2002年6月30日日曜日

長い一日

まわりを見渡して溜め息をついた。
ここにいる大半の人が不安や気詰まりを感じているのだろうか。
普段なら思いもよらないことを自分に話かける。
病室を出て喫茶コーナーで味のしないコーヒーをすすっている。
見舞いというのは身内の病状とは無関係に、どこまでも手持ち無沙汰なものだ。
さらに、よその患者とその家族の内情が見えてしまうことが、私には切なすぎた。
気を紛らわすため用もないのに院内を歩き回り、お茶を飲む、振りをしている。
さてと、冷めたコーヒーを飲み干して、行かなければ。
新しい死との出会いが待っている。

2002年6月29日土曜日

実験

眼下では、まったく無関係で異なる時間が流れているのではないだろうか。
マンションの最上階から見下ろしていると、はたして本当に自分がこの世界の住人なのかどうか、自信がなくなる。
事実、雲のほうがよっぽど現実的で確固たる存在を私に示している。
ためしに、まだ半分コーヒーの入っているカップを窓から落としてみた。
やっぱり。カップもコーヒーも消えてなくなった。

2002年6月28日金曜日

一服どうぞ

「コーヒー、一服しませんか?」
そう言って連れられた店は薄汚い洋食屋だった。
「コーヒーだけは特別なんですよ」と彼はちょっと悪戯っぽい目をした。
「よーく見ながらミルクを掻き混ぜてください」
渦巻きにコーヒーの小人を見た。

2002年6月26日水曜日

師走の珈琲

ブラックコーヒーを飲みながら、ベランダに出て身震いした。
真冬の真夜中、寒くないわけがない。おかげで目は覚めた。
自分の息とコーヒーの湯気でオレの目の前は霜色になった。
「ちょっとそのコーヒーをひとくち飲ませてくださらんかの?」
白い湯気の中から、これまた白い顔のオッサンがニュっと現れて、そう言った。
オレは相当、面食らったが「どうぞ、寒いですからね」と言ってコーヒーカップを渡した。
彼は実に美味そうにコーヒーを飲み、「メリークリスマス!」と言って、消えた。
ここが二階なのは関係ないんだな、あの白髭のオッサンには。
オレは、クックックとひとしきり笑ったのだった。

2002年6月25日火曜日

カーテンコール

彼女は四十年間、たったひとりでビルの地下にある、この店を切り盛りしていた。
メニューはホットコーヒーとケーキだけ。
店の中は、薄暗いが清潔で、心地よい音量でレコードがかけられていた。
私はかれこれ二十五年通ったことになる。
会社に勤め始めたばかりのころ、ここは唯一、自分に戻れる場所だった。
転職したあとも年に数回は必ず立ち寄って、彼女と二、三言葉を交した。それで充分だった。
若かった私と、中年になった私を融和しに、来ていたのだ。

私は、美味い珈琲より大事なものを今、失った。

2002年6月23日日曜日

学生街の喫茶店

若いお客さんが多いんだ。ここらあたりは三つも大学があるからね。
喫茶店に入るのを、ちょっと緊張してなさるお客さんも多い。
ふぁーすとふーどの店に入るのとは勝手が違うんだね。
お嬢さん方や、ひとりでフラっとくる青年もおるし、恋人同士もある。
私から見れば、みんな、孫のようなかわいらしいお客さんだよ。
だから、私は、なるべくかわいい声を出してお客さんを迎えるんだ。驚かすといけないから。
ゆったりと贅沢な時間をすごしてほしいから、はじめの一声が肝心だ。

そして、お見送りの時には元気な声で「また、おいで」と言うんだよ。
ほんのすこーしだけ大人になった彼らの背中に向かって。

2002年6月21日金曜日

コーヒーひとしずく

「朝、コーヒーメーカーでコーヒーを入れるんです。コーヒーが少しづつ落ちてくるでしょう?それをね、見ている時間が幸せなんです・・・そうやって生まれたコーヒーを綺麗なカップに注ぐと…いとおしくて、なかなか飲めないんですよ。本当に可愛らしくて……」
「それが遅刻の理由かね」