2009年8月10日月曜日

電卓について

もしも存分に道楽できる身分であったら、私は電卓を収集したい。
電卓がきちんと並んだ陳列棚のある書斎で書き物をするのを夢想する。時折、大きさや色で並べ替えるのは、実に愉しいひとときだろう。
電卓の何が私をそんなにも興奮させるのか。規則正しく並んだ数字釦、小さな画面に現れるデジタル数字。ならば携帯電話も似たようなものじゃないかと思うが、やはり違うのだ。ただ計算をするためだけに特化された形と機能は、普及してから大きな外見的変化なしに、しかし世の中の流行を反映させながら、新しい電卓は生まれ続けている。
一体、ごく平凡な生活を営む善良な市民が人生で何度、電卓を買うだろうか。電卓は簡単に壊れる家電製品とは違うから、そう幾度も買い直すものではない。それにも関わらず文房具売場には数種類の電卓を置いてある店も少なくない。携帯電話や電子辞書、あちこちに計算機の機能は付加されているというのに、電卓は電卓それ以上でもそれ以下でもなく、今尚存在している。健気ではないか。
武骨な事務用のもよい。かわいらしくカラフルなのもよい。一応の好みはある。縦型の長方形で、上部に液晶窓があるものが一番好ましい。

店で電卓を見るたび、このようなことを考えながら、私は指をくわえるのだ。

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