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2018年3月1日木曜日

豆本の世界10

豆本は男の汚れた背広のポケットに長いこと居た。かつては書店の小さな棚に居たのだが、男の手によってポケットに入れられたのだ。男はおそらく書店に支払いをしていない。つまり、豆本は盗まれたのだった。
豆本はすぐに男から忘れられた。ポケットに手が入ってくることすらなかった。豆本の周りには埃や糸くずが増えるばかりで、背広は一度も洗濯屋に持ち込まれることもなかった。
それは突然の出来事だった。男が背広を脱ぎ、乱暴に椅子の背に掛けた。その拍子に、豆本は外へ転がり落ちたのだ。幾らかの埃や糸くずとともに。
しばらく人の足を眺めていたが、ふいに持ち上げられた。小さな手だった。豆本はその手を「丁度よい」と感じた。
そして、小さな手によって豆本は初めて頁を捲られた。気恥ずかしくもあったが、歓びが勝った。あどけない声が豆本を読み上げる。物語が始まる。

2018年2月18日日曜日

豆本の世界9

 その古くて厚い本は、自分の中に収められているのが、壮大な、かなしい詩であることを知った。それを知るのに要した三百年の歳月は、己の体である紙や革の傷みで感じていた。
 本は、涙を流した。ポロリと零れ落ちた涙は書棚を転がり落ち、短い、かなしい詩を収めた豆本となった。
 「この豆本を誰かが拾い上げるのはいつのことだろう。きっと私は、かなしい詩とともに朽ちるのだ」と、本は思い、また涙を流した。

2018年2月11日日曜日

豆本の世界 8

国家にはそれぞれ固有の豆がある。国が増えれば新種の豆が誕生し、国が滅びるということは、ひとつの豆が絶滅することを意味する。
その国の一番大きな図書館の奥深くに、国の豆のすべてが書かれた小さな本がガラスケースに収められている。豆の品種名や詳細な栽培方法、おいしい食べ方が細かな文字でびっしりと記されている豆本だ。
その豆本もまた、国が生まれ、中央図書館が建てられるといつの間にか現れる。
図書館の館長が豆本の誕生を王に報告する儀式は、王の戴冠式よりも盛大に行われる。

2018年2月3日土曜日

豆本の世界7

世界中の書物が豆本になると、本には必ず虫眼鏡が付くようになった。本の内容に合わせて装飾を施された虫眼鏡は、書物以上に珍重された。愛書家の書棚はみるみる小さくなったが、虫眼鏡を陳列するための棚は、かつて本が豆本ではなかったころの書棚よりも大きくなった。

2018年1月16日火曜日

豆本の世界6

 その豪奢な豆本は、まさに「手のひらの宝石」と呼ぶにふさわしいほどだった。
ページをめくると「ぽとん」と豆が零れ落ちる。この豆は、いくら本を読んでもなくならず、食えば腹が膨れるという不思議な豆だった。きらびやかな装丁にもかかわらず「災害時用」として人気があった。
 ある年、干ばつによるひどい飢饉があった。豆本の奪い合いが起き、たくさんの豆本が破かれたり燃やされたりした。そして大きな戦となった。
 待ち望んだ雨が降って、ようやく長い戦が終わり、親を失った子らは、弔いの代わりに豆本から零れ落ちた豆を戦場に植えた。子らは親から豆本を譲り受けることが多かった。豆本を形見として戦の間も大切に携えていたのだ。
 彼らが青年になるころ、豆本の木は大木となり、豆本のなる森となった。

2018年1月8日月曜日

豆本の世界5

 世界中に本が溢れかえり、神と呼ばれるものは考えた。世界の構成単位を本にすればよい、と。
 海が書かれた本は海を満たすのに十分存在したし、山についても同じだった。炎も金属も、不足ない本があった。
 生物についても問題なさそうに思われたが、生物を生み出すには通常の本では大きすぎることがわかった。「ならば」神は決めた。「豆本で生物を構築しよう」。
 森羅万象は本であり、血肉は豆本である。自分を探す旅をしたい少年少女は、顕微鏡で自らの髪や爪を読破することに没頭している。

2018年1月6日土曜日

豆本の世界4

 店主はザルから豆をひと掴み、鍋に放り込んだ。グラグラと豆が煮えるのを、ゆっくりと箸でかき混ぜる。
 ここは書店の奥にある土間。昔の書店にはこうして大鍋があったものだが、今では珍しくなった。この店主もだいぶ年寄りだ。
 茹で上がった豆を、板に一粒ずつ並べていく。ある程度、間隔を広くしておかないと、本になったときにぶつかり合って、捩れた本になってしまう。捩れた本は好事家には人気だが、書店の店主にとってはただの不良品だ。
 決して広くはない書店の奥の間だから、あまりゆったり豆を並べるわけにもいかない。豆がどんな大きさの本になるのかはわからない。本に弾けたときにぶつからず、隙間もない、絶妙の間隔で並べていくのが、店主の腕の見せ所。
 深夜の書店の奥、豆が弾けて本になるポコン、ポコンという音が小さく響く。

2018年1月5日金曜日

豆本の世界3

 豆本へ旅行に行った友人が帰ってきた。幾度となく長い旅をしてきた人だが、今回はいつにも増して長かった。筆まめな友なのに便りも寄こさないので、さすがに少し心配したが、豆本はよほど楽しかったのか、水が合ったのか、待ち合わせの喫茶店に、充実した顔つきで友人は現れた。
「豆本に長く滞在した影響はないのかい?」と尋ねてみた。豆本に旅行する者は少なくないが、長期滞在する人はあまりいない。
「ひとつだけ不自由している……というか、不自由させていることがあるんだ」
 そう言って鞄から手帳とペンを取り出して何やら書き付け、こちらに差し出した。
「虫眼鏡を携帯することにしたよ」
 渡された虫眼鏡を覗くが、なかなかピントが合わない。
――親愛なる友へ しばらく文通は控えよう
 もちろん賛成だ。

2017年12月28日木曜日

豆本の世界2

世界が生まれたとき、まず豆本があった。
微細で微小な生物がその上を歩き、それが後に「文字」と呼ばれるものとなった。「文字」を解読できる生物が現れるまでは、長い時が掛かった。
その生物は文字は解読できたが、身体が巨大で、しかも不器用だったので、本の頁を捲ることができる生物が現れるまで、さらに長い時を待たねばならなかった。
頁を捲れる生物が現れ、初めて豆本の全頁が読まれた。
「埋めよ、育てよ」
豆本は、土に埋められ、ゆっくりと樹木になった。そして、ゆっくりゆっくりと成熟して、たわわに豆本を実らせた。ここに世界は完成した。

2017年12月15日金曜日

豆本の世界

小さいから豆本という。小さく作るから豆本になる。小さい本を読みたいから豆本を読む。小さい小さい小さい……
ふと「この豆本を普通の大きさで読んでみたい」と意味のわからないことを思ってしまった。
その途端、私の身体はするすると小さくなって、目の前の豆本が豆本ではなくなってきた。そろそろちょうど単行本くらいの大きさになる。
おやおや、まだまだ私の身体は小さくなるぞ。一体どれだけ縮むのだ私の身体は。
漸く止まったと思ったら、豆本だったはずの本は、いまや背丈ほどもあり、ページを捲るのは、扉を開けるより大変だ。