2008年12月30日火曜日

不用品

底の抜けた香水瓶、回らないろくろ、肋骨が二本折れた骨格標本、穴の空いたガスマスク、インクの出ないカラーペン、三十八年前のカレンダー、モザイクが赤く塗られたヌード写真の束。
彼女の部屋には何に使うのか解らないものが散らかって足の踏み場もない。
使い途がないからこそ愛しいのだ、と彼女は言う。
「効率的で有益な物ほど信用できないものはないの」
と彼女は僕の脇腹に舌を這わせながら、きっぱりと言った。
今、効率を求めるなら触って欲しいのはそこじゃない。全く徹底しているよね。きっと僕も取り立てて使い途がない愛しいもの、なんだろう。
と、天井にぶら下がった夥しい数のゴワゴワに固まった筆を眺めながら、苦笑いする。

偶然の猿

粘土をこねていたら、ハゲウアカリみたいな顔が出来た。と思ったら、目玉がきょろんと回って、動き出す。
「あなたは、やっぱりハゲウアカリ? それとも私の知らないお猿さんかしら」と問うと、首を傾げて考え込んだまま、粘土に戻ってしまった。

2008年12月28日日曜日

冷気

 これは、ハリボテの恋心。見せ掛けだけの、取り繕った、恋心。
 冷気がやってくると、胸の高鳴りはすぅと収まって、冷たい私だけが残る。
 好きなままでいたい。けれども、耳にひゅっと冷たい空気を感じたら、途端にときめきもいとおしさも消えてしまう。なんて貧弱な恋だろう、冷気ごときに負けるなんて。
 一体、冷気がどこからやってくるのか。知りたくないのに、振り向いて後ろを確かめずにはいられない。
 また、冷えた風が耳たぶを掠めた。

 熱い風呂に入ろう。温まったら、あなたの夢を見ていいですか。さすがの冷気も夢までは襲ってきません。


2008年12月26日金曜日

太股の感触

図書館で本を取ろうとしている時の私は、本を読んでいる最中よりも無防備なのかもしれない。
気がつくと、二歳くらいの子供が太股に貼りついていた。
その小さなぷくぷくとした手を、私が棚から取り出したばかりの本に伸ばしている。
読めないに違いないのだが、それは卑猥な小説だったから、躊躇った。あまりにも真剣な眼差しに負けて、つい手渡してしまった。
彼は私の太股に絡みついたまま、器用に頁を捲っていた。顔を半分押し付けたまま読むから、涎が太ももに染みて冷たかった。

その時のジーンズの右ももからは、何度洗っても穿くたびに涎が溢れ出てくる。

2008年12月24日水曜日

眠い

いまなら瞼でチョコレートを溶かせるような気がする。

2008年12月23日火曜日

ボタン幽霊

 このアパートに越してきてからというもの、ボタン幽霊に悩まされている。
 家中のスイッチやボタンを押して回るのだ。私は幽霊の後を付けて電気のスイッチを消したり、突然鳴り出すCDや、何も入っていないのに周りだす洗濯機を止めたりしなければならない。
 ある時、すっかり開き直った私は、スイッチやボタンを消して歩くのは止めにした。キリがないんだもの。
 そうしたらボタン幽霊は、構ってほしいとばかりに私の鼻をぷにぷにと押し続けるようになった。
 ついに、私の鼻はボタン幽霊に押されると「ピンポーン」と音が出るようになってしまった。

2008年12月21日日曜日

溺れる石

アクアマリンのピンキーリングは、湯船に入るとするりと小指から抜けてしまう。何度も拾い上げて嵌め直すのだが、すぐにまたするりと抜ける。普段はちょっときついくらいなのに。
ゆらゆら沈んでいっているようにしか思えないのだけれども、どうやら泳いでいるつもりらしい。
ある時、沈んだまま放っておいたら、薄青い石はゼリーのようにぷるんぷるんと震えだした。いい気味だったけれど、あんまり苦しそうで、そのまま溶けてしまいそうだったから、拾い上げた。
ずいぶん懲りたようで、その後は風呂に入っても指から抜けることはなくなった。