2003年1月31日金曜日

月世界へ

『スターダスト』の店内は客もまばらで静かだった。
私は長い間疑問だったことをお月さまに聞いた。
「アポロが月へ行ったとき、お月さまはどうしたんですか?」
「……黙っていましたよ」
「……そうですか。そうですよね」
「本当は聞きたかったのです。『何か御用ですか?』って」
「……ずいぶん失礼でしたね、人間は。『ごめんください』くらい言わなければいけませんよね」



「何用あって月世界へ…月はながめるものである」
                   山本夏彦

2003年1月30日木曜日

お月様が飛ばされた話

あなたは知らないでしょう?
ひどい吹雪の晩は月も凍えて吹き飛ばされてしまうことを。
一年の半分を雪とともに過ごすような
寒い寒い街の大吹雪の夜は
あのお月さまでさえ、凍えてしまうのです。
吹雪の次の夜、もしも星が出ていたら、
もしもその夜が満月ならば
きっと見付けることができるでしょう。
月が飛ばされた跡を。
もっとも大吹雪の翌日が晴天で満月なんてことは
滅多にないでしょうけれど。

2003年1月29日水曜日

星の上を歩いた話

霰が積もった。
ラジオでも霰の話題でもちきりで、喜ぶ子供や
作物が傷み頭を抱える人の声が繰り返し流れた。
私は軋む霰を踏みしめ『スターダスト』に向かった。
雪見酒ならぬ霰見酒はなかなか飲めるものではない。
すると同じく『スターダスト』に行く途中のお月さまと一緒になった。
「いやーすごいですね。こんなに霰が積もるものとは思いませんでした」
と私が言うとお月さまは怪訝な顔をした。
「アラレ?違いますよ。これは星です」
「え!」
今夜は霰見酒もとい星見酒か。
それもいいな。すごくよいな。
軋む星を踏みしめた。

2003年1月28日火曜日

流星製造機

「ここだけの話……」
閉店間際の『スターダスト』でお月さまは切り出した。
「今年の獅子座流星群は危ないという噂なんです」
「はぁ。でも獅子座流星群の大出現のピークは過ぎたから……」
「いやいや。危ないのは他の流星群でも同じです。流星群はピークではなくとも、かなりの数になりますから」
「なるほど。で、危ないというのはどういうことなんですか?」
「流星製造機が故障したらしいのです。製造機がないと塵に手作業で箒をつけてやらなきゃいけません。私も手伝いにいきますから、その間の張りボテの月を用意しなければ……」

2003年1月27日月曜日

月が怪我をした話

お月さまが歩いてきた街灯とぶつかってしまった。
街灯の方はなんともなかったがお月さまは顔が擦り剥け、アザもあちこちにできた。
しかし、大きな怪我はないようなので私は安堵していた。
ところがお月さまは「まずいな」と繰り返しながら帰っていった。
なにがそんなにまずいのだろうかと思っていたら
翌日の新聞で月の模様が変わったことが写真付きで報じられた。
ラジオはウサギの仕業に違いないと言った。
当の街灯はあれから行方不明で、そのことも町ではちょっとした騒動になっている。

2003年1月26日日曜日

月の上で寝た話

「すごい写真が撮れたんだ」
と友人が見せてくれたのは、下弦の三日月に寝ている人影が写っているものだった。
「月の上に影があるのに気付いて望遠で撮ってみたら……これだよ。本当の人間が寝てるんだったらすごいぜ?なあ、月って寝心地いいのかなぁ?」
興奮している彼に私は訊ねた。
「……これ、いつ撮ったんだ?」
「えーと一週間前だな」
やっぱり…。お月さまとしこたま飲んで記憶がない日だ。私は友に言った。
「それ、本物の人間だよ」
混乱している友を横目に、何にも覚えてないのがやけに悔しかった。

2003年1月25日土曜日

闇職人

闇職人はずいぶん年寄りだが腕のいい職人だ。
だが、近ごろやたらと愚痴っぽい。年をとったからではない。
愚痴っぽくなっているのは月も同じなのだ。
「なんと言ってもエレキがいけねぇ。なぁお月さん。
オレがいくら腕を奮っても追い付かねえ」
「そうですよ。こんなに街が明るいようでは、私の美しさや有り難みがなくなってしまう」
「実際、最近は月を見上げる人なんかあんまりいねぇじゃねぇか」
「まったく。私を頼りに夜道を歩く人なんていませんよ」
「エレキの野郎、なんとかなんねぇかなぁ」
「私を侮辱してますよ、エレキは」

お月さんはかなり自分が好きなようだ。

2003年1月24日金曜日

月からの手紙

旧式のゼンマイロボットが手紙を届けにきた。
月のお手伝いロボットであるそいつは、今にも倒れそうだったので油をさして休ませた。
手紙の内容はどうってことはない。
今年の満月予報の告知、つまりダイレクトメールだ。
近ごろは月も宣伝に余念がない。
「特に中秋の名月にはお誘い合わせの上、御鑑賞下さい」
しばらく休ませたロボットは、ゼンマイをきっちり巻いて帰してやった。
どうもお月さまは、ロボット扱いが荒いようでゼンマイ巻きに45分もかかった。
世話したお礼に今度『スターダスト』でうまい酒をご馳走してもらおう。

2003年1月23日木曜日

月が溶けた話

昼間の白い月を眺めていたら、なんだかだんだんユラユラしてきて
ついにグニャグニャになってしまった。
私は仰天し、焦っていたが、なんにもできず、ただグニャグニャ月を見上げていた。
そこに通り掛かった子供が
「お月さんがソフトクリームみたいになってるよ!急がなくちゃ全部溶けちゃう!」
と言って月をペロペロ舐めだした。
「おじちゃんも舐めれば?」
と言うので少し舐めた。

あとでお月さまに「気色が悪い」と叱られたが、何故溶けたのかは教えてくれなかった。

2003年1月22日水曜日

MUR MUR

壁からでてきたのはウサギだった。
「なんだ、おまえか」
「なんだはないでしょ、旦那。遠路はるばる来たというのに」
はるばるだって?壁から出てきておいて?そう思ったが、口には出さなかった。
ウサギは大きな風呂敷包みを開いて商売を始めた。
「これは星の欠片。新鮮だよ。こっちの流星のシッポも貴重品だ」
「どうせまがい物なんだろう。帰った帰った」
するとウサギは素直に帰ってしまった。さっきの壁から。
壁には黒い跡がくっきり残っていた。
ウサギ形ではないその影に、私は見覚えがあった。
「待ってくれ!」

2003年1月20日月曜日

THERE IS NOTHING

旅から帰った友人はひどく疲れていた。
「どうだった?旅行」
「何もなかったよ」
彼は憔悴している、と言っていいくらいだった。
私は気にはなったが、それ以上何も語ろうとしない彼を追求はしなかったし、やがて忘れてしまった。

彼の憔悴の意味に気付いたのは八年後、彼の通夜の席だった。
そうか、あいつの旅行の行き先は八年後の未来だった……。

「何もなかったよ」彼の声が頭の中で繰り返された。
帰り道、ガス燈を思いっきり蹴った。
明日の朝、ガス燈に謝っておこう。

2003年1月18日土曜日

フクロトンボ

あの行き止まりは本当に行き止まりなんだ。気をつけな。
ウサギはそう言ってたけど私は信じていなかった。
だが、それは本当だった。
あのフクロトンボに入ったら、人生は止まる。
私の知り合いで迷い込んだ人がいたのだ。
彼はそれきりだった。
ちょっと覗いてみたくなるけど、それはやめておいた方がいい。
ウサギだってたまには本当の事を教えてくれる。

2003年1月17日金曜日

思ひ出

昨晩、私は雪世界に迷い込んだ。暗くて寒い夜だった。
全身疲労し、一面の雪景色に方角もわからなくなっていた。
私は天に祈った。せめて月明かりを!
願いは通じた。
立ちこめていた雲は去り、新月間近の細い月が見る見るうちに逆戻りし、明るい満月になった。
私はしばし呆然としていたが、気を取り直して歩きだした。
月が明るい内に家に戻らなければ!
だが、心配は無用だった。
私が家に着き、礼を言うのを待ってから、月は静かに痩せていった……

屋根裏から出てきた祖父のノートを見せるとお月さまは少し驚き、多いに照れた。

2003年1月16日木曜日

辻強盗

その十字路を曲がるとある物をなくす、という事件が頻繁に起こった。
人々はそれを辻強盗と呼んだ。
強盗と言っても、なくなるのは金目の物ではない。
だが、それ以上になくしては困るものだった。
その十字路を曲がった物は自分の名前を忘れるのだ。
呼び掛けられてもわからない。家族が教え込んでも無駄だった。
それは三日という短い間だったが、日常生活もままならなかった。
月は問い詰めた。「なぜこんなことをするんだ?」
流星は答える。
「冥土の土産にもってこいなのさ」
月は何も言えない。
流星の言葉はいつも謎だらけだ。

2003年1月15日水曜日

THE GIANT-BIRD

巨大な鳥が我が家を訪ねてきたのは日曜の午後だった。
家にはとても入らないので庭で話をした。
普段雑草だらけで手に余る庭に初めて感謝した。
巨大な鳥は、ここに来るまでに人を呼んでしまったらしく、外は野次馬だらけになっていた。
鳥はそれを気にして何度も「相済みません」とペコペコした。
巨大な鳥の用件は大したことではなかった。
だが、それは大仕事だし、すべてが済むには時間もかかる。
そして少しばかり気の毒だった。
だが断るわけにはいかない。
「わかりました」

2003年1月13日月曜日

停電の原因

史上最大の停電はきっかり24時間48分続いた。
正確に分かっているのは、停電を起こした張本人に問いただしたからで停電の間、時計と睨めっこしていたからではない。
さて、犯人の言い分はこうだ。
「私だってたまには休みたい。百年に一度なんだから見逃してくれてもいいではないか。人間のケチ」
この証言の真偽を確かめるため、至急天文記録が調べられた。
だが、それはたいして意味のない仕事だった。
百年前、地球上に電気は普及しておらず、月のサボりを誰も気付かなかったのだ。
未来人諸君、百年後の日付は(絶筆)

2003年1月12日日曜日

A MOONSHINE

「ふと見上げた月に魅せられて月に向かって歩き出した人がいた。その人はそのまま月を追い掛けて世界一周してしまったんだってさ。そんなに昔の話じゃないんだ、ついこの間のことさ」

2003年1月11日土曜日

どうして彼は喫煙家になったか?

お月さまは時々煙草を吸う。
煙草を吸う時のお月さまの表情は、なんだかはかなげで気になっていた。
「お月さまはどうして煙草を吸うようになったのですか?」
「はじめは憧れでした。
でも本格的に吸い始めた理由は他にあります」
「それはどういうことですか?」
「ここに来るには、この煙草が必要なのですよ」
お月さまはそれ以上語らなかった。

2003年1月10日金曜日

はたしてビールびんの中に箒星がはいっていたか?

友人が置いていったビール瓶の始末に悩み、お月さまに相談した。
「箒星が入っているらしい、珍しいからやるよ、なんて言って置いていってしまったんです」
ただの空瓶にしか見えないそのビンを友人は大事そうに抱えてきたのだ。
お月さまは、ためつすがめつビンを覗き込み
「こりゃいかん。指名手配中の箒星ですよ」
「え……」
お月さまは私が驚く間もなく消えてしまった。
しばらくして戻ってきたお月さまは
「暴走星」
と言ってビンを返してくれた。ビンはやはり空だった。
珍しいビールが入っているかも、と期待してたのだが。

2003年1月8日水曜日

星と無頼漢

星を拾ったのは見るからにガラの悪い孤独な男だった。
皆、星に同情した。
「あんな男に拾われて可哀相ねえ」

星は、男の身の回りの世話を焼いた。
男に笑顔が戻り、身なりもさっぱりしてきた。
星は彼の子を産み、しばらくしてから再び空へ戻っていった。
だが男はもう荒むことはないだろう。
彼の妻はちゃんと彼を見守っている。

2003年1月6日月曜日

お月様が三角になった話

「トライアングル?」
「そう。トライアングル。今でも同級生にからかわれるんです」
私はお月さまに子供の頃合奏で失敗した話をした。
お月さまはトライアングルを知らないようだった。
「トライアングル……三角形……」
「そうです。三角形の金属の楽器で……」
お月さまは私の説明を聞いていなかった。
お月さまは「トライアングル……」と呟きながら自分も三角形になっていたのだ。
私が「あ!」と言ったときには元に戻って「秘密だよ」と笑った。

2003年1月5日日曜日

お月様を食べた話

黄色い飴玉を買った。缶に入ったドロップでレモン味のだ。
缶の残りが少なくなってきたころ味のおかしい飴があった。
レモン味どころか甘くも酸っぱくもなく、ガサガサしていた。
飴が傷むはずがないと思つつ、あまりまずいので吐き出して紙にくるんで屑籠に投げてしまった。
試しにもうひとつ舐めてみたが、こちらは全くおかしなところがなくますます不可解なのだった。

その夜、随分疲れた顔のお月さまに
「まずくて悪かったですね」
と言われたのでアァあれは月であったか、と了解した。

2003年1月4日土曜日

土星が三つ出来た話

太陽系の模型を作ることにした。ちょっとした遊び。
惑星の大きさを計算し、紙粘土を丸める。
そして図鑑を見ながらひとつづつ色を塗った。
小さな白い玉が私を宇宙に導く。
お楽しみは土星だ。だが土星は輪を付けるのにも工夫がいるし、
思いのほか色付けも難しかった。
結局、土星は二つも出来損ないを作ってしまった。


夜、完成した模型を肴に飲んでいた。
二つの不出来な土星を指で弄ぶ。
その時、ラジオから流れていた気持ちの良い音楽が途切れた。
「臨時ニュースです。宇宙局によると先程土星と見られる惑星が三個発見され……」

2003年1月3日金曜日

赤鉛筆の由来

赤鉛筆は言った。
「ねぇオイラの身の上話、聞きたくない?」
私は面食らった。
赤鉛筆の一人称が「オイラ」なのは予想外だったし、手の中から話し掛けられたら誰でも驚く。
「オイラはさぁ、マルバツ付けるのは本職じゃねぇんだよぉ」
赤鉛筆の喋りは湿っぽい。
「女の子が夕焼け空の下で言った。『私、夕焼けの絵が書きたいの』
それを聞いたお天道様が、茜に染まった雲を集めてオイラを作りなすったのさ。泣ける話だぜ、くぅ」

お月さまにこの顛末を話すとなぜか文句タラタラだった。
赤鉛筆の由来なんて私はどうでもいいのだが。

2003年1月2日木曜日

月夜のプロージット

静かな夜だ。
私とお月さまはテラスに出て熱燗を飲むことにした。
七輪を出して火を入れると、なかなか幸せな気分になった。
月の光がちょうどよい。星もいつになくよく見えた。
「では」
「HAPPY NEW YEAR!」
酒はただただ旨かった。
「お月さまがこちらにいる間のあの月は、何ですか?」
「それは、秘密ですよ。偽物の月はではありませんから、ご心配なく」
偽物じゃなければ何だろう?
夜空を飛び回るヒツジたちを見ていたら、眠たくなった。