2005年1月16日日曜日

隣人

 隣人が庭に穴を掘りはじめて何ヶ月になるだろうか。
 隣に住む男は定年退職をしてから毎日庭に出て穴を掘り出した。道具は何も使わず、素手で直径五十センチほ
どの穴を掘っていく。
 朝は九時ちょうどから始め、夕方は五時きっかりまで。土曜日、日曜日は庭に出ることはあっても穴を掘ることはない。まるで勤め人のようなスケジュールである。
 我が家の庭と隣家の庭の間には腰の高さほどのフェンスがあるだけだ。お互い目隠しになるような樹木を植えることもなく、我が家の居間の窓からは隣家の庭のダイニングがしっかり見渡せる。以前は覗きをしているようで、また覗かれているようで気になっていたが、穴を掘るようになってからは頻繁に庭に目をやるようになった。 穴はまもなく大きくなり、隣人の姿は穴に隠れて見ることが出来なくなった。穴の傍らに積まれた土も少しづつ高くなっているようだ。穴の中の様子を見てみようと、二階のベランダから覗いたこともあったが角度が悪く、また盛られた土が邪魔をして、穴の中までは見えなかった。
隣人は妻と二人暮しである。子供もいるようだが、私たち夫婦がここに越して来た時には家を出ており、顔も知らない。夫妻は顔を合わせれば挨拶をするし、頻繁に寄り添ってスーパーなどへ買い物に出かけている姿を見
掛ける。仲の良い夫婦だと近所でも評判だ。しかし実際は、週に数回妻のヒステリックな声が聞こえてくるのだ。「こんにちは」と、にこやかに言うこの妻に対して「お宅の旦那さんはずいぶん熱心に庭作りをしておられますね」という言葉をこの数か月の間に一体何度飲み込んだだろう。
穴はここ数日でさらに深くなったようだ。積み上がった土は穴の周りをぐるりと囲み、徐々に高さを増していく。妻が夕方五時に庭に出きて、いつものように「あなた、もうおしまいにしたら」と言う。乱暴に、サンダル履きの足で積み上がった土を穴に蹴落としながら。
その日から妻のヒステリックな声は全く聞かれなくなった。

きららメール小説大賞投稿作