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2012年2月7日火曜日

いつも空腹の時計

その時計は地下道の壁にチューブで繋がれている。


ここを通る人間は少ないから、時計を見る人などほとんどいない。


しかし、時計が休むことは許されず、休みたくとも動いてしまうのが時計というものなので、時計は律儀に時を刻んでいる。


この時計は電力もゼンマイも必要とせず、しかしそのかわり、ミューズリーを食べないと動かない。


チューブの先は、ローズマリーさんの家に繋がっていて、毎朝決まった時間に、前夜からミルクに浸してあったミューズリーを大量に流し入れてもらう。


うっかりローズマリーさんが寝坊したときには、目覚ましのベルを鳴らして起こすのだ。


チューブから鳴り響くぼんやりとした目覚ましベルで、ローズマリーさんはノソノソと起きだし、不運にも地下道を歩いていた人はあまりの大音響に、数日間は頭痛が治まらない。



2011年10月7日金曜日

時計塔の下で

若い掃除夫が、時計塔の下を掃いている。
しかし、その塵取りには落葉の一枚すら入っていない。
「一体、何を掃き集めているのだね?」
掃除夫は、時計塔を見上げて言った。
「時計塔から、時間が降ってくるのを集めているのです」
「集めた時間はどうする?」
「時計塔に持ってあがります。時計塔が出来たときから、そうしています。私の仕事です」
この時計塔が建ったのは、百八十年前のことだ。



若い掃除夫が、時計塔の下を掃いている。
しかし、その塵取りには落葉の一枚すら入っていない。
「一体、何を掃き集めているのだね?」
掃除夫は、時計塔を見上げて言った。
「時計塔から、時間が降ってくるのを集めているのです」
「集めた時間はどうする?」
「時計塔に持って上がり、時計に戻します。時計塔が出来たときから、そうしています。私の仕事です」
この時計塔が建ったのは、三八十年前のことだ。


 


2013年9月川越バージョン


2010年6月13日日曜日

清潔な私

自分と母親以外の全ての生き物は、清潔だと思っていた。
男の子とかたんぽぽとかキリンになれたら、どんなに清潔だろう。
願いは突然叶うものだ。或る朝、目覚めると私は植物園の向日葵になっていた。ナントカっていう貴重な種類の向日葵であるところの私は、栄養と必要な細菌やプランクトンを計算し、配合された土に植えられ、清浄な水を決まった時間に決まった量を与えられ、分刻みで管理された温度の中、枯れずに生きていく。
太陽の方向もわからず、毎日時計だけを眺めている。
不潔な存在だったあの頃よりは、幸せ。自分が汚いと思わないのは、幸せ。何も楽しくはないけれど。
まだ午後四時二十八分だ。

2010年3月18日木曜日

献血

新しい腕時計が馴染まない。誕生日に貰った腕時計だ。
いくら調節してもきつく、左腕が次第に重くなってくる。
家に帰り、腕時計を外した瞬間に深い溜息が出た。
八重歯が印象的な女の顔を思う。誕生日プレゼントなど貰う義理などない相手だ。何故、こんな高価なものをくれたのかわからない。
痛む左手首を擦りながら、気が付いた。歯形が付いている。プレゼントをやっていたのは俺のほうだったようだ。

うーん、時計である意味が薄いな。まぁいいや。時々吸血ものを書いている気かする。いくつあるんだろう。

さて。本日、懸恋は…(数え中)…たぶん8歳になりました。びっくりびっくり。
相変わらず向上心が欠落しておりますが、ともかく呑気に書き続けようと思っております。

私も歳を重ねました。そろそろ己の醜さをぽへぇーと観察したいです。

2010年3月16日火曜日

腹時計

何を思ったか、飼い犬が目覚まし時計を飲み込んでしまった。
お腹を壊すだろうと思ったが、そんな気配はまるでない。獣医は笑って「ここに時計があります」とレントゲン写真を指差し、「きちんと動いていますよ」と聴診器でチクタクを聞かせるのだった。
我が家のたった一つの目覚まし時計をお前は飲み込んでしまったのだ、明日から俺はどうやって起きればいいんだと、懇々と説教を垂れてみたが、飼い犬は尻尾を振ってご機嫌だ。
俺はふて寝し、目覚めたのは、いつもの起床時間だった。飼い犬の腹の中で、目覚ましが鳴ったのだ。
俺は飼い犬に目覚ましを止めるよう頼んだが、飼い犬は機嫌よく尻尾を振るだけ。思わず頭をペシッとやったら、目覚ましは鳴り止んだ。

2010年2月27日土曜日

やさしい時計

目覚まし時計は毎朝きっかり午前7時に僕を起こしてくれるものと信じていた。様子がおかしくなったのは月曜日からだ。
月曜日、目覚ましが鳴って、カーテンを開けるとお日さまは高かった。
火曜日、目覚ましが鳴って、カーテンを開けると夕日が眩しかった。
水曜日、目覚ましは鳴らなかった。
木曜日、目覚ましは鳴らなかった。僕は電池を取り換えた。
金曜日、目覚まし時計は寝室になかった。冷蔵庫の中にいた。

僕は冷蔵庫の中で背を向けている目覚まし時計に話し掛けた。
「何故、起こしてくれないんだ?」
「だって、きみがあんまり気持ちよさそうに寝ているから。きみ、最近とても疲れているだろう?」
心優しいこの目覚まし時計を、僕はどうしたらいいだろう?

2010年2月25日木曜日

レジスタンス

ハンカチを丸めてポケットに突っ込んでいるのかと思ったら、「時計なんだ」だってさ。
そんなふうに丸めたら、時計、怒るだろ? って言ったけど、彼は相変わらず、時計を丸めてポケットに入れる。
ついに時計は、ポケットの中で暴れて、目覚まし時計なんかじゃないくせに、朝の5時55分きっかりにギャーギャーと大騒ぎを始め、彼は毎朝早起きになった。

大丈夫、書いてる本人もわけわかってない(笑)。

2010年2月23日火曜日

寝息

恋人が時計の中で眠ることを知ったのは、いつだっただろうか。
「狭くない?」
と、つい何度も訊いてしまう。
彼が眠るのは、古くて、壊れた螺子式の懐中時計。
どうやって入るのかは、見せてくれない。
「ちょっと目を瞑っていて」
顔を背けて、ぎゅっと目を瞑る。
まもなく、秒針が動き出す音が聞こえる。
チクタクが一秒より少し長いのは、彼の寝息だから。
私は、時計に長くて細い鎖を付けた。首に掛け、時計を胸に抱き、眠る。
深く深く、眠る。

2010年2月18日木曜日

うたかたの舞

小さな硝子に閉じ込められ、レーナは睫毛を動かすこともできない。一体どれくらいの時が経ったのか知らずに。
レーナは砂時計の砂とともにある。人の手によって、限られた短い時を流れる。
レーナは小さな体をやわらかに回転させながら、流れる砂の中を舞う。何度も舞う。
レーナの記憶は、それが過去なのか未来なのか、わからない。
砂時計が返される瞬間まで、レーナは生きずに生きていく。

2010年2月9日火曜日

耳

さびしい海で泳いでいると、女の子が砂浜を一人で歩いているが見えた。うろうろと、砂を足でいじってみたり波間を覗きこんだりしている。
僕はもう少し泳いでいたかったけれど、陸に上がって聞いてみた。
「何か探しているの?」
海水が耳に入ってしまったのだろう、自分の声がくぐもっている。
「時計を失くしてしまったの」

女の子の時計は見つからなかった。僕たちは、夕日が沈むのを眺めてから、さよならした。

翌朝になっても、耳の水は抜けていなかった。こんなことは初めてだ。僕は潜水は下手だけれど、耳抜きは得意なのだ。
耳の中で水がぴちゃんぴちゃんと小さく波打つのがわかる。どうにも煩わしいので、ベッドから起き上がることができない。目を開けていることもできず、かといって眠るでもなく、耳の中の水のことばかりを気にしていた。
そうしているうちに、ぴちゃんぴちゃんが、チクタク、になった。

もう一度、海に行ったら女の子に逢えるだろうか。
あの子ならきっと、僕の耳の中の時計を取り出せるはずだ。

2010年2月8日月曜日

甕

ばぁちゃんが死んだ後、荷物を片付けていたら、台所の大きな甕に、多量の腕時計が入っていた。
梅干しが入っているとばかり思った甕に、そんなものが入っていると知り、少なからず驚く。
時計は全て止まっているようだが、時折何かの拍子で「カチ」と音がする。背中を急に叩かれたかのようにギクリとする。
一体、ばぁちゃんはこの夥しい時計をどうやって手にいれたのだろう。いくらばぁちゃんが大往生だったからといっても、生涯に使った腕時計だけでは、こんな数にはなるまい。そもそも、ばぁちゃんが腕時計をしている姿を思い出せないではないか。
恐る恐る、ひとつ腕時計を持ち上げてみると、梅干しの匂いがした。

六本木ヒルズ、森美術館「医学と芸術展」を見てきた。
洋の東西を問わず、胎児と骸骨への興味は並々ならぬのだな。

象牙の小さな人体模型と、河鍋暁斎の骸骨がユーモラスで、特に気に入った。

古い時代の症例写真や術後写真なども少しあった。
私も赤ん坊のときに大きな外科手術を受けたので、子供の頃は毎年のように手術跡の写真を撮られていたのだけど、あれはまだどこかに資料として残っているんだろうか。一度も見たことないなぁ。

なかなか盛りだくさんで、こんな内容ゆえ刺激的な展示物もあり、最後のほうは「うぃー、お腹いっぱいー」だったのだけれど、ゆとりあるディスプレイで、土曜の午後にも関わらず見やすかった。

2010年2月3日水曜日

しっぽの次

どういうわけか、白くてふわふわなしっぽが生えたので、懐中時計はそのうち四本の足が生えて歩けるようになるかもしれない、と思っているのだが、短い針が三十周してもまだ足が生える兆候はない。



2010年2月2日火曜日

おやすみなさい

壁掛け時計のチクタク音が気に障って仕方がない。眠れずにイライラする。
電池を外すとまた時刻を合わせるのが手間だ。
壁から外してタオルに包み押し入れに入れたけれど、駄目だった。耳をそばだてるまでもなく、やはりチクタクチクタク音がする。

ところが、君が泊まりに来た夜、思わぬ現象が起きた。
君の寝息と時計の音が、近寄ったり離れたり、合わさったり崩れたり。
それが何故だか心地よく、聞いているうちに、ぐっすりと眠っていた。

以来、時計の音だけでもよく眠れる。

2010年1月27日水曜日

僕の時計

僕が初めて腕時計を手にしたのは、六歳の誕生日のことだ。
空色のかわいらしい腕時計だった。子供用だけど、おもちゃではなくて、おじいちゃんが時計店に連れて行ってくれて買ってくれたものだ。
その時の僕はまだ腕がひょろっと細かったから、時計店のおじさんは、バンドに穴を増やしてくれた。
「よし、これでぴったりだ」
とおじさんは時計と僕の顔を見ながら、満足そうに頷いた。
「おまえの人生はこの時計が見守ってくれるはずだ」
おじいちゃんは帰り道にそう言った。ちょっと聞いたことのないような、少し低い怖い声だった。
「うん」
と応えるのが精いっぱいだった。

それ以来、ぼくはずっとずっとこの空色の腕時計を使っている。何度も何度も電池を取り換えた。ランドセルもグローブもあっという間にボロボロにしてしまったけれど、時計だけは大事に使った。
もう僕は大きくなって、この小さな腕時計のバンドは手首より短くなってしまった。
時計屋に連れて行ってくれたおじいちゃんもこの前、死んだ。
僕は腕時計をポケットに入れている。これからも、僕の時間を刻むのは、この空色の時計しかいない。

森銑三『物いふ小箱』を読みはじめた。
いくつかはとりわけ短く、超短篇な予感。
先日読み終わった種村季弘編の『日本怪談集下』にいくつか収録されているのが気になって、図書館で借りてきた。

古切手を筆頭に、小さくて色とりどりなものを集めて並べて愛でる性癖があるのだが、好いたらしい超短篇と出逢った時の興奮は、これに近い。
脳内に、書棚に、お気に入りの超短篇を標本のように並べたい。
時々、並べ替すのもまた、一興。


あ、お題増やしたよ、いさやん(名指しかよ)。
やっぱり漢字が多い。お題作りにも自分の癖って出るな。
「時計」シリーズに飽いたら、自分でも書いてみようかな。

2010年1月24日日曜日

鼓動

深い海の底から発見された石像は老人の姿をしていたが、その皺の多さに似合わず、白く滑らかな肌をしていた。
発掘に携わった人々は、老人を丁重に陸地へ案内し、身体を清めた。
老人の身体を磨いていた者の一人が、呟いた。
「鼓動が聞こえる」
皆が老人の左胸に耳を寄せる。確かに、鼓動が聞こえるのだった。
時限爆弾かもしれない、なぜなら老人は数千年の眠りから覚めたにしては美しすぎる。そう言う者もいたが、多くの人々は冷静だった。老人を精密に検査することにした。

X線やCT検査の結果、老人の胸には、時計が埋められていることが判った。
長い年月の間に時計が動き続けることができた理由は謎のままだ。老人の胸に手を入れて、時計の螺子を巻くことなど誰もできない。

謎は謎のまま、老人は美術館で暮らすこととなった。老人の小さな鼓動が響くよう、反響のよい部屋が造られた。海底を思わせる青い床の部屋だ。

2010年1月21日木曜日

タイムマシーン

庭先で、夥しい数の時計を分解している人がいる。
「そんなに時計を壊して面白いかい」
「いやいや、壊しているんじゃない、これからタイムマシーンを作るのさ」
その人は、よっぽど時間を掛けて時計を分解した後、延々と壊した時計を組み立てている。
「やぁ、タイムマシーンは完成しそうかい?」
「いやいや、もう出来ているよ。僕は君にとって明日の僕さ」
なんだかよくわからないけれど、翌日からその人は行方不明になった。

2010年1月20日水曜日

道理

壁掛け時計の調子がおかしいので、電池が切れたのかしらん、と裏板を外したら小さな人が寝ていて、歯車が動かないのだった。

2010年1月18日月曜日

羅漢

腕時計をした羅漢さんを見つけた。
姿や表情が大雑把なのに、時計だけが細かい彫刻だった。思わず覗き込む。
六時三十分、と読めた。夕方なのか、朝なのか。どちらにしろ憂いを帯びた時刻だ。
左手首を睨んだ姿で静止し、長い年月をかけて風化していく羅漢さん。
石で出来たその時計もまた、確かに時を刻んでいる。(149字)

2010年1月15日金曜日

世界の秩序

「なぁ、シシ。その時計が壊れてることは、お前さんもわかっているんだろ?」
少年は、強い癖のある髪の毛がライオンのように逆立っていて、それゆえシシと徒名されていた。
シシは賢くなく、学校にも通っていないようだった。俺は昼飯を食う公園でシシを見つけると、よく話しかけた。言葉はあまり発しないが、憎めない愛嬌があった。
そのシシが、ここ数日、一心不乱に壊れた時計のネジを巻き続けている。

最初に時計を持ってきた日、俺はいつものようにシシに声を掛けた。
「おぅ、シシ。いいもの持ってるな。ちょっと見せてみろ、大丈夫、取りゃしないよ。……壊れてるじゃねぇか。ま、おもちゃにするなら、壊れてたっていいか。で、この時計、どうしたんだ? 貰ったのかい?」
すると、シシは
「落ちてた」
とだけ答えた。
シシは以来、ネジを巻いたまま。

十日も経った頃だろうか、シシがなんだか小さくなっているような気がした。もともと子供だが、もっと子供になっているように見えたのだ。
「なぁ、シシ。お前、なんかおかしいぞ。どっか具合悪いとこないか? 熱はないのか? お父ちゃんたちも心配してるだろ。もうこの時計で遊ぶのはよせよ。おっちゃんが新しいおもちゃを買ってやるから、な?」
俺がいくら言ってもシシはネジを巻くのを止めず、日毎に幼くなっていった。

ついにシシは三つくらいの子供になってしまった。
「シシ、シシ。頼むから止してくれ。このままじゃ赤ん坊になっちまう」
不図、シシは顔を上げた。「おっちゃん。おれ、だいじょうぶ。これでおしまい」
俺はシシがこんなに明瞭に話すのを初めて聞いた。
三歳のシシが語るところによると、なんでもシシは生まれ出るタイミングを大幅に間違えたらしい。それはあってはならぬことで、世界の秩序を乱すことなのだと理解したシシは、極力人と交わりを避け、どこかに存在するはずの「本来に戻るための時計」を探し続けていたというのだ。
「おっちゃんも、ほんとうは、まだ八歳」
シシは、にっこりと微笑み、時計を俺に握らせる。



2010年1月11日月曜日

大好きだった人たち

両手両足に腕時計をした人がいる。
彼の四人の祖父母の形見なのだそうだ。
時計はいずれも壊れているのだが、時々思い出したようにチクタク、と動くことがある。
そんな時、彼は、祖父母の匂いや、皺やシミだらけの手をありありと思い出して、おんおんと人目も憚らずに涙を流すのだ。