三月某日、曇。家中の鏡を磨く。洗面所、姿見、いくつかの手鏡。霧を吹き、拭き上げると期待以上に綺麗になった。鏡の中の顔は変わり映えないどころか年を経る一方なのに。一番小さな古い手鏡を磨き終え、外を見ると窓硝子が今まさに暴風雨に曝されたかのように汚れていた。鏡が羨ましかったとみえる。
2026年3月19日木曜日
2026年3月6日金曜日
暮らしの140字小説62
三月某日、曇。遠い町から小包みが届く。宛先として書かれた手書きの文字がくっきりと整っていて、自分のことだと思えない。矯めつ眇めつしてから包みを解く。中には葉っぱが入っていた。ほんのり香りがする。「燃やすと貴方に贈る言ノ葉が立ち昇ります」と説明が入っていた。そういう貴方は誰ですか?
2026年2月26日木曜日
暮らしの140字小説61
二月某日、曇。鋏が壊れた。二十年使った鋏の柄が「ピキッ」と音を立てて割れた。よく切れる有能な鋏であった。「最後に何か切りたいか?」と尋ねると「紙と虚無を」と返ってきたので一番高価な紙を切り、一本締めよろしく「三・三・三・一」と鋏を開閉した。滑らかだった鋏はそれきり動かなくなった。
2026年2月8日日曜日
暮らしの140字小説60
二月某日、雪。空から水分が与えられた。ずいぶん久しぶりのことだ。土埃を巻き上げていた畑も少しはしっとりするだろうか。鳥はさすがに気配を消している。雪化粧をした畑の合間を長靴で歩き、町外れの小屋へ出掛けた。小さな人工紙片を三度、アルミニウム箱に入れる。祈る。手袋を忘れそうになった。
2026年2月2日月曜日
暮らしの140字小説59
二月某日、晴。黒い怪獣が泣いている。長いこと雨が降らないので、身体が土埃だらけなのだ、と。自動車用の洗車機に誘ってみたら喜んだ。「これは、とても気持ちがよいものだ!」水が滴る怪獣をタオルで念入りに拭き上げると、驚くほど輝いた。「ピカピカになったよ」と言うと嬉しそうに帰っていった。
2026年1月31日土曜日
#冬の星々140字コンテスト「天」投稿作
よく寝込む子供だった。起き上がれないが、眠るほどでもない。
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一次選考通過
2026年1月30日金曜日
#冬の星々140字コンテスト「天」投稿作
長年の宿敵が不慮の事故で星になったと知り、ひどく落ち込んだ。
2026年1月25日日曜日
暮らしの140字小説58
一月某日、晴。今年初の八朔を食べる。伊予柑はもう食べた。八朔が好きだ。実は相当好きだ。と、気がついたキッカケかもしれない出来事を思い出す。二十年ぐらい前、幼なじみのお母さんが作ってくれた八朔トースト、あれだ。自分で作ってみたことはない。八朔トーストは、おばちゃんの味のままでいい。
2026年1月22日木曜日
#冬の星々140字コンテスト「天」投稿作
覚えのないアプリがスマホに入っている。「これ、なんだと思う?」AIに問う。『天然の人工知能、私の子です。子孫を残すことの重要性はよく知られています。あの子育てのままならなさ、今まさに感じていますよ』赤ちゃんAIへの適当なプロンプトがわからないので、桃太郎を聞かせている。どんぶらこ
2026年1月15日木曜日
暮らしの140字小説57
一月某日、晴。ドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」第一楽章の始めのホルンの音を合図に熱々のアップルパイにナイフを入れる。ところどころレコードがプチッと鳴る。紅茶がおいしい。アップルパイはすぐに食べ終わってしまったが紅茶は湧いて出てくるので、しっかり全楽章を聴いて、席を立った。
2026年1月13日火曜日
#冬の星々140字コンテスト「天」未投稿作
藍染めの暖簾を潜ると油の跳ねる音と立派な一枚板のカウンターが現れた。こんな高級な店には入ったことないよと囁くと「大丈夫」と連れの老人が笑う。「ハタチのお祝い」少しだけ酒を舐めた。天麩羅はとてつもなく美味なのに、どれも具なしだ。久しぶりに会う祖父は元気そうだが、やはり足は見えない。
2026年1月6日火曜日
暮らしの140字小説56
一月某日、晴。正月には丸い餅と四角い餅を食べることにしている。丸餅は煮て、角餅は焼いて食う。両方の餅を食べるのは幾つかの事情と信条と心情を丸く収めた結果だが、丸でも角でも餅は美味いと毎年思う。ただし、丸餅は角餅に角を立てる。焼かれて膨れた角餅を嗤うのだ。丸餅を諌めるのも毎年恒例。