞くとちょっと影がうらやましくなる。
いつもはそんな風にいろんな話をするのに、きのうは黙ってすぐに寝てしまった。こんなことは今まで一度もなかった。ぼくは本当に心配になった。影は影のくせにぼくよりずっと明るい性格なのだ。押し黙っている影は、十二年の人生ではじめてだ。
だから今日、ぼくは影を尾行することにした。影は目的地を決めているようで、ぐんぐん進んで行った。何度か散歩中の犬の影に懐かれていたけれど、すぐに振り切って進んでいく。そしてある家の前で止まった。あれ?ここは…!ぼくは影の前に飛び出した。
「エリちゃんと遊ぶのは、ぼくだ!」
家から出てきたエリちゃんも、エリちゃんの影もポカンとしている。影は笑い出した。エリちゃんではなく、エリちゃんの影と遊びたかったんだから、と。
でも、そのおかげで明日の夕方、エリちゃんと遊ぶ約束をした。ぼくの影もエリちゃんの影も、一緒に遊ぼう。みんなで遊ぼう。

きららメール小説大賞投稿作

ペロペロキャンディー

「毎日来てますよ、ね?」
休憩時間にいつものコーヒーショップに入ろうとして、店から出てきた女に呼び止められた。
「はあ」
 そんなふうに女性に声をかけられるのは、はじめてだった。毎日、と言われても女の顔には覚えがなかった。真ん中に分けられた髪の毛から細い束が二本、つんと尖った鼻まで垂れていた。触角みたいだ、と思った。両手に持った紙コップのうち右手だけをちょっとだけ挙げて「これ、あなたの分です」と言った。
 ベンチに座ると女はカバンからケースに入った細いストローを出した。ストローはクルクルと巻かれていて、それは何十年かぶりに「ペロペロキャンディー」を思い起こさせた。このストローじゃないとうまく飲めないのだ、と巻かれたストローをほどきながら女は説明した。
 おれは黙って女の買ったコーヒーを飲んだ。隣で真剣な面持ちでストローをくわえる女の横顔を盗み見しながら。まつげが長かった。
 女はゆっくりだが一息でコーヒーを飲み終えた。
「じゃあ、また」
女は細い前髪をひくひくと揺らしながら去っていった。
 女の座っていた所には尻の形に粉が落ちていた。おれは指でそれをなぞり、舐めた。何の味がしたわけではないが、結局全部舐めた。止められなかったのだ。

 家に帰るなり妻が「蝶に化かされたのね」と言う。
なぜ、と問いながら、鼓動が速くなるのがわかる。妻は事もなげに「匂いでわかるし、あなたの目が潤んでいるから。鱗粉を舐めたでしょ?」と応じた。
「ねぇ、蝶さんはきれいだったでしょう?ずるいよね、男の人しか会えないんだもんね」と妻の目が光る。妻を抱き寄せながら、ペロペロキャンディーはどこで買えるだろうか、と考える。

きららメール小説大賞投稿作 最終30編

2005年4月10日日曜日

突きとばされた話

「ギャン」
少女は車道に飛び出した。月は少女の腕を掴む。その鼻先を自動車が通った。
「どうした?キナリ」
「背中押された」
「そりゃ、流星だな」
しっぽを切られた黒猫が毛を逆立てて自動車を追い掛けていった。
「ぅおーい、ヌバタマ!自動車のせいじゃないぞ。あ~行ってしまった」
「ナンナル、だいじょうぶだよ。しっぽがヌバタマのところに連れていってくれるから」

2005年4月8日金曜日

黒猫のしっぽを切った話

「ねぇ、ナンナル。あそこに黒い猫がいる」
「どこだ?あぁ、あそこか。まだ小さいな」
「あの猫と友達になる」
「ノラ猫だぞ、根気よく付き合わないと…」
月の話も聞かずに少女は黒猫に近付く。
猫の後から手を伸ばして尻尾を掴み、猫が暴れる暇もなく、ハサミで切り取った。
「キナリ!」

少女は黒い尻尾を振り回し、月に合図する。黒猫は少女の脚に頬を擦りつけている。
「ほら、仲良くなったよ。猫、名前は?」
[ヌバタマ]
「変な名前」
[あんたもな]

2005年4月7日木曜日

SOMETHING BLACK

「今日は何を描きましょうか?お嬢さん」
長い名の絵かきがおどけて尋ねる。
「リンゴ」
少女が応える。
「かしこまりました」
絵かきは赤色の絵の具を筆に取る。キャンバスに浮かび上がるリンゴ。
絵かきは緑色の絵の具を筆に取る。キャンバスに浮かび上がる鳥。
「この鳥はリンゴが好きなんだね!もっと描いて!」
絵かきはリンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描いた。
「もっと描いて!」
絵かきはリンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描き、リンゴを描き、鳥を描いた。
キャンバスに赤いリンゴと緑の鳥が溶け合う。

「見て、ナンナル」
「プキサに描いてもらったのか……まっくろけ、だな」
「リンゴと鳥だよ」

2005年4月6日水曜日

IT 'NOTHING ELSE

「ね? ナンナル。あれ? ナンナルが消えちゃった」
月だけではない。道も、建物も、街路樹も。
なぜなら、少女は蓋の開いたマンホールに落ちたのだ。

2005年4月4日月曜日

ある晩の出来事

ある晩、長い名の絵かきが公園を通ると、少女がブランコに座って泣いていた。
「……キナリ?キナリ、どうしたんだい?こんなところで。…嫌なことがあるなら、話してごらんよ」
少女は顔あげ、絵かきとわかると口を開いた。
「……ピ、ピベラ・デュオガひっく、ハソ・ヘリンスセカ・ド・ずず、ピエリ・フィン・ノピメソナ・ミルイ・ド・ラセ・ふ、ロモデェアセ・スペルイーナ・ケルセプンふふふ、ケルセプニューナ・ド・リあは、シンテュミ・タルヌヂッタ・レウセ・ウあはは、ベリンセカ・プキサ!!」
少女は笑い出した。
「えへへ、ぼくの名前を言ってるうちに楽しくなっちゃったね。どうして泣いてたの?」
「……なんだっけ?」
二人はアップルタイザーで乾杯した。
この晩は、新月だった。

2005年4月3日日曜日

月光鬼語

「あ、あそこに何か落ちてる。本だ」
少女が道端で拾った本には『月光鬼語』と書かれていた。
「ナンナル、何て読むの?」
「げっこうきご。……どうやら鬼の心得を書いたもののようだ。鬼が落としたのだろう。」
「オニ? じゃあ返しに行こう」
少女は月を従えてスタスタと歩き、まもなく四階建てのアパートにやって来た。
402号室のチャイムを鳴らす。
「ハーイ」
出てきた鬼は月がそれまで出会った鬼の中でも特に大きく白い角と濃い髭を持っていた。それは彼の鬼としての権威の強さを表している。
「これ、オニの本?」
「あら、やだ。こんな大事なもの落とすなんて。キナリちゃんにご馳走しなくちゃネ。もちろん、お月様もご一緒に」
少女と月は、鬼手づくりの焼きりんごを食べた。
帰り道。
「キナリがあんな大きな鬼と知り合いとは驚いたな」
「ん? どうして驚くの?」
まっすぐな目を向けられて、月は尋ねるのを諦めた。『月光鬼語』の第一章は「人間の子の調理法」である。

2005年4月1日金曜日

A CHILDREN'S SONG

「満月だよ、ナンナル。一緒に踊ろう」
月は少女にお辞儀をして手を取る。
「せーの。ポッチッチ、ポッチッチ」
「待ってくれ。なんだ、そのポッチッチというのは」
「ワルツだよ、ワルツ知らないの?」
「ワルツは得意だ」
「じゃ、もう一度」
ポッチッチ、ポッチッチ、ポッチッチ
満月のもと、月は少女とワルツを踊る。
ポッチッチ、ポッチッチ、ポッチッチ
満月のもと、月は少女の歌に合わせてワルツを踊る。
ポッチッチ、ポッチッチ、ポッチッチ

A PUZZLE

「お嬢さん、似顔絵を描いてあげよう」
月と夜の町を歩いていた少女は、路上の絵かきに呼び止められた。
「お嬢さんの名前は?」
「キナリ。絵かきさんは?」
「ピベラ・デュオガ・ハソ・ヘリンスセカ・ド・ピエリ・フィン・ノピメソナ・ミルイ・ド・ラセ・ロモデェアセ・スペルイーナ・ケルセプン・ケルセプニューナ・ド・リ・シンテュミ・タルヌヂッタ・レウセ・ウ・ベリンセカ・プキサ。長いでしょう?プキサって呼んで。皆そう呼ぶんだ」
 長い名の絵かきが描いた少女の似顔絵を見て月は言った。
「なんだこれは!目も口も耳もバラバラだ。とても顔には見えない」
少女は絵を受け取ると、黙って破りはじめ、たちまち19片の紙屑になった。次にそれを、新しい画用紙にスラスラと並べ張り合わせた。
「すてき!見て、ナンナル、キナリとそっくりだよ。上手だね!ピベラ・デュオガ・ハソ・ヘリンスセカ・ド・ピエリ・フィン・ノピメソナ・ミルイ・ド・ラセ・ロモデェアセ・スペルイーナ・ケルセプン・ケルセプニューナ・ド・リ・シンテュミ・タルヌヂッタ・レウセ・ウ・ベリンセカ・プキサ、ありがとう!また遊びにくるよ!」
月は渋い顔で絵かきに硬貨を渡した。

2005年3月30日水曜日

A MEMORY

月が石につまずいた。
「おっとっと。おや、この石は631年前にも会ったことがある。懐かしいなぁ!」
「なつかしいってなに?」
少女が尋ねる。
「昔のことを思い出すと、懐かしい気持ちになる。キナリは小さい時のこと、覚えているか?」
「わからない。でもおばあさんだった時のことはよくおぼえてる。手も足も痛いし、すぐ疲れるし、耳はよく聞こえないし、おばあさんはもうこりごりだったよ!」

2005年3月29日火曜日

お月様とけんかした話

「ヤ」
月がおさげ髪に触れるのを少女は拒んだ。
少女の髪は腰の近くまである。色は薄く、毛は細く、くせがある。
「どうして?」
「いやったら、嫌なの!」
「珍しいな、と思ったのだ。キナリがそうして髪を結っているのを、はじめてみたから」
その長い髪を特別に手入れしているようにも、執着があるようにも見えないが、彼女のたたずまいの半分は、長い髪が作ったものである。
「うまく出来てるじゃないか。よく見せてみな」
「だめ」
「だからどうして?」
「……おじいちゃんがしてくれた」
少女は祖父の顔を写真でしか知らない。

2005年3月27日日曜日

月とシガレット

警笛が鳴る。
月と少女は夜の港にいた。アフリカから到着した貨物船から降りてきた船長を目ざとく見つけ、少女は駆け寄る。
「船長!」
「キナリ、大きくなったなぁ」
「アップルタイザーは?」
「あっちだ。もうすぐ降ろし終わるよ」
少女は、すぐに駆け出した。持ってきたリュックをアップルタイザーのみどり色の瓶で一杯にするであろう。
月は、船長にボロボロの紙幣を渡す。船長は月明かりに紙幣を透かしニヤリとした。
「本物だね」
「皮肉な奴だ」
船長からワンカートンの煙草を受け取る。

「キナリは何を買ったのだ?」
「アップルタイザー。ナンナルにはあげない。ナンナルは何買ったの?」
「煙草」
月は大きく煙を吐く。
「あ、月が雲に隠れた」

2005年3月25日金曜日

ある夜倉庫のかげで聞いた話

「あそこ嫌い」
少女は古い倉庫が立ち並ぶ辺りを指して言った。
「どうして?カクレンボができて面白そうではないか。行ってみよう、私が一緒ならば、怖くないだろう?」
月と少女は手を取り合って歩き出した。
一番大きな倉庫のそばに来ると、月明かりが遮られて真っ暗になった。
少女には隣にいる月の姿が見えなくなる。だが、手を繋いでいるからどうにか泣き出さずにいる。
【月は昔、チーズだった。】
「ナンナル!変な声がするよ」
「シッ。大丈夫だ。老人が古い物語を語っているんだよ。聞いていよう」
【ミイラ取りに行くネズミの大切な食糧となっていたが、段々と月は減り、ツルツル真ん丸だった月はデコボコのガタガタになった。これをクレーターと呼ぶ。デラックス百科事典268頁より】
「痛っ。キナリ、何するんだ」
「なんだ、チーズの味しないね」
月は何万年もネズミに食べられてはいないが、「キナリの歯形」という新たなクレーターが誕生した。

2005年3月23日水曜日

箒星を獲りに行った話

「ホーキ星?流星と違うの?」
「あぁ、流星とは似て非なるものだ。箒星は流星のように悪さはしない」
「ふーん」
月と少女は箒星を獲りに港へ出掛けた。今夜はアフリカからの船はない。
「ナンナル…夜の海、怖い」
「港には何度も来ているではないか」
「船長のいるときにしか来たことない」
「そうか…よし、ここに座って待とう」
少女は黙って波音に身を預ける。

「キナリ、聞こえるか?」
波音の間に、アスファルトを擦る音。
「うん、シュッシュって音がする」
「真後ろに来たら、振り向いて捕まえる」

「それ!」
「ホーキ星さんつかまえた!」
「あらら~捕まっちゃいました~。では、ホーキに乗ってください~。行きますよ~。出発~」
そしてステキなホーキドライブ。

2005年3月22日火曜日

ハーモニカを盗まれた話

「ハーモニカが、ない」
 月が言った。
「はーもにか?それ何?」
「キナリはハーモニカを知らないのか」
「知らない」
「楽器だよ。金属で出来ていて、小さな四角い穴がたくさん空いている。細長くて手に乗るくらいの大きさだ。こうして口に当てて吹く」
「これ?」
 少女はポケットからハーモニカを出した。
「それだ!どうしてキナリが持ってる?」
「ナンナルの鞄に入ってた。キレイだったからポケットに入れておいたの」
「……それは、盗んだというんじゃないのか?」
「ゴメンナサイ。ねぇ、ナンナル、それ吹いてみて」
 月は少女をおぶさり、ハーモニカを吹きながら歩いた。
 少女は月の調べに身をまかせ、眠る。

2005年3月21日月曜日

流星と格闘した話

「しまった!キナリ、流星に見つかったぞ」
流星の獲物の印しである紫の大蜘蛛をたった今、月と少女は倒した。
流星は月に近づく。月は逃げられない。相手は流星である、速さでは到底敵わない。
流星は馬乗りになって月を殴りつける。月も負けじと蹴り上げる。
少女は格闘している星と月を眺めた。
リンゴ味の飴を頬張りながら「やれ!」だの「そこだ!」だのと声を掛ける。
しばらくして流星に近づいた。
「キナリ、離れていろ」
月が止めるのも構わない。
少女は流星にキスをした。
「飽きた」
リンゴ味の甘酸っぱいキスに、流星は毒気を抜かれる。

2005年3月20日日曜日

投石事件

「おい、キナリ!何やってるんだ!」
 少女は通行人の背中に向けて石を投げつけていた。彼女の手に余るほどの大きな石を。
「あ、ナンナル」
「キナリ、危ないじゃないか。知らない人に石なんかぶつけちゃダメだろう」
「だって、あの人の背中、紫のクモがついてる。大きいの。クモがついてるほうが、危ないんだよ」
「……本当だ。キナリは石をぶつけてあのクモを退治できるのか?」
 紫の大蜘蛛、それは流星に狙われている証拠である。放っておくわけにはいかない。
「そうだよ。石、投げていいでしょ?」
「ちょ、ちょっと待て。こっちにしよう」
 月は少女に流星の天敵を渡した。
「これ何?こんな小さいのでクモをやっつけられるの?」
「梅の種。流星はこれが大嫌いなんだ!さあ、投げろ!」
「マカセトケ!」
 見事、少女の投げた梅の種は紫の大蜘蛛に命中した。

2005年3月19日土曜日

星をひろった話

「ナンナル、これなに?」
キナリが差し出したのは、透明で小さな石だった。
ガラスの破片のようにも見えるが、もっと滑らかでもっと冷たい。
「どこで見つけた?」
「あちこちに落ちてる。キレイだから拾ってオルゴールの箱に入れてあるの。でもなんだかわからない。ナンナルは知ってる?」
「ちょっと見せて」
月の手のひらに載せられた石は、まぶしいくらいに輝いた。
「すごい!ナンナルが触ると光るんだ!どうして?」
「キナリ、これは星だよ。」
月は驚く。星はそこらじゅうに落ちているわけではないし、
やすやすと人間の子供に見付かるほどバカではない。
「キナリも光らせたいな」
少女は星を小指でくすぐっている。その方法は、あながち間違っていない。

2005年3月18日金曜日

月から出た人

「こんばんは、お嬢さん。お名前は?」
「キナリ。おじさんは?」
「私の名前?名前は……ナンナル」
「変わった名前だね」
「お互いさま」
キナリ、と名乗った少女は毎晩月を見ていた。
月は、少女と話したくなった。ただそれだけ。

2005年3月17日木曜日

躑躅満開

 ツツジの花をもぎ取って蜜を吸ってみた。小学生の頃は学校帰りによくやったものだ。
二つ目の花をもいだとき、蝶が襲ってきた。完全に不意打ち。
{それを吸うな}
「これはオレんのだ」
{人間はこんなの吸わなくても死にやしないだろ。こっちは命かかってるんだ。人間め!花を返せ}
蝶は涙を流しながらオレを殴る。
「まだこんなに咲いてるじゃないか……」
 と言うのはやめた。必死な蝶を目の前に、急速に気分が沈んでいた。景気が悪いのも、戦争が終わらないのも、地球が温暖化しているのも、みんなオレが悪いんだよなあ。
 オレはひたすら蝶に殴られ続けた。躑躅色が目に染みる。

2005年3月15日火曜日

パイロット

自慢の蝶型飛行機で飛び回るネズミの
背中のリュックサックに入っているビスケットを
ひそかに狙っている橋田さんが
いつも昼寝している公園を
見回りに来ている警備員さんが
家で飼っているネズミは
蝶型飛行機のパイロット

2005年3月14日月曜日

再び会うために

ぼくは前、ちょうちょだったと思う。思う、じゃない。絶対ちょうちょだった。
サナギとして眠っていた時の気持ち、花の蜜の味、羽を通る風、全部覚えている。
だから、ぼくはちょうちょを捕まえる。
友達だったモンシロチョウのしげ子ちゃんに会うために。

2005年3月13日日曜日

危機一髪

「プップーー!!!」
クラクションと急ブレーキの悲鳴に、ぼくは振り返った。
たった今渡り終えた横断歩道の真ん中で黄色いビートルが停まった。
?!
ビートルの上に何かが浮いている…。黒と黄色のまだら。
数え切れないほどのアゲハ蝶が、二年生くらいの男の子を包むように取り巻いていた。
アゲハ蝶の大群は、ぼくのすぐ脇まで来て男の子を地面に降ろすと、あちこちに散っていった。
男の子も、駆けて行った。

2005年3月11日金曜日

毎蝶新聞、夕刊記事より

大浦銀筋豹紋さん(56才)胸を圧迫されて殺害の上連れ去られる。
家族の話によると、大浦さんは自宅近くで夕食の鵯花(ヒヨドリバナ)を集めているところを何者かに襲われた。胸を強く圧され、即死。犯人は遺体を持ち去った。
蝶族の誘拐事件に詳しい浅間一文字氏は「遺体は三角の棺に入れられ運ばれた後、天翅板で磔にされミイラ化します。犯人がその後、ミイラをどのように扱うのか、ミイラにする目的などは未解明です」と話す。
最近、誘拐事件が頻発しており、特に食事時は周囲への注意が疎かになり危険だという。

2005年3月10日木曜日

鈴が鳴るとき

 ピエロはしゃぼん玉から現れた。
 宿題を済ませたリオは部屋の明かりを落とし、窓を開け、しゃぼん玉を吹く。住宅街の街灯に、リオのしゃぼん玉が照らされ、弾ける。
 窓際の床にしゃがんでいるリオの傍らには、小さなラジオが置かれている。流れてくるのはリオの知らない言葉だ。何を言っているのかわからなくても構わない。ただ誰かが生きている気配と、時間の流れを感じられればよかった。ラジオが伝える零時の時報を確かめるとリオは最後のしゃぼん玉を吹き、それが弾けるのを見届けてベッドに向かう。それがリオのおやすみの儀式。
 今夜、零時のしゃぼん玉が街灯に照らされ輝いた時、ピエロが現れた。爪先が長くカールした靴を履き、細かな刺繍の施されたベストを着、赤い鼻をつけ、先っぽに大きな鈴の付いたとんがり帽をかぶっている。ピエロは子供だった。リオは自分と同い年だとすぐにわかった。
 ピエロは丁寧にお辞儀をして踊りはじめる。クタクタとしたその滑稽な動きにリオは笑った。身を翻すたび、その小さく引き締まった身体は街灯を反射して七色に輝いたが、帽子の鈴は決して鳴らなかった。リオが拍手をするとピエロはふわりとリオに近付いてきて窓の前でとまり、そのまま浮かんでいる。窓の向こうとこちら、しかし開け放たれた窓は二人を遮らない。リオとピエロは見つめあった。ピエロは灰色の瞳を動かさない。
 リオは誰かとこんなにも深く長く見つめあったことはなかった。リオもピエロも視線を外さなかった。リオは視線のはずしかたを知らなかったし、はずしたくなかった。もっと近くで、そう思うとリオの手がゆっくり伸びた。
「ダメ、だよ」
 ピエロが呟き、リオはすばやく手を退いた。ピエロの声がリオの体内でこだまし、リオの髪を胸を背中を足を撫でていく。二人はさらに深く見つめあう。
 リオは窓の外へ身を乗り出した。ピエロは何も言わずに小さく笑う。リオのくちびるがピエロに触れる。チリン。とんがり帽子の鈴の音を残してピエロは消えた。
 しゃぼん玉はいつか弾ける。リオはもう、しゃぼん玉を吹かない。


+++++++++++++++
千文字世界 投稿作品

2005年3月9日水曜日

深刻な問題

顔面に蝶が張り付いた。
左の頬にべったりと。
「参ったな」
理由その1 痒い
理由その2 変人扱いされる
理由その3 鏡が気になる
理由その4 蝶の健康が気になる
理由その5 蝶の配偶蝶を捜さなければならない
理由その6 産まれた毛虫は無事成長するか
理由その7 現在の蝶に代わり私の頬に張り付く子蝶はいるか

2005年3月8日火曜日

蝶の羽に穴

もう、逃がさない。

2005年3月7日月曜日

春の使者

梅の花は咲いた。
「さてと」
私は一年振りにステッキを取り出した。おじいさんと呼ばれて腹が立つことはないが、杖を使うほど足は衰えてない。
「仕事だよ」
ステッキのお役目の時が来たのだ。
私はステッキを持って散歩に出る。石を見つけてはステッキの先でちょいちょいと突く。
蝶が飛び始める前に、全部済ませなければならない。
石にだって春の訪れを知らせてやらなきゃ、えらいことになるのだから。
石ころを突くのは老人の特権だ。

2005年3月6日日曜日

マジックではないマジックのこと

レオナルド・ションヴォリ氏、本日は掃部くんと外遊び。
ションヴォリ氏がちょうちょを捕まえる。
「ほいさっ!カモンくん、捕まえたぞ」
掃部くんの着ている変な動物の着ぐるみについている12のポケットのうち寝てばかりのネズミの羅文と四文が入っているポケットに、掃部くんはちょうちょをしまう。
ちょうちょが入ってきてネズミは目を覚ました。羅文と四文はちょうちょで遊ぶのが大好き。羅文と四文にあれこれくすぐられて、ちょうちょはたまらず飛び出した。
「れおなるど、ちょうちょがたくさん」
へんな動物のお腹から、おびただしくちょうちょが飛び出す。
「1.2.3……あー、待て待てちょうちょ。そんなに飛び回っては数えられないではないか。もう一度。1.2.3……」
ポケットに入れたちょうちょは一頭。ポケットから出たちょうちょは空一面。
掃部くんは驚きもしない。

2005年3月5日土曜日

春の呪文

ウラウラテフテフヒラヒラ

2005年3月4日金曜日

困った人たち

私の周りには蝶が好きな人が多い。
ママは蝶の柄のカーテンやベッドカバーがお気に入りで、隣のマサくんは蝶を捕まえて標本にしている。
クラスで仲良しのケイちゃんは、チョウチョのキーホルダーを名札に付けている。いつも身につけていたいんだって。
ママが私を褒める時と、ベッドカバーを丁寧に直す時は、同じ顔。
マサくんが標本を自慢するときと、私を「俺のカノジョ」を紹介するのは同じ顔。
ケイちゃんは「あげはちゃん」をどこでも連れて歩きたがる。あーあ。

2005年3月2日水曜日

新学期

「アサギマダラ。安田くんに、ぴったりね」
五年生の担任になったマサミ先生は、始業式の後、ぼくにそう耳打ちした。
ぼくの蝶に気付いたのは、おばあちゃんだけ。先生は二人目だ。すごくすごくびっくりした。でも、すごくすごくすごくうれしい。
たぶん今年はがんばれる。うん。先生の目はキレイだ。

2005年3月1日火曜日

新氷河期のはじまり

煙突から蝶が昇る。
工場の煙突、銭湯の煙突、暖炉の煙突、釜の煙突、汽車の煙突。
その日は世界中の煙突から煙の代わりに蝶が吐き出された。
あちこちで排出された蝶が空へ向かって舞いあがる。
世界は火を止めた。

ついに自動車もバイクも蝶をふかす。エアコンの室外機からも換気扇からもコンピューターのファンからも蝶が飛び出す。
世界は自主的に停電した。

空一面に蝶。
科学者は世界最大のコンピューターから排出された蝶を捕まえた。新種の蝶だった。それを確認して電源を切る。

世界中の昆虫マニアは満足した。実に268年振りの蝶の新種だ!と。彼らは例外なく自分の家の煙突や車やパソコンから出た蝶を捕獲していた。

蝶で覆われた夜は暗く静かだった。そうだ、夜は暗いのだ。人々は368年振りに闇を知った。

翌日、空の蝶は跡形もなく消えたが、その夜も暗かった。そして空腹だった。
あらゆる煙突、空気孔が完全に塞がってしまったから。
ほら、火も電気も使えない。

降るまで

 退屈だった。朝食のメニューも、通学路も、先生の冗談も、友達との会話も、すべて退屈だった。
 昨日は赤い絵の具の雨が降った。アスファルトもビルも、芝生も街路樹も、信号機も車も、傘も靴も、すべて真っ赤に染まった。
 今日は青い絵の具の雨が降る。アスファルトもビルも、芝生も街路樹も、信号機も車も、傘も靴も、すべて紫に染まっていく。
 明日は何色の雨が降るのだろう。やがてこの世は真っ黒になるのかもしれない。そう思うと、うそみたいに退屈は消えていった。


********************
500文字の心臓 第47回タイトル競作投稿作
△1

2005年2月28日月曜日

解く

高校生の息子が5才だったころ、蝶ばかり書いていたことがある。
都会育ちの彼が目にする蝶は限られていたし、蝶を見てもそれほど興味を持っているようには思えなかった。
それより驚いたのは、ほかの絵と比べて蝶の絵だけ明らかに緻密で丁寧に時間をかけて描いていたことだ。
その様子に、自分の息子ながら圧倒された。こんな絵が描ける息子を誇らしく思う一方で、ほんの少し気味悪くも思っていた。
息子の蝶への執着は三か月ほどで終わった。その数、80枚。毎日のように描いていたのだ。私は全てをファイルし、本棚にしまった。

昨日、息子は自分の手でファイルを見つけた。
「これ、おれが子供ん時のでしょ」
「そう。覚えてるの?」
息子はそれに答えず、ファイルから蝶の絵を取り出し、一枚づつ破き始めた。
「ちょっと!何してるの。せっかく小さい時のアンタががんばって描いたのに。もう同じのは描けないんだよ。だからファイルに入れてしまっておいたんだから」
私は言いながら泣いていた。息子は紙を破る。蝶が一頭、また一頭と窓から飛び立っていった。

2005年2月27日日曜日

国宝「花蝶図屏風」焼失

手紙が来るなんて、ずいぶん久しぶりだ。確かに明日は誕生日だ。オレは悪友からのカードと信じて白い封筒を開いた。
畳まれた花柄の紙、中には蝶が入っていた。何と言う蝶かは、わからない。青く輝く蝶。
「キモい…」
オレは実際声に出しながら腕を精一杯伸ばし、ソレをテーブルの上に置いた。
参った。どうしよう。
しばらく悩んだ後、俺は紙ごと蝶を灰皿の上に置き、ライターの火を近付けた。
炎は予想外に大きく慌てて水を用意したが、結局使わなかった。全部灰にしてしまいたかったのだ。

2005年2月24日木曜日

現代っ子

鮮やかなみどり色した蝶が、ビル街を飛んでいる。おや、蝶はこちらに向かってくるではないか。
ここはコーヒーショップの屋外テーブル。店内には客がいるが、外の席には私しかいない。
蝶はまっすぐに近づいてきて、私が持っていたカップの縁にとまり、コーヒーを飲み始めた。
「もし、ちょうちょさん?」
蝶はピタリと動きを止めた。
「コーヒーはおいしいかい?お花の蜜はいいのかい?」
[お花は飽きちゃった。ごちそうさま、コーヒーおいしかった。ブラックが一番ね。]
蝶はウインクして飛び去った。蝶はウインクなどしない、もししたとしてもわかるはずがないのは、承知している。

2005年2月22日火曜日

「銀世界に舞う蝶がいるのを知っているか?」と、隣の男は言った。
私は友人とバーのカウンターで昆虫談義に花を咲かせていた。
男はそれを聞いて話に割り込んできたのだ。
「え?」
「私は15才だった。学校から帰る途中、雪が強くなり、とうとう吹雪になった。」
男は低く小さな声でゆっくりと話始めた。
私は友人と顔を見合わせたが、黙って話を聞くことにした。
「吹雪で前が見えないはずなのに、遠くに一頭の町蝶が見えた。梅のような紅の大きな蝶だった。私はそれを目指して歩いた。幾度も転び、それでも歩いた。」
私はなぜか眠気を覚えた。気付くと友人は既にカウンターに突っ伏して寝ている。
「追い掛けるうちに紅い蝶は、だんだんと数が増えていき、まるで燃え盛る炎のようだった。あそこに行けば暖かいだろうと思い歩き続けた。」
私の記憶はそこで途切れた。

「おい、起きろよ。」
友人の声に促され、私は慌てて店を出る支度を始めた。隣の男はいなかった。つい今し方お帰りになりました、とマスターが言った。彼が残したグラスの中ではは、スノードームのように輝く粉が舞っていた。

2005年2月21日月曜日

欲望

タカオの左腕には大きなアザがある。
「チョウみたい」
女がそこに唇を近付けようとしたのを乱暴に振り切る。

アザはかつて、本当に蝶だった。
七歳の時、タカオが捕まえたアゲハ蝶。
蝶は弱っていた。虫捕りが不得手だったタカオにあっけなく捕まり、それを待っていたように事切れた。それでもタカオは興奮した。
タカオは初めての獲物をじっくり見た。細かい毛、極彩色、鱗粉。すべてが不気味に美しかった。
と同時に、得体の知れない衝動に駆られてアゲハ蝶を左腕に右手で押し付けた。強く強く手が痺れるほどに。
いよいよ感覚がなくなって手を放すと、蝶はなく腕に蝶型のアザだけが残った。アザを見て母親は心配したが、タカオは満足だった。むしゃくしゃした時はアザを見た。蝶のアザは俺の勲章なんだ。

「こっちの獲物は、逃げても惜しくないな」
タカオは横たわる女を見下ろして思う。

2005年2月20日日曜日

山口さんのリボン

ポニーテイルの山口さんは、いつも大きなリボンを付けていた。
「きれいなリボンだね」
僕の真っ赤な顔を見ると少し驚いた顔して
「ありがとう」
と言った。
「でもね。これ、リボンじゃないんだ。ちょうちょなの」
山口さんは屈んで頭がよく見えるようにしてくれた。
ピンク色の蝶が、静かに羽を揺らめかせながらとまっていた。
「ね?」
 その夜、山口さんはいなくなった。町内総出で捜したが、何も見つからなかった。
「虫捕り網をもった男にかどわかされた」
と、目撃者は言った。それ以上の手掛かりはなかった。
翌日、山口さんは帰ってきた。服も汚れていなかったし、怪我もなかったが、ポニーテイルにリボンはなかった。
山口さんは、僕の顔を見て、泣いた。いつまでも泣いた。

2005年2月18日金曜日

真夏のタマゴ

タマゴが公園を散歩していた。
このタマゴ、身長約壱米、手足もついている。タマゴのバケモノと思って下さればよろしい。
さて、タマゴが公園を散歩していた。
都内でも大きなこの公園、たくさんの人が夏を楽しんでいる。
杖を振り回しなが歩いていたおじいさんの杖にぶつかり、タマゴに少しヒビが入った。
タマゴはそこいらのタマゴとは違うので(なにしろバケモノだ)そのくらいの衝撃では割れることはない。
タマゴは散歩を続けた。
子等の投げる球が当たり、またタマゴにヒビが入った。
ベビーカーにぶつかり、またまたタマゴにヒビが入った。
このあたりでタマゴは散歩にきたことをやや後悔する。
そして犬に吠えられた。驚いたタマゴはゴロンと転んでヒビからまっぷたつに割れてしまった。
真夏の太陽に照らされたアスファルトの上で、あられもない姿になったタマゴは目玉焼きになった。

2005年2月17日木曜日

真実はキミだけが知っている

「これは良い卵、これは悪い卵」
とナタ子は言う。
「どうして?どこが違うの?」
「これは間違った卵、これは正しい卵」
ナタ子は「悪い卵、間違った卵」を庭に捨てる。
「止めて!」
私の制止に構うことなく、卵が庭で割れていく。
ほとんど手入れされていない空き地のような庭のあちこちに卵の残骸。
10個のうち残ったのはたったの四個。
「これでホットケーキを作るのです」
ナタ子は[ナマムギナマゴメナマタマゴヤキムギヤキゴメヤキタマゴ♪]と早口言葉をハミングしながら調理を始めた。
翌日、ナタ子の家の庭には六輪の真っ赤な薔薇が咲いていた。

2005年2月14日月曜日

たまごを抱いた猫

昨日からペットのカニゾウ(♂六才)がヒーターの前から動こうとしない。
「ちょっとカニゾウ!掃除するんだからどいてよ」
ただでさえぐうたらデブ猫だったがいよいよ動かない。
「んもう!」「に゛ゃ」
私はカニゾウをむりやり持ち上げた。
「カニゾウ?なにこれ?たまご~?あんたオスでしょ。その前に哺乳類!」
カニゾウは知らん顔して去ろうとしている。
「待ちなさい。どーしたのこのたまご。あんたがあたためても孵らないと思うんだけど。もう死んじゃってるかもしれないし」
こちらに戻ってきたカニゾウは私と一緒になってたまごを見つめている。
カニゾウはゆっくりと前足でたまごを撫でる。私にパンチを食らわす時とは大違いだ。
「あ!」
たまごにヒビが入った。
「え?うそ。産まれる?」カニゾウは私に自慢げな顔をしてみせる。
「すごいよ!カニゾウ!お母さんじゃん。あれ?お父さんか?まあ、どっちでもいいや」
私は生まれてきたトリケラトプスを抱えてカニゾウを労う。奮発して高級ネコ缶をご馳走してやるぞー。

2005年2月13日日曜日

失禁問答

ギーコギーコ
「あの~何してるんですか」
「卵切り」
ギーコギーコ
「タマゴキリ?」
「そ。卵切り」
ギーコギーコギーコギーコ
「それ、卵なんですか?」
「おめさん知らんのか?カテマノハの卵、旨いよ?」
ギーコギーコギーコ
「カテ……。知りません。それ、鳥ですか?」
「鳥っちゅうか、カテマノハ。」
「はあ。ノコギリじゃないと切れないんですか?」
ギーコギーコギーコギーコ
「質問の多いやっちゃな。こうしないと切れないからこうするの。」
ギーコギッ
「あ!切れた…」
「ちょっとなめてみな」
「い、いただきます。あ?あれ?いや、あ。あ。」
「あ~あ、漏らしちゃった。これだから都会の者はダメだ」

2005年2月11日金曜日

17才だった

風船売りの少女。風船を乳母車に結わい付けて佇む。温かいココアが飲みたい。早く来て。

ひとりぼっちの少年。鏡の中の少年に語りかける。「あの娘はどこ?」

少年は捜す。道路に落書きする子供。時間が気になるナポレオン。タイヤの外れた救急車。髭の易者。プールの中。太った牧師。鳥籠で眠る猫。
誰に聞いても答えは同じ。「ぺのぺの」

相変わらずチェスの駒はトマトジュースを吐き出し、天使は金の話ばかり、オオカミは立ち小便をし、空にはレモンの気球。

それでも少女は待ち続ける。温かいココアを。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
佐々木マキ「セブンティーン」1968年 をモチーフに

2005年2月10日木曜日

呑気な家族

弟は石を拾ってくるのが好きで、毎日のように石を抱えて帰ってくる。
そして持ち帰った石のスバラシサを家族に語って聞かせるのだが、確かになんともいえぬ味わいがある石が多い。
私もたまに弟の真似をして道端に目をやりながら歩いてみるのだが、なかなか弟のようにはいかない。あれはあれで見る目があるのね、と私は感心する。
ただ困ったことに弟が持ち帰る石の三分の一は、何物かの卵で、いつのまにか魑魅魍魎の類いが家の中を跋扈しているのだ。
それらは魑魅魍魎としか言いようがない、つまりは妖怪のようなものなのだが
父も母も弟も気にする様子がなく
こんなお化け屋敷では友達が呼べないと悩んでいるのは、私くらいらしい。

2005年2月8日火曜日

旅先で立ち寄った古書店のこと

知らない本屋、特に古本屋に入るのは、なかなか勇気がいるものだ。頑固な店主がハタキを持って待ち構えているかもしれない。しかし、掘り出し物への期待は、何よりも勝る。
私は初めて訪れた田舎町(どこの国のなんという町であるかは、私の胸に留めておきたい)で一軒の古書店を見つけたのだった。
私は埃と古い紙の匂いを思い店に入った。しかし、私の嗅覚は確かに「卵焼き」の匂いを感知したのだ。
それもそのはず、店には卵の本がずらりと並んでいたのだ。
「卵との日々」
「あぁ卵海峡」
「卵戦争はなぜ起きたか」
「卵伯爵の日記」
「世界の卵料理」
「1st写真集《16才、はじめての卵デス☆》」
「卵はかく語りき」
「1635年版卵白書」
「禁じられた卵」
「明解卵」
「どこかで卵が」
「歌劇【卵の湖】」
私は「卵詩集」と「卵の教え~卵教入門」 を手にとりレジへ向かった。
レジで眼鏡を掛けた卵に760×(国を特定できないよう通貨単位を記すことを避ける)を渡し店を出た。
帰路の汽車に乗り「卵詩集」を読もうと鞄を開けると、「卵詩集」も「卵の教え~卵教入門」も消えていた。そこには二つのゆで卵があるだけであった。

2005年2月7日月曜日

だからぼくはタマゴが嫌い

ママは、タマゴを買ってくるとペンで顔を書く。
ママにはタマゴの名前がわかるらしい。
「あなたはタカシ。きみはエリオット、あなたは…?そう、マナミね」
だから冷蔵庫には近付けない。
料理をするときは「さ、カオリ、マユミ、マコト。あなたたちはおいしいオムレツになるのよ。協力してね」と語りかけながら割る。生ゴミ入れには、砕けた「カオリ」たちの顔が。だから流しには近付けない。
テーブルについたぼくにママが言う。
「今日のオムレツはカオリとマユミとマコトなの。たくさん召し上がれ」

2005年2月6日日曜日

みなしごとたまご

おれはものごころついてからたまごしか食べたことがない。
毎日、差配さんのうらにわににわいるにわとりがたまごをうむ。
にわとりの名前は「あさこ」と「ゆうこ」。差配さんは、「コッコ」「ケッコ」とよぶ。
あさこは毎朝おなじ時間にたまごをうむ。差配さんもまだねている時間だから、かんたんだ。あさこのうんだたまごをちゃわんに割ってのむ。うみたてのなまたまご。これがあさめし。
ゆうこはそうはいかない。たまごをうむ時間はきまぐれだし、差配さんが家にいるからだ。差配さんはおっかないから、みつかるところされるかもしれない。でも、ぜったいにしくじらない。うらにわのつばきのかげで、ゆうこがたまごをうむのを待つ。たまごをうむとすばやくとって、にわからはなれる。
ちゃわんにたまごを割るとハンバーグがでてきた。
おれはたまごしか食べたことがない。

2005年2月3日木曜日

豆まき…デラックス百科事典より

東の某島では、春の報せが訪れる直前、悪魔払いと家内安全を願う古代から続く風習がある。
オニと呼ばれる悪魔を懲らしめるため、オニの卵である豆を屋内外に撒き、また食することにより、
恙無い一年を約束するという。
オニの卵を撒いてはオニが殖えるのではないか、という我々の疑問に、島民は一切答えない。

2005年2月1日火曜日

素敵なお茶会

「いらっしゃい、ユウタくん」
ぼくがタキコさんのアトリエに呼ばれたのは、父さんからお使いを頼まれたからだ。
 タキコさんは学校を出て三年の絵かきで、父さんの作る筆を使っている。言わばお得意さんだ。
今日父さんは外せない用事ができたので、ぼくが代わりに筆を届けに来た。
 タキコさんのアトリエは絵の具や筆、得体の知れない細々としたものがそこら中に散らばっているし、絵の具の匂いが充満しているけど、それをイヤだとは思わなかった。それどころか、なんだかワクワクする。
「遠かったでしょ?お駄賃あげなきゃね」
タキコさんはイタズラっぽく笑った。父さんがお金を貰ってきたら駄目だと言ったのをわかっているのだ。
「お茶にしましょ。こっちにいらっしゃい」
テーブルには、サンドイッチとマグカップとバスケットに入ったいくつかのタマゴとポット。
タマゴ?
「何飲む?紅茶でもココアでもジュースでもいいのよ。」
「寒かったから…ココア」「はい、じゃあこれ」
タキコさんはタマゴをひとつ、ぼくのカップに入れた。
「え?」
「あら、ユウタくん、エッグココア初めてだっけ?じゃあ見てて。カンタンだから」
タキコさんはタマゴをひとつカップに入れた。
「わたしのはエッグティー、紅茶よ」
と言いながら、そのままお湯を注いだ。
「できあがり。んーいい香り。はい、ユウタくんの番」
ポットを渡され、恐る恐るカップにお湯を注ぐと、タマゴが溶けてココアになった。
「すごい!おいしい!」
「よかった。サンドイッチもたくさん食べてね」

 タキコさんのアトリエを出るとき、ぼくは言った。
「ねぇ、タキコさん。また遊びに来てもいい?」
「もちろん」
今度来る時はタキコさんの好きなケーキを買っていこう。

2005年1月31日月曜日

異常気象

強い冬型の影響で、関東地方におびただしい数の卵が降りました。
卵は地面に落ちて割れ、街路樹にぶつかり割れ、傘に命中して割れ、至るところぐちゃぐちゃのベタベタ、殻のカケラも散乱し、生臭い匂いが漂い、それはそれはすさまじい有様でした。
フライパンや鍋を持って外にでる人もいましたが、勢いよく降ってきた卵は飛び散り、鍋が汚れるだけでした。
人々は、天気省に訴えました。ちゃんと食える卵を降らせろ、と。
天気省の役人たちは、国内外の古文書を紐解き、ニワトリの生体や古い雨乞いの儀式を研究しました。
雨乞いの儀式を改良すること67回、天気省はゆで卵を降らすことに成功しました。
儀式が成功すると、ゆで卵はゆっくりと降ってきました。子供たちはポケットに塩を入れ、降ってきたゆで卵をキャッチしておやつに食べました。
しかし、儀式が失敗すると弾丸のような勢いで降ってくるゆで卵に当たり、たくさんの人が死にました。

2005年1月30日日曜日

ションヴォリ氏の好物のこと

レオナルド・ションヴォリ氏はうずらのタマゴが大好きで
ゆで卵も目玉焼きもうずらのタマゴ。
でもションヴォリ氏は食いしん坊のじいさんなので
ゆで卵なら16個、目玉焼きなら14個のうずらのタマゴが必要だ。
主水くんはいつも市場で大量のうずらのタマゴを購入するので
市場のおばちゃん連中に
「やあ、うずら買いのモンドちゃん!お宅の博士は元気かい?!まったくレオナルドときたら!一体ニワトリのタマゴの何がお気に召さないんだろうね!」
とカッカと笑われる。
主水くんは顔を赤くしながら、今日も30個のうずらのタマゴを買う。

2005年1月29日土曜日

コレクション

タマゴを割ると、蝶の羽が出てきた。
一枚。右の羽だ。
気味悪さに思わず後じさりするが、気を取り直して蝶の羽を拾いあげた。
「アオスジアゲハだ…」
虫捕りが好きだった子供の頃の気持ちが蘇る。羽を捨てる気はなくなっていた。
蝶の羽入りタマゴは、タマゴパックにひとつあることがわかった。
羽が出るとなんの蝶の羽かを図鑑で調べた。
オオムラサキ
ムラサキシジミ
オオカバマダラ
シンジュタデハ
数の少ない蝶、海の向こうの蝶の羽も頻繁に出てきた。
いつのまにか、僕の食事はタマゴ料理だらけになった。
オムライス
かに玉
親子丼
卵かけご飯
部屋の中は夜になってもキラキラと輝いている。
僕が動くたび、鱗粉が舞い上がる

2005年1月28日金曜日

月夜のたまご

小包には「お月さんより」と書いてあるので、月が贈ってくれたということにする。
 実際、僕は月をよく眺める。そして、あれこれ語りかける。
自分の部屋の勉強机に向かうと、月がよく見える。勉強より月を眺める時間が長くなるのは、当たり前でしょう?
毎日話を聞いてもらっているから、学校の友達とは違うけど、月も友達なんだと思う。
友達と呼ぶ以外適当な言葉をが見つからない。
 その友達から小包が届いたから、僕は実のところかなり興奮していた。月がプレゼントをくれるはずがないと知りつつ、鼓動は速くなった。
 中には、たまごが入っていた。
たまご?お月さんがたまご?お月さんとたまご?お月さんのたまご?お月さんはたまご?
 僕は夜になるのを待ち、月に聞いた。
「プレゼントありがとう。たまごが入ってた。あのたまごはなに?」
「割ってごらん」
僕は驚いた。たまごが本当に月からの贈り物だとわかったからではなくて、月が初めて返事をしてくれたから。
 たまごを割ってどうなったかは、秘密だ。そう月と約束した。今夜も月と話をする。

2005年1月26日水曜日

キミは誰

ピンポーン
玄関を空けると大きな籠を抱えた女が立っていた。
「大事にしてください」
と籠から透明なボールを取出した。
「風呂場に置いておくものです、どうぞ」
「受けとれません」
「お金はいりませんから…」
女は強引にボールを押し付け、去っていった。
ボールはよく見ると中に黒っぽいものがあった。
プニプニとしていて触り心地もいい。
置くところもないので女に言われたとおり風呂場置いておくことにした。

ピンポーン
数日後、また女は現れた。籠はもっていなかったが、子供を八人も連れていた。
「またあなたですか」
「ちゃんと風呂場においていただきましたか」
「ああ、あのボールね。風呂場にあるよ」
女は聞き終わらないうちにずかずかと部屋に入った。呆気に取られて止めることもできない。
「ありがとうございました」
女は子供の手を引き玄関に戻ってきた。
「大変お世話になりました」
女は九人の子を従えて帰って行った。

2005年1月23日日曜日

相談があります。

ひとつのタマゴから4個のゆで卵ができました。
タマゴをひとつ、鍋にいれ、しばしキッキンを離れました。
新聞を読んでいたのです。
キッチンに戻り鍋を覗くと、タマゴは四個になっていました。
わたしはどうしたらいいでしょうか。

親の心、子知らず

道端で拾ったタマゴ。
両手におさまるくらいの真っ白なタマゴ。
あんまり手触りがよかったので
毎日なでなで、ほおずり していたら
ぷきゅぷきゅ
と鳴き声が聞こえた。
どんなにかわいいヤツが産まれるんだろう!とワクワクしていた。

小さなヒビが大きな亀裂となる。
とうとう逢えるんだね。俺をママだと思っちゃうかな?それならそれで、愛情たっぶりに育てるよ。
手をそっと差し出す。すぐにでも触れたいよ。早く出ておいで…。
「どっこいせ。あ゛~」
出てきたのはネクタイの緩んだ冴えない親父。
俺のてのひらの上で欠伸をする父親。
「親父…」
「久しぶりだな、倅よ。逢いにきたぞ」

2005年1月20日木曜日

きいろのクレヨン

坊やは絵を描きました。
とてもよく描けた、と思いました。
「これなあに?」
「おつきさま」
坊やのおかあさまは、坊やの絵を見て目玉焼きが食べたくなりました。
 お昼ご飯はトーストと目玉焼きとサラダとミルクです。
坊やとおかあさまはおいしくいただきました。
坊やはお昼ご飯の後、またスケッチブックを広げました。
おかあさまには、先のおつきさまの絵と変わらないように見えました。
坊やは今、月に夢中なんだわ、と思いました。
そういえば、おとといの夜、車の中から見た満月に興奮していたものね。
「上手ね、おつきさま」
「たまご」
坊やは少し気を悪くしました。
おつきさまとたまご、まるきり違うものなのに、なぜおかあさまはわからないのだろう。
きいろのクレヨンが転がりました。

2005年1月19日水曜日

愛の理由

〔私の彼はスクランブルエッグを作るのが得意です〕

[単なる炒り卵だけど]

〔少し塩っ気が多いスクランブルエッグをトーストにのせて食べるのが、私の朝食の定番〕

[え?塩辛いなんて聞いたことないぞ]

〔彼の作る卵料理は黄身がピンク色なの〕

[どうして色が変わるのか、わからない]

〔ゆで卵も、目玉燒きも黄身はピンク〕

[割ってすぐは黄色いんだけど]

〔生タマゴも、溶いているうちにピンクになってる〕

[かなり気色悪い]

〔私、ピンク大好きよ〕

[俺のことは?]

〔ピンクのタマゴを作ってくれるあなたが好き〕

[ピンクじゃなくなったら?]

〔あなたと一緒にいる価値はなくなるわ〕

2005年1月17日月曜日

ピクルス街迷妄

赤信号で停まっていると、兎がウサギ型の風船を売りにきた。
「いくら?」
「dock bock」
ぼくは兎に5¢やってサイドミラーに風船をくくりつけた。

「おーい!マッチをくれ」
マッチをカゴ一杯に入れて歩く少女を見つけて車中から声を掛ける。
ぼくは煙草が吸いたい。
マッチ売りの少女はまっすぐ前を見て歩き、ぼくの声に振り向くこともない。

山羊がヤギの指人形を両手につけ、コントをしている。
立ち止まる者はいない。

波止場で車を降り、ウサギ型風船を右手に持って歩く。
波間に浮かぶリンゴたちが月に照らされている。

車に戻ると、ボンネットに空き瓶とマッチの燃えさしがひとつ。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
1.17に寄せて
佐々木マキ「ピクルス街異聞」1971年をモチーフに

コロコロ

ボールがコロコロと転がっている。
それを子供が追い掛けている。
私はボールを拾い子供に渡す。
ボールは子供の手を擦り抜けコロコロと転がっていった。
タマゴがコロコロと転がっている。
それを赤ん坊を背負った若い女が追い掛けている。
私はタマゴを拾い女に渡す。
タマゴは女の手を擦り抜けコロコロと転がっていった。
地蔵の頭がコロコロと転がっている。
それを老人が追い掛けている。
私は地蔵の頭を拾わずに、老人を見送った。

2005年1月16日日曜日

隣人

 隣人が庭に穴を掘りはじめて何ヶ月になるだろうか。
 隣に住む男は定年退職をしてから毎日庭に出て穴を掘り出した。道具は何も使わず、素手で直径五十センチほ
どの穴を掘っていく。
 朝は九時ちょうどから始め、夕方は五時きっかりまで。土曜日、日曜日は庭に出ることはあっても穴を掘ることはない。まるで勤め人のようなスケジュールである。
 我が家の庭と隣家の庭の間には腰の高さほどのフェンスがあるだけだ。お互い目隠しになるような樹木を植えることもなく、我が家の居間の窓からは隣家の庭のダイニングがしっかり見渡せる。以前は覗きをしているようで、また覗かれているようで気になっていたが、穴を掘るようになってからは頻繁に庭に目をやるようになった。 穴はまもなく大きくなり、隣人の姿は穴に隠れて見ることが出来なくなった。穴の傍らに積まれた土も少しづつ高くなっているようだ。穴の中の様子を見てみようと、二階のベランダから覗いたこともあったが角度が悪く、また盛られた土が邪魔をして、穴の中までは見えなかった。
隣人は妻と二人暮しである。子供もいるようだが、私たち夫婦がここに越して来た時には家を出ており、顔も知らない。夫妻は顔を合わせれば挨拶をするし、頻繁に寄り添ってスーパーなどへ買い物に出かけている姿を見
掛ける。仲の良い夫婦だと近所でも評判だ。しかし実際は、週に数回妻のヒステリックな声が聞こえてくるのだ。「こんにちは」と、にこやかに言うこの妻に対して「お宅の旦那さんはずいぶん熱心に庭作りをしておられますね」という言葉をこの数か月の間に一体何度飲み込んだだろう。
穴はここ数日でさらに深くなったようだ。積み上がった土は穴の周りをぐるりと囲み、徐々に高さを増していく。妻が夕方五時に庭に出きて、いつものように「あなた、もうおしまいにしたら」と言う。乱暴に、サンダル履きの足で積み上がった土を穴に蹴落としながら。
その日から妻のヒステリックな声は全く聞かれなくなった。

きららメール小説大賞投稿作

2005年1月15日土曜日

酔いしれて黄色

いつものバーに入ると席は既にいっぱいだった。
十四席しかない小さな店だ、珍しいことではない。
髭ヅラのマスターがすまなそうに眼差しを送ってきた。
その眼差しに苦笑いが含まれているのに気付いて、もう一度店内を見渡すとカウンター席のひとつに巨大なタマゴが居座っていた。
しかし大きいこと以外、普段食べる鶏卵と変わらないようだ。
タマゴは頬を上気させ、何事かを語っていた。
客はみなタマゴの話を真剣に聞いているようだ。
私は酒を諦めて帰ることにした。
「また来るよ」
マスターにそう言って店を出ようとすると
タマゴ以外の全員がこちらを振り返り、私を睨みつけた。
二十六個の目玉はドロリとした黄色い光りを放っていた。

2005年1月14日金曜日

淑女の好みは

とにかくカタイのがいいのよね。
とゆで卵を壁に投げ付けながら笑うのは、カクテルドレスを纏った我が妻。

2005年1月12日水曜日

塀から落ちるな

東の島生まれの人、ミスターダンペイ・ハンムラは
大のタマゴ好きで、タマゴを殻ごと食べていたそうだ。
唇や口の中に殻のカケラが刺さり、血が流れるのも構わずニヤニヤと笑いながら大きな音をたてて食べるその姿に人々は畏敬の眼差しを向けた。
また人々は、ミスターハンムラの故郷では、みな血を流してタマゴを食すものと信じて疑わず
「日出づる地には鶏卵を携帯するべからず」
ということわざが生まれた。
半村団平こそ、我が国の養鶏の祖にして最大の変人である。

2005年1月10日月曜日

6個入りタマゴパック

一つ目を割ると、りんごが出てきたので噛った。
二つ目を割るとチョコレートが出てきたので娘にやった。
三つ目を割るとルンペンが出てきたので食べかけのりんごをやって追い出した。
四つ目を割るとホステスが出てきたので夫にやった。
五つ目を割ると恐竜の子が出てきたので動物園に電話した。
六つ目を割るとめんどりが出てきたので卵を6個産ませた。
なにはともあれ。

2005年1月8日土曜日

タマゴのなる木

今年も庭木にタマゴがなった。
なんという木かは知らないし、調べたこともない。

この古い一軒家を四年前に買った時から、庭は全くいじっていない。
庭が欲しいという願望はなかったが、条件のよかったこの家には庭があり、木がいくつかあった。
鬱蒼としているわけでもなく、外から丸見えというのでもなく。
私はそれをよしとした。
そして声に出して「よし」と言った。
冬になるとそのうちの一本に白いタマゴがたわわになった。
雪の多いこの土地では、近隣の人々にそれを気付かれることもない。
私はタマゴを一つもぎ、目玉焼きを作った。
私がそれまで食べてきた目玉焼きとなんら変わりなかった。
「よし」と私は言った。
今年も庭の木にタマゴがなった。

2005年1月7日金曜日

EGG & COIN

ゆで卵の中に硬貨が入っていたら、こんなラッキーなことはないよね。
健太が口の中から一円玉を出すと、テレビ局が取材に来て一万個もゆで卵を食べるはめになったんだって。
十円玉がゆで卵から出てきた奈津子は、一万円の募金を迫られたってさ。
太郎は百円玉を噛って前歯が折れて、治療に一万かかったらしい。
ゆで卵から硬貨が出てくるとまったくロクなことがないね。

2005年1月6日木曜日

朝ですよ

高校生の息子を毎朝起こすのは至難の技である。
怒鳴っても蹴飛ばしても猫撫で声を出しても起きない。
このねぼすけ、誰に似たんだか。
今朝、テキは新しい作戦に出た。
ベッドには巨大な卵。しばし呆然。
耳をあてると寝息が聞こえてくる。
確かに息子はこの中にいる。
思わずホッと息をつく。
この中で寝るのはさぞかし心地良いだろう。一体どうやって卵に入ったのか。
母も日曜くらいはこんな卵に入って昼まで寝てみたいよ。起きたら聞いてみなくては。
私は張り切ってトンカチを取りに行った。

2005年1月5日水曜日

タマゴマゴマゴ

「タマゴがまごまごしてるよ」
とままごとをしながら孫が言う。まさかと思ったが、ごましおをつけたユデタマゴがまごついていた。
孫と相談した結果、真心こめて多摩墓地に埋葬することにした。

2005年1月3日月曜日

ゲラヒマル

とある島の山奥に棲む鳥は、秋に白い花を付ける高い木の頂上に巣を作り、卵を一つだけ産む。
鳥は島で最も大きく、最も数が少ない。木は島で最も高く、最も数が多い。
卵は円錐形をしており、母鳥が温めるためにその上に座ると腹部に突き刺さる。
血は巣から滴り落ち、地面に染み込む。
ヒナがかえると同時に母鳥は死ぬ。
もしもヒナがかえる前に母鳥の命が絶えれば、卵もまた死んでしまう。
死んだ母鳥は既に干からび、ヒナはその姿を見て「へ」と鳴き、すぐに飛び立つ。
母鳥のミイラを頂上に掲げた木はその年、紅い花を咲かせる。
「ゲラヒマル」現地の言葉で「紅いミイラ」。
鳥と木は同じ名前を持つ。

2005年1月1日土曜日

朝食は食パンと目玉焼きが定番。目玉焼きには食塩を少々かけます。
昼食は職場の食堂で同僚と一緒に食事です。今日は生姜焼き定食を食べました。
夕食は我が家の食卓で食べましょう。食材は新鮮なものを選びます。食費は多少かかりますが、食中毒になってはいけません。
そうそう、食後には焼酎が待っています! 職場で起きたショックなことを焼酎に処分してもらいましょ。

********************
500文字の心臓 第45回タイトル競作投稿作
×1

最強の処遇

買ってきた玉子をパックごと落としてしまった。
ぐせゅ
いやな音である。料理をするときには何も感じないのに、落とした玉子は「卵」感が濃厚だ。ナムアミダブツ。
私は後片付けに取り組む。割れた玉子の中身はボウルに入れていく。殻のカケラを取り除いて、オムレツかなにかにして食べてしまおう。
お。
あれほど盛大に落としたのにひとつだけ割れていないものがあった。
なんて強いヤツだ。コイツは仏壇にでも供えるか。