2014年3月30日日曜日

三月三十日 旅立たない傘

折りたたみ傘が旅に出たいと騒ぐ。風が強いせいだろうか。新しい傘に嫉妬しているのかもしれない。


私は必死に傘を持つ。でも、心のどこかで、傘のしたいようにすればよいじゃないか、と思っている。


そんな瞬間にいっそう強い風が吹き、傘はおちょこになってしまう。


それでも私にはこの傘が必要なのだ。電車に乗る度、屋内に入る度、私は折り畳み傘を丁寧に畳み、カバーを着ける。


畳まれた傘は少し泣く。



2014年3月27日木曜日

三月二十七日 白いものたち

白い花が一面に散らばっている。雨に濡れた辛夷の花。


花を落としてしまった辛夷の樹は、茫然自失で雨に打たれている。


「気持ちがわかるなあ」


樹を見上げながらウサギは言う。


「ウサギの花はどこに咲くのだ?」


からかってみたものの、白い花びらの中で佇むウサギと辛夷は確かによく似た気配で、しばし見惚れる。



2014年3月26日水曜日

三月二十六日 紫

幾万もある紫のうち、今日やってきたのは二色だった。
丁重に迎え入れ、それぞれに水を出す。
二つの紫は、少しずつ水を飲み、その度に紙の上で寝てしまう。
またちょっと目覚めて水を飲み、新しい紙の上で寝る。
そうして出来た紫のグラデーションが二色。濃いの薄いの、薄いの薄いの、儚いの。
並べてやわやわと撫でた。


2014年3月23日日曜日

三月二十三日 廃墟

ようやく辿り着いた九階、息を整え外を眺めると、巨大な廃墟が広がっていた。


コンクリートの残骸、剥き出しの鉄骨。錆だらけのショベルカーがあちこちに放置されている。


時が止まったような光景が眼下に広がり、足がすくむ。


「毛が逆立っちまう」珍しくウサギも怖がっている。


春の風も、廃墟には届かない。



2014年3月20日木曜日

三月二十日 新しい傘

新しい傘は、おそらく有能過ぎるのだ。


 


雨粒は美しい音を奏でる。


今までに聞いたことのないような音で、雨粒は傘に落ちる。ポタポタでも、ザアザアでもなく、リンリンと。


 


雨粒はするすると転がる。


目を凝らして見る限り、雨粒はすべて等しい大きさの球体となって、傘の縁まで転がり、そして地面に落ちた。


 


そして、新しい傘は非常にプライドが高いようだ。


店内に入る時に渡されたビニールの袋を、何度着せても脱いでしまう。



2014年3月19日水曜日

三月十九日 カワウソの香り

「カワウソに触ったな」と、ウサギが睨む。「どうしてわかった?」
「カワウソ臭い。魚臭い。酒臭い」
どうやら、ウサギにとってカワウソはひどく匂うらしい。自分で手や服を嗅いでみたけれども、よくわからない。
ウサギは臭い臭いと言いながら、ずっとまとわりついてカワウソ臭とやらを熱心に嗅いでいる。
「うん、よい出汁が取れそうだ」と、呟いたのを聞き逃さなかった。


2014年3月18日火曜日

三月十八日 フローズンヨーグルト

「十二歳? 歳男か」


ウサギが十二歳になったという。まだほんの子供ではないか、こんなにふてぶてしいのに。


「どうしてウサギの癖に、卯年に生まれなかったんだ?」と問い詰める。


ウサギは「知ったこっちゃない」と、すねてしまった。


「フローズンヨーグルトを分けてやろうと思ったのに」と呟いた声は、春一番にかき消された。