明日は雨だから傘が要る。寒そうだから上着も。
もっと肝心なものは、壊れかけたノートパソコン、大瓶の外国産ビール、瓶詰ピクルス。
割れ物だらけだから、慎重に梱包してリュックに詰める。かなり重い。
「よし。」
腰に手をやって、荷物を眺める。
「なにが『よし。』だ。明日は一体どこに出かけるんだ?」と、独りごちた。
スケジュール帳を見ても空欄で、まったくもってわからない。
2016年10月27日木曜日
2016年10月26日水曜日
2016年10月18日火曜日
天空サーカス
祖父はサーカスのブランコ乗りだった。と言っても、それは祖父が若いころの話だから、私はサーカスをしている祖父を見たことはない。
祖父は、ブランコ乗りの片鱗を私に一度も見せることなく、89歳で亡くなった。私にとって祖父は「カメラが大好きなおじいちゃん」であり、サーカスの花形だった青年ではない。私は祖父の運動神経もバランス感覚も受け継がなかったけれど、写真好きは受け継いだ。
祖父の残した古いカメラは、どれもこれも手入れが行き届いていた。撮った写真もきちんとアルバムに整理されていた。その中に、「空」と題したアルバムを見つけた。
そういえば、祖父はときどき青空にカメラを向けていた。あれは写真を撮る前のちょっとした儀式のような趣があった。一瞬、空に向かった後は、いつもの笑顔で私たち孫を撮っていたから、幼い私は気に留めていなかったし、シャッターを切っているとは思っていなかった。
「空」のアルバムには、青空と、サーカスが写っていた。昼間の月のような、白いサーカス。天空で揺れるブランコに、すらりとした青年がぶら下がっている。淡く、白い、ブランコ乗り。
祖父のカメラを持って、庭に飛び出した。夏の青空にカメラを向ける。
祖父は、ブランコ乗りの片鱗を私に一度も見せることなく、89歳で亡くなった。私にとって祖父は「カメラが大好きなおじいちゃん」であり、サーカスの花形だった青年ではない。私は祖父の運動神経もバランス感覚も受け継がなかったけれど、写真好きは受け継いだ。
祖父の残した古いカメラは、どれもこれも手入れが行き届いていた。撮った写真もきちんとアルバムに整理されていた。その中に、「空」と題したアルバムを見つけた。
そういえば、祖父はときどき青空にカメラを向けていた。あれは写真を撮る前のちょっとした儀式のような趣があった。一瞬、空に向かった後は、いつもの笑顔で私たち孫を撮っていたから、幼い私は気に留めていなかったし、シャッターを切っているとは思っていなかった。
「空」のアルバムには、青空と、サーカスが写っていた。昼間の月のような、白いサーカス。天空で揺れるブランコに、すらりとした青年がぶら下がっている。淡く、白い、ブランコ乗り。
祖父のカメラを持って、庭に飛び出した。夏の青空にカメラを向ける。
2016年10月14日金曜日
2016年9月14日水曜日
天国の耳
天使たちは、天に召された者たちの耳を収集する癖がある。
天に召されると身体の部位がいったん解けて散るのは、よく知られていることだが、耳が外れるとすかさず天使たちがそれを捕獲するというのは、死んでみて初めて知る者が多いようだ。
ごくまれに風変りな天使もいて、鼻や親指の爪を集めるのがいるが、ほとんどの天使は耳に群がる。耳を集めることは天使の本能なのかもしれない。
耳は、大切に保管される。美しく装飾された箱に収められ、専用の保管庫に並べられる。三日と経たずに箱から出され、磨かれ、また仕舞われる。 ときどき、耳を巡って天使同士の喧嘩や盗みや強奪も起こる。
天国とは、そういうところだ。
天に召されると身体の部位がいったん解けて散るのは、よく知られていることだが、耳が外れるとすかさず天使たちがそれを捕獲するというのは、死んでみて初めて知る者が多いようだ。
ごくまれに風変りな天使もいて、鼻や親指の爪を集めるのがいるが、ほとんどの天使は耳に群がる。耳を集めることは天使の本能なのかもしれない。
耳は、大切に保管される。美しく装飾された箱に収められ、専用の保管庫に並べられる。三日と経たずに箱から出され、磨かれ、また仕舞われる。 ときどき、耳を巡って天使同士の喧嘩や盗みや強奪も起こる。
天国とは、そういうところだ。
2016年8月15日月曜日
東京ヒズミランド
【東京目黒区西が丘1丁目にヒズミが発生しました。お近くの方はヒズミの除去にご協力ください】
ぼくは「ヒズミ除去装置」をポケットに入れて外に出る。 ドアを開けた途端に、景色にノイズが掛かり、耳鳴りに襲われた。ヒズミ発生場所は、我が家のすぐ目の前だったのだ。近くだとは思ったが、油断した。
あっという間にヒズミに飲み込まれる。「おい、大丈夫か!」とヒズミ除去のために集まった人々が一斉に装置を起動するのがわかったが、間に合わなかった。
ぼくは東京ヒズミランドに取り込まれる。噂が正しければ、ヒズミランドが逆歪むまで、毎夜パレードで道化なければならない。
ぼくは「ヒズミ除去装置」をポケットに入れて外に出る。 ドアを開けた途端に、景色にノイズが掛かり、耳鳴りに襲われた。ヒズミ発生場所は、我が家のすぐ目の前だったのだ。近くだとは思ったが、油断した。
あっという間にヒズミに飲み込まれる。「おい、大丈夫か!」とヒズミ除去のために集まった人々が一斉に装置を起動するのがわかったが、間に合わなかった。
ぼくは東京ヒズミランドに取り込まれる。噂が正しければ、ヒズミランドが逆歪むまで、毎夜パレードで道化なければならない。
2016年7月23日土曜日
ひょんの木
祖父はその木を「ひょんの木」と呼んでいた。ひょんなこと、としか言いようのない出来事だった。6歳のある日、祖父の家の庭で遊んでいた私は躓いて、地面に手をついた。そこには、くっきりと私の手形がついた。
そして、その手型の通りの幹を持った木が、そこに生えた。私が大きくなるのと同じく、幹も太くなった。
気味が悪くて、祖父に頼んで何度も伐採した。根本近くで切っても、すぐに枝葉を伸ばした。
伐採した切り口は、私の手とぴったり合わさる。それは、もっと気味が悪いことであった。そのうち伐採を頼むことはしなくなった。
私は、祖父の家を譲り受け、ひょんの木と共に過ごすことになった。祖父の年をとうに越え、足元にも自信がなくなってきた。
そして、ひょんの木の傍らで、また躓いた。ひょんなことである。6歳のときと違ったのは、手を付いたのは地面ではなく木であったことだ。
ひょんの木は私の体重を支えきれず、乾いた音を立てて、折れた。私はひょんの木と共倒れになり、声も出せず、青い空を見上げている。
そして、その手型の通りの幹を持った木が、そこに生えた。私が大きくなるのと同じく、幹も太くなった。
気味が悪くて、祖父に頼んで何度も伐採した。根本近くで切っても、すぐに枝葉を伸ばした。
伐採した切り口は、私の手とぴったり合わさる。それは、もっと気味が悪いことであった。そのうち伐採を頼むことはしなくなった。
私は、祖父の家を譲り受け、ひょんの木と共に過ごすことになった。祖父の年をとうに越え、足元にも自信がなくなってきた。
そして、ひょんの木の傍らで、また躓いた。ひょんなことである。6歳のときと違ったのは、手を付いたのは地面ではなく木であったことだ。
ひょんの木は私の体重を支えきれず、乾いた音を立てて、折れた。私はひょんの木と共倒れになり、声も出せず、青い空を見上げている。
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