2008年4月9日水曜日

玄関マット

玄関マットに血痕が現れるようになったのは、十三歳になる直前だった。
マットに血がついている、と訴えても、取り合ってはくれなかった。母には見えないらしい。
まもなく、その血痕の出現と自分の月経が重なっていることに気付き、玄関マットを踏むことが出来なくなった。非道く汚らわしくも、己の分身のようにも思え、どう扱ってよいのかわからなかった。
四年後、父が玄関マットを取り替えようと言い出した時には、安堵した。一方で、私の月経に何か変化が起こるのではないかと戦いた。
果たしてそれは、現実となった。玄関マットを処分した以降、私の経血には、大量の糸屑が混ざっている。

2008年4月8日火曜日

雪に埋もれて

道にしゃがみこんでいました。
家に帰りたくなかったわけではなく、帰れなかったわけでもなく、そうしていることが心地よく思えたからです。
雪が降っていました。不思議と寒さは感じませんでした。膝を抱えて、ただ空を見ていました。電線と、こちらに向かって落ちてくる夥しい雪が見えました。雪は真っ白なのに、空にいるときは黒く見えます。
私の肩や頭に雪が降り積もります。どういうわけか大変な大雪です。お尻と足首が埋まりはじめました。冷たくはありません。むしろあたたかいのです。
雪が私の身体を擽っているのだ、とわかりました。最初はおずおずと、次第に大胆に。擽るといっても、笑って身をよじるようなのとは、少し違いました。このように擽ることができるのは、雪だけかもしれません。
雪は確実に積もり、腰まで埋まりました。
タイツを履いていたけれど、雪にはそんなことは関係ないようでした。
下半身はすっかり雪に包まれ、私に触れるすべての雪が私を擽ります。
もっと大雪になればよいのに、と空を見上げます。早く来て、と空に向かって呟きました。右の太股がきゅっと擽られました。
もっと、と私はまた呟きました。胸まで埋まったら、きっと天にも昇るほど気持ちがいいと思うのです。

2008年4月7日月曜日

聞き耳

引っ越して二日目の夜。
まだ荷物も片付かない中で睦みあっていると、兎のような耳を持った小さな小さな赤鬼が、枕元で胡坐を掻いていた。
しれっとしながらも、彼女の吐息に合わせて、盛んに耳を動かしている。
コトに夢中になっていたら、いつの間にか姿が見えなくなった。

翌朝、彼女の喘ぎ声で目を覚ます。何事かと思ったが、隣で彼女はぐっすり眠っている。
昨晩、聞き耳をたてていたあの兎耳の赤鬼の仕業だろうと見当をつける。見回すとやはり。
ちょうど彼女の腰のあたり、布団の上にどかりと胡坐を掻いて、昨晩の女の嬌声を再生しているのだった。
「なあ、今夜は上の階の部屋へ行ったらどうだ?」
と兎耳の赤鬼に言う。
「そして明日の朝、聞かせてくれよ」
上の夫婦も新婚らしいから。
赤鬼は、俺の声にはぴくりとも耳を動かさない。

2008年4月6日日曜日

暗がりで

 商店街を抜けると街灯が徐々に少なくなる。夜桜ばかりが白い。一歩前を歩く彼の気配は濃くなり、わたしは安堵するような、緊張するような、中途半端な心持ちになる。
 思わず袖を引っ張って、摘んだそれが彼の服ではないことに気が付いた。これは、シャツなんかじゃない。
「蝙蝠に気をつけな」
と彼の声がした。手の中のそれが、バタバタと暴れる。
「白い蝙蝠がいるんだ。ほら、あの樹」
 手の中の蝙蝠に引っ掛かれて、指から血が流れる。血の匂いに、桜の花が色めき立つのがわかった。
 桜の花びらが、一斉に飛び立つ。

2008年4月4日金曜日

雨降り傘

ぼくは黄色い傘を開いて、すっと女の子に差し掛ける。お嬢さん、お這入んなさい。聞こえないくらいの小さな声で呟きながら。
女の子は、決まって驚く。そりゃそうさ、空は雲一つない青空だもの。
ぼくは構わず女の子に歩調を合わせて歩く。
青空に黄色い傘で相合傘。歩いて三歩で、ホラ。どしゃぶりだ。
女の子は慌ててぼくにぴったりとくっつく。だってこの黄色い雨降り傘は、とても小さいもの。くっつかなくちゃ、びしょ濡れだ。
びしょ濡れの女の子も素敵と思うけどね。
ぼくは雨と傘にウィンクする。作戦成功。
そんなぼくの横顔を、女の子はうっとりと見上げるんだ。

2008年4月3日木曜日

蝉時雨

隙間なく蝉の声がはたと止んだ。
音のない時間。背中に冷たい汗が一筋流れる。
得体の知れない生き物が口腔内を動きまわる。
まさか、蝉が口の中に飛び込んだのではあるまい。蝉はもっとガサガサしているはずだから。
息を吸いたい。突如やかましく鳴りだす蝉。やっぱり鳴き止んでいたのだろうか。
生暖かい空気を慌てて吸い込む。
紅い唇が目の前にある。わたしの口の中にいた、甘く滴る生き物が、きみの舌だとようやくわかった。

2008年4月1日火曜日

銀天街の神様

 月齢と日の出日の入時刻を、担当者の名前とともに黒板に記入する。月齢や時刻を正確にわかる者は、閉ざされたこの銀天街では俺一人だ。
 今日の担当は、トラキチ。目がギョロりとしているジィさんである。銀天街にやってくる前は、盗賊をしていたという噂だ。安物の重たい機関銃でもぶっぱなしていたのか、年老いた今はすっかり耳をやられている。今は四日に一度、ここにやってきて「太陽と月の上げ下ろしと、時報の鐘を撞く」のが奴の仕事だ。
 「月」は月齢に合わせて用意してある。日の入り時刻丁度に「太陽」を外し「今夜の月」をあげる。銀天街の空、巨大アーケードの天井に。
 トラキチは年寄りとはいえ腕力があり、おまけに背が高いから仕事がスムーズだと評判だ。耳が遠いのも、銀天街に響き渡る巨大な鐘を撞くのには好都合だ。毎日の担当者が皆トラキチのように有能だと、俺も少しは楽なのだが……。
 俺か?銀天街の太陽と月と時刻を司る俺は「神様」と呼ばれている。親が付けた名前は、もう忘れた。


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500文字の心臓 第75回タイトル競作投稿作
○1