2022年8月30日火曜日

パンパン

その人はいつも同じ巾着袋を持っている。巾着袋は何が入っているのか、いつも膨らんでいて、妙に重たそうだった。何が入っているのか気になるが、人の荷物を詮索するのも憚られ、聞いたことはなかった。今日は、その巾着袋が萎んでいる。本人も元気がないように見える。思わず口を開く。
「何が入っているんですか?」 
紐が緩み、開いた袋から見えたのは、完全な闇だった。吸い込まれると気づいた時には、もう闇の中。

2022年8月28日日曜日

へなへな

安心した途端、腰が抜けてしまった。笑っているんだか泣いているんだか、自分でもわからない。そんなことがあってから、私の身体は芯がずいぶん軟らかくなってしまった。骨はちゃんとしているのだけど。にっこり笑うのも、うっすら涙が浮かぶのも、その場にしゃがみ込んで、湧き出る感情をいっぱいに味わう。

2022年8月27日土曜日

ぶくぶく

水の入らない箱で暮らしている。昔は水槽で暮らす人が少数だったが、今は逆だ。水中でも酸素ボンベを必要としない人が増え、大多数となった今は、外の世界は水で満たされている。私は蔑まれる旧人類となってしまった。道行く人が透明な壁を叩き、こちらを指さす。わざとおどけて見せる。彼らが笑うと大小の泡が大量に発生する。鼻や口で呼吸していないのに泡を出すとは不気味だ。もっとも、気が知れないのはお互い様だろう。

2022年8月24日水曜日

散々

玄関を出た途端に石に躓いて膝を擦りむいた。駅まであと二分のところで突然の土砂降り。落雷による停電で電車が遅れ、やっと乗り込んだと思ったのは電車ではなく、宇宙船だった。宇宙遊覧だと喜んだが、いつもと同じ仕事をさせられ、やっと帰宅した。AIアシスタントによると家を出てから二週間経過したとのことだが、擦りむいた膝はまだ治っていない。

2022年8月21日日曜日

シュルシュル

リボンを巻き取るような音がずっとしている。音の出処を慎重に辿っていく。音の方へと進むと私の手足は勝手にしなやかな動作を繰り広げる。とうとう音がはっきりと大きくなってきて、私はまさに自分が何かに巻き取られようとしていることに気が付いたが、もう止まることができない。

2022年8月15日月曜日

#8月の星々 「遊」投稿作

向こうから歩いてくるおじさんの顔にモザイクが掛かっている。服装や髪、歩き方で初老の男性とわかる。そういえば私も今朝、初めて顔にモザイクを掛けたのだった。一番弱く。 個人情報保護も極まれり。今日から顔のモザイクは合法になった。公園で遊具にしがみつく子らの顔は、目鼻も判別できない。

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予選通過

2022年8月13日土曜日

①日記帳 ②宿雨 ③ひらく

日記帳をひらくと紙が湿っている。万年筆では滲むに違いないので今日も油性ボールペンで記す。「8月13日 雨。もう二晩降り続いている。宿雨とはいうが、雨の連泊は遠慮いただきたい。予約のお客様、四組キャンセル……連泊中の雨に宿泊費を払ってもらいたいくらいだが、どこに請求すればよいものか」

Twitter企画
#深夜の真剣140字60分一本勝負
@140onewrite さま


2022年8月11日木曜日

ゴツゴツ

猫は脛に頭をぶつけてくる。これは憎からず思っている証らしい。つまり挨拶だ。挨拶だから頻度は高い。我が脛は猫の頭に相応しく変化している。右の脛は猫が擦りやすいように少し角ばってきたし、左の脛はぶつかられた私に快感が走るように感覚が鋭敏になってきた。左に、と今日も猫に懇願する。

2022年8月7日日曜日

爛爛

尾が裂け始めたのが半年前、今朝、付け根まで分かれた。猫の目が変わった。獲物に飛び掛かる前と好物にありつく瞬間を足して、更に倍にしたような目付きでこちらを見る。「ついに言うべき時が来た」と言った。お気に入りの窓際に座り「あそこのネオンより、俺の目のほうがよく光る」

2022年8月6日土曜日

#8月の星々 「遊」投稿作

 朝起きると飼い猫が小さい虎になっていた。早朝、餌をねだる声が低く聞こえたのは気のせいではなかった。虎と呼ぶには小さいが、猫と呼ぶのは憚られる、がっしりと太い脚。牙も大きい。猫は柄も性格も変わらず、遊び盛りのまま小虎になった。餌の量は十倍になったがエノコログサと毛玉ボールに夢中だ。

2022年8月1日月曜日

#8月の星々 「遊」投稿作

 世界各地から届くおじさんからの手紙には、いつもヘンなハンコが捺してあった。 「何でハンコ捺すの?」 ――遊印。かっこいいだろ? 「なんて書いてあるの?」 ――大人になったら読めるようになるよ。  既に叔父の年齢を越えた。「秉燭夜遊」の通りに叔父は生きた。青田石を握ってみる。重く冷たい。

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予選通過