2009年9月29日火曜日

九月二十九日 漆黒を手に入れる

時々、赤い目が光る。
二種類の丸と点が反対。
選ぶ余地が少ない音。
ペンギンはドジだ。

大袈裟に言うならば――なりふり構っていられない時が来る気がする。悪くない。

2009年9月28日月曜日

出るのはしゃっくりではないはずだ

ウィーンの老人は瀉下薬で晩酌する。
持病の癪が悪いときは、カミツレ茶で「ヒックヒック」。
このウィーンの老人には釈然としない。 


There was an Old Man of Vienna,
Who lived upon Tincture of Senna;
When that did not agree,
He took Camomile Tea,
That nasty Old Man of Vienna. 

エドワード・リア 『ナンセンスの絵本』より

2009年9月27日日曜日

めがね

「ゆめをみるためのめがねをください」
 と、人間の男の子がきつねの雑貨屋さんを訪ねてきました。
 たしかにきつねの店にはおかしなものがたくさんあります。願いが叶わない四つ葉のクローバーとか、一秒が長すぎる懐中時計とか、雨が大嫌いな長靴とか。
「なんだって、そんな眼鏡が欲しいんだい? 眠れないのかい?」
 きつねは男の子に尋ねました。
 男の子は違うと言いました。決して眠れないわけではないのだと。ただ、生まれてこの方、五年間「夢」を見たことがないというのです。
「そりゃあ、おかしいな」
 きつねはニヤリとしました。そして「ちょっと待ってな」と言い残して屋根裏に行きました。
 男の子が夢を見ていないはずがないのです。こんなきつねの店、人間は夢でも見てなければ来られないのですから。でもせっかくなので、きつねは男の子に眼鏡をあげようと思いました。昔々、この店によく来ていた人間のおじいさんの老眼鏡です。きっと屋根裏にあるはずです。あれなら男の子が欲しい「ゆめをみるめがね」にうってつけだときつねは思いました。
「ああ、あったあった」
 丸い鼻眼鏡のレンズに「はぁ」と息を吹きかけて尻尾で丁寧に拭くと、曇っていた眼鏡はぴかぴかになりました。
 屋根裏から降りると、きつねは眼鏡を男の子に渡しました。
「はい、178円だ」
 男の子は小さな緑色のお財布の中身を全部きつねのてのひらに乗せました。ぴったり178円です。
 さっそく、おじいさんの老眼鏡を掛けた男の子は言いました。
「あれ? おじさん、きつねじゃなかったの?」
おやまあ、あのおじいさん、ずいぶんな眼鏡を遺したもんだ、きつねは苦笑いしながら言いました。
「さて、帰ってゆっくりおやすみ。目が覚めたら夢がどんなものかわかるはずだよ」

(716字)

2009年9月26日土曜日

懺悔火曜日

「抱いた女は一人も顔を覚えちゃいない」
水曜日の男は、無精髭を擦る。
「一人きりになりたいのです」
木曜日の少年は鏡と接吻をする。
「1897年の2月31日は雨だった」
金曜日の老婆は繰り言を皺に刻む。
「にゃあ」
土曜日の猫はお天道さんのことしか考えない。
「……」
日曜日の赤ん坊は言葉を持たない。
「お許しください、お許しください」
月曜日の女は胸に手を当てさめざめと泣く。
「これから奪いに行きます」
私は火曜日に罪を宣言する。
占いが外れていなければ、私の罪はまたひとつ増えるから。

(232字)

2009年9月22日火曜日

壊すことの意味について

硝子戸にワイングラスを投げつけたら、どんな音がするだろう。
大した音じゃないかもしれない。石ころを投げつけたほうが余程派手でわかりやすい音がするに決まってる。誰が聞いても「今、ガラスが割れた!」ってわかる音がね。
でも石ころみたいに固くて握りやすくて投げやすいものじゃないんだ、この場合。この場合、ってのは今の僕の現実。空っぽのワイングラスを持って右往左往している。
ワイングラス。細くて薄くて軽くて透明で、繊細さに欠ける僕の手はどこをどう持っても壊してしまいそうで、何度持ち上げてもすぐにテーブルの上に戻してしまう。
だからいっそのこと壊してやりたくなったんだ。盛大に、ガッシャーンと。
そう決めてからも僕はワイングラスを上手く持てない。おずおずとつまみ上げてはテーブルに戻してしまう。
床に落とすのは簡単だ。けれど、床が相手では不足なのだ。ワイングラスに負けず劣らず薄くて透明なものは、あの食器棚の硝子戸しかない。
そこまでわかっているのに、僕は動けない。
何を迷っているんだ? 答えははっきりしているじゃないか。

(450字)

九月二十一日 船を見上げて

峠から見る船は、青空なのに霧の中を進む。面舵一杯。どこへ向かうのか尋ねる間もなく。

(41字)

2009年9月20日日曜日

へたっぴサーカスのお客さま

サーカス団のアジトはオンボロアパートの地下にある。
公園での夜の稽古から帰ってきたへたっぴな三人は、眠っているへたっぴでない団員たちを起こさぬように抜き足差し足。
ライオンのコギュメは初めから足音を立てることはない。だってライオンだもの。コギュメが歩いているのは団員たちのベッドの上。コギュメに踏みつけられているのに、だーれも目を覚まさない。
綱渡りのニイナは一昨日まで乳飲み子だった息子ナイムに右目でウィンクする。ナイムはお帰りのダンスで二頭と母を迎える。ニイナが左目でウィンクするとナイムはダンスを止めて、すやすや夢のくにへ。
最後に帰ってきたのは、ゾウのミマノだ。ミマノは尻尾でくるくる玉乗りの玉を回しながら歩いてきて、音もなく投げ、玉の籠へと片付けた。

こんなに器用な三人の姿を団員は誰も知らないから、いつまでたってもへたっぴサーカスなのだ。なにしろ二頭と一人も、これが芸になるとは思っていないから、披露したことがない。
でも本当は、感心して毎夜見物しているのお客さまがいる。オンボロアパート102号室に住む98歳のおばあちゃま。床の穴から覗き込んで目をぱちくりさせたあと、見物料にレーズンを三粒落とす。穴にはレーズンより大きいものが入らない。
けれど、そのレーズンは、オンボロアパートに住むネズミ一家がすぐに食べてしまうから、二頭と一人はレーズンをもらっていることを知らない。