さびしい海で泳いでいると、女の子が砂浜を一人で歩いているが見えた。うろうろと、砂を足でいじってみたり波間を覗きこんだりしている。
僕はもう少し泳いでいたかったけれど、陸に上がって聞いてみた。
「何か探しているの?」
海水が耳に入ってしまったのだろう、自分の声がくぐもっている。
「時計を失くしてしまったの」
女の子の時計は見つからなかった。僕たちは、夕日が沈むのを眺めてから、さよならした。
翌朝になっても、耳の水は抜けていなかった。こんなことは初めてだ。僕は潜水は下手だけれど、耳抜きは得意なのだ。
耳の中で水がぴちゃんぴちゃんと小さく波打つのがわかる。どうにも煩わしいので、ベッドから起き上がることができない。目を開けていることもできず、かといって眠るでもなく、耳の中の水のことばかりを気にしていた。
そうしているうちに、ぴちゃんぴちゃんが、チクタク、になった。
もう一度、海に行ったら女の子に逢えるだろうか。
あの子ならきっと、僕の耳の中の時計を取り出せるはずだ。
2010年2月8日月曜日
甕
ばぁちゃんが死んだ後、荷物を片付けていたら、台所の大きな甕に、多量の腕時計が入っていた。
梅干しが入っているとばかり思った甕に、そんなものが入っていると知り、少なからず驚く。
時計は全て止まっているようだが、時折何かの拍子で「カチ」と音がする。背中を急に叩かれたかのようにギクリとする。
一体、ばぁちゃんはこの夥しい時計をどうやって手にいれたのだろう。いくらばぁちゃんが大往生だったからといっても、生涯に使った腕時計だけでは、こんな数にはなるまい。そもそも、ばぁちゃんが腕時計をしている姿を思い出せないではないか。
恐る恐る、ひとつ腕時計を持ち上げてみると、梅干しの匂いがした。
六本木ヒルズ、森美術館「医学と芸術展」を見てきた。
洋の東西を問わず、胎児と骸骨への興味は並々ならぬのだな。
象牙の小さな人体模型と、河鍋暁斎の骸骨がユーモラスで、特に気に入った。
古い時代の症例写真や術後写真なども少しあった。
私も赤ん坊のときに大きな外科手術を受けたので、子供の頃は毎年のように手術跡の写真を撮られていたのだけど、あれはまだどこかに資料として残っているんだろうか。一度も見たことないなぁ。
なかなか盛りだくさんで、こんな内容ゆえ刺激的な展示物もあり、最後のほうは「うぃー、お腹いっぱいー」だったのだけれど、ゆとりあるディスプレイで、土曜の午後にも関わらず見やすかった。
梅干しが入っているとばかり思った甕に、そんなものが入っていると知り、少なからず驚く。
時計は全て止まっているようだが、時折何かの拍子で「カチ」と音がする。背中を急に叩かれたかのようにギクリとする。
一体、ばぁちゃんはこの夥しい時計をどうやって手にいれたのだろう。いくらばぁちゃんが大往生だったからといっても、生涯に使った腕時計だけでは、こんな数にはなるまい。そもそも、ばぁちゃんが腕時計をしている姿を思い出せないではないか。
恐る恐る、ひとつ腕時計を持ち上げてみると、梅干しの匂いがした。
六本木ヒルズ、森美術館「医学と芸術展」を見てきた。
洋の東西を問わず、胎児と骸骨への興味は並々ならぬのだな。
象牙の小さな人体模型と、河鍋暁斎の骸骨がユーモラスで、特に気に入った。
古い時代の症例写真や術後写真なども少しあった。
私も赤ん坊のときに大きな外科手術を受けたので、子供の頃は毎年のように手術跡の写真を撮られていたのだけど、あれはまだどこかに資料として残っているんだろうか。一度も見たことないなぁ。
なかなか盛りだくさんで、こんな内容ゆえ刺激的な展示物もあり、最後のほうは「うぃー、お腹いっぱいー」だったのだけれど、ゆとりあるディスプレイで、土曜の午後にも関わらず見やすかった。
2010年2月7日日曜日
2010年2月6日土曜日
来年咲く花
幼稚園に入ったばかりの妹が熱心にどろんこ遊びをしている。まだきれいな砂場遊びの道具を持ち出して、庭にしゃがみこんでいる。
いつもは「どろんこ遊びはおててが汚くなるから、イヤなの」と澄ました顔で言うのに、どうしたことだろう。妹は、憎たらしいほど子供らしくないのだ。
「何して遊んでいるの?」
「お花をうえたの」
へえ、花か。
「何の花?」
「わからない。きいろい花」
「いつ咲くの?」
「らいねん」
まだ文字の書けぬ妹にせがまれて、私は「来年咲く花」と書いたプレートを庭の一角に刺した。
芽が出て、茎が伸びて、つぼみが膨らむ。妹は先月、初潮を迎えた。
「やっと咲くのね、この花」
「ううん、来年よ」
妹は澄ました顔でそう言った。
私が書いた「来年咲く花」のプレートは、奇妙に新しいままだ。
あきよさん
いさやん
砂場しゃん
武田のお方
三里さん
読み比べてみたり。(呼び名の五十音順)
(リンクがいやんだったら、言ってね)
いつもは「どろんこ遊びはおててが汚くなるから、イヤなの」と澄ました顔で言うのに、どうしたことだろう。妹は、憎たらしいほど子供らしくないのだ。
「何して遊んでいるの?」
「お花をうえたの」
へえ、花か。
「何の花?」
「わからない。きいろい花」
「いつ咲くの?」
「らいねん」
まだ文字の書けぬ妹にせがまれて、私は「来年咲く花」と書いたプレートを庭の一角に刺した。
芽が出て、茎が伸びて、つぼみが膨らむ。妹は先月、初潮を迎えた。
「やっと咲くのね、この花」
「ううん、来年よ」
妹は澄ました顔でそう言った。
私が書いた「来年咲く花」のプレートは、奇妙に新しいままだ。
あきよさん
いさやん
砂場しゃん
武田のお方
三里さん
読み比べてみたり。(呼び名の五十音順)
(リンクがいやんだったら、言ってね)
2010年2月3日水曜日
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