2016年10月27日木曜日

十月二十七日 旅支度

明日は雨だから傘が要る。寒そうだから上着も。
もっと肝心なものは、壊れかけたノートパソコン、大瓶の外国産ビール、瓶詰ピクルス。
割れ物だらけだから、慎重に梱包してリュックに詰める。かなり重い。
「よし。」
腰に手をやって、荷物を眺める。
「なにが『よし。』だ。明日は一体どこに出かけるんだ?」と、独りごちた。
スケジュール帳を見ても空欄で、まったくもってわからない。

2016年10月26日水曜日

十月二十六日 受粉

飾っていた花から花粉が落ちて、テーブルを黄色くしていく。
布巾で拭いてしまえば済む話だけれど、ちょっと変な気を起こした。花が花粉を降らすのを観察しよう。
そうしたら、花はふるふると震えて始めた。見る見るうちに降り積もる花粉。
「あんまり頑張ると枯れてしまうよ」と声を掛けたけれども、花は止めない。
テーブルが黄色くなり、床が黄色くなり、ついに私も黄色くなって、花はようやく満足したようだった。

2016年10月18日火曜日

天空サーカス

祖父はサーカスのブランコ乗りだった。と言っても、それは祖父が若いころの話だから、私はサーカスをしている祖父を見たことはない。

祖父は、ブランコ乗りの片鱗を私に一度も見せることなく、89歳で亡くなった。私にとって祖父は「カメラが大好きなおじいちゃん」であり、サーカスの花形だった青年ではない。私は祖父の運動神経もバランス感覚も受け継がなかったけれど、写真好きは受け継いだ。

祖父の残した古いカメラは、どれもこれも手入れが行き届いていた。撮った写真もきちんとアルバムに整理されていた。その中に、「空」と題したアルバムを見つけた。

そういえば、祖父はときどき青空にカメラを向けていた。あれは写真を撮る前のちょっとした儀式のような趣があった。一瞬、空に向かった後は、いつもの笑顔で私たち孫を撮っていたから、幼い私は気に留めていなかったし、シャッターを切っているとは思っていなかった。

「空」のアルバムには、青空と、サーカスが写っていた。昼間の月のような、白いサーカス。天空で揺れるブランコに、すらりとした青年がぶら下がっている。淡く、白い、ブランコ乗り。

祖父のカメラを持って、庭に飛び出した。夏の青空にカメラを向ける。

2016年10月14日金曜日

Q戦円

九千円、と脳内で呟こうとするが、どうしても旧線円とかQ戦円とかになってしまう。
千円、二千円、三千円、と数えていっても、キューセンエンで、止まってしまう。キューセンエンだけそれまでとは異なる語感になり、異分子なのではないかと訝しく思い、ついにこの世に九千円などというのは存在しないのだという結論に至る。だいたい、財布に千円札が九枚入っていたことなんてあるだろうか。いや、きっとない。だからキューセンエンはQ戦円が正しい。