2004年8月31日火曜日

ご満悦ションヴォリ氏

「今日も暑いなあ、モンドくん」
「暑いですねぇ、博士」
レオナルド・ションヴォリ氏と主水くんは暑さを持て余していた。
「バナナミルクが飲みたい」
「またですか、博士。22分17秒前に飲んだばかりですのに」
「バナナミルクが飲みたい」
「わかりました」
主水くんは仕方なくキッチンに向かい、12分36秒戻らなかった。
「ほーい、モンドくん。バナナミルクはまだかね!」
「はいはい、ただいま」
主水くんは、大量のバナナミルクが入った瓶と長い長いストローを持ってきた。
「はい、博士。おまたせしました」
長いストローを挿した瓶はションヴォリ氏のスボンのポケットに入れられた。
黄色いスボンは瓶の重みでビヨンとだらしなく伸びてしまったがションヴォリ氏は気にしない。
「どうでしょう?博士」
「大変結構」
ションヴォリ氏は長い長いストローをくわえて、チュウゥとバナナミルクをすすった。

2004年8月29日日曜日

Dancer In The Pocket

「八ヶ月ぶりになるかな、元気だった?」
ぼくはオーバーのポケットにそっと左手を入れて呼び掛けた。
舞姫の動きは、まだ眠たいのか、けだるそうだ。
その動きはぼくの手に優しく伝わる。
ぼくはこの舞姫を見たことがない。
ぼくの手の周りを時に激しく、時にゆったり舞う。
ぼくは何度も掴もうと試みたが、小さな小さな舞姫は見透かしたように指の間を擦り抜けてしまう。
 手に感じる動きで舞姫が目覚めてきたのがわかる。
はらりひらり、と舞姫の衣の裾がぼくの指を掠めていく。薬指、人差し指、小指……。
だんだんと左手が熱を帯びてきた。
 今年も悩ましい冬がやってくる。

2004年8月28日土曜日

気合いを入れろ

ぼくのポケットにはナイフが忍ばせてある。
刃はむきだしのままだ。
緊張したとき、頑張らなくてはいけないとき、ぼくはポケットの中のナイフをぐっと握りしめる。
手に汗握る代わりに刃を握る。
「さあ、行くぞ。大丈夫、きっとうまくやれるさ…」
ぼくは一歩踏み出した。青信号の横断歩道。
渡り終わるまでナイフは握ったままだ。
でも手を怪我することはない。
ただ掌に錆が付くだけ。

2004年8月26日木曜日

受胎命令

妻が編んだセーターは焦げ茶色の毛糸で丁寧に編まれ、申し分なかったが、なぜか腹に大きなポケットが付いていた。
「なんだい、これは?まるでカンガルーじゃないか。せっかくだけど着られないよ」
「気に入らなかった?でも無理にでも着てもらわなくちゃいけないのよ」
 私たちは深い夜を過ごした。珍しく妻からの要望で。
受精に初めて成功した。
胎児はあなたが育ててね、と妻は言った。
「はい、このセーターで大丈夫に育ててね」
「タツノオトシゴじゃあるまいし」
私の嘆きをよそに、妻は幸せそうだ。

2004年8月25日水曜日

ポケットアート

「いいものを見せてあげるよ」
とあなたが言う。
「あら、何かしら」
とわたしは聞く。
「世界の名画」
とあなたは言う。
「ミュージアムに行くお金なんてないでしょう」
とわたしが笑う。
「ゴーギャン」
あなたはズボンのポケットから絵を引っ張り出して広げる。
「まあ!」
「セザンヌ」
あなたはズボンのポケットから絵を引っ張り出して広げる。
「まあ!」
「次は誰の作品が見たい?」
とあなたが尋ねる。
「ピカソ」
とわたしが答える。
「あーダメダメ。今日はポールとしか契約していないんだ」
とあなたが言う。
「クレー」
とわたしが言う。
「パウル・クレー……オッケー、問題ない」
あなたはズボンのポケットから絵を引っ張り出して広げる。

2004年8月23日月曜日

シニザマ

「お昼にしましょう!」
先生の掛け声を聞くや否や、各々好きな場所でお弁当を広げはじめる。
わたしもちょっと大きな石に座り場所を見つけてリュックを降ろした。
あれ?
リュックの左脇にある小さなポケットが膨らんでいる。
ここにはちり紙しか入れていないはずなのに。
「あ゛~窮屈であった!」
「誰?いつからここにいるの?」
「見ればわかるだろう、鬼だ」
「でも、小さい…」
「鬼にもいろいろいるのだ。人間もそうであるように。」
鬼は死に場所を探しに来たのだ、と言った。
鬼は若く見えた。角は立派だし、赤い肌はスベスベだ。それでも寿命なのだという。
運んでいただき有り難う存じます、と最後に深々と頭を下げ歩きはじめた。
鬼は、学級委員の田口くんに踏まれて死んだ。
わたしは絶叫した。でも、声にならなかった。

2004年8月21日土曜日

朝の光景

駅前に着くとあちらこちらでサラリーマンのスーツのポケットからサラリーマンが出てくる。
「お世話になりまして、どうも」
「いえいえ、明日はこちらがお願いします」
ポケットに入っていたサラリーマンとポケットにサラリーマンを入れていたサラリーマンが
あちらこちらで深々とお辞儀をしあっている。
僕も早くサラリーマンとやらになりたいものだ、と学生服の襟を緩めながら思う。