2013年7月27日土曜日

青梗菜としめじ、豆腐の中華スープ

 青梗菜を初めて知ったのは、スープだった。もうずいぶん昔の話だ。
「軸は白菜の根本みたいに肉厚だし、葉っぱは小松菜のようでもある」と、知らない野菜をひとしきり観察したのだった。
 中華風の味付けのスープはおいしくて、その野菜がなんという名前であるか、店主に訊くのを忘れてしまった。
 「チンゲンサイ」という名前と、スーパーで売っている姿を覚えたのは、それからしばらく後のことである。
 それ以来、あの店のスープの味を再現しようと毎日のようにスープを作るが、未だに納得のいくものが出来ていない。
 幸い、青梗菜はずいぶん手に入りやすくなった。あのスープを食べた店があったはずの場所は、もうずっと前から空地のままだ。



2013年7月25日木曜日

金時人参のお麩入りポタージュ

 金時人参はちょっと特別だ。すらっとした姿、赤みの強い色……野菜のくせに、なんてカッコイイんだろう。
 僕が人参を振り回して戦っていると、叱られた。「食べ物で遊んじゃいけません」って。でも僕は遊んでいるつもりではなくて、悪いやつと戦っていて、金時人参はレアで強い武器なのだけど、それを説明する言葉が見つからない。
 そういう母だって金時人参を料理するときはいつもより楽しそうだった。とりわけポタージュを作るときは、ウキウキと嬉しそうだった。いつもは入れないお麩も入れて、いっそう丁寧に作っていたことを知っている。
 相変わらず僕は金時人参を見ると特別な武器に見えてしまうけれど、母のポタージュの味を懐かしく思うくらいには大人になった。



氷漬けの蝶

農家の冷蔵庫から氷漬けの蝶が発見された時、ある人は鱗粉を採取したいと言い、またある人は口吻を伸ばしてみたいと言い、別のある人はゲニタリアを解剖したいと言った。
だが、蝶を取り出すことはできなかった。熱湯を二十四時間掛け流しても解けないない。氷漬けの蝶は農家の冷蔵庫に戻された。



汽車と鉄道路線夫(お題:線路)

汽車は遅々として進まないがほんの少しは進んでいる。
一人の鉄道路線夫が線路を敷く後を付いているからだ。
けれど、ゆっくりと景色を眺めることも、時にうたた寝することも悪くはない。
夜は鉄道路線夫を客室に乗せる。一等席の座席でこんこんと眠る路線夫を乗せて、後ろ向きに走り、しばらくして戻ってくる。今日出来たばかりの線路の具合を確かめる。
「すばらしい線路だ」鉄道路線夫の仕事はいつも丁寧だった。
そしてまだ線路のない道を見渡しながら、汽車も眠る。先は長い。

2013年7月22日月曜日

にんじんと黄色いズッキーニのコンソメ

「黄色い僕が居てこそにんじんが輝くのだ」ズッキーニは主張する。
 「人参の味と香りなしにはズッキーニはその長所を発揮できないではないか」というのが人参の言い分。
 僕は賑やかな両者を口中で融合させ「とってもおいしいよ」とその鮮やかなスープの眩しさに目を細めるのだった。



2013年7月20日土曜日

黒米と梅干しのスープ

 私には少々風変わりな叔父がいた。近所の空地にテントを張って暮らしてみたり、外国に行くといって出て行ったと思ったら隣町の飲み屋で酔いつぶれていたり、ものすごく美人の女の人が高級車で迎えに来たり。何をやっているのかわからない。
 そんな叔父が一度だけ手料理を食べさせてくれたことがある。梅干しの入った黒米のスープ。その頃の私は黒米なんて知らなかったから、「おう、食え」と出されたお椀の濃紫色を見て、ギョッとしたものだ。だけれど、叔父がニコニコとこちらを見ているので仕方ない。梅干しをほぐしながら啜る。
「あ、おいしい……」
 それは身体にすっと沁み渡るような、ほっとするような味だった。叔父は、見たこともないような優しい顔で私を見て、それから満足そうに笑った。
「おれの開発した、縄文風スープだ」
 その後しばらくして、叔父は本当にどこかに行ってしまった。叔父はきっと縄文時代に帰っていったのだろう、とちょっと思っている。



2013年7月17日水曜日

甘夏のジュレ

 娘が「ただいま」の声もなく帰ってきた。「どうしたの?」と訊こうとして、やめた。口を結んでいないと大粒の涙が零れてしまうのだ、この顔は。言いたくないことを無理に訊くことはない、と心に言い聞かせてから、冷蔵庫から甘夏のジュレを出した。ミントの葉もちょこんと乗せて。
 ゆっくり味わうようにジュレを食べる娘の表情が少し和らいだところで「お母さんにも一口ちょうだい」と言ってみた。てっきり「ダメ」と言われるかと思いきや「しようがないなぁ。あーん、して」とスプーンが伸びてきた。
 あら、しょっぱい。「ありがと」
「どういたしまして」とちょっぴり偉そうに返す娘はすっかりいつもの顔に戻っていた。
 娘の涙を引き受けてくれたジュレにも「ありがと」。