2018年1月30日火曜日

御伽噺集

『御伽噺集』と書かれた背表紙を見つけ、手に取った。積もった埃を思わずフッと吹き飛ばす。辺りが白くなった。
 貸出カードを見ると最終貸出日は1962年。この小さな図書館の狭い書庫で五十年以上も眠っていたと思うと、不憫に思った。
「埃だらけにしてゴメンね」
 同僚たちに見つからぬように貸出手続きをし、鞄にそっと仕舞った。
 帰宅後、ベッドに入って『御伽噺集』を開いた。
「昔昔、あるところにおじいさんと、おばあさんが暮らし、て、いま……」
 それ以上は 読み進めることができなかった。文字は乱れ踊り、掠れ、解読できない。読める箇所を追おうとしたが、掠れた文字と古い紙の匂いは強い眠気を誘った。『御伽噺集』を抱くようにして眠った。
 夢を見た。鮮やかすぎる夢だった。私は「おばあさん」として一寸法師の世界にいた。赤子の一寸法師を慈しみ、体の大きくならない息子を心配した。都に出たいという息子に針を渡す時には胸が引き裂かれる思いだった。
 目覚めると『御伽噺集』を胸に抱いたままだった。本を開くと一寸法師がしっかりと読めた。続きのページは掠れた字が僅かに見えるだけ。次の夢は、浦島太郎だろうか、鉢かつぎだろうか。


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「もうすぐオトナの超短編」氷砂糖選 優秀賞
兼題部門(テーマ超短編「お伽話」

2018年1月16日火曜日

豆本の世界6

 その豪奢な豆本は、まさに「手のひらの宝石」と呼ぶにふさわしいほどだった。
ページをめくると「ぽとん」と豆が零れ落ちる。この豆は、いくら本を読んでもなくならず、食えば腹が膨れるという不思議な豆だった。きらびやかな装丁にもかかわらず「災害時用」として人気があった。
 ある年、干ばつによるひどい飢饉があった。豆本の奪い合いが起き、たくさんの豆本が破かれたり燃やされたりした。そして大きな戦となった。
 待ち望んだ雨が降って、ようやく長い戦が終わり、親を失った子らは、弔いの代わりに豆本から零れ落ちた豆を戦場に植えた。子らは親から豆本を譲り受けることが多かった。豆本を形見として戦の間も大切に携えていたのだ。
 彼らが青年になるころ、豆本の木は大木となり、豆本のなる森となった。

2018年1月8日月曜日

豆本の世界5

 世界中に本が溢れかえり、神と呼ばれるものは考えた。世界の構成単位を本にすればよい、と。
 海が書かれた本は海を満たすのに十分存在したし、山についても同じだった。炎も金属も、不足ない本があった。
 生物についても問題なさそうに思われたが、生物を生み出すには通常の本では大きすぎることがわかった。「ならば」神は決めた。「豆本で生物を構築しよう」。
 森羅万象は本であり、血肉は豆本である。自分を探す旅をしたい少年少女は、顕微鏡で自らの髪や爪を読破することに没頭している。

2018年1月6日土曜日

豆本の世界4

 店主はザルから豆をひと掴み、鍋に放り込んだ。グラグラと豆が煮えるのを、ゆっくりと箸でかき混ぜる。
 ここは書店の奥にある土間。昔の書店にはこうして大鍋があったものだが、今では珍しくなった。この店主もだいぶ年寄りだ。
 茹で上がった豆を、板に一粒ずつ並べていく。ある程度、間隔を広くしておかないと、本になったときにぶつかり合って、捩れた本になってしまう。捩れた本は好事家には人気だが、書店の店主にとってはただの不良品だ。
 決して広くはない書店の奥の間だから、あまりゆったり豆を並べるわけにもいかない。豆がどんな大きさの本になるのかはわからない。本に弾けたときにぶつからず、隙間もない、絶妙の間隔で並べていくのが、店主の腕の見せ所。
 深夜の書店の奥、豆が弾けて本になるポコン、ポコンという音が小さく響く。

2018年1月5日金曜日

豆本の世界3

 豆本へ旅行に行った友人が帰ってきた。幾度となく長い旅をしてきた人だが、今回はいつにも増して長かった。筆まめな友なのに便りも寄こさないので、さすがに少し心配したが、豆本はよほど楽しかったのか、水が合ったのか、待ち合わせの喫茶店に、充実した顔つきで友人は現れた。
「豆本に長く滞在した影響はないのかい?」と尋ねてみた。豆本に旅行する者は少なくないが、長期滞在する人はあまりいない。
「ひとつだけ不自由している……というか、不自由させていることがあるんだ」
 そう言って鞄から手帳とペンを取り出して何やら書き付け、こちらに差し出した。
「虫眼鏡を携帯することにしたよ」
 渡された虫眼鏡を覗くが、なかなかピントが合わない。
――親愛なる友へ しばらく文通は控えよう
 もちろん賛成だ。