2004年9月29日水曜日

河童・ド・キャアにて(主水くんの日記より)

湯舟に入っていると麦藁帽子をかぶったおじさんが入ってきた。
受付のケンさんが「帽子は脱いで下さい」と叫びながらおじさんを追い掛けてきたけど、おじさんは構わない。
鞠子おばちゃんはすぐに近寄って「背中を流しましょうか?」と言った。
おじさんが「ついでに頭も」と言うので
「では帽子を取ってもよいかしら?」と言った。
風呂にいた人がみんな注目した。
「わしは帽子なぞかぶっておらん」
鞠子おばちゃんはやりにくそうに麦藁帽子を洗っていた。
あんなに困っている鞠子おばちゃんははじめてみた。

2004年9月26日日曜日

名人芸

ひょいと投げた帽子はブーメランのように少年の手に戻ってきた。
「何が入っていると思う?」
私は答える。
「なにも」
だって少年は帽子のツバをつまんでいるだけだもの。何かが入っていても落ちてしまうはず。
「さーてお立会い。みなさん驚いちゃいけませんよ」
みなさん、って私しかいないのに。驚くな、って私が驚かなければ少年は不機嫌になるでしょう。
少年はイタズラをしたときのような顔で私を見ながら帽子をひっくり返す。
「キャ!」
「これ、解剖して自由研究にするんだ。んじゃ」
少年は蛙を頭に載せ、帽子をひらひら振りながら去った。

2004年9月25日土曜日

フジオさんご挨拶

「こんにちは、フジオさん」
「はい、こんにちは」
喜寿をだいぶ昔に迎えたフジオさん、帽子を脱いで深々とお辞儀をする。
禿頭のフジオさん、還暦のお祝いにもらった毛糸の帽子がいたくお気に入りで一年中かぶっている。
「おはようございます、フジオさん」
「はい、おはよう」
米寿を迎えたフジオさん、相変わらず毛糸の帽子をかぶってる。毎日二十回も挨拶して、その度に禿頭を披露するものだから帽子はボロボロ。
「いらっしゃい、フジオさん」
「どうもどうも、はじめまして。おしゃかさま」
あちらに行ったフジオさんの頭に毛糸の帽子はないけれど、やっぱり深々とお辞儀をする。

2004年9月24日金曜日

二人はいつも二人

黒い帽子をかぶっている透明人間、名前はブラック、
赤い帽子をかぶっている透明人間、名前はレッド。
二人は双子。
ブラックが赤い帽子を冠ればレッド、
レッドが黒い帽子を冠ればブラック。
名前なんて、そんなもの。

2004年9月23日木曜日

甘酸っぱい妄想

帽子が似合いそうだな、とまだ青いみかんを食べながら思った。

2004年9月22日水曜日

墓参り

急に思い立ち、夜中に墓地へ出掛けたら、あちこちの墓石の上に帽子が載っていた。なんだか墓石がかわいく見えた。
我が家の墓には帽子がなかったので、翌日、祖父が愛用していたハンチングを持って行ったら、墓の中に吸い込まれた。
これでウチの墓石もチャーミングになるわ、と満足した。

2004年9月21日火曜日

野球帽育ち

あれは小学一年の時だった。
俺は歩道の真ん中で五つの大きな球根が並んでいるのを見つけた。
その光景はとても不自然だったが、拾わないのはもっと不自然な気がして、かぶっていた野球帽に入れて持ち帰ることにした。
家に帰る間に球根からは芽が出、根が伸び、茎が伸び、つぼみが膨らみ、「ただいま」を言うと花が咲いた。チューリップだった。
今も野球帽は部屋の明るい場所に置いてある。
あれから二十年経つが、チューリップの花はそのままだ。

2004年9月19日日曜日

やっぱりマジシャンだった

私はシルクハットをテレビの中でマジシャンが持っているのしか見たことがなかった。
たぶんそれは私だけではないと思う。
 シルクハットを被った人を見たのは、学校からの帰りだった。
シルクハット氏はジーンズにTシャツという、恐ろしくシルクハットの似合わない格好で、シルクハットをかぶっていた。
私はちょっと身構えた。相当、いや、絶対に、変わり者に違いない。声など掛けられたくない。
私はシルクハット氏の視界に入らないように、氏の真後ろを静かに歩いた。
気付かれないようにするのに夢中になりすぎて、いつのまにか家を通り越していた。
「ねえ?きみ、いつまでぼくの後をつけるつもり?」くるりと振り返ったシルクハット氏は思いの外、若かった。
全く想像していなかったことに、とてもカッコよかった。
私の胸はキュンとなった。
シルクハットは消えた。

2004年9月18日土曜日

帽子をかぶった猫の話

向こうから黒猫のエスターがやってきて茶トラのゲイリーは声を掛けた。
『やあ、エスター。きみの頭に乗っている赤い物はなんだ?』
『こんにちは、ゲイリー。これ?拾ったの。温かくてとてもいいよ』
『ぼくも欲しい!どこで拾ったのか教えてよ』
ゲイリーはエスターに聞いた場所までやってきた。
大きい人間と小さな人間がベンチに座っている。
『あれだ』
ゲイリーは思った。
大きい人間はしきりに手を動かしている。
その中には色は違うがエスターの頭の物と同じようなふかふかしたものがあった。
「あ!ねこだ」
小さな人間がこちらに気付いた。
ゲイリーは少し迷ったが、近づくことにした。
「ママ、それ、このねこの帽子にしようよ」
「また?きのうもねこにあげちゃったじゃない。これはあなたの帽子なのよ」
「また作ればいいんだよ」かくしてゲイリーは毛糸の帽子を手に入れた。
明くる日、ゲイリーはギルバートと出会った。
『やあ!ゲイリー。なんだい?その頭に乗っている青いものは』

2004年9月16日木曜日

帽子たちの行方

祖母は二十四時間帽子を被っていた。
朝起きるとすぐに、たくさんの帽子の中からひとつを選び、頭に載せる。
風呂に入る時は気分に合わせたシャワーキャップを、寝る時は寝巻に合わせたナイトキャップを。
いつだか夜中に、ずり落ちそうになったナイトキャップをイビキをかきながらしっかり直すのを見た時には、驚きを通り越して呆れたものだ。
そんな祖母が死ぬと後には大量の帽子が残った。
本当に膨大な数で、どのように処分してよいか、途方に暮れた。
 ある日「帽子商」と名乗る男が訪ねて来て、祖母の帽子を引き取りたいと言ってきた。
「おばあさまの意志を尊重し、一番相応しい人に帽子を受け継いで頂くのです」
暗い感じの男で、信用したわけではなかったが、困っていたので、了承した。
 以来、毎日帽子の写真のついたカードが届く。
祖母とよく似た筆跡で帽子の由来や思い出、新しい持ち主の紹介が書かれている。
祖母の帽子は軽く千を越えていた。
あと三年は毎日カードが届くのだろう。

2004年9月15日水曜日

画学生のいた日

ベレー帽を被った髪の長い女の人が公園に来るようになったのはいつのことだっただろうか。
その人はサッカーをしている僕たちのすぐ傍にしゃがみこんでスケッチをしていた。
遊んでる僕たちとその人とは、とても近いのに違う時間の中にいるようだった。
僕はスケッチをしている人もベレー帽を被っている人も見たことがなかったから、その女の人が特別なのか、ベレー帽を被りスケッチする人が皆そんなふうなのか、わからなかった。
母さんにその人の話をすると「きっと画学生ね。あんたたち、からかったり邪魔してないでしょうね」と睨まれた。
ガガクセイ。初めて聞く言葉だった。
 僕は中学生になり、公園でサッカーはしなくなった。ベレー帽を被った女の人も見掛けることはなくなった。
時々、夜中の公園に一人で行き、彼女がスケッチしていた場所に座ってみる。
何が残っているわけではないけれど。

2004年9月13日月曜日

チロリアンハット

少年は静かに弓を降ろした。
「うまいもんだね」
私はヴァイオリンケースに硬貨を投げ入れながら言った。
「ありがとう」
「その帽子もいいね。年季が入っている」
少年はボロボロのチロリアンハットを被っている。
「これはヴァイオリンよりも大切なんだ」
「どうして?」
「これがないと、上手く弾けない」
「帽子がないとダメだなんて、インチキだろう。さっきのコインは返してもらうよ」
「待ってよ、おじさん。帽子が特別なわけじゃないんだ」
私は疑り深い。あんなに汚れた帽子には、なにかがあるはずだ。
「そうか・・・じゃあ、私にもヴァイオリンの心得がある」
私は少年から帽子と楽器を奪いとった。
しかし、ヴァイオリンから出てきた音色は大したことはなかった。うまくもなく、へたでもない、私のいつものヴァイオリン。冴えないヴァイオリン。どこの楽団からもお呼びがかからない、私のヴァイオリン。
「ほらね」
少年はヴァイオリンだけを私から取り返し、一節弾いてみせた。
先と変わらないすばらしい音色が響く。
「帽子はね、お守りみたいなものだよ。じいちゃんも、とうちゃんも、これを頭に乗っけて稼いだ」
少年はチロリアンハットを私の手からもぎ取り、ヴァイオリンをケースにしまうと、走って行った。

回れ右

バス停に着くと既にひとりおじいさんが並んでいた。
おじいさんは、麻のシャツを着て、パナマ帽を被り、ビシッとまっすぐ立っていた。まさに直立不動。
なんとなくおじいさんの意識をこちらに向けたくなかったので
僕はなるべく静かにさりげなく、その後に並んだ。
早くバスが来てくれないかしらん。
「やあ!」
突然、声が響いた。かわいらしくて元気な声。
でも、ここにはおじいさんと僕しかいない。
なのに、おじいさんは相変わらずビシッと立っていて驚く様子はない。
「やあ!今日も暑いよねー」
また声がした。やっぱり子供のような高い声。
おじいさんはそっと帽子を脱いだ。
白髪頭の上には白髪と同じ色をした小さなぬいぐるみが載っていた。
ぬいぐるみはぴくぴくと体を震わせながら言った。
「ねえねえ、どこ行くの?あ、バット持ってるんだ!野球?いいなー」
おじいさんは「回れ右」をして僕に言った。
「まっすぐ立っていないとコレが落ちるのでね」

2004年9月10日金曜日

「これ、やるよ。もういらないから」
ポケットから出てきたのはすみれ色の鼻だった。
「いらないよ。持ってるもん」
ポケットから黄色い鼻を出して見せる。
「そっか…」
なんだか腑に落ちない顔をしている。
「持ってればいいじゃん。今はちょっとじゃまっけかもしれないけどさ。捨てることないよ」
そうだ、それは一度捨てたらそれきりなのだ。
「いつかまた、大切になるのかな…」
「うん。ほら、鼻水垂れてるよ。早くしまいな」
すみれ色の鼻はグッとポケットに押し込まれた。

2004年9月9日木曜日

ポトポトポケット

おばあさんがポトポト落とした淋しさを拾ってポケットに入れる。
僕は少し淋しくなったので、おばあさんに話し掛けた。
おねえさんがポトポト落とした恋しさを拾ってポケットに入れる。
僕は少し恋しくなったので、おねえさんに話し掛けた。
あかちゃんがポトポト落とした怖さを拾ってポケットに入れる。
僕は少し怖くなったので、あかちゃんに話し掛けた。
おじいさんがポトポト落とした退屈を拾ってポケットに入れる。
僕は少し退屈したので、おじいさんに話し掛けた。
おじさんがポトポト落とした憂愁を拾ってポケットに入れようとしたけど
少し考えてやめにした。

2004年9月7日火曜日

服装は主張する

ポケットがうるさい。勉強しろだの、うがいをしろだの、ネクタイが曲がっているだの、スカートが短いだの、化粧が濃いだの。
制服のブレザーの左ポケットはせわしなくパクパク動きながら小言を言う。
中学に入った途端、始まった。
ステキな制服を着るんだ、と張り切って受験して入った学校。
でもママはずーと、「制服のない学校にしたら?うるさいよ、制服は」と言い続けていた。
ステキな制服を着ることがなにより大事だと思ってたから、ママの説得は聞かなかった。
でも、ちゃんと聞いておけばよかったみたい。本当うるさいよ、制服は……。

2004年9月6日月曜日

運の尽き

ぼくのズボンのポケットはいつもパンパンに膨れていて、しょっちゅう人に「一体なにが入っているんだ?」と聞かれるけれど
何が入っているのか、実はさっぱりわからない。
丸めたハンカチや鼻水のついたちり紙が入っているわけではない。ポケットは本当にカラなのだ。
 昨日、ポケットが全然膨れていないことに気付いた。
ぼくは気分がよかった。いい大人がズボンの両ポケットを膨らませて歩くなんて、だらしがないことこの上ないもの。
ぼくは堂々と歩いた。
そして、石につまずいた。自転車にぶつかった。切符を無くした。痴漢に間違えられた。
ぼくのポケットには一体何が入っていたんだろう。

2004年9月5日日曜日

注意書き

『お買い上げ誠にありがとうございます。お買い上げいただきました商品には多数のポケットがついており、稀にオバケが住み着いていることがありますが、オバケは人体に無害で、品質にも問題ありませんので安心してお使い下さい。なお、オバケがいない、というお問い合わせにはお答えできかねます。ご了承ください。猫印鞄』

2004年9月4日土曜日

すいむ

ズボンのポケットに手をいれ、中を指でいじりながら、銀座の街を歩いていた。これは私の癖で、どのズボンも、ポケットの内側がほつれている。
「あ」
指が布を突き破った。薄くなったところに穴が空いたのだ。奇妙な感触が足を伝う。
「やだ、あの人おもらししてる」
ポケットに空いた穴から水が流れ落ちているのだ。見る見るうちに私の足元に水溜まりができた。
「これはおもらしではありません!」
思わず叫んだが、ますます周囲の人は避けていく。
「おっさん、長いションベンだな」
若者にからかわれたとおり、ポケットから流れ出る水の勢いは止まらない。
だれが呼んだのか、パトカーと救急車と消防車がやってきた。水は私の足首まで溜まり、近くの宝石店の中にまで流れ込んでいる。
「おい、すぐに来てくれ」
私は携帯で妻を呼び出した。妻が来るまでの四十分間で水は膝下まで溜まった。
いつの間にか、周りには誰もいなくなっている。高い場所に避難したのだろう。
 妻は頭に裁縫箱を載せ、水着姿でやってきた。
「だから、糸と針を持ち歩いて、って言っているのに」
妻の不機嫌な声に返事をすることもできない。水で重たくなったズボンを苦労して脱ぎ、妻に渡す。
妻は未だ溢れ出す水を被ってびしょ濡れになりながらポケットの穴を繕った。水は跡形もなく引いた。

2004年9月2日木曜日

なにを入れる?どこに入れる?

「青いポケットにはさくらんぼ、黄色いポケットにはハッカ飴、赤いポケットには消しゴム、緑のポケットにはひまわりの種よ、まちがえないでね」
ぼくはまず八百屋に行ってさくらんぼを買い、青いポケットにしまった。
つぎに駄菓子屋に行きハッカ飴を一つ買うと、緑のポケットに入れた。
駄菓子屋のとなりが花屋だったのでひまわりの種を貰い、黄色いのポケットに入れる。
文房具屋は少し遠かった。なんとか文房具屋に着き、消しゴムを買うと、店のおばさんに「間違いはないんだね?」と聞かれてうなずき、赤いポケットに入れる。
「あれほど注意したのに違ってる。黄色いポケットにはさくらんぼ、赤いポケットにはハッカ飴、緑のポケットには消しゴム、青いポケットにはひまわりの種、だよ」

2004年9月1日水曜日

ポケット屋へようこそ

いらっしゃいまし。
どんなポケットがお望みで?
ええ、こちらのズボンは何の変哲もないように見えますが
このポケットは、「いれこ」になっておりまして。
マトリョーシカ、ええ、さようでございますね。
こちらでございますか?貴方はお目が高こうございますね。この帽子、非常に人気がありまして。
このようにてっぺんにポケットがついております。傘を入れておくと便利だと評判でございます。
こちらはいかがでしょう。
寝袋でございますが、びっしりポケットがついています。
ほら、内側にも。寝袋はヒトが入るポケットでございますから当店でも仕入れに力を入れております。
 あちらの部屋には、珍しいポケットが展示してございます。
あらゆる有袋類のポケットはもちろん、世界一大きなポケット、ポケットの化石、穴が開いているのに中の物が落ちないポケットなどをご覧になれます。
ええ、お金は頂戴いたしません。ごゆっくりどうぞ。
 お気を付けて…目には見えない時空のポケットが落ちていますから……

魔法

『隣家の主婦、口笛で火事を消し止める』
あなたはとんでもないと思うでしょうけど、その時の私にはなんでもないことだったのよ。

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500文字の心臓 第41回タイトル競作投稿作