2019年9月24日火曜日

緊張の水

若者と父上は、「三十年後の若者がいる」というくらいに、よく似ていた。
体格、雰囲気、話し方、仕草。親子にしても似すぎているのではないだろうか。
触感の混乱を忘れるほどに、二人のことを見比べてしまった。

「こちらの消えず見えずインクの旅の人が、触感の混乱が激しく困っていたのです」
と、若者が父上に説明してくれる。
父上に、この街の触り心地を詳しく訊かれた。時折、若者が助け船を出してくれ、大いに助かる。
いくつかの物を触り、触り心地を答える。
ゴムボール、ガラスのコップ、ぬいぐるみ等々。
どれも思いもよらない触り心地だ。

「確かに触感の混乱が強い。お辛かったですね。薬を出しましょう」
父上は処方箋を書き、薬を調合して戻ってきた。
「この街に来てから水を飲むのは?」
「初めてです」
「では、水だけ先に一口飲みましょう。驚くといけない」

かつて水を飲むのにこんなに緊張したことがあっただろうか。

2019年9月8日日曜日

柔らかな絨毯

若者の家が近づくと、天道虫は嬉しそうに飛び回り始めた。
天道虫の感情がわかるという経験は、初めてだ。感激していたら、せっかく若者が教えてくれたのに、地面の舗装が変わったことに気が付くのが遅れ、躓いた。
靴越しなのに、とても熱い地面だった。踏鞴を踏むような、千鳥足のような、けったいな足取りになってしまい、若者に掴まる力が強くなる。
「申し訳ない。この地面はとても熱いね」
「大丈夫ですよ。転ぶといけませんから、しっかり掴まってください。もうすぐです」
 
若者の家は、父上の開業する医院が併設で、タイルや硝子ブロックの外観がレトロで穏やかな雰囲気だった。
「今は休診の時間なので、家の玄関から入りましょう」
家の中は、毛足の長い絨毯だった。
「たぶん、この絨毯は、見た目通りの感触です」
その通りだった。ふんわりと柔らかい感触に、安心して、涙が出そうだ。