森の奥深くにある湖の話だ。
その湖は冬になると必ず鏡のように凍ってしまう。月が二つあるのではと思うほどにくっきりと映る。
その凍った湖へ、どこからともなく少年がやってくる。これも毎年のことだ。
少年は滑り、踊る。音楽を寄せ付けないほど静かな森の夜だけれど、音楽が聞こえてきそうな氷上のダンス。
毎夜やってきては、踊り、明け方にはどこかへ帰っていく。けれどもその冬一番寒い夜に、少年は凍ってしまうのだ。毎年のことだ。
氷になった少年は、春になると跡形もなく消えてしまう。湖底を捜索しても、見当たらない。これも毎年のことだ。
湖底を捜索するのは、必ず少年の姉だ。彼女はまだ冷たい湖に裸になって飛び込む。だが、弟の髪の毛一本見つけることは叶わない。
陸に上がった姉が何一つ残さずに消えてしまった弟を思って涙を流す。これも毎年のこと。そのせいで、この湖は少しだけ塩辛い。
2017年10月29日日曜日
十月二十八日 ショールーム
地下鉄の駅を出て、傘を開く。目的のショールームへの地図を確認したものの、自分の向いている方向がわからない。少し広い通りまで出て確認しようと歩き出したら、そこにあった。
広げたばかりの傘を畳み、ショールームに入った。八畳ほどだろうか、小さなショールームだ。
ここは、財布と巻尺のショールームである。
機能的な財布、高価な財布、大きな財布、小さな財布。
長い巻尺、短い巻尺、革のケース入り巻尺、ステンレスの巻尺。
財布をひとつ手にして「コインの出し入れの具合を確認したいのです」とスタッフに言うと、真鍮の小皿を差し出してくれた。そこには小さな小さな巻尺がザラザラと入っていた。
2017年10月22日日曜日
ポイントカード
「お客様の笑顔がポイントです」
カードを差し出す店員は崩れを許さぬ化粧と隙のない笑みでそう言った。
受け取ったそれは、大きさはまさしくカードだったが、スタンプを押す欄もなければ、機械に通すための磁気テープもないし、ICチップもない。
「えっと、これは、いつまで有効ですか?」
他に訊くべきことがあるような気もするが。
「お客様が笑顔を失った時にこのカードは自動的に失効いたします」
ポイントカードを覗き込むと、見慣れた顔が映っていた。我ながら「無表情だ」と思う。裏面には、この施設のロゴマークが入っている。試しに、ポイントカード向かって笑いかけた。表情筋に鋭い痛みが走る。
「ポーン!」
軽やかな音が鳴り、ポイントが貯まったことを知らせる。ああ、一応「笑顔」として認識されたらしい。少しホッとした。
「一日に何回でもお使いいただけますよ」
店員は計算された完全な微笑みで言う。私が作り笑顔さえ困難になる日は、そう遠くないと見透かしているに違いない。
その時が来るまで、笑ってみせよう。この小さな鏡に向かって。
++++++++++++++++++++++
「もうすぐオトナの超短編」たなかなつみ選 佳作受賞
兼題部門(テーマ超短編「期間限定」)
カードを差し出す店員は崩れを許さぬ化粧と隙のない笑みでそう言った。
受け取ったそれは、大きさはまさしくカードだったが、スタンプを押す欄もなければ、機械に通すための磁気テープもないし、ICチップもない。
「えっと、これは、いつまで有効ですか?」
他に訊くべきことがあるような気もするが。
「お客様が笑顔を失った時にこのカードは自動的に失効いたします」
ポイントカードを覗き込むと、見慣れた顔が映っていた。我ながら「無表情だ」と思う。裏面には、この施設のロゴマークが入っている。試しに、ポイントカード向かって笑いかけた。表情筋に鋭い痛みが走る。
「ポーン!」
軽やかな音が鳴り、ポイントが貯まったことを知らせる。ああ、一応「笑顔」として認識されたらしい。少しホッとした。
「一日に何回でもお使いいただけますよ」
店員は計算された完全な微笑みで言う。私が作り笑顔さえ困難になる日は、そう遠くないと見透かしているに違いない。
その時が来るまで、笑ってみせよう。この小さな鏡に向かって。
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「もうすぐオトナの超短編」たなかなつみ選 佳作受賞
兼題部門(テーマ超短編「期間限定」)
2017年10月11日水曜日
十月十一日 御用聞き
孫が生まれた人と生れそうな人に「注射器がご入用でしたら、いつでもどうぞ!」と私は言った。
結局、誰も注射器を必要としなかったし、生まれそうな孫はまだ生まれなかった。
念のために言っておくと、注射器で蓮根の穴に糊を注入するのである。
結局、誰も注射器を必要としなかったし、生まれそうな孫はまだ生まれなかった。
念のために言っておくと、注射器で蓮根の穴に糊を注入するのである。
2017年9月27日水曜日
九月二十七日 黒板と白墨
白墨を持つのなんて、何十年ぶりだろうか? 黒板に白墨が擦れる感触を味わう余裕もなく、「字が小さくならないように」ということばかり気にして、覇気のない白い文字を書き連ねる。「漁師芸術の採光」という美術展のお知らせ。会期は明後日から二週間。招待券はない。
2017年9月26日火曜日
2017年9月9日土曜日
九月九日 チャチャチャ
見知らぬ学生街を散歩した。かわいらしいお菓子屋を覗くとお茶が出た。甘くて濃いミルクティーだった。
素敵な雑貨屋にいくと、お茶が出た。香り高い煎茶だった。飯碗を買った。
紅茶屋を覗いたら、もちろんお茶が出た。秋の香りのする紅茶だった。
さて、そろそろ帰りましょう。と駅の改札を通ったら、駅長がお茶を振る舞っていた。ホームで茶会が始まった。
素敵な雑貨屋にいくと、お茶が出た。香り高い煎茶だった。飯碗を買った。
紅茶屋を覗いたら、もちろんお茶が出た。秋の香りのする紅茶だった。
さて、そろそろ帰りましょう。と駅の改札を通ったら、駅長がお茶を振る舞っていた。ホームで茶会が始まった。
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