この家に何日滞在したと数えるのは困難である。
時計はあるが、秒針のリズムはおそろしく速い。
こちらがゆっくりと呼吸し、ゆっくりと動くと、秒針もゆっくりになるのだった。
それが「そう見える」だけなのか、時間が実際に伸び縮みしているのか、考えるのはやめにした。
速度をコントロールできなかった当初、何もかもがあっという間だった。
だが、ゆっくり動くこと、ゆっくり話すことを覚えてからは、体感と実際の一日の差は小さくなっていった。
お茶も糸のように細く注ぐことができるようになった。
青い鳥は悠長で鷹揚になり、青い羽はますます美しく輝いた。(260字)
2020年4月13日月曜日
暮らしの知恵
「ずっと、ここに、住んでいる者は、ごく、当たり前に、速度を、変えています」
穏やかな人は、ゆっくり、ゆっくり、お茶を注いだ。糸のように細く、お茶がカップに注がれている。
「こうして、ゆっくり、話したり、ゆっくり、動くことで、調整、しているのです」
外的な速度と、内的な速度
受動的な速度と、自発的な速度
というような言葉を思い浮かべる。
「バランスを、取ろうと、しているのですね」
「はい。ただ……それが、科学的に、正しいこと、なのかは、わかりません。習慣、のような、文化、のような、暮らしの知恵、のような、そういう類の、もの、です」
穏やかな人はスッと表情を変えた。
「例えばこうして早く喋ることだってできるのです。しかし一日中この速度で話していると一日が瞬く間に終わってしまうのです。ほら外を御覧なさい」
地下の家にぽかりと開いた天窓に、青い鳥が混乱した頃に昇った太陽は既になく、月が素早く横切った。(392字)
穏やかな人は、ゆっくり、ゆっくり、お茶を注いだ。糸のように細く、お茶がカップに注がれている。
「こうして、ゆっくり、話したり、ゆっくり、動くことで、調整、しているのです」
外的な速度と、内的な速度
受動的な速度と、自発的な速度
というような言葉を思い浮かべる。
「バランスを、取ろうと、しているのですね」
「はい。ただ……それが、科学的に、正しいこと、なのかは、わかりません。習慣、のような、文化、のような、暮らしの知恵、のような、そういう類の、もの、です」
穏やかな人はスッと表情を変えた。
「例えばこうして早く喋ることだってできるのです。しかし一日中この速度で話していると一日が瞬く間に終わってしまうのです。ほら外を御覧なさい」
地下の家にぽかりと開いた天窓に、青い鳥が混乱した頃に昇った太陽は既になく、月が素早く横切った。(392字)
2020年4月11日土曜日
ただ速いわけではなく
席を勧められるよりも早く、問い質すように聞いてしまった。
「この、島の、ことを、説明するのは、難しいのです」
穏やかな人は少しだけ困った顔で言った。
「青い鳥は、自分の、声が、追いかけて、聞こえてくるのが、不思議、だったようです。そして、興奮、しすぎたのだと、思います」
そういうと、青い鳥も、目を覚まして、肩に乗ってきた。しっかりと掴まれた感触に安堵する。
話しているうちに、気持ちも落ち着いたのか、ゆっくりと話せるようになってくる。
「時間が、速い、のでしょうか。音速、波、太陽……でも、ただ速い、だけ、ではない、ような気が、します」
穏やかな人は言った。
「そうですね。ただ、速い、というわけではなくて、伸び縮みする、と言ったほうが、よい、かもしれません」(323字)
「この、島の、ことを、説明するのは、難しいのです」
穏やかな人は少しだけ困った顔で言った。
「青い鳥は、自分の、声が、追いかけて、聞こえてくるのが、不思議、だったようです。そして、興奮、しすぎたのだと、思います」
そういうと、青い鳥も、目を覚まして、肩に乗ってきた。しっかりと掴まれた感触に安堵する。
話しているうちに、気持ちも落ち着いたのか、ゆっくりと話せるようになってくる。
「時間が、速い、のでしょうか。音速、波、太陽……でも、ただ速い、だけ、ではない、ような気が、します」
穏やかな人は言った。
「そうですね。ただ、速い、というわけではなくて、伸び縮みする、と言ったほうが、よい、かもしれません」(323字)
2020年4月5日日曜日
神様
焙煎する前に準備をしながら「きみたちはイタリアンローストにするよ」と声を掛けてから始める。すると「我々は真っ黒になってしまうのだな」「悪くはないな」「いや、シティーローストがよかった」などと声が聞こえてくる。
それから、ブラジルだとかコロンビアだとか、故郷の思い出話が始まるのがお決まりだ。
珈琲が饒舌なのは、「生豆」の段階だ。焙煎が終わる頃にはすっかりおとなしくなる。炒り終えたコーヒー豆が喋っていたら、喫茶店は、五月蠅くて仕方がないだろう。
だが、かつて一度だけ、いや、一粒だけ、焙煎が終わってもしゃべり続ける豆がいた。「皆、黙ってしまったが、どうしたことか」「焦げたからだろうか」「ここはどこか」
その一粒は、自宅へ持って帰って瓶に入れて、なんとなく思い立って神棚に置いた。
朝、出掛けに神棚を拝むと、時々ぼやきが聞こえる。「すっかり焦げてしまった」と。そんな日は、焙煎がうまくいくのだ。
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「珈琲の超短編」井上雅彦賞(大賞)受賞
「珈琲の超短編」井上雅彦賞(大賞)受賞
2020年3月27日金曜日
a ship sunk in scent (英訳版 香りに沈んだ船)
a ship sunk in scent
That was a long time ago, or another time.
A number of mysterious pieces of wood were washed up on a certain island.
It's as light as a feather in your hand, but sinks when you put it in water. And as I put it in my pocket, a beautiful scent rises up from a piece of wood warmed by human skin.
Fascinated by this fragrant piece of wood, the people of the island set out on a voyage. He desperately wanted to know where the piece of wood had come from.
He goes around from port to port, asking if anyone knows what this tree is. The person who asked also wanted to leave the fragrant and mysterious tree and joined the journey. The voyage, which began on a small island, soon became a large group of people.
As the ship fills up with people, a scent similar to that of a piece of wood begins to waft in the air. The ship advanced toward the scent.
It was a well flourished port. There were buildings in the harbor town that were filled with people. The ship continued on its way, even when it was on land, toward the most powerfully scented building. The ship was silently swallowed up by that building, which the inhabitants called a "fortress".
Japanese 香りに沈んだ船
That was a long time ago, or another time.
A number of mysterious pieces of wood were washed up on a certain island.
It's as light as a feather in your hand, but sinks when you put it in water. And as I put it in my pocket, a beautiful scent rises up from a piece of wood warmed by human skin.
Fascinated by this fragrant piece of wood, the people of the island set out on a voyage. He desperately wanted to know where the piece of wood had come from.
He goes around from port to port, asking if anyone knows what this tree is. The person who asked also wanted to leave the fragrant and mysterious tree and joined the journey. The voyage, which began on a small island, soon became a large group of people.
As the ship fills up with people, a scent similar to that of a piece of wood begins to waft in the air. The ship advanced toward the scent.
It was a well flourished port. There were buildings in the harbor town that were filled with people. The ship continued on its way, even when it was on land, toward the most powerfully scented building. The ship was silently swallowed up by that building, which the inhabitants called a "fortress".
Japanese 香りに沈んだ船
2020年3月20日金曜日
どうなっているんで、すか
「消えず、見えず、インクの、旅の人、ですね」
話し方と同じく、物腰もやわらかな人だった。
「ここは、これまで転移してきた、どこよりも、不思議なところです」
真似してゆっくり話そうとするが、興奮と混乱と、そしてやっと人に会えた安堵で、思うほどはゆっくり話せない。
「そうでしょう、そうでしょう。私の、家に、いらっしゃい。鳥さんも、一緒に」
青い鳥を抱きかかえ、ゆっくりの人に付いていく。歩くのも、ゆっくりだった。
太陽も月もあんなに速いのに、人はこんなにゆっくりなのか。
ゆっくりの人の家は、地下にあった。
その入り口は、島を一周しただけでは気が付かない、小さな穴だった。
地下の通路の向こうに、立派な扉があった。
扉の向こうは、広々とした家だった。すべてが整えられ、きちんとして、穏やかだった。
「この、島は、どうなっているんで、すか?」(358字)
話し方と同じく、物腰もやわらかな人だった。
「ここは、これまで転移してきた、どこよりも、不思議なところです」
真似してゆっくり話そうとするが、興奮と混乱と、そしてやっと人に会えた安堵で、思うほどはゆっくり話せない。
「そうでしょう、そうでしょう。私の、家に、いらっしゃい。鳥さんも、一緒に」
青い鳥を抱きかかえ、ゆっくりの人に付いていく。歩くのも、ゆっくりだった。
太陽も月もあんなに速いのに、人はこんなにゆっくりなのか。
ゆっくりの人の家は、地下にあった。
その入り口は、島を一周しただけでは気が付かない、小さな穴だった。
地下の通路の向こうに、立派な扉があった。
扉の向こうは、広々とした家だった。すべてが整えられ、きちんとして、穏やかだった。
「この、島は、どうなっているんで、すか?」(358字)
2020年3月15日日曜日
鳥の墜落
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
青い鳥も青い鳥なりに混乱しているらしく、やめろと言っても人探しをやめない。
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
己の声が続いて聞こえるのが不思議で仕方なく、やめられないらしい。
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
混乱は混迷を極め、青い鳥はポトリと肩から墜落した。
「鳥! 鳥! 大丈夫か」
「鳥! 鳥! 大丈夫か」
「小さな、声で、ゆっくり、話すと、よいですよ」
と穏やかな声が背後から聞こえた。(333字)
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
青い鳥も青い鳥なりに混乱しているらしく、やめろと言っても人探しをやめない。
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
己の声が続いて聞こえるのが不思議で仕方なく、やめられないらしい。
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
「消えず見えずインクの旅券を持つ者と、相見える者はおらぬか」
混乱は混迷を極め、青い鳥はポトリと肩から墜落した。
「鳥! 鳥! 大丈夫か」
「鳥! 鳥! 大丈夫か」
「小さな、声で、ゆっくり、話すと、よいですよ」
と穏やかな声が背後から聞こえた。(333字)
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