2016年9月14日水曜日

天国の耳

 天使たちは、天に召された者たちの耳を収集する癖がある。
 天に召されると身体の部位がいったん解けて散るのは、よく知られていることだが、耳が外れるとすかさず天使たちがそれを捕獲するというのは、死んでみて初めて知る者が多いようだ。
 ごくまれに風変りな天使もいて、鼻や親指の爪を集めるのがいるが、ほとんどの天使は耳に群がる。耳を集めることは天使の本能なのかもしれない。
 耳は、大切に保管される。美しく装飾された箱に収められ、専用の保管庫に並べられる。三日と経たずに箱から出され、磨かれ、また仕舞われる。 ときどき、耳を巡って天使同士の喧嘩や盗みや強奪も起こる。
 天国とは、そういうところだ。

2016年8月15日月曜日

東京ヒズミランド

【東京目黒区西が丘1丁目にヒズミが発生しました。お近くの方はヒズミの除去にご協力ください】
 ぼくは「ヒズミ除去装置」をポケットに入れて外に出る。 ドアを開けた途端に、景色にノイズが掛かり、耳鳴りに襲われた。ヒズミ発生場所は、我が家のすぐ目の前だったのだ。近くだとは思ったが、油断した。
 あっという間にヒズミに飲み込まれる。「おい、大丈夫か!」とヒズミ除去のために集まった人々が一斉に装置を起動するのがわかったが、間に合わなかった。
 ぼくは東京ヒズミランドに取り込まれる。噂が正しければ、ヒズミランドが逆歪むまで、毎夜パレードで道化なければならない。

2016年7月23日土曜日

ひょんの木

 祖父はその木を「ひょんの木」と呼んでいた。ひょんなこと、としか言いようのない出来事だった。6歳のある日、祖父の家の庭で遊んでいた私は躓いて、地面に手をついた。そこには、くっきりと私の手形がついた。
 そして、その手型の通りの幹を持った木が、そこに生えた。私が大きくなるのと同じく、幹も太くなった。
 気味が悪くて、祖父に頼んで何度も伐採した。根本近くで切っても、すぐに枝葉を伸ばした。
 伐採した切り口は、私の手とぴったり合わさる。それは、もっと気味が悪いことであった。そのうち伐採を頼むことはしなくなった。
 私は、祖父の家を譲り受け、ひょんの木と共に過ごすことになった。祖父の年をとうに越え、足元にも自信がなくなってきた。
 そして、ひょんの木の傍らで、また躓いた。ひょんなことである。6歳のときと違ったのは、手を付いたのは地面ではなく木であったことだ。
 ひょんの木は私の体重を支えきれず、乾いた音を立てて、折れた。私はひょんの木と共倒れになり、声も出せず、青い空を見上げている。

2016年7月22日金曜日

七月二十二日 クロワッサン売り切れ

どうしてもクロワッサンが食べたくて、パン屋を5軒巡ったが、どこもかしこも売り切れなのだ、クロワッサンだけが。
あんぱんも、チョココロネも、クリームパンも、メロンパンもあるのに、クロワッサンだけ売り切れ。
「どうしてでしょうねえ」
「今日はモンスター日和だからかもしれません」
「モンスターはクロワッサンを食うのですか」
「いや、私もよくは知らないんですけれど」
と、店の人やほかの客と言葉を交わしたが、まったくもってよくわからない。
6軒目のパン屋で、潰れたクロワッサンをようやくゲットできた。美味かった。

2016年7月2日土曜日

七月二日 エスカレーター男

エスカレーターを動かすおじさんは、普段は見えないところで働いているはずなのだが、蒸し暑い週末の夕暮れ、エスカレーターもエスカレーターを動かすおじさんも油断していたらしい。
大型スーパーのニ階で、おじさんは黙々と上りエスカレーターの下段で手すりを回している。人々が怪訝な顔でおじさんの横を通り過ぎる。
「見えてますよ」と小さく呟いたが、おじさんの耳には届かなかったようだ。

2016年6月23日木曜日

六月二十三日 おいしい悲劇

アンチョビが顔面に飛んできた。ベトベトになった顔を23回洗ったが、匂いはまだ取れない。

2016年6月13日月曜日

六月十三日 梅雨とキノコ

正しい梅雨の日の商店街。ひときわ大きな傘を持ち歩く人がいた。が、少し奇妙だ。大きな傘を持つのは大柄な人が多かろうと思うのに、その大きな傘は私よりずいぶん低い位置を動いているのだ。歩みもゆっくりである。
私はその大きな傘にだんだんと近づき、追いつき、追い越した。追い越し際にチラリと大きな傘の主に目をやると、小さな婆さんであった。
そして、婆さんが歩くたび、傘の内側から、ブワッと赤い粉が僅かに吹き出すのだった。
その胞子を吸い込んでいいのか、悪いのか、一瞬逡巡し、大きく息を吸ってみた。 なんの匂いもしなかった。