2022年6月12日日曜日

鯨を撫でる(某氏邸と三日月の夜)

  月光が弱いと、濡れた服がなかなか乾かない。鯨たちも小型化して、甘えてくる。長老鯨がやってきたので、望遠鏡の修理について相談した。素晴らしい古代レンズが見つかるとよいのだが。鯨たちを撫でていると、やっと服が乾いた。さて、屋敷に戻るとしよう。(119字)

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植物室へ(某氏邸と三日月の夜)

 植物室へ。夜行性植物たち、ごきげんよう。今夜も元気そうで何よりだ。走り回る小さな樹木。しきりに発光する草花たち。私の姿を見るやいなや、水浴びを所望するたくさんの苔玉。散水すると、大喜びで飛び跳ねる。おかげで私もびしょ濡れだ。(112字)

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月の計測(某氏邸と三日月の夜)

 壁に並ぶ正方形の窓。今晩この時刻は六番の窓の中心に三日月が収まっていなければならない。専用の定規で、三日月の位置を確かめると、0.2度ずれている。天文学者から月に気をつけるように言ってもらおう。最近、月は計算間違いが多いのだ。(113字)

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屋敷へ(某氏邸と三日月の夜)

  扉を開けると、けたたましい叫び声。古い蝶番とはいえ、こんなに絶叫されては堪らない。建具管理者に油を差しておくように命じるのと、扉に静かにするよう説得するのと、どちらが効果的だろうか。「静かにね」と言ってみると、扉ではなく床の軋みが鳴り止んだ。(121字)


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2022年6月9日木曜日

願譚 189 

 耳の中を掻いてもらうのに、蟻がいいか、天道虫が巧いか、アザミに相談したい。(37字)

2022年6月5日日曜日

願譚 188

忘れられた天文台に忍び込み、太古の望遠鏡を修理したい。(27字)

2022年6月1日水曜日

誘惑

 古いが由緒ある喫茶店で、私は一人、紅茶を飲んでいた。人の気配を感じて顔をあげると、ウェーターではなかった。
 男は、「I国の家具商人です」と名乗った。
 I 国には縁もゆかりもない。
「こちらへどうぞ」
 有無も言わさぬ気配で導かれ、店内を歩く。この喫茶店はこんなに広かっただろうか。しばらく歩き、中二階のような場所へ案内された。
「こちらのテーブルです。貴方は必ずお気に召すでしょう」
 必ず、とはなんという決めつけだろう。
 薄暗い照明の中、あらためて目を凝らすと、重厚な木製のテーブルの真ん中に……池、いや、これは海だ。
 目立った生き物はいない。藻やプランクトンのような微小な生物が漂っている。光を当て、時が来れば、もしかしたらもっと大きな生き物が出てくるかもしれない。そんなふうに見えた。
「お気づきになりましたね。これは原始の海です。このテーブルを買えば、貴方は、そう、神になる」(380字)