2018年3月8日木曜日

夢 浴槽からの客人

 我が家の訪問者は浴槽から現れる。インターホンが鳴ると私は風呂場に行き、風呂蓋を外す。
「お届けものです」
 荷物を受け取ると、風呂蓋を戻す。どういう仕組みになっているのかわからない。家の者は玄関から出入りするのだが、客はどうしても浴槽に現れてしまう。

ピンポン

 来客の予定も、宅配物が届く予定もなかったが、風呂の蓋を取った。髪の長い人が浴槽に現れて、「あら、ごめんなさい。間違えました」という。
「いえいえ、間違いは誰にでもあることです」
 私は最大限に感じの良い笑顔で応える。
 風呂蓋を戻すために浴槽に目をやると、多量の髪の毛がこびりついていた。

2018年3月1日木曜日

豆本の世界10

豆本は男の汚れた背広のポケットに長いこと居た。かつては書店の小さな棚に居たのだが、男の手によってポケットに入れられたのだ。男はおそらく書店に支払いをしていない。つまり、豆本は盗まれたのだった。
豆本はすぐに男から忘れられた。ポケットに手が入ってくることすらなかった。豆本の周りには埃や糸くずが増えるばかりで、背広は一度も洗濯屋に持ち込まれることもなかった。
それは突然の出来事だった。男が背広を脱ぎ、乱暴に椅子の背に掛けた。その拍子に、豆本は外へ転がり落ちたのだ。幾らかの埃や糸くずとともに。
しばらく人の足を眺めていたが、ふいに持ち上げられた。小さな手だった。豆本はその手を「丁度よい」と感じた。
そして、小さな手によって豆本は初めて頁を捲られた。気恥ずかしくもあったが、歓びが勝った。あどけない声が豆本を読み上げる。物語が始まる。