2006年5月9日火曜日

ストーンウォーク

満月の晩、黒猫は小さな白っぽい石を噛えて帰ってきた。
黒猫は慎重に少女の手に石を落とす。
「きれいな石。ナンナル、これ何?」
「月長石だなぁ。ちょっと疲れているようだ。キナリ貸してご覧」
月は石を胸に充てた。
「もう大丈夫」
石は青みがかった乳白色に輝きだした。
「ねぇ、ヌバタマ。どこで拾ったの?この石」
石が月に逢いたいから連れていけと付き纏っていたことを黒猫は語らない。

2006年5月6日土曜日

観光案内ガイド

道に迷った時、どこに行けばよいかわからない時には、オランウータンに聞いて下さい。
少し高いところにいるか、ゆっくりと歩いているはずです。
彼らはこの街のなにもかもよく知っています。
おいしいレストラン、自転車置場、きれいな花を咲かせる木、公衆トイレ、眺めのよい場所、赤ちゃんのいる家……。
なかには地図を書いてくれるオランウータンもいるはずです。
では、ごゆっくり観光をお楽しみください。

【ショウジョウ科ボルネオオランウータン ボルネオ 絶滅危惧ⅠB類】

2006年5月5日金曜日

生きたストラップ

945b1aad.jpg携帯電話にニシメガネザルがしがみついている姿をよく見掛ける。
先日ついに、私の携帯電話にもニシメガネザルがくっついてしまった。
「なぜ、そんなところに?」
と私が尋ねる。
「移動が楽チンだよ」
と彼は答える。
彼は携帯電話から飛び跳ねて、昆虫を捕まえてくる。
「おいしいかい?」
と私が尋ねる。
「んまい」
と彼は答える。


【メガネザル科ニシメガネザル インドネシア】

2006年5月4日木曜日

旅はウヰスキーボトルで

「旅をしたかったのだけど、金がなかったんだ。だから親父のウヰスキーの壜を拝借したのさ。
慣れるまでは大変だった。船酔いならぬ、壜酔いだね。でも今は快適だ。海は美しいよ。キミも一緒にどう?」

わたしが浜辺で拾った壜の中には、男の子が入っていた。
彼は、わたしが誘いに乗らないと悟ると、まだ旅の途中だから海に戻してくれ、と言った。
わたしは、壜を波に乗せた。あっという間に壜は見えなくなった。
あ、どうやって壜の中に入ったのか、聞くの忘れた。

2006年5月3日水曜日

香典

午後十一時。白く浮かび上がる人影に私は凍りついた。
ハヌマンラングールに違いない。
顔が黒いから、表情を窺うことはできない。
私は鞄の中に、昼休みに食べ残したメロンパンがあることを思い出して、少しホッとする。
ハヌマンラングールは息のない子供を抱えていた。
私に気付いた彼女は立ち止まると「これから弔いなの!」と叫んだ。
私は耳を塞ぎたい気持ちをなんとか抑え
「メロンパンしかありませんが……」
とメロンパンを差し出した。
ハヌマンラングールは無言で受け取ると、音もなく去った。

【オナガザル科ハヌマンラングール インド 準絶滅危惧種】

2006年5月1日月曜日

罵詈無言

パルマの寡黙な令嬢
「唖か?」
と聞かれて
「莫迦!」
とひと言答えた。
黙殺されたパルマの令嬢。

There was a Young Lady of Parma,
Whose conduct grew calmer and calmer;
When they said, 'Are you dumb?'
She merely said, 'Hum!'
That provoking Young Lady of Parma.

エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

富士山

17才の時、富士に登った。学校を休んで、観光シーズンを避けて一人で登った。
頂上に着いたのは真夜中だった。朝を待つつもりでいた。日本一の頂でたった一人で夜を過ごすのは、おそろしく素敵だ。そう思いながらしゃがみ込み、近すぎる夜空を眺めていると
「あーん」
としわがれた声が聞こえた。
「あーん」
また声がする。私は懐中電灯を片手に声のする方へ向かった。
「あの、何しているんですか?」
「おや! 見つかってしまったねぇ」
こちらに振り向いた顔はしわくちゃに笑っていた。こんなに腰の曲がった老婆が、どうやって富士山頂まで登ってきたのだろう。
「食いしん坊なのよ、この子は」
老婆は、火口に人参を投げ込んだ。
「富士山が、食いしん坊……」
「そうだよ、ほかに誰がいる?」
と言いながら、今度はじゃがいもを投げている。
「ぼくも、なにかあげてもいいですか」
「あぁ、いいとも。喜ぶよ」
私はポケットに入れてあったチョコレートを一粒、火口に向けて投げた。
富士山が言った「おいしい」という声は、四十年経った今も鮮明に覚えている。

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500文字の心臓 第58回タイトル競作投稿作
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