2009年1月8日木曜日

お喋りな石

「ちょっと、そこの黒猫。尾のない猫よ、頼みがある」
呼び止められて黒猫は立ち止まるかどうか迷った。黒猫を呼び止めたのは、塀の上に落ちていた白い石だったからだ。あまりよい頼み事ではないに決まっている。
〔何用だ〕
「黒猫よ、月と懇意であるな。我が輩は月に用があるゆえ、月のところへ運んでくれ。我が輩はこの通り死の危機に直面しているために自力では辿りつけない」
石の癖にお喋りで、どこが死にそうなのか、さっぱりわからない。
〔断る〕
黒猫が再び歩きだそうとすると、石は言った。
「その瞳、お前は石を飲んだことがあるはずだ。だから、我が輩の声が聴こえる。人間に言葉が通じるのもまた、尻尾を切られたからであろう。どうだ、違うか」
黒猫は仕方なく白い石をくわえて、月と少女の元に向かった。
今度は飲み込まないようにしないとな、と黒猫は独りごちる。

変異さん

変異さんの人生はスリルとサスペンスに満ちている。
変異さんは、朝起きるとまず身体中を隈無く点検する。鏡も使う。
今日は点検するまでもなかった。全身毛だらけ、だったからだ。
「結構毛だらけ、猫灰だらけ」
今朝の変異さんは機嫌がよいらしい。
ともかく、こうして毎朝なにかしらの変異を起こしている。昨日と違ったところを見つけられないと焦る。左の尻っぺたの内側に小さなホクロが出ただけの時は、発見まで四時間掛かって、変異さんは半狂乱だった。
変異さんは、自分が男か女かも気にしない。長い時は四年ほど男だったが、八ヶ月間毎日男女を繰り返したこともあった。
色が白くなったり、黒くなったりもするし、背や体重も変わる。
変異さんのコンプレックスは、自分の容姿がない、ということだ。

2009年1月6日火曜日

沈思黙考

黒猫は考える猫である。だが口数は寡ない。
人間語は伝達と思想と表現に遣うものだ、と黒猫は考えた。
黒猫が伝達すれば、それは人間語となり、少女は理解する。
黒猫が表現すれば、それは鳴き声となり、少女の手の中で尻尾がくねる。
「ヌバタマ、大好き」
〔……にゃおん〕
一度くらい、鳴き声じゃなく人間語で表現したいものだ。
と、やはり黒猫は無言で考えている。

2009年1月5日月曜日

散歩前のしっぽ

尻尾を切られた黒猫は、夜にしか出歩かない。独りの散歩をしたい時は少女に気がつかれないようにそっと少女から離れるのだが、少女は勘がよい上に四六時中黒猫の尻尾を握りしめたままだから、大抵の場合気付かれてしまう。
何故なら、ヌバタマが散歩に出掛けたいと思うと、少女の手の中の尻尾もまた落ち着きなくぴくりぴくりと動いてしまうのだ。
まだまだ修行が足りないと苦笑いしながらも、そんな時の尻尾は月光に照らされ、黒い毛並みが艶やかに際立つから、黒猫は我ながら見惚れてしまう。

2009年1月3日土曜日

黒猫がしっぽを切られた話

黒猫は少女に尻尾を掴まれた時、逃げてもよかったのだ。だが、黒猫は逃げなかった。少女の手に掴まれた尻尾自身が、逃げることを拒んだ。尻尾は、愉しんでいた。愉快がっていた。黒猫は、愉快を初めて知った。
ハサミでパチンとやられた時も、尻尾は身をよじって笑っていたから、黒猫は少しヒゲが痒くなった。少女に頬擦りをして誤魔化したが、それが恥ずかしかったからと気付いたのは、しばらく後のことだ。

少女は、キナリというらしい。
「猫、名前は?」
〔ヌバタマ〕
「変な名前」
〔あんたもな〕

見上げると、少女よりも真剣な表情で、月がこちらを覗き込んでいた。

2009年1月1日木曜日

差し出された手や手

三度目の新月の晩、黒猫は兄弟たちが眠っている間に、旅立った。
人間たちが世話を焼いてくれるので、ひもじい思いをすることはなかったが、一ヶ所に留まることは嫌った。
ミルクを差出し、身体を撫でていった人間の手を、黒猫はすべて覚えている。
皺だらけの手からは歓びを、太い指からは哀しみを知った。
小さな手からは怒りを、細い指からは、切なさを感じた。
尻尾を掴んだ少女の手は、今までとは明らかに異なる手だった。

生まれた晩と次の晩

新月の夜に、黒猫は生まれた。黒い猫は兄弟のうち彼だけで、母猫は彼に「ヌバタマ」と名付ける。悪くない名前だ、と黒猫は思った。
黒猫は乳を十分に飲むと、自分とよく似た色の空を眺め、それから眠った。
目覚めると、昨日はなかったか細い月を見つけ、二度欠伸をする。