2017年10月29日日曜日

十月二十八日 ショールーム

地下鉄の駅を出て、傘を開く。目的のショールームへの地図を確認したものの、自分の向いている方向がわからない。少し広い通りまで出て確認しようと歩き出したら、そこにあった。
広げたばかりの傘を畳み、ショールームに入った。八畳ほどだろうか、小さなショールームだ。
ここは、財布と巻尺のショールームである。
機能的な財布、高価な財布、大きな財布、小さな財布。
長い巻尺、短い巻尺、革のケース入り巻尺、ステンレスの巻尺。
財布をひとつ手にして「コインの出し入れの具合を確認したいのです」とスタッフに言うと、真鍮の小皿を差し出してくれた。そこには小さな小さな巻尺がザラザラと入っていた。

2017年10月22日日曜日

ポイントカード

「お客様の笑顔がポイントです」
 カードを差し出す店員は崩れを許さぬ化粧と隙のない笑みでそう言った。
 受け取ったそれは、大きさはまさしくカードだったが、スタンプを押す欄もなければ、機械に通すための磁気テープもないし、ICチップもない。
「えっと、これは、いつまで有効ですか?」
 他に訊くべきことがあるような気もするが。
「お客様が笑顔を失った時にこのカードは自動的に失効いたします」
 ポイントカードを覗き込むと、見慣れた顔が映っていた。我ながら「無表情だ」と思う。裏面には、この施設のロゴマークが入っている。試しに、ポイントカード向かって笑いかけた。表情筋に鋭い痛みが走る。
「ポーン!」
 軽やかな音が鳴り、ポイントが貯まったことを知らせる。ああ、一応「笑顔」として認識されたらしい。少しホッとした。
「一日に何回でもお使いいただけますよ」
 店員は計算された完全な微笑みで言う。私が作り笑顔さえ困難になる日は、そう遠くないと見透かしているに違いない。
 その時が来るまで、笑ってみせよう。この小さな鏡に向かって。

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「もうすぐオトナの超短編」たなかなつみ選 佳作受賞
兼題部門(テーマ超短編「期間限定」)

2017年10月11日水曜日

十月十一日 御用聞き

孫が生まれた人と生れそうな人に「注射器がご入用でしたら、いつでもどうぞ!」と私は言った。
結局、誰も注射器を必要としなかったし、生まれそうな孫はまだ生まれなかった。
念のために言っておくと、注射器で蓮根の穴に糊を注入するのである。

2017年9月27日水曜日

九月二十七日 黒板と白墨

白墨を持つのなんて、何十年ぶりだろうか? 黒板に白墨が擦れる感触を味わう余裕もなく、「字が小さくならないように」ということばかり気にして、覇気のない白い文字を書き連ねる。「漁師芸術の採光」という美術展のお知らせ。会期は明後日から二週間。招待券はない。

2017年9月26日火曜日

九月二十六日 詩集

一度読んで、そっと閉じた詩集があった。カタツムリが無音でしゃべる詩が延々とつづいた。
音のない詩なのにページを繰る音ばかりがだんだんと大きくなるので、それが爆音にならないうちにとそっと閉じたのだった。
その詩人の本をまた手にとった。9年ぶりだった。今度は子猫がしゃべる詩がつづく詩集で、無音ではなかった。ページを繰る音は、聞こえなかった。

2017年9月9日土曜日

九月九日 チャチャチャ

見知らぬ学生街を散歩した。かわいらしいお菓子屋を覗くとお茶が出た。甘くて濃いミルクティーだった。
素敵な雑貨屋にいくと、お茶が出た。香り高い煎茶だった。飯碗を買った。
紅茶屋を覗いたら、もちろんお茶が出た。秋の香りのする紅茶だった。
さて、そろそろ帰りましょう。と駅の改札を通ったら、駅長がお茶を振る舞っていた。ホームで茶会が始まった。

2017年8月29日火曜日

八月二十九日 狂速度

今日の駅のエスカレーターは妙に速くないか? いつもと違うリズムで転びそうになる。
たどり着いた先の百貨店、今度のエスカレーターは超低速だった。苛苛しながら6階の文具売り場へ向かう。

だいぶ早いけれど、来年の手帳など見てから、超低速エスカレーターに乗って、地下の食料品店に行く。お弁当を持って、レジに並ぶとレジスターは超高速になっていて、レジ係が目を回して倒れていた。

みんな飛翔体のせい。