2013年7月17日水曜日

甘夏のジュレ

 娘が「ただいま」の声もなく帰ってきた。「どうしたの?」と訊こうとして、やめた。口を結んでいないと大粒の涙が零れてしまうのだ、この顔は。言いたくないことを無理に訊くことはない、と心に言い聞かせてから、冷蔵庫から甘夏のジュレを出した。ミントの葉もちょこんと乗せて。
 ゆっくり味わうようにジュレを食べる娘の表情が少し和らいだところで「お母さんにも一口ちょうだい」と言ってみた。てっきり「ダメ」と言われるかと思いきや「しようがないなぁ。あーん、して」とスプーンが伸びてきた。
 あら、しょっぱい。「ありがと」
「どういたしまして」とちょっぴり偉そうに返す娘はすっかりいつもの顔に戻っていた。
 娘の涙を引き受けてくれたジュレにも「ありがと」。



2013年7月15日月曜日

人参のポタージュ

「いつ見てもいい色ね」
 僕の描いた絵を見てお母さんは言った。
僕は人参が嫌いだ。なのに、パレットに人参みたいな色ばかり作ってしまう。
 その日、お母さんは人参のポタージュを作った。すごくすごくきれいな色だけれど、大っ嫌いな人参。
「どうしても飲まなくちゃいけない?」
 お母さんはウインクして見せた。恐る恐るポタージュを掬うと
「人参の色を操ろうなんざ、二十年早いわい」
 せっかく美味しく食べたいのに、また人参に叱られてしまった。だから人参は嫌いだ。



2013年7月14日日曜日

無題

水の者である彼女はプールに入るとすっかり水と同化してしまって、僕には見えない。


戸惑う僕を面白がって「鬼ごっこしよ」と、はしゃいでいる。時折水面か ら顔を出す。息継ぎをして、悪戯っぽい顔で僕に合図する。


いつになく美しい彼女を早く抱きしめたくて必死の平泳ぎで追いかける。



#twnvday 7月14日ついのべの日 お題「水」


2013年7月11日木曜日

迷宮(お題:迷宮)

「ようこそ迷宮へ」


と伯爵に導かれて古城へ入った。


私は着慣れないドレスに早くも肩こりを感じながら伯爵の後に続く。外から見る限りそんなに大きな城ではない。城らしい形はしているが、建物の大きさから言えば「城」と呼ぶのには相応しくないだろう。


だが迷宮と名高い城である。この人とはぐれてしまったら出られないかもしれない。


ところが城の中は、長い廊下が続くばかりで迷いようがないのだった。かれこれ十五分は歩いているが、まるで進んだ気がしない。


振り返ってさっき入ってきた扉を確認しようかどうか迷っている。



2013年7月9日火曜日

失われた都市(お題:失われた都市

ある日、その都市は忽然と姿を消した。都市のあった場所には砂漠が広がっている。
風も吹かず、砂粒一つも動かない有様を見て人々は恐れ、都市の行方に思いを馳せる者は少なかった。
都市の人々が変わらず活動しているということに気がついたのは七歳の少年だった。
六十歳年上のペンパルからの便りが三日遅れていることを気に病んでいた彼は、ポストを開けた瞬間小躍りした。
封書はいつもよりも些かくたびれた風情ではあった。ペンパルの記した日付は都市が消えた翌日だった。
そのニュースが世界を回ったのを皮切りに、都市にあった会社の商品が届き始めた。金融も動き出した。
電話も出来る。しかし、都市はない。
人々は、砂漠の下に都市がそっくり埋まっているに違いないと掘り返しているが、七十八年経った今でもまだ見つかっていない。


2013年7月7日日曜日

ミルク一滴(お題:雫)

ぽたん
手の甲に水滴を感じた。
見ると、ミルククラウンがゆっくりと立ち上がり、そして消えていった。
雨かと思ったけれど、それは確かにミルクなのだった。
空を見上げると、乳牛の形をした雲が走り去っていった。(102字)


2013年7月2日火曜日

ピラミッド(お題:ピラミッド)

幼い息子が「痛い、痛い」と頻りに指を気にするので見てやると、小さなピラミッドが刺さっているのであった。


「どれどれ、抜いてやろう」と言うと、「ダメ」と怒る。


痛いのは困るだろう、こんなものが刺さっていたらご飯を食べるのも不自由するよと、なんとか宥めて、ようやくピラミッドを抜いてやった。


それは思ったよりすんなりと抜けたが、抜けた途端に砂になってしまった。


「エジプトのピラミッドの一つが崩れてしまった、原因はわからない」というニュースを翌朝の新聞で知ると、息子は「だから、ダメって」と呟いた。私はどうすればよかったのだろうか。