2019年4月13日土曜日

「何もない」が在る

「老ゼルコバ!」
オニサルビアの君が低い声の主を見て言った。小さくて立派なケヤキの木を肩に生やした老いた人がいた。

「老ゼルコバ、無事だったのなら、どうして……ずっと姿を見せないから、街中の人が心配していたのに」
老ゼルコバは、それには答えなかった。どうやらこの街では有名な老人であるということはわかった。

ずいぶん長く歩いた。老ゼルコバの目指す先に、ケヤキの巨木があることに気が付いた。それは、老ゼルコバの肩のケヤキとそっくりの樹形であることは、一目瞭然だった。

ケヤキの木のまわりには何もなかった。草も花もなく、石も砂も土もなく、コンクリートもなかった。風も香りもない。オニサルビアの香りも飛べないようだ。

ただ、何もないが在り、ケヤキの巨木だけがあった。

「あなた方を送ることが、最後の役目です」と老ゼルコバは、静かに低く、そして確かな力強さで言った。
老ゼルコバは、おそらく、永い眠りが近いのだ。