彼女の髪には細かな水玉がたくさんついている。彼女の動きに合わせて艶やかな黒い髪を水玉たちが滑る。彼女の傍にいると、山の川の匂いがする。
「母に逢いに行くから、一緒に来ない?」
と誘われて、行くことにした。彼女の故郷の話はいつもおもしろかったから。
険しい山道も彼女は軽々と歩いた。「今日はお父さんの機嫌がいいみたい」といいながら、歩きやすい場所を示してくれたので、僕もそれほど苦労せずに歩くことができた。
水音が近づくにつれ、彼女の足取りはますます軽くなった。
「ただいまー!」
彼女の声は滝の轟音にかき消される。
裸になり滝壺に飛び込みはしゃぐ彼女を見守りながら、彼女と同じ匂いの滝の飛沫を浴びて、深く呼吸をする。
(301字)
2009年4月11日土曜日
だから僕は海へ入る
海水が荒れた肌に染みる。痛い。
痒いのと痛いのと、一体どちらが楽なのかと考える。
答えはない。
君の舌でざりざりと舐めてくれればきっと心地よいだろう。
けれど、君はたぶん鮫肌みたいな舌の持ち主ではない。残念だけれど、きっと擽ったくて、笑いこけて、もっと痒くなると思う。
そのうち僕を舐めるのになんか飽きちゃって、プイとどこかに行ってしまうだろう。
そうじゃなかったら、舐められているうちに欲情して、絡み合ってしまうかもしれない。
海水は、飽きてどこかに行ってしまうこともない。僕は海水に欲情することもないはずだ。
だからこのまま海水に沈んでしまうのが一番いいような気がしてきた。
(281字)
痒いのと痛いのと、一体どちらが楽なのかと考える。
答えはない。
君の舌でざりざりと舐めてくれればきっと心地よいだろう。
けれど、君はたぶん鮫肌みたいな舌の持ち主ではない。残念だけれど、きっと擽ったくて、笑いこけて、もっと痒くなると思う。
そのうち僕を舐めるのになんか飽きちゃって、プイとどこかに行ってしまうだろう。
そうじゃなかったら、舐められているうちに欲情して、絡み合ってしまうかもしれない。
海水は、飽きてどこかに行ってしまうこともない。僕は海水に欲情することもないはずだ。
だからこのまま海水に沈んでしまうのが一番いいような気がしてきた。
(281字)
2009年4月10日金曜日
2009年4月8日水曜日
皇帝ペンギン
一体、地球を何周したのだろう。見る度に皇帝ペンギンは大きくなった。
いつからか海水さえあれば生命を維持できる身体になっていた。もはや自分が動物なのか植物なのかもわからない。時折、海面に映る己の姿は、かつて陸地にいた頃の、やわらかい栗色の髪をなびかせた少女のままだ。たが、それは私の記憶が作り出す幻に過ぎないだろう。もしも少女の姿であれば、とっくに肉食の獣や凶暴な魚たちに襲われているに違いない。
私は破れることのない泡の中にいる。海流に乗って、地球の移り変わりを眺めている。暑い時には山脈と呼ばれた辺りを漂った。寒い時には、氷の隙間で永遠かと思われる時間を過ごした。
たくさんの生き物が滅び、生まれた。その間も皇帝ペンギンだけは巨大化を続けている。
海中を泳ぐこの鳥に皇帝の名を与えた人間を恨んでみたいと思うけれど、なぜか笑い声しか出てこない。
(368字)
いつからか海水さえあれば生命を維持できる身体になっていた。もはや自分が動物なのか植物なのかもわからない。時折、海面に映る己の姿は、かつて陸地にいた頃の、やわらかい栗色の髪をなびかせた少女のままだ。たが、それは私の記憶が作り出す幻に過ぎないだろう。もしも少女の姿であれば、とっくに肉食の獣や凶暴な魚たちに襲われているに違いない。
私は破れることのない泡の中にいる。海流に乗って、地球の移り変わりを眺めている。暑い時には山脈と呼ばれた辺りを漂った。寒い時には、氷の隙間で永遠かと思われる時間を過ごした。
たくさんの生き物が滅び、生まれた。その間も皇帝ペンギンだけは巨大化を続けている。
海中を泳ぐこの鳥に皇帝の名を与えた人間を恨んでみたいと思うけれど、なぜか笑い声しか出てこない。
(368字)
2009年4月4日土曜日
2009年4月1日水曜日
底無し
しょっちゅう水溜まりに落っこちる。
水溜まりの中は案外深くてなかなか底には届かない。落っこちるのに飽きて、うとうと眠ってしまい、気が付くと、水溜まりの前にしゃがみこんでいるのが常だ。
目覚めた後、元の世界に戻ったのか、水溜まりの中の世界なのか、いつもわからなくて途方に暮れる。
だけど、水溜まりの中か外かを判断できるものは何もない。
いつものように水溜まりの前で膝を抱えていると、長い長い傘を持ったおじいさんがやってきた。背丈より長い傘を軽々と携えて、おじいさんは僕に言った。
「おや、坊や。水溜まり潜りの癖があるようだね」
ミズタマリクグリなんて言葉は知らないけれど、そういうことになるだろう。
「この水溜まりもずいぶん深いのぉ」
おじいさんが傘を水溜まりに入れると、長い長い傘は持ち手まですっかり沈んでしまった。
「いまのところ、ちゃんと戻ってきているようだから心配ない。ちゃんとここは坊やの世界だ。パパもママも友達も町も、正しく本来の坊やの世界だ。だが、次はそうではないかもしれない。水溜まり潜りをしたまま行ったきりの子供はたくさんおる」
坊やがそうならないために、とおじいさんはポケットから長い長い傘をくれた。傘を水溜まりに突き刺せば、坊やは潜らなくて済む。傘が代わりをするからだ、と説明してくれた。
おじいさんのポケットのほうが、水溜まりよりよほど不思議だと思う。
(576字)
水溜まりの中は案外深くてなかなか底には届かない。落っこちるのに飽きて、うとうと眠ってしまい、気が付くと、水溜まりの前にしゃがみこんでいるのが常だ。
目覚めた後、元の世界に戻ったのか、水溜まりの中の世界なのか、いつもわからなくて途方に暮れる。
だけど、水溜まりの中か外かを判断できるものは何もない。
いつものように水溜まりの前で膝を抱えていると、長い長い傘を持ったおじいさんがやってきた。背丈より長い傘を軽々と携えて、おじいさんは僕に言った。
「おや、坊や。水溜まり潜りの癖があるようだね」
ミズタマリクグリなんて言葉は知らないけれど、そういうことになるだろう。
「この水溜まりもずいぶん深いのぉ」
おじいさんが傘を水溜まりに入れると、長い長い傘は持ち手まですっかり沈んでしまった。
「いまのところ、ちゃんと戻ってきているようだから心配ない。ちゃんとここは坊やの世界だ。パパもママも友達も町も、正しく本来の坊やの世界だ。だが、次はそうではないかもしれない。水溜まり潜りをしたまま行ったきりの子供はたくさんおる」
坊やがそうならないために、とおじいさんはポケットから長い長い傘をくれた。傘を水溜まりに突き刺せば、坊やは潜らなくて済む。傘が代わりをするからだ、と説明してくれた。
おじいさんのポケットのほうが、水溜まりよりよほど不思議だと思う。
(576字)
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