2019年3月31日日曜日

花吹雪

ものすごい拍手だった。物陰に潜んで、様子を窺っていた人々が一斉に出てきた。
そして、ありとあらゆる色彩と、ありとあらゆる大きさの花びらが降ってきた。舞い散る花びらで周りがよく見えない。

消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者と、青き鳥、ここにあり!」
さらによく通る低い声で、青い鳥が言った。

人々は「佳い花を」「佳い鳥を」と交互に叫んだ。

「佳い花を!」
「佳い鳥を!」

花びらはどんどん降り積もり、もう足首まで埋まってしまった。
あらゆる花の芳香と鮮やか過ぎる色彩で、立っているのがやっとだ。
青い鳥は、よい気分になっているらしい。堂々とした様子で周囲を見回している。

「佳い花を!」
「佳い鳥を!」

なんなんだ、これは一体。
急に崇められたような事態になってしまった。ついさっきまでの孤立感が、恋しくなる。

オニサルビアを生やした人も、さすがに驚いた様子で「こんなことになっちゃって、ごめんなさい」と耳打ちしてきた。
「一度、ここを離れましょう」

2019年3月27日水曜日

蜜の味

その人の肩に咲いたオニサルビアは、花穂がふるふると震えていた。ひとつひとつの花が、少女のように笑っていた。
オニサルビアを生やしたその人は、ニッコリと笑ってこう言った。
「あなたが『鳥』なのね、初めて本物に会えた。本でしか知らなかったから」
「鳥は、皆あなたのようにお喋りができるの?」

青い鳥は、喋ろうとしない。
「鳥は、いろいろな世界に多くの種がありますが、言葉を発する鳥は限られています。この青い鳥は、些か照れているようです。そして、この鳥は基本的には任務のためにしか話ません。自分の意志を喋ることはあまりないのです」
なるたけ丁寧に説明しようとしたら、堅苦しくなってしまった。オニサルビアの花は一斉にケタケタと笑った。セージの香りが強くなる。

ふいに肩が軽くなった。青い鳥が、オニサルビアに向かって飛んだ。
「あ! こら!」
青い鳥は、花穂に近づき、一番てっぺんの花に、まるで接吻をするように、そっと嘴を近づけた。一瞬で、花たちが色鮮やかになる。

香りが強くなった。
物陰で様子を窺っていたらしい人々とその植物が、顔を出したのだ。

嘴に蜜の雫を輝かせたまま、青い鳥は朗々と宣言した。
消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者と、青き鳥、ここにあり!」

2019年3月24日日曜日

緋衣草の接近

さて、どうしようか。
いくら匂いが強くてつらいとは言っても、すぐにどこか別の街に行くのも、なんとなく勿体ない。逃げられてしまって、まだ、誰とも交流していないのだ。

「青い鳥よ、どうしてくれようか……まあ、おまえさんが悪いわけではない。この街の人は「鳥」を知らなかっただけだ。花も鳥も、美しい。赤い鳥は、少し喧しかったけれど、美しかったし、おまえさんも本当に美しいよ。ちょっとないくらい綺麗な青い鳥だ」

「花と鳥は、元々は相性がいいはずなのだ。花は鳥に蜜をやる。鳥は花粉を運ぶ。そうやって互いに暮らしている花と鳥がいる。ここでは鳥は珍しいようだが、そういう世界もある」

「花鳥風月という言葉がある。美しい自然や景色のことだ。花と鳥と、風と月。ここでも花と鳥は仲良く並んでいる」

独り言なんて、あまりしたことがなかったが、青い鳥に言い聞かせるように、そして、建物の陰からこちらを伺っている人の存在を意識しながら、独り言にしては大きな声で、ゆっくり、なるべくゆっくり、鳥と花を称え続ける。

ふいに、青い鳥が何かに反応して身動いだ。それと同時に、ハーブの香り……セージだ。セージの匂いが近づいてきた。

2019年3月19日火曜日

寂莫

「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

「青い花が喋った」「いや、あれは花ではないのだ」「花ではなければなんなのだ」「植物じゃない生き物」「そんなものがこの世にいるのか」「バケモノだ」「病原体だ」

ちょっと待て。街の皆が、お前に驚いている。
青い鳥にそう囁いたが、聞かなかった。

「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

ついに人々は叫び声をあげて、方々へ走って逃げていってしまった。
また独りになった。
おかげで、周囲に漂う匂いも弱くなり「嗅覚の休憩」になった。そんなつもりはなかったのだが。

転移すれば、余所者扱いされるのは当然だ。旅をすることになった時から、覚悟はできていた。
好奇の目に晒されるのも仕方がない。こちらも、初めて見る形態の人に驚き、戸惑っていたのだから。

だが、ここまで危険視されてしまうとは。それも、自分自身ではなく、この「通訳鳥」のせいで。頼んでもないのに付いてきた、赤い鳥。勝手に引き継ぎをして交代した青い鳥。

「どうしてくれるんだ、青い鳥。誰もいなくなってしまったよ」

2019年3月15日金曜日

非植物

強く複雑な香りは、身体に堪える。
匂いは慣れやすいというが、様々な植物を肩に生やした人がすれ違うせいか、刻々と匂いが変わり、鼻が休まらない。匂いを検知した脳も、いちいち過去に嗅いだ事のあるものかどうか照合するらしく、忙しい。

どこか、匂いの移り変わらないところで休みたい。
「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

赤い鳥に負けず、少し頓珍漢な言葉と節回しで、青い鳥が朗々と言った。
低音で渋い声が響き渡り、肩から植物を生やした人々は一斉にこちらを見る。勢いよく一度に人々が動いたせいか、多種多様な匂いの風圧に押され、倒れそうになる。

「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

倒れそうになったのは、こちらだけではなかったらしい。この街の人々は、戦慄していた。青空色の鳥とは異なる青さで、顔色を悪くしている。
この肩にいるのが、植物ではないという事実に。

2019年3月9日土曜日

佳い花を

激しい砂嵐が、漸く収まり、長く止めていた息を思いっきり吸い込んだ途端、激しく咽た。
これは、なんの匂いだ?! あたりを見回すが、新しい建物ばかりで、そんな匂いが漂ってきそうなものはない。人や動物もまだ見えない。

ああ、香辛料だ。
異国や異世界に来れば、多少なりとも匂いの違いを感じるものだが、ここはそれどころではない。匂いは強いが悪臭ではないのが幸いだ。それでも息苦しい。細くそっと息を吸う。

しばらくすると、この空気中の匂いは、もっと複雑であることが判ってきた。様々な香辛料や薬草や花の香りが混ざったような。

人通りの多い道に出た。そして、人々は肩から、見たことがありそうでなさそうな植物を生やしていた。

雪を降らす仙人掌。
涙を流し輝く鬱金香。
激しく開閉を繰り返す牡丹。

この街の複雑な匂いは、この人々によるものなのだろうか。
肩の青い鳥にも気軽に声を掛けていく。鳥のことを当然のように植物だと思うらしい。
「佳い花を」
どうやらそれがこの街の挨拶なのだった。

2019年3月6日水曜日

砂漠の交代劇

空の色をした鳥と、肩に留まっていた赤い鳥は、鳥同士でなにやら囁きあっている。赤い鳥は人語の時と違って、美しい声だ。
すっかり取り残された気分で、ぼんやりと空と鳥を見ていた。鳥は、鶏を全部、青空にしたような鳥で、大きさは赤い鳥と同じくらいだった。空との境目がわからないくらい青空色で、砂漠によく似合う鳥だと思った。

消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方よ」
と、赤い鳥は急に人語で語りかけてきた。
消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方よ、吾の任務はこれにて終了する」
そう言って、ひょいと肩を降りた。入れ替わりに青い鳥が肩に乗った。まったく反論する暇もなかった。
「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者よ、次なる街へ同行致す」
青い鳥は存外、渋い声で言った。そして、砂漠中の砂が巻き上がったのではないかと思うほどの大風が吹いた。

何も見えず、息もできず、赤い鳥に礼も別れも告げられない。
赤い鳥は、勝手に付いてきたように思っていたが、振り返るとずいぶん助けられた。そして、相棒のように思い始めていたのだ。
だからこそ、交代なのかもしれない。誰かと親しくなったり、執着したりできる旅ではないのだ。
美しい人や、その家族の顔を思い浮かべながら、砂に巻かれていく。

2019年3月3日日曜日

急速な変化

あんなに苦労した空中歩行が、難無くできるようになったのは、動揺しているせいだろう。
身体が熱く、思考も気持ちもまとまらず、すたすたと浮いて歩く。

「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
赤い鳥が肩にしがみついているのがわかる。振り落とされまいと必死なほど、速く歩いているということか。しかし、歩調を緩めることが出来ない。こんな調子では、声を掛けてくれる人は現れないだろう。早く、この街を離れたいのに。

只管に歩いていたら、街の外れまで来てしまったようだった。急に大きな建物はなくなり、さらに進むと、砂漠になった。
深く軽い砂を踏む感触。もう、浮いて歩かなくてもよくなったのだ。あの街を抜けたのだと知った。
だが、浮いて歩くのに慣れ掛けた足は、初めて歩く砂漠に混乱していた。アスファルトや石畳に慣れた足には、砂漠も矢張り未知の歩行なのだった。おかげで、やっと歩を止めることができた。

人語で叫び続けていた赤い鳥は、鳥の鳴き声になった。
目の前に、真っ青な鳥が、現れた。空と同じ色の鳥だった。