2009年5月26日火曜日

憂鬱な水中花

僕は水中で咲く花だ。憂いと息苦しさを糧に咲く花だ。
淀んだ沼の中も、澄んだ水の中も、苦しさはたいして変わりない。もちろんヘドロを問題にするなら、沼は実際辛いだろう。水中はどこでも苦しいのに、沼はその上汚くて臭い。ただ、そのぶん咲いた花は派手なはずだ。その代わり、花開いた姿を誰かに見せびらかすことはできない。たまにアメリカザリガニが通るだけだ。だから、どうせ沈むなら泉のほうがいいと言う花は多いよね。
海はやはり深いから、沼とも泉とも違う。どこまで沈めば花が咲くのかわからない。
わからないわからないと憂いながら潮に流され、流されたままいつのまにか花が咲いた。
咲いたというのにまだ流され、沈む。
一体どこまで沈むのか。花が開いたまま沈むとどうなるのか、わからないわからない。僕の身体に、もうひとつ憂いの蕾があるのか。わからないわからない。

(365字)