豆本は男の汚れた背広のポケットに長いこと居た。かつては書店の小さな棚に居たのだが、男の手によってポケットに入れられたのだ。男はおそらく書店に支払いをしていない。つまり、豆本は盗まれたのだった。
豆本はすぐに男から忘れられた。ポケットに手が入ってくることすらなかった。豆本の周りには埃や糸くずが増えるばかりで、背広は一度も洗濯屋に持ち込まれることもなかった。
それは突然の出来事だった。男が背広を脱ぎ、乱暴に椅子の背に掛けた。その拍子に、豆本は外へ転がり落ちたのだ。幾らかの埃や糸くずとともに。
しばらく人の足を眺めていたが、ふいに持ち上げられた。小さな手だった。豆本はその手を「丁度よい」と感じた。
そして、小さな手によって豆本は初めて頁を捲られた。気恥ずかしくもあったが、歓びが勝った。あどけない声が豆本を読み上げる。物語が始まる。
2018年2月18日日曜日
2018年2月11日日曜日
2018年2月3日土曜日
2018年1月16日火曜日
豆本の世界6
その豪奢な豆本は、まさに「手のひらの宝石」と呼ぶにふさわしいほどだった。
ページをめくると「ぽとん」と豆が零れ落ちる。この豆は、いくら本を読んでもなくならず、食えば腹が膨れるという不思議な豆だった。きらびやかな装丁にもかかわらず「災害時用」として人気があった。
ある年、干ばつによるひどい飢饉があった。豆本の奪い合いが起き、たくさんの豆本が破かれたり燃やされたりした。そして大きな戦となった。
待ち望んだ雨が降って、ようやく長い戦が終わり、親を失った子らは、弔いの代わりに豆本から零れ落ちた豆を戦場に植えた。子らは親から豆本を譲り受けることが多かった。豆本を形見として戦の間も大切に携えていたのだ。
彼らが青年になるころ、豆本の木は大木となり、豆本のなる森となった。
ページをめくると「ぽとん」と豆が零れ落ちる。この豆は、いくら本を読んでもなくならず、食えば腹が膨れるという不思議な豆だった。きらびやかな装丁にもかかわらず「災害時用」として人気があった。
ある年、干ばつによるひどい飢饉があった。豆本の奪い合いが起き、たくさんの豆本が破かれたり燃やされたりした。そして大きな戦となった。
待ち望んだ雨が降って、ようやく長い戦が終わり、親を失った子らは、弔いの代わりに豆本から零れ落ちた豆を戦場に植えた。子らは親から豆本を譲り受けることが多かった。豆本を形見として戦の間も大切に携えていたのだ。
彼らが青年になるころ、豆本の木は大木となり、豆本のなる森となった。
2018年1月8日月曜日
2018年1月6日土曜日
豆本の世界4
店主はザルから豆をひと掴み、鍋に放り込んだ。グラグラと豆が煮えるのを、ゆっくりと箸でかき混ぜる。
ここは書店の奥にある土間。昔の書店にはこうして大鍋があったものだが、今では珍しくなった。この店主もだいぶ年寄りだ。
茹で上がった豆を、板に一粒ずつ並べていく。ある程度、間隔を広くしておかないと、本になったときにぶつかり合って、捩れた本になってしまう。捩れた本は好事家には人気だが、書店の店主にとってはただの不良品だ。
決して広くはない書店の奥の間だから、あまりゆったり豆を並べるわけにもいかない。豆がどんな大きさの本になるのかはわからない。本に弾けたときにぶつからず、隙間もない、絶妙の間隔で並べていくのが、店主の腕の見せ所。
深夜の書店の奥、豆が弾けて本になるポコン、ポコンという音が小さく響く。
2018年1月5日金曜日
豆本の世界3
豆本へ旅行に行った友人が帰ってきた。幾度となく長い旅をしてきた人だが、今回はいつにも増して長かった。筆まめな友なのに便りも寄こさないので、さすがに少し心配したが、豆本はよほど楽しかったのか、水が合ったのか、待ち合わせの喫茶店に、充実した顔つきで友人は現れた。
「豆本に長く滞在した影響はないのかい?」と尋ねてみた。豆本に旅行する者は少なくないが、長期滞在する人はあまりいない。
「ひとつだけ不自由している……というか、不自由させていることがあるんだ」
そう言って鞄から手帳とペンを取り出して何やら書き付け、こちらに差し出した。
「虫眼鏡を携帯することにしたよ」
渡された虫眼鏡を覗くが、なかなかピントが合わない。
――親愛なる友へ しばらく文通は控えよう
もちろん賛成だ。
「豆本に長く滞在した影響はないのかい?」と尋ねてみた。豆本に旅行する者は少なくないが、長期滞在する人はあまりいない。
「ひとつだけ不自由している……というか、不自由させていることがあるんだ」
そう言って鞄から手帳とペンを取り出して何やら書き付け、こちらに差し出した。
「虫眼鏡を携帯することにしたよ」
渡された虫眼鏡を覗くが、なかなかピントが合わない。
――親愛なる友へ しばらく文通は控えよう
もちろん賛成だ。
2017年12月28日木曜日
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