ビルの屋上に上がる。いつでも雷が見えるから。
稲光はスピネルのような赤で、ぼくはうっとりと眺めてしまう。
遅れて、雷鳴が聞こえる。
それが断末魔の悲鳴だと知ったのは、五歳の時だった。
「雷に打たれにゆくから、さよならだ、小僧。明日の夕方に聞こえた雷のどれかが俺の声だ。ちゃんと聞いておけよ。ビルの屋上に上れば、よく聞こえるはずだ」
と顔馴染みの年老いたルンペンに言われた。
ルンペンはもう起き上がれないほど弱っているのに、どうやって雷までゆくのだろう、という問いには応えはなかった。ルンペンはすぐに寝息を立ててしまった。
ぼくは、雷がどこに落ちるのか知らない。ビルの屋上から見る赤い雷は果てしなく遠いようで、すぐそばのようにも見える。
その時が来ればわかるのだろうか、あのルンペンのように。
2008年8月9日土曜日
ノイズレス
「バー・ノイズレスへようこそ」
地下のバーの入り口前でペコリと頭を下げたボーイは、十代半ばの少年である。
「店内に入る前に、ノイズを頂戴します」
ボーイは再び軽く頭を下げると、私の耳元に口を寄せる。美しい顔が近づき、顔が赤くなるが、幸いここは暗い。
彼は大きく息を吸う。私の耳の中を吸い出すように。左耳、右耳。
騒音がたちまち小さくなる。階段したまで聞こえていた車の音、人々の喧騒も止む。時間が止まったような錯覚に囚われる。
時間。腕時計に耳を寄せると、秒針は無言で回転していた。外して、ポケットに入れる。
ボーイが無音のドアをあける。唇が動く。耳を澄ます。
「こちらへ」
ボーイの囁き声が静まり返った脳に心地よく響く。足音すら立たない店内に入ると、バーテンダーが微笑んだ。華麗なシェイキングで、氷の小さな笑い声がコロコロと鳴る。
そういえば、バーテンダーはずいぶん白髪が増えたのに、あのボーイは初めてこのバーを訪れたときから変わらない。
********************
500文字の心臓 第78回タイトル競作投稿作
○1 △3 ×1
地下のバーの入り口前でペコリと頭を下げたボーイは、十代半ばの少年である。
「店内に入る前に、ノイズを頂戴します」
ボーイは再び軽く頭を下げると、私の耳元に口を寄せる。美しい顔が近づき、顔が赤くなるが、幸いここは暗い。
彼は大きく息を吸う。私の耳の中を吸い出すように。左耳、右耳。
騒音がたちまち小さくなる。階段したまで聞こえていた車の音、人々の喧騒も止む。時間が止まったような錯覚に囚われる。
時間。腕時計に耳を寄せると、秒針は無言で回転していた。外して、ポケットに入れる。
ボーイが無音のドアをあける。唇が動く。耳を澄ます。
「こちらへ」
ボーイの囁き声が静まり返った脳に心地よく響く。足音すら立たない店内に入ると、バーテンダーが微笑んだ。華麗なシェイキングで、氷の小さな笑い声がコロコロと鳴る。
そういえば、バーテンダーはずいぶん白髪が増えたのに、あのボーイは初めてこのバーを訪れたときから変わらない。
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500文字の心臓 第78回タイトル競作投稿作
○1 △3 ×1
2008年8月8日金曜日
人類滅亡
世界はもうびしょ濡れ。どこもかしこも、しょっぱい水だらけでやんなっちゃう。
おとといまでは二階にいれば大丈夫だったのに、昨日は屋根で寝た。星がいっぱいで、目がちかちかして眠れなかったけど。
お父さんは、怖い顔をしてボートを出した。やっぱり山へ行くのかなぁ。わたしはあんまり行きたくない。
庭のクスノキの枝が塩の結晶で真っ白になっている。お日さまの光で、きらきらしてすごくきれい。大きな樹だからまだ全部は沈んでない。
この樹が沈むのを見届けるのも悪くないかな、ってわたしこの頃思うの。
おとといまでは二階にいれば大丈夫だったのに、昨日は屋根で寝た。星がいっぱいで、目がちかちかして眠れなかったけど。
お父さんは、怖い顔をしてボートを出した。やっぱり山へ行くのかなぁ。わたしはあんまり行きたくない。
庭のクスノキの枝が塩の結晶で真っ白になっている。お日さまの光で、きらきらしてすごくきれい。大きな樹だからまだ全部は沈んでない。
この樹が沈むのを見届けるのも悪くないかな、ってわたしこの頃思うの。
2008年8月6日水曜日
少し悲しげな
彼女の指先がいつもより白く冷たくて、真夏の陽射しの中、ひんやりと気持ちいい、なんて不純にも思ってしまう。
ぼくがいくらぎゅっと手を握っても、その手はちっとも暖まらない。
のんきに明るい声で話掛けるのも、ちょっと疲れた。本当は気づいてる。君の視線の先にあるもの。
ぼくがいくらぎゅっと手を握っても、その手はちっとも暖まらない。
のんきに明るい声で話掛けるのも、ちょっと疲れた。本当は気づいてる。君の視線の先にあるもの。
2008年8月4日月曜日
こどもの世界
空き地に作った秘密基地は、単なるカモフラージュで、本当の入り口は古いさびだらけのマンホールだ。
それはよくあるマンホールより少し小さくて、へんてこな模様をしている。ぼくたちは「宇宙人の文字だ!」なんて言いながら開けようとしたけども、マンホールはなかなか持ち上がらなかった。
何日かして、コウタがどこからか鉄の棒を持ってきて、マンホールを持ち上げた。テコのゲンリってやつだ、とコウタはいつもの知ったかぶりで言った。
マンホールの中は、真っ暗なんだけれど、しばらくじっとしていると目が慣れてくる。
そのうちにこうばしい匂いがしてきて、ぼくたちはそれに向かってあるくのだけど、あるいてもあるいても、匂いのもとは見つからない。
だんだんマンホールから遠くなって、帰りが急に心配になる。それで、いつも最後はわぁわぁ叫びながら走って戻ってくる。
明日こそ、あのおいしそうな匂いを見つけよう、と毎日思う。けれど、もう四年生も終わる。母さんが勉強勉強とうるさくなってきたし、最近ちょっとマンホールの穴が窮屈になってきたんだ。
それはよくあるマンホールより少し小さくて、へんてこな模様をしている。ぼくたちは「宇宙人の文字だ!」なんて言いながら開けようとしたけども、マンホールはなかなか持ち上がらなかった。
何日かして、コウタがどこからか鉄の棒を持ってきて、マンホールを持ち上げた。テコのゲンリってやつだ、とコウタはいつもの知ったかぶりで言った。
マンホールの中は、真っ暗なんだけれど、しばらくじっとしていると目が慣れてくる。
そのうちにこうばしい匂いがしてきて、ぼくたちはそれに向かってあるくのだけど、あるいてもあるいても、匂いのもとは見つからない。
だんだんマンホールから遠くなって、帰りが急に心配になる。それで、いつも最後はわぁわぁ叫びながら走って戻ってくる。
明日こそ、あのおいしそうな匂いを見つけよう、と毎日思う。けれど、もう四年生も終わる。母さんが勉強勉強とうるさくなってきたし、最近ちょっとマンホールの穴が窮屈になってきたんだ。
リトル・スクールガール
真っ赤なランドセルをベッドに放り投げて、髪を結い直す。
真っ赤の靴を履いて飛び出す。ぴっかぴかのエナメル。本当はちょっときつい。
「今日はどこに行くの?」腕を絡めて歩く。恋人は四歳年上の十一歳。
行く先は児童館。トランポリンで跳ねあって、手を繋いで、息を弾ませ、見つめ合う。
閉館のチャイムに追い出され、ほっぺにキスをもらって別れる。また、明日ね。ウィンクだって上手くなった。
家には誰もいない。お腹を減らして、うずくまる。
ランドセルは、まだベッドの上。
真っ赤の靴を履いて飛び出す。ぴっかぴかのエナメル。本当はちょっときつい。
「今日はどこに行くの?」腕を絡めて歩く。恋人は四歳年上の十一歳。
行く先は児童館。トランポリンで跳ねあって、手を繋いで、息を弾ませ、見つめ合う。
閉館のチャイムに追い出され、ほっぺにキスをもらって別れる。また、明日ね。ウィンクだって上手くなった。
家には誰もいない。お腹を減らして、うずくまる。
ランドセルは、まだベッドの上。
2008年8月2日土曜日
甕覗
水色の眼球がぷるんと震えて、とろけて、流れた。
伽藍洞になった眼窩に、ぼくは見覚えがある。父さんの顔にもやはり、伽藍洞の眼窩があった。
「おまえに甕は、渡せない」
と眼球のなくなった顔で男が言う。何故?と聞くと、おまえもこうなりたいか?と言われて、ぼくは黙った。
男の持つ甕を覗けば、あの水色の眼球になれる。白眼も睛も、すべて水色の眼球。ぼくは、それが欲しかった。水色の眼球なら。
「お前も母に逢いたいのだろう。確かに、母には逢える。いつでも一緒だ。だが、仕舞いには、こうして目玉が腐る。それでも欲しいか、母が」
甕の蓋を開けるとむしったばかりの葉の匂いがした。甕の中は、空よりも澄み、海より透明な青がどこまでも続いている。
伽藍洞になった眼窩に、ぼくは見覚えがある。父さんの顔にもやはり、伽藍洞の眼窩があった。
「おまえに甕は、渡せない」
と眼球のなくなった顔で男が言う。何故?と聞くと、おまえもこうなりたいか?と言われて、ぼくは黙った。
男の持つ甕を覗けば、あの水色の眼球になれる。白眼も睛も、すべて水色の眼球。ぼくは、それが欲しかった。水色の眼球なら。
「お前も母に逢いたいのだろう。確かに、母には逢える。いつでも一緒だ。だが、仕舞いには、こうして目玉が腐る。それでも欲しいか、母が」
甕の蓋を開けるとむしったばかりの葉の匂いがした。甕の中は、空よりも澄み、海より透明な青がどこまでも続いている。
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