2019年12月27日金曜日

長く小さく、深く大きく

モニターに映し出されたのは長く長く小さな小さな数字の羅列だった。
IDを照会するには、この数字をすべて写し、入力しなければならない。

もっと問題だったのは、小さな数字が、円形にびっしり書き込まれていることだった。
どこからどういう順序で写せばよいのか、わからないのだ。

背中の消えず見えずインクも同様だった。皆が、深く大きなため息をついた。
「これでは、ID照会するのは難しいですね」
若者も天道虫も、しょんぼりとしていた。
「擽ったい目に合わせてしまって、申し訳ない……」
どうか気にしないでほしいと、心から伝えた。

「最新の機器であれば、入力せず、画像から自動的に照会できるのですが、この町にはそこまでできる機械はないのです」
歯がゆそうに言う。何か思うところがあるのだろう。

この町やこの家族に甘えられる時間は、もうないのかもしれない。ふとそんな思いが沸いた途端に、青い鳥が叫んだ。

2019年12月14日土曜日

擽りの刑

「腕から行きましょう」
と、主治医はゴム手袋を手にしながら言った。
シャツを脱ぎ、左腕を差し出す。

「上腕の内側だったと思います」
スタンプを捺す白い服の男の様子を思い出しながら言った。

主治医の手が、左腕の内側を撫でていく。
「ひっ!」
思わず声が出た。擽ったい。
「動かないで」
主治医が硬い声音で言う。
「羽毛でくすぐられているようです……」
そばにいた若者が、掴まれと目配せする。手首を握ってしまったが、ずいぶん力を入れてしまう。あまりにも擽ったいので、緩められない。
こちらは苦痛に耐えながら笑い震え、若者の手首を握りしめる。
彼は強く握られた手首の痛みに顔を歪ませる。
「申し訳、ひゃっ! ない……」
一秒でも早く終わってほしい。
「ああ、ここだ」
モニターにスタンプが映し出された。

2019年11月30日土曜日

薬が無効

「我が家は代々続く医者です。この町で長く、消えず見えずインクの旅の人を送り出した実績もあり、信用されているのです。ですから、心配されるような、例えば我々家族が捕まるようなことは考えなくて、大丈夫です」

若者はいつになく饒舌だった。少し、興奮しているようでもあった。その証拠に、彼の天道虫がクルクルと勢いよく飛び回っている。

翌日、「消えず見えずインクを読むための装置」を持って、若者が帰宅した。ゴム手袋にしか見えない。これで消えず見えずインクを撫でると、インクに書かれている内容が読み取れるのだという。

主治医は、険しい顔のまま言った。
「この町の装置は、最新型ではありません。うまくスキャンできるかどうかは、わかりません。そしてもう一つ……」
「この装置は、今飲んでいる薬が無効になります」
途端に身体が緊張した。このゴムにしか見えない手袋は、一体どんな感触だというのだ。

2019年11月29日金曜日

迫害を禁ず。しかし

「そんな危ない目に合わせるわけにはいけません」
と言うのと
「父さん、ちょっと待ってください」
と若者が言ったのは、ほとんど同時だった。
「消えず見えずインクを読むための装置を、借りに行きましょう」
手続きをして、この旅の人のIDを照会しましょう、と。

主治医は唸った。それはそれで、面倒が多いことであると察せられた。消えず見えずインクの旅の者と深く関わることは、それだけ危ないことなのだ。

「消えず見えずインクの旅の人を案内したり、もてなすこと自体は問題ありません。むしろ、迫害したり邪険に扱うようなことは禁じられています。ただ、やはり、何日も一緒に過ごしたり家に泊めたりするのは、あまり勧められたことではないとされています。一緒に過ごすことで、手紙を書きたくなると言われているのです」

2019年11月28日木曜日

罪と罰だけの話ではない

「この町に転移してからも、字は問題なく読めました。『ドンナモンジャ』の樹の名札を読んだのを覚えています。元いた町と、この町の文字が違うというわけではないと思います。カードの文字が変異した可能性、あると思います」
なるほど……と主治医とその息子は腕を組んだ。

「それでもやはり、名前を全く覚えていないというのは、よくない症状だ。少し危険だが、これはもう旅の罪と罰だけの話ではない。私が責任を持とう」
と主治医は言った。
「旅の人、文字、書いてみましょう。あなたの、名前を」

紙とペンが差し出された。
文字を書くこと。名前を書くこと。それは罪である手紙に直結する行為だ。

消えず見えずインクの旅の者に、名前を訊いてはいけない。
その者に、名前を書かせようとすることは、より危険であることは、主治医の顔を見れば明らかだ。


2019年11月27日水曜日

変異文字

「消えず見えずインクの旅の人は、サイン入りのカードを持っているはずです」
いつの間にか、診察室に居た若者が言った。
「すみません、ノックをしても返事がなかったので」
「ああ、そうだったね。荷物はどうしましたか?」
息子の詫びを気にする様子もなく、主治医は言った。
荷物。そういえば旅の初めには小さなバッグを持っていたはずだが、いつの間にか失くしてしまった。

「荷物は繰り返す転移で、失くしてしまいました。いつ頃失くしたのだろう……。カード……そういえば、旅に出る時に写真を撮られました。確かポケットに」
手を入れると、カードがあった。見覚えがあるような、ないような人の写真と、サイン。恐る恐る差し出す。

「これは……我々の知らない文字だ」
と主治医が呟くと、カードを覗き込んだ若者が顔をしかめた。
「父さん、これは異文化の文字ではなくて、滲んだか……いえ、どこかで変質したんだと思います」


2019年11月26日火曜日

聞いたことがない症例

「旅の人の名前を訊いてはいけない」
主治医の言葉を反芻するように呟いた。それを上から見下ろすような気分の自分もいることに気が付いた。自分。
「私の、名前……」
「ああ、ダメですよ、名乗っちゃいけません」
主治医は、やさしく笑いながらも、ぴしゃりと言った。
「いえ、違うのです。あの……名前を、思い出せないのです、自分の」

そういえば、旅の間中、ずっと頭の中では独白を続けていたが、「私」や「自分」がどこか希薄だった。名前だけでない。以前の自分の一人称が、何だったのかも、よくわからない。
「……私? 僕? 俺? これは、誰だ?」
自身を「これ」と呟いてしまってから、しまったと思った。たちまち主治医が顔を曇らせる。

「名前を名乗れない・訊いてはいけない、のは、手紙を書きにくくするためなのは、わかりますね?」
「はい」
「確かにそれは罰のひとつです。だが、名前を完全に忘れるのは、症例として聞いたことがない……」
主治医の言葉は、半分独り言のようだった。

2019年11月6日水曜日

言ってはいけない

すっかり「主治医」となった若者の父上に思い切って聞いてみることにした。
診察室は、静かで、落ち着いた時間が流れている。

「ご家族の……皆さんの名前を知りたいのです。お名前で呼んで、ありがとうと、言いたい。これまでの旅で出会った人の名前も知る機会がなかった……知ってはいけないのでしょうか……」
後半は涙声になった。近頃はよく泣いている気がする。

「そう。名前を教えることはできません。消えず見えずインクの旅の人に名前を呼ばれると、我々も罪を問われるのです」

知らなかった。消えず見えずインクの旅の者とかかわるとそんな危険があったとは。ますますこれまで出会い、世話になった人々への思いが募る。申し訳ないような、切ないような、でも、腹の底から有難さが沸き上がってきた。

「……そして、旅の人の名前を訊ねることもできません」
主治医が続けた。

2019年11月5日火曜日

名前のない旅

目覚めはよかった。起きてから、感触はまったく元通りだった。
すべすべに見えるものは、すべすべに。
ざらざらしていそうなものは、ざらざらに。
これだけのことだが、大きなことだった。

「お目覚めですか?」と若者がやってきた。
「食事の用意ができています。部屋に運びましょうか。それとも、お嫌でなければ、ご一緒に」
若者と、若者の両親、そしてお祖母さんとともに食卓を囲んだ。こんなに大勢で賑やかな食事は本当に久しぶりだった。母上は明るく、お祖母さんも優しい人で、緊張せずに食事を楽しめた。
「どうです? 食べ物の味や噛み応え、食器の感触に違和感ありませんか?」
「おかげさまで薬がよく効いたようです。こんなに楽しい食事は久しぶりです」

しばらくこの医師の家に世話になった。家族は本当によくしてくれたし、父上のおかげで疲労が溜まっていた体もずっと調子が良くなった。若者と天道虫は、青い鳥ともずいぶん気が合うようだ。
だが、やはり、彼らの名前を知る機会は訪れなかった。そして誰にも名前を訊かれなかった。

2019年10月28日月曜日

鳥の警告

起き上がり、鳥籠の下の天鵞絨をめくってみた。
美しいマホガニーの文机だった。
ああ、ここで便箋を広げ、万年筆を走らせ、切手を舐めることができればどんなにいいだろう。
ほとんど意識なく、鳥籠を下ろそうとした。我に返ったのは、青い鳥が聞いたことのない声で鳴いたからだ。
「ギュイ! ギュイ! ギュイ!」
警告音だった。慌てて鳥籠から手を離すと、寝言を言った。
「ぴえずみえずインクのピッケを持つ者キュィ……」

ベッドに戻り、横になった。そういえば、天鵞絨もマホガニーも、触り心地におかしなところはなかった。
「薬が効いたのだ」
小さな声で言うと、途端に眠気が襲ってきた。
起きたら、きっとまた文机を触ってしまうだろう。触りたい。
安堵と放心の眠気に墜落する。

2019年10月22日火曜日

これが罰か

身体は疲れていたが、寝付けなかった。
まだ完全には薬が効いていないようで、ふかふかのはずの布団が、なんとなくヌルヌルするのもいけなかった。

青い鳥は鳥籠に居て、鳥らしくしていた。だが時折、不明瞭な寝言を言う。
「ぴえずみえずインクのピッケを持つ者キュィ……」
青い鳥はどこから来たのだろう。名前はあるのだろうか。
赤い鳥はどこから来て、どこへ行ったのだろう。長く一緒に居たのに、何もしてやれなかった。いや、これはきっと鳥の役目だから、礼とか感謝などは不要なのかもしれない。だが、心は休まらない。どの町のどの人にも、そして鳥たちにも、一方的に親切にしてもらうばかりで、何もできていない気がした。罪人なのだから、仕方がない? 罪人は礼も言えないのか!

酷く自罰的な気分だ。旅そのものよりも、堪えた。これが本当の罰のような気さえする。
誰でもいい。手紙を書きたかった。「お元気ですか」「いつもありがとう」と。

部屋に、小さな文机があることに気がついた。それは、美しい天鵞絨が掛けられ、鳥籠を載せるための台のふりをしている。

2019年10月17日木曜日

君の名は

どうにか薬を飲み終えてからも、はらはらと涙が止まらない。ずいぶん涙脆くなった。
いや、いろいろと刺激があり過ぎるのだ、この旅は。罪を償うためだから、それが当然ともいえる。

一方で、心身ともに刺激に晒され、疲労している中で、親切な人に数多く出会った。疲れた心と体は、やさしくされると途端に涙を出す仕組みになっているとしか思えない。そのやさしくしてくれた人々の名前も知らないなんて……と思うとまた涙が溢れる。思考の堂々巡りが止まらない。

「お嫌でなければ、空き部屋を使ってください」
若者が部屋に案内してくれた。立派なベッドと鳥籠のある部屋だった。
「いつまでいてもいいんですよ。父は何度も消えず見えずインクの旅の人を世話しているんです。長逗留の人は10ヶ月くらい居たそうですから」
「ありがとうございます……ところで、父上や貴方の名前を訊いても……」
若者は困ったような顔で笑いながら「おやすみなさい」と言って、部屋を出てしまった。

青い鳥は自らすすんで鳥籠に入り、眠ってしまった。仕方なくベッドに入る。

2019年10月3日木曜日

これも罰だ

粒子を感じる水だった。
二杯目は、薬と一緒に飲んだ。粉薬が水の中で翻弄されるのを口中に感じながら、飲み込んだ。

以前、水が球状になる街があった。涙が硝子ビーズのようになったあの街だ。あの街の水の玉は口に入れるとただの水になったが、この街の水は口に入れるとビーズのようだ。

若者と父上に、その街と水の玉の話をすると、非常に興味を持って聞いてくれた。
「いつか、その街に行ってみたいですねえ、父さん」
 父上と若者が同じ顔で頷き合う。
しかし、消えず見えずインクの転移で行った街なので、場所も、名前も、知らないのです」
そう言ってから、愕然とした。

今まで行った街の名前、世話になった人の名前、ひとつも知らず、ひとつも知らされず、さして疑問に思うこともなく、ここまで転移を繰り返してきた。そういえば名前を訊かれたこともなかった。

これも「罰」なのだと気が付いた。
地名や名前を知れば「手紙」を書けるから。

2019年9月24日火曜日

緊張の水

若者と父上は、「三十年後の若者がいる」というくらいに、よく似ていた。
体格、雰囲気、話し方、仕草。親子にしても似すぎているのではないだろうか。
触感の混乱を忘れるほどに、二人のことを見比べてしまった。

「こちらの消えず見えずインクの旅の人が、触感の混乱が激しく困っていたのです」
と、若者が父上に説明してくれる。
父上に、この街の触り心地を詳しく訊かれた。時折、若者が助け船を出してくれ、大いに助かる。
いくつかの物を触り、触り心地を答える。
ゴムボール、ガラスのコップ、ぬいぐるみ等々。
どれも思いもよらない触り心地だ。

「確かに触感の混乱が強い。お辛かったですね。薬を出しましょう」
父上は処方箋を書き、薬を調合して戻ってきた。
「この街に来てから水を飲むのは?」
「初めてです」
「では、水だけ先に一口飲みましょう。驚くといけない」

かつて水を飲むのにこんなに緊張したことがあっただろうか。

2019年9月8日日曜日

柔らかな絨毯

若者の家が近づくと、天道虫は嬉しそうに飛び回り始めた。
天道虫の感情がわかるという経験は、初めてだ。感激していたら、せっかく若者が教えてくれたのに、地面の舗装が変わったことに気が付くのが遅れ、躓いた。
靴越しなのに、とても熱い地面だった。踏鞴を踏むような、千鳥足のような、けったいな足取りになってしまい、若者に掴まる力が強くなる。
「申し訳ない。この地面はとても熱いね」
「大丈夫ですよ。転ぶといけませんから、しっかり掴まってください。もうすぐです」
 
若者の家は、父上の開業する医院が併設で、タイルや硝子ブロックの外観がレトロで穏やかな雰囲気だった。
「今は休診の時間なので、家の玄関から入りましょう」
家の中は、毛足の長い絨毯だった。
「たぶん、この絨毯は、見た目通りの感触です」
その通りだった。ふんわりと柔らかい感触に、安心して、涙が出そうだ。

2019年8月25日日曜日

予想と覚悟

かなり迷ったが、背の高い若者を信用してみることにした。
他に声を掛けてくれる人は現れそうになかったし、この触感の混乱が体力を著しく奪う予感があったからだ。
「父が薬を処方できます。一緒に家に来られますか?」
「お父上は……」
「父は医者で、これまでも多くの旅の人に薬を出しています。もちろん消えず見えずインクの人にも。心配しないで大丈夫です。法外なお金を取ることもしません」
若者は、こちらの心配事についてすべて説明してくれた。まっすぐにこちらを見て、そして少し微笑んで。

「立てますか? 腕につかまってください。気を付けて、少し痛い感触がします」
まだ幼さの気配が残る若者の身体に掴まると、たしかにトゲトゲした感触があった。だが、先に言ってもらったおかげか、安心感か、それほどの衝撃もなく立ち上がることができた。

若者は、実に有能は案内人だった。舗装が変わるところ、階段、階段の手すり。すべて感触を先に教えてくれた。少し予想と覚悟ができれば、それだけで衝撃が和らいだ。
その間に、青い鳥と若者の天道虫はずいぶん仲良くなっていた。青い鳥の胸に留まった天道虫は、立派なバッジのように輝いている。

2019年8月21日水曜日

薬を飲みますか

衝撃はあっても痛みはなかった。実際、ボールではなくて小さな天道虫なのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、あの衝撃で痛くないというのは、これまた混乱する状況だった。

天道虫は、こちらのまわりを一回りすると、背の高い若者の元へ飛んで行った。
若者と天道虫は友達のようだ。
「驚かせてすみません。この街は初めてなんですね?」
と、若者が話しかけてくれた。とても賢そうな雰囲気だ。
「おかげさまで、叫び声が治まりました。……この街は、見た目と感触がずいぶん違って混乱しています」
と答える。
「初めてここに来る人は、皆さんそう言います。慣れる人も多いのですが……やはり、かなり時間が掛かります。和らげる薬を飲む人もいます。飲みますか?」
その申し出にすぐに首肯できる者はいるだろうか。

2019年8月13日火曜日

叫びを終える方法

叫び声を掻き消すように青い鳥が低く響く声で唱えた。
消えず見えずインクの旅券を持つ者に、この街を案内(あない)する者は挙手をせよ!」
身形のよい人と別れ、ポストに飛び込んだ時、あんなに小さくなったのに、いつの間にか元の大きさに、いや、もっと大きくなっているようだ。不思議と重さも感じず邪魔にもならない。
冷静に青い鳥の様子を観察してはいるが、まだ叫び続けている。こんな声で叫んだことはないから、止め方がわからない。

消えず見えずインクの旅券を持つ者に、この街を案内する者は挙手をせよ!」
頓珍漢に古めかしく威張っているが、それがかえって頼もしかった。不安と混乱が、これ以上ないくらいに高まっていた。まだ、手にはスパゲッティをかき上げた感触が残る。
膝は? 耳は? 股間は? 一体どんな触り心地だというのだ。だが、もう他の身体の部位を触る勇気がない。

消えず見えずインクの旅券を持つ者に、この街を案内する者は挙手をせよ!」
突然、背中にボールをぶつけられたような感触がした。叫び声は、止まった。
ボールだと思ったものは、天道虫だった。

2019年8月12日月曜日

茹でたてのスパゲッティ

「ワン!」と言わないのは何故だ……樹だからだ。どうして「ワン!」と言わないんだろう……樹だ……。
という自問自答を何回も繰り返す。座り込んで街路樹を撫でまわしている姿は、さぞ滑稽だろうということに気が付き、ようやく立ち上がったが、手に残る感触と目の前の樹がまだ結びつかない。

フラフラと今度は建物に近づく。少し古そうな揺らぎのある硝子の窓をそっと指で触る。冷たくて、硬い、硝子窓であるはずのそれが、今度こそ樹皮を触るような心地なのだった。見た目と触り心地がまるで一致しない。

はたと気が付いて、顔を撫でた。……芝生だ。
髪をかきあげると、ぬるりと茹でたてのスパゲッティを掴んだような感触がした。茹でたてのスパゲッティを手で掴んだことなどないのに。

「わああああああああああああああ」
いままで出したことのないような声を上げる。人々が一斉にこちらを見るのがわかったが、声が止まらなかった。

2019年8月3日土曜日

モジャモジャとわかったドンナモンジャ

肩の上のまだ小さい青い鳥を触ってみると、鋭いトゲを触ったような感触だった。思わず「痛ッ!」と言うのと同時に、青い鳥は「ギッ」とも「グッ」ともつかない、聞いたことのない声を出した。青い鳥も痛かったらしい。申し訳ないことをした。

柔らかな石畳の上で慎重に体勢を整え立ち上がった。見た目には立派な街並みだ。少し古風だが趣のある建物が並んでいる。だが、目に入る通りの感触ではないかもしれない。あのレンガや、そこの街路樹、散歩している犬。その飼い主の長い髪。いったいどんな触り心地なのだろうか。

そう思うと何にでも触りたくなって困る。好奇心というより、確かめないと不安という気持ちが強い。

ゆっくりと足の感触を確かめながら街路樹に近づく。樹皮は特別な感じはしない。カンフルの樹に似ているように思う。「ドンナモンジャ」と札がついている。文字は読めるようだ。恐る恐る触れると、犬でも撫でているような感触だった。反射的に一度手を引っ込めた後、ワシャワシャとそれこそ犬を撫でるように幹を撫でた。

2019年7月29日月曜日

優しい石畳

気が付くと墜落の真っ最中であった。こんなに危険な転移は今までなかった。
どんどん地面が近づいてくる。石畳の模様がはっきり見えてくる。青い鳥は助けてくれるのだろうか、鳥なのだから。いや、ポストに入る時に小さくなってしまったから。大きさが戻っているかもしれない。ああ、もう駄目だ。

ぽよん

石畳と思った地面は、柔らかいゴムのような感触だった。トランポリンの、もっと柔らかなところに落ちたような感触だった。優しく、そっと地面に受け止められたような気がした。
しかし、見た目はどう見ても石畳で、触り心地と見た目の乖離が激しい。落ちたままの体勢で、地面を撫でたり押したり何度もしてみた。
ここは、見た目と感触が異なる街なのだろうと思うのだが、混乱が収まらない。

青い鳥は、ポストに入った時よりは少しだけ大きくなっていた。

2019年7月21日日曜日

懐かしく切ない音

小鳥となった青い鳥が肩を離れ、投函口に足を掛けてもう一度言った。
「今より、消えず見えずインクの旅券を持つ者を送る!」
歌うような声だった。
「どうか達者で」
立派な身形の人がそう言って、手を差し出してくれた。握手したその手は、温かくやわらかだった。この手で、ペンを持ち、手紙を書き、そして罪を問われたのだ。
互いに同じようなことを考えたらしく、握り合う手をしばらく見、そして目が合い、少し笑った。
小さくなった青い鳥が投函口に吸い込まれた。「コトン」と手紙が落ちるのと同じ音がして、切ないような甘い気持ちが身体に湧きあがって困る。手紙が自分の手を離れた音。
「本当に親切にしていただきました。お元気……」
言い終わらないうちに、視界が暗くなった。

立派な身形の人と別れるのはつらかった。老ゼルコバとの別れとはまた違う感情だった。
できれば、いつかもう一度会いたい。会えるだろうか。

2019年7月18日木曜日

何一つ残っていない宝物

「大丈夫ですか?」
立派な身形の人に問われて「ええ」と答えるのがやっとだった。立派な身形の人も顔色はあまりよくない。
便箋、万年筆、封筒、切手。すべてが宝物だった。
離れて暮らす家族、友人、そして恋人。愛しい人たちの顔を思い浮かべながらペンを走らせる時間も……。それはこの立派な身形の人も同じに違いなかった。
だが、ある日、手紙を送ることが禁じられた。何故だかは知らない。知りたくもない。

「身近な人に送る大切な手紙だけを書いていれば、五年も旅をせずに済んだかもしれません。ある人を告発する内容の文書を送らなければなりませんでした。それが罪を重くしたのです」
この立派な身形の人は、おそらく何か重要な仕事や任務に就いていたのだろうと思いを馳せた。

「今より、消えず見えずインクの旅券を持つ者を送る!」
「今より、消えず見えずインクの旅券を持つ者を送る!」
「今より、消えず見えずインクの旅券を持つ者を送る!」
青い鳥は高らかに三度宣言したが、その声はデクレッシェンドしていった。小さくなる声とともに、青い鳥は青い小鳥になっていった。
「青い鳥? どういうことだ」

2019年6月30日日曜日

ポストは赤い

 街には、大小の噴水が多くあった。大小の水の球が美しく整列しながら、噴き上がり、飛び跳ね、落下していく。見事なものだ。どのような技術と調整なのだろう。きっとこの街の技術者や職人ならではの知恵や経験があるに違いない。
 噴水には、それぞれ名前が付いているのだと立派な身形の人が教えてくれた。「夏の夕陽と兎の涙」とか「午後二時における虹の発生」とか、そんな名前だ。どのような理由や由来でそんな名前が付いたのかを想像するのは、とても愉快だった。
「さあ。もうすぐ、着きます」
少し硬い声で、立派な身形の人は言った。
前方に、赤い箱が立っているのが見えた瞬間、心臓が飛び跳ねた。
この街でも、ポストは、赤い、のか。

2019年6月25日火曜日

重罪人に栗鼠

「消えず見えずインクの旅券を持つ者を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
立派な身形の人が朝食の準備をしたり、身支度を手伝ってくれている間も青い鳥は叫び続けた。
「煩くて、申し訳ない」
「いいんですよ。この鳥は役目をきっちり果たすよい鳥ではありませんか」
そして、また立派な身形の人の旅の思い出を訊いた。
「途中で交代したんです、赤い鳥から青い鳥に。この鳥のような、旅の供はいましたか?
「もちろん、居ましたよ。こんなに大きくはなかったし、口数は少なかったけれど」
と言って、壁の絵画を指差した。栗鼠の絵だ。可愛らしくも自信に満ちた顔をしていた。
「文字を読み書きする栗鼠でした。同じように、何度か代替わりしました。絵は最後の栗鼠です」
やはり通訳のような役割をしていたらしい。立派な尻尾を筆のようにして文字を書き、言葉や文字の違う街の人々との交流を助けてくれたという。
「栗鼠は、罪の重い者に与えられたようです」
それはそうだろう。

「さて、そろそろお別れですね。転移できる場所までご案内します。少し遠いですが、最後にこの街を見ながら歩きましょう。そして……少し覚悟しなければなりません」

2019年6月15日土曜日

罪と旅

言われてみれば、この身形のよい人は、罪が似合う。
「旅を終えたのはいつですか?」
「ここに腰を落ち着けて、十二年くらいになります」
小さな机に目をやる。よく磨かれた風合いのよい机だ。
「よい街に出会ったら、そこに住みたいとは思いますが……ひとところに落ち着いたら、また同じ罪を犯してしまいそうなのです」
「親や恋人がいたら、誘惑に駆られるかもしれませんが、年をとり、もうそんな親しい相手はいませんから」
立派な身形の人は、そう言って微笑んだけれど、親しい相手がいなくなれば罪を犯さずに済むだろうか。そんな自信はない。

その後も、立派な身形の人は、罪の重さや旅の思い出をたくさん話してくれた。罪は重く、旅の当初は強制的な転移を繰り返したそうだ。旅も長く、最低でも四年は旅をしなければならず、結局、五年に及んだという。

立派な身形の人は、数日間、泊めてくれた。毎晩、球体の湯の張った風呂に浸かり、ここまでの旅で疲れた身体と頭をほぐした。
四日目の朝、青い鳥の声で目が覚めた。
「消えず見えずインクの旅券を持つ者を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
まだまだ知らない街がある。

2019年6月4日火曜日

鑑賞すべき涙

立派な身形の人は、聞き上手でもあった。洗いざらい話をした。青銅色の街、美しい人との情事、老ゼルコバの死。そして犯した罪のこと。罪の話をしてもいいのかどうか、一瞬迷ったのだが、止める暇もなく口から溢れた。

まだこんなに涙が出るのかと思うくらいに泣いた。流れる涙をそのままにしたら、転がった涙の球で足首まで埋まった。立派な身形の人は、用意もよかった。大盥を足元に置いてくれたのだ。「この街では、号泣する時は皆、これを用いるのです」と大真面目に言うのだった。

ようやく涙が枯れると、立派な身形の人は、大盥を持って庭に出た。夕陽で涙の球が輝く。さっきまで体内にあった水分を、こんな形でまじまじと見る機会がかつてあっただろうか。「この街では、こうやって、涙を鑑賞するのです。どうですか、悪くないでしょう?」と、また大真面目に言う。

「どうしてこんなによくしてくれるのですか」と尋ねる。
「以前、貴殿と同じ体験をしたからです」と、立派な身形の人は、腰のあたりを手でさすった。この人も、消えず見えずインクで旅した人だった。

2019年5月21日火曜日

遠慮する球体と液体

立派な身形の人は、想像通り、家も立派だった。
風呂を借りると、ビーズのような細かな球体の湯が溜まった湯船と、大きな穴のシャワーがあった。
恐る恐る湯船に浸かる。身体に触れたところからビーズの湯は液体に変わっていく。
ぐるぐると手足を動かしてみたが、全部が湯にはならなかった。どうしてもビーズの部分が残るのだ。
温かいビーズに埋もれているようであり、ゼリーに沈んだようであり、しばらく眼をつぶっていると、普通の湯に浸かっているのと変わらない気分にもなった。

シャワーは、湯船以上に不思議な体験だった。細かな球体の湯が降ってくるが、身体に触れた瞬間液体になり、流れていく。霰を浴びればさぞかし痛いだろうが、この街の球体の水は、痛くはない。
液体の湯と球体の湯がいまいち混ざりあわないまま、排水口に吸い込まれていく。流れる速度が異なるせいだろうと思うのだが、液体の湯と球体の湯は互いに少し遠慮しているようにも見えた。

不思議な風呂で、すっかり長くなってしまった。恐縮しながら出ると、立派な身形の人が笑顔で待っていた。
「温まりましたか? ああ、よかった。顔色もよくなった」

2019年5月12日日曜日

浄水と涙

氷とも違う、不思議な水の玉だった。口に入れた瞬間に水になった。
舌で水玉の感触を確かめたいと思うが、瞬時に水になってしまう。
「ずいぶんお疲れのようだ。……何か辛いことがあったようにお見受けします」
その人の話しぶりが、老ゼルコバに少し似ているような気がして、また涙が出そうになる。
「水は幾らでもありますから。賢い鳥さんもどうぞ」
と、次々と水の玉をくれた。鳥には、小さな水玉を。

「慣れない水、飲みにくかったでしょう?」
立派な身形の人だったが、気さくに隣に腰かけてきた。
「ここには液体がないのですか」
「いえいえ、浄水と涙だけです、こうして玉になってしまうのは。スープやお茶は、液体です。どうして浄水と涙だけなのか、研究者もずっと研究したままです。でも、意外と不便はありませんよ。水は口に入れば飲めるし、シャワーも慣れてしまえば気持ちのよいものです。どうですか? 我が家に来ませんか」
親切な人にすぐ出会える街は珍しい。幸運は幸運として受け取ろう。

2019年5月10日金曜日

固体では困る

液体が、結晶のようになってしまう街なのだろうか。
そんなのは困るではないか、水はどうする? 飲み水は? シャワーは?

「消えず見えずインクの旅券を持つ者に、飲み水を与える者はおらぬか!」
ずっと黙っていた青い鳥が突然叫んだ。確かに、泣き疲れて喉が渇いている。
青い鳥の声も少し枯れているようだ。

心にも体にも力が入らなかったから、 歩くのは諦めた。
青い鳥の声を聞いて、水を持ってくる人でも現れたら幸運だし、そうでなければもう少しここにいよう。

ベンチに座って、あたりを見渡す。涙が固まってしまったこと以外には、特に変わった様子はない。ここは、緑の多い公園のようだ。ケヤキの樹を見つけて、老ゼルコバを思い出し、また涙が溢れる。

ポロリと大きな涙粒を拾い上げる。透明で、光にかざすと輝き、本当にガラスのようだ。この街の雨がこんなふうに硬かったら困るではないか。

「涙はしょっぱいですから、これをどうぞ。喉が渇いているんでしょう?」
涙粒を観察していたら、透明な飴玉のようなものを差し出された。

2019年5月4日土曜日

涙の重さ

ぽっかりと体に穴が空いたようだった。喪失感というのは、この事を言うのだなと、嗚咽しながら、頭の端で冷静に分析していた。
なかなか泣き止むことができない。オニサルビアの君は、やはり近くにはいないようだった。老ゼルコバは、もちろんいない。白くサラサラと崩れていく様子を思い出し、また涙が溢れてくる。
涙が重い。こんなに泣くのは、大人になって初めてだから、涙の重さなんて忘れていた。

流れるままになっていた、ようやく涙や鼻水を手で拭った。
「痛っ」
細かな水晶のような、ガラスのような、透明な欠片が涙を拭いたはずの手のひらにびっしりついていた。

2019年4月29日月曜日

「さあ、樹にしがみついて。そう、抱きしめるように」
オニサルビアの君に手を握られた。冷たい手だった。
手を繋いだまま、ケヤキの巨木を二人で抱きしめた。繋がなかったほうの手と手は、全く届かなかった。それくらい、立派で大きな木だったのだ。

背中が温かい。老ゼルコバが後ろから抱きついてきたのだ。
ケヤキと老ゼルコバに挟まれて、静寂となった。
風も音も匂いもない。自分の息の音もすぐに吸い取られる。
背中の老ゼルコバの体温も感じられなくなった。
眠いような気がするが、いつもの眠さとは違う。「無」と呼ぶほうが近い気がする。

抱いたケヤキと老ゼルコバが、さらさらと崩れるのを、微かに感じた。身体の感触なのか、形而上の認識なのか、それもわからないが、老ゼルコバが「いなくなった」確かな実感だけはあった。

2019年4月22日月曜日

刻々と灰になる

「老ゼルコバ、二人は同じ街へ行けるの?」
オニサルビアの君が訊く。
「それは、誰にもわからない」
老ゼルコバは言った。
「さあ、そろそろ出発の時ですよ」
それが老ゼルコバの最期の時でもあると、オニサルビアの君は気が付いているだろうか。表情を窺ってみるが、気が付いていないように思えた。オニサルビアの君は、初めての転移で頭がいっぱいなのだ。

ケヤキの巨木も、肩の小さなケヤキも、見る見るうちに白っぽくなっている。そのまま灰になって崩れてしまいそうな色に。
「老ゼルコバ……」
なんと声を掛けていいのかわからず、言葉が続かない。老ゼルコバは「わかっている。黙っていなさい」と、オニサルビアにわからないくらいの小さな頷きと目配せで答えた。

さっき出会ったばかりの老ゼルコバだが、哀しみが溢れる。
我々の転移を手伝うことで命を終えることになる。寿命なのだろう。「役目」とも、老ゼルコバは言った。
でも、他人の命を奪うことのようにも思えて恐ろしくもあった。どう受け入れればよいのか、どう解釈すればよいのか、わからない。
「わからないままでよいのです」
老ゼルコバが、耳打ちするように言った。

2019年4月13日土曜日

「何もない」が在る

「老ゼルコバ!」
オニサルビアの君が低い声の主を見て言った。小さくて立派なケヤキの木を肩に生やした老いた人がいた。

「老ゼルコバ、無事だったのなら、どうして……ずっと姿を見せないから、街中の人が心配していたのに」
老ゼルコバは、それには答えなかった。どうやらこの街では有名な老人であるということはわかった。

ずいぶん長く歩いた。老ゼルコバの目指す先に、ケヤキの巨木があることに気が付いた。それは、老ゼルコバの肩のケヤキとそっくりの樹形であることは、一目瞭然だった。

ケヤキの木のまわりには何もなかった。草も花もなく、石も砂も土もなく、コンクリートもなかった。風も香りもない。オニサルビアの香りも飛べないようだ。

ただ、何もないが在り、ケヤキの巨木だけがあった。

「あなた方を送ることが、最後の役目です」と老ゼルコバは、静かに低く、そして確かな力強さで言った。
老ゼルコバは、おそらく、永い眠りが近いのだ。

2019年4月11日木曜日

低い声

オニサルビアの君と手を取り合って、外に出た。
「消えず見えずインクの旅券を持つ者、二名あり! この者共を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
青い鳥がよく通る低い声で言う。オニサルビアが香る。

「佳い花を、佳い鳥を」
と、挨拶してくれる人は時々あったが、鳥の呼び掛けに応える人はなかなか現れない。やはり二人というのは、難しいのかもしれない。

「消えず見えずインクの、旅券を持つ者、二名あり……この者共を然るべき儀式で送る者は、おらぬか」
さすがの青い鳥にも疲労の色が見えてきた。声に張りがなくなってきた。オニサルビアの君も、長い時間緊張したままだったせいで、相当疲れている。
「一度、家に戻りましょうか」
そう囁いたところだった。

「付いて来てください」
背後から声を掛けられた。青い鳥よりも更に低い声だった。

2019年4月9日火曜日

わからないがわからない

「旅に出なければならないのです」
オニサルビアの君は、重ねて言った。

もう何度も転移をしているが、他人を転移させたことはない。そもそも、転移を頼まれる事態など、想像もしたことがない。

どうやって転移が行われているのか、よくわからない。転移させてくれた人々は、どうしてそれが可能なのか。特別な能力があり、誰にでもできるわけではないように思っていたが、実際のところ、どうなのだろう。

旅をする者には、この肩の「鳥」のような通訳は必ず付くのだろうか。それもわからない。挽き肉を捏ねるような声をした美しい人には、何もいなかった。こちらから見えないだけだったのかもしれない。わからない。

旅をしているのに、旅のことがわかっていない。

「消えず見えずインクの旅券を持つ者、二名あり! この者共を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
青い鳥は、迷わず言った。まだ、この街を離れると決めたわけではないのだが、青い鳥がそう言うのなら、そうなのだ。


2019年4月8日月曜日

Go to the dogs

 犬は悩んでいる。ありったけの語彙を使い、悩みを説明しているのだが、なぜだろう、口から出てくるのは犬の吠える音だけ。
 深い孤独と、それについての考察を述べているというのに、これでは誰もわかっちゃくれない。あれやこれやと吠えてみるが、思考ばかりがどんどん進み、犬は混乱を極める。
 高尚に悩んでいるとも知らず、猫がやってきて、話しかけてくる。猫の話はいつだって、まとまりなく、とりとめもなく、そして話し終わらぬうちに去っていく。
 犬と犬の吠え声と犬の思考は乖離して、犬小屋に居ぬか、何処にも居ぬか。

++++++++++++++
「サウンド超短編」投稿作
最優秀賞・峯岸可弥賞・タカスギシンタロ賞受賞

2019.4.6 超短編20周年記念イベント——広場・心臓・マッチ箱——にて、シライシケンさんの演奏に合わせ、朗読していただきました。

2019年4月5日金曜日

予想外の願い

クラリセージ尽くしの食事の後は、オイルを垂らした風呂にも入った。おかげか、ずいぶん気分がよくなった。

オニサルビアの君は、本棚から古びた写真集を取ってきて、見せてくれた。そこには、この街では決して見ることができない、獣や鳥がたくさん写っている。
それでオニサルビアの君は、青い鳥が「鳥」だとわかったのだ。

「頭で理解しようと思っても、どうしても、空想上の生物、お話の世界の生物だという感覚は抜けきれませんでした。この街の人にこの本を見せれば『空想の産物だ』とか『気は確かか?』と言われるだけです。青い鳥を一目見た時の驚きと喜びを、どう表せばいいでしょう」
青い鳥を見つめてオニサルビアの君は言う。

「この本はどこで見つけたのですか?」と問うと、「廃墟になった図書館の地下書庫で」とオニサルビアの君は言った。

夜になり、小さなベッドでオニサルビアの君と二人で眠った。青い鳥は肩を離れて、オニサルビアの花たちと甘く戯れていたようだった。

朝、クラリセージ尽くしの朝食を二人で取った。
突然、オニサルビアの君はスルスルと服を脱いだ。
「お願いがあるのです。どこかの街へ転移させてください」

青い鳥は、目を見開いて言った。
「消えず見えずインクの者、ここに二者あり!」
「消えず見えずインクの者、ここに二者あり!」


2019年4月3日水曜日

オニサルビアの館

「皆の衆、礼を言う!」
青い鳥は、ずいぶん立派そうに、大仰な挨拶をした。青い鳥に聞こえないように、そっと溜息をつく。

オニサルビアの君が「こちらへ」と手招きする。人々が付いて来てしまうのではないかと心配したが、大丈夫だった。
青い鳥が「皆の衆、ありがとう。佳い花を! 佳い鳥を!」と言い続けたからだ。絶妙なデクレッシェンドで音量を下げていき、ついに大通りから離れることができた。
青い鳥が、小さく疲れた声で「キュ」と鳴いたのがわかった。
大袈裟な言い回しは作戦なのか、青い鳥の元々なのか、分からなくなったが、感謝せねばなるまい。

オニサルビアの君の自宅に招かれた。ハーブが覆い茂るような家ではなく、簡素な、さっぱりとした小さな一軒家だった。ただ、乾燥したクラリセージだけはたくさん壁に吊り下げられていた。
「これは、もしかして……」
「そうです。ご覧になったように、この街の多くの人は、植物が肩から生えてしまうのです。その植物とともに生き、利用し、植物の香りに包まれて一生を過ごします」

振る舞われたのは、セージを香り付けに使った肉料理やハーブティーだった。肉は食用の形となってから他所から運ばれてくるものなので、この街の人々は動物をほとんど見たことがなく、興味も持たないのだという。それで青い鳥があのように恐れられたのだ。


2019年3月31日日曜日

花吹雪

ものすごい拍手だった。物陰に潜んで、様子を窺っていた人々が一斉に出てきた。
そして、ありとあらゆる色彩と、ありとあらゆる大きさの花びらが降ってきた。舞い散る花びらで周りがよく見えない。

消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者と、青き鳥、ここにあり!」
さらによく通る低い声で、青い鳥が言った。

人々は「佳い花を」「佳い鳥を」と交互に叫んだ。

「佳い花を!」
「佳い鳥を!」

花びらはどんどん降り積もり、もう足首まで埋まってしまった。
あらゆる花の芳香と鮮やか過ぎる色彩で、立っているのがやっとだ。
青い鳥は、よい気分になっているらしい。堂々とした様子で周囲を見回している。

「佳い花を!」
「佳い鳥を!」

なんなんだ、これは一体。
急に崇められたような事態になってしまった。ついさっきまでの孤立感が、恋しくなる。

オニサルビアを生やした人も、さすがに驚いた様子で「こんなことになっちゃって、ごめんなさい」と耳打ちしてきた。
「一度、ここを離れましょう」

2019年3月27日水曜日

蜜の味

その人の肩に咲いたオニサルビアは、花穂がふるふると震えていた。ひとつひとつの花が、少女のように笑っていた。
オニサルビアを生やしたその人は、ニッコリと笑ってこう言った。
「あなたが『鳥』なのね、初めて本物に会えた。本でしか知らなかったから」
「鳥は、皆あなたのようにお喋りができるの?」

青い鳥は、喋ろうとしない。
「鳥は、いろいろな世界に多くの種がありますが、言葉を発する鳥は限られています。この青い鳥は、些か照れているようです。そして、この鳥は基本的には任務のためにしか話ません。自分の意志を喋ることはあまりないのです」
なるたけ丁寧に説明しようとしたら、堅苦しくなってしまった。オニサルビアの花は一斉にケタケタと笑った。セージの香りが強くなる。

ふいに肩が軽くなった。青い鳥が、オニサルビアに向かって飛んだ。
「あ! こら!」
青い鳥は、花穂に近づき、一番てっぺんの花に、まるで接吻をするように、そっと嘴を近づけた。一瞬で、花たちが色鮮やかになる。

香りが強くなった。
物陰で様子を窺っていたらしい人々とその植物が、顔を出したのだ。

嘴に蜜の雫を輝かせたまま、青い鳥は朗々と宣言した。
消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者と、青き鳥、ここにあり!」

2019年3月24日日曜日

緋衣草の接近

さて、どうしようか。
いくら匂いが強くてつらいとは言っても、すぐにどこか別の街に行くのも、なんとなく勿体ない。逃げられてしまって、まだ、誰とも交流していないのだ。

「青い鳥よ、どうしてくれようか……まあ、おまえさんが悪いわけではない。この街の人は「鳥」を知らなかっただけだ。花も鳥も、美しい。赤い鳥は、少し喧しかったけれど、美しかったし、おまえさんも本当に美しいよ。ちょっとないくらい綺麗な青い鳥だ」

「花と鳥は、元々は相性がいいはずなのだ。花は鳥に蜜をやる。鳥は花粉を運ぶ。そうやって互いに暮らしている花と鳥がいる。ここでは鳥は珍しいようだが、そういう世界もある」

「花鳥風月という言葉がある。美しい自然や景色のことだ。花と鳥と、風と月。ここでも花と鳥は仲良く並んでいる」

独り言なんて、あまりしたことがなかったが、青い鳥に言い聞かせるように、そして、建物の陰からこちらを伺っている人の存在を意識しながら、独り言にしては大きな声で、ゆっくり、なるべくゆっくり、鳥と花を称え続ける。

ふいに、青い鳥が何かに反応して身動いだ。それと同時に、ハーブの香り……セージだ。セージの匂いが近づいてきた。

2019年3月19日火曜日

寂莫

「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

「青い花が喋った」「いや、あれは花ではないのだ」「花ではなければなんなのだ」「植物じゃない生き物」「そんなものがこの世にいるのか」「バケモノだ」「病原体だ」

ちょっと待て。街の皆が、お前に驚いている。
青い鳥にそう囁いたが、聞かなかった。

「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

ついに人々は叫び声をあげて、方々へ走って逃げていってしまった。
また独りになった。
おかげで、周囲に漂う匂いも弱くなり「嗅覚の休憩」になった。そんなつもりはなかったのだが。

転移すれば、余所者扱いされるのは当然だ。旅をすることになった時から、覚悟はできていた。
好奇の目に晒されるのも仕方がない。こちらも、初めて見る形態の人に驚き、戸惑っていたのだから。

だが、ここまで危険視されてしまうとは。それも、自分自身ではなく、この「通訳鳥」のせいで。頼んでもないのに付いてきた、赤い鳥。勝手に引き継ぎをして交代した青い鳥。

「どうしてくれるんだ、青い鳥。誰もいなくなってしまったよ」

2019年3月15日金曜日

非植物

強く複雑な香りは、身体に堪える。
匂いは慣れやすいというが、様々な植物を肩に生やした人がすれ違うせいか、刻々と匂いが変わり、鼻が休まらない。匂いを検知した脳も、いちいち過去に嗅いだ事のあるものかどうか照合するらしく、忙しい。

どこか、匂いの移り変わらないところで休みたい。
「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

赤い鳥に負けず、少し頓珍漢な言葉と節回しで、青い鳥が朗々と言った。
低音で渋い声が響き渡り、肩から植物を生やした人々は一斉にこちらを見る。勢いよく一度に人々が動いたせいか、多種多様な匂いの風圧に押され、倒れそうになる。

「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者が、嗅覚の休憩を所望する!」

倒れそうになったのは、こちらだけではなかったらしい。この街の人々は、戦慄していた。青空色の鳥とは異なる青さで、顔色を悪くしている。
この肩にいるのが、植物ではないという事実に。

2019年3月9日土曜日

佳い花を

激しい砂嵐が、漸く収まり、長く止めていた息を思いっきり吸い込んだ途端、激しく咽た。
これは、なんの匂いだ?! あたりを見回すが、新しい建物ばかりで、そんな匂いが漂ってきそうなものはない。人や動物もまだ見えない。

ああ、香辛料だ。
異国や異世界に来れば、多少なりとも匂いの違いを感じるものだが、ここはそれどころではない。匂いは強いが悪臭ではないのが幸いだ。それでも息苦しい。細くそっと息を吸う。

しばらくすると、この空気中の匂いは、もっと複雑であることが判ってきた。様々な香辛料や薬草や花の香りが混ざったような。

人通りの多い道に出た。そして、人々は肩から、見たことがありそうでなさそうな植物を生やしていた。

雪を降らす仙人掌。
涙を流し輝く鬱金香。
激しく開閉を繰り返す牡丹。

この街の複雑な匂いは、この人々によるものなのだろうか。
肩の青い鳥にも気軽に声を掛けていく。鳥のことを当然のように植物だと思うらしい。
「佳い花を」
どうやらそれがこの街の挨拶なのだった。

2019年3月6日水曜日

砂漠の交代劇

空の色をした鳥と、肩に留まっていた赤い鳥は、鳥同士でなにやら囁きあっている。赤い鳥は人語の時と違って、美しい声だ。
すっかり取り残された気分で、ぼんやりと空と鳥を見ていた。鳥は、鶏を全部、青空にしたような鳥で、大きさは赤い鳥と同じくらいだった。空との境目がわからないくらい青空色で、砂漠によく似合う鳥だと思った。

消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方よ」
と、赤い鳥は急に人語で語りかけてきた。
消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方よ、吾の任務はこれにて終了する」
そう言って、ひょいと肩を降りた。入れ替わりに青い鳥が肩に乗った。まったく反論する暇もなかった。
「消えず見えずインクの旅券を持つ旅の者よ、次なる街へ同行致す」
青い鳥は存外、渋い声で言った。そして、砂漠中の砂が巻き上がったのではないかと思うほどの大風が吹いた。

何も見えず、息もできず、赤い鳥に礼も別れも告げられない。
赤い鳥は、勝手に付いてきたように思っていたが、振り返るとずいぶん助けられた。そして、相棒のように思い始めていたのだ。
だからこそ、交代なのかもしれない。誰かと親しくなったり、執着したりできる旅ではないのだ。
美しい人や、その家族の顔を思い浮かべながら、砂に巻かれていく。

2019年3月3日日曜日

急速な変化

あんなに苦労した空中歩行が、難無くできるようになったのは、動揺しているせいだろう。
身体が熱く、思考も気持ちもまとまらず、すたすたと浮いて歩く。

「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
赤い鳥が肩にしがみついているのがわかる。振り落とされまいと必死なほど、速く歩いているということか。しかし、歩調を緩めることが出来ない。こんな調子では、声を掛けてくれる人は現れないだろう。早く、この街を離れたいのに。

只管に歩いていたら、街の外れまで来てしまったようだった。急に大きな建物はなくなり、さらに進むと、砂漠になった。
深く軽い砂を踏む感触。もう、浮いて歩かなくてもよくなったのだ。あの街を抜けたのだと知った。
だが、浮いて歩くのに慣れ掛けた足は、初めて歩く砂漠に混乱していた。アスファルトや石畳に慣れた足には、砂漠も矢張り未知の歩行なのだった。おかげで、やっと歩を止めることができた。

人語で叫び続けていた赤い鳥は、鳥の鳴き声になった。
目の前に、真っ青な鳥が、現れた。空と同じ色の鳥だった。

2019年2月26日火曜日

叫び声が絡まる

「あの写真の人なら……前の街でお会いしました」
言うべきではないと一瞬思ったものの、先に口が動いていた。共通の話題、共通の知り合い。そんなお喋りに飢えていたのかもしれない。
「本当に?! 元気にしていましたか? どんな様子でしたか?」
目の前の人は、こちらの肩を掴みそうな勢いで訊いてきた。赤ん坊も驚いている。

「その街は、音が狂っている街でした。何もかも奇妙な音だった。そこで、あの人は楽団の指揮者をしていました。そして、この街に転移する切欠を作ってくれました」
美しい人の、挽き肉を捏ねたような声を思い出す。この街ではどんな声だったのだろう。
この食卓で食事をし、子守歌を歌い、あのベッドで眠っていたのだ、あの人は。

話すうちに胸が苦しくなってきた。目の前の人は、あの美しい人と深く愛し合っていたのだろう。嫉妬のような、罪悪感のような。そして僅かな優越感。
この小さな人も、もう少し大きくなったら美しくなるに違いない。もうその片鱗が見える。

ここに留まる事はできない。こんなに親切にしてもらったけれど、隠し事が長く続けられるとは思えなかった。
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
決意した途端に赤い鳥が叫んだ。驚いた小さい人が泣き叫ぶ。
「ご親切に、ありがとうございました。もう、行かなければ」
「もう少し、話を聞かせて下さい」と懇願するのを振り切って、地上に戻った。

2019年2月25日月曜日

あの街が聞こえる

赤ん坊と、その付き添いの人の家は、地下深くにあった。
重い扉を開くと、白い静寂があった。
「連れ合いが耳の良過ぎる人だったので、静かな部屋を探しました」
と、地上にいる時よりも小さな声で、説明を受けた。
着替えの服を受け取って欲室へ向かう。
シャワーの水音がティンパニーでないことを、一瞬不思議に思い、そんなことを感じたことに戸惑った。
膝も掌も傷だらけだったが、大したことはなかった。初めに転倒した時の顔の傷が一番酷い。入念に洗い流す。
貰った服を着ると、知っている匂いがした。

「連れ合いは、見えず消えずインクのスタンプを押され、子を残して、旅立ちました」
傷の手当を受けながら、一人語りを聞く。
「音楽が好きで、大好きで。でも耳が良過ぎて、満足に聴けなかった」
「今頃、どんな街にいるのだろう」
視線の先に、写真があった。美しい人が、そこにいた。
服の匂い、甘い痺れ。
鼓動がメトロノームの音だったあの街に、繋がった。

2019年2月22日金曜日

地下への近道

小さな人は、迷いなく崩れ落ちそうな建物の下を這って行く。
「ちょっと待って」
声を掛けると、一瞬止まって振り向いたが、すぐにそのまま進んでしまった。
付き添いの二足歩行の人を探したが、見当たらない。
ぐずぐずしていると置いて行かれてしまう。何しろ小さい人の匍匐は速いのだ。
地震や大風や体当たりする人などがいないことを願いながら、浮いた建物の下に入った。

30インチくらいは浮いているようで、狭いが匍匐はできる。
四方が開けているとはいえ、少し暗い。上を見上げてみるが、よくわからなかった。
この天井が古いレンガ造りの建物の底だと知らずにいられたら、よかったのに。

前を行く赤ん坊が、不意に消えた。
「おい!」と叫ぶと、赤ん坊と、付き添いの二足歩行者が、地面から顔を出した。
「ここからは、足を付けて歩けますよ、地下ですから」
浮いた建物の下の地面にぽっかりと階段に続く穴が開いているのだった。
そういえば、青銅色の街でも、地下に案内されたことがあったと思い出しながら、階段を降りる。

2019年2月19日火曜日

浮遊の法則

ハイハイのなんと心地よいことか! 地面から浮かないことがこんなに素晴らしいことなんて!
這って歩く恥ずかしさも忘れて興奮する。

小さい人の匍匐は思いの外、速い。置いて行かれないように付いていく。
必死で進みながら、気が付いた。つまり、四点以上を使っての歩行ならば、浮かずに歩けるのだ。
共に地面を歩く猫や、犬や、蟻に、急に親近感を抱く。
両手に杖を持つ人も地面を歩いている。這って歩くより杖を入手したほうがよかったのではないか? いや、今考えても仕方がないことだ。

そして、四点以上使って歩く者は、浮いた物の下を通過できること……。蟻や、子猫は、3インチ浮いた建物の下を、さもそこも道であるという顔をして、そのまま通っていく。高層ビルの下に、手ぐらい入れてみようかと思ったが、やはりどうにも恐ろしくてできなかった。

さらに這って歩いて気が付いたことは、もう一つ。浮き具合は、必ずしもぴったり3インチというわけではない。
どうやら、「古いほどよく浮く」ようなのだ。人間も例外でなく、老人は少し高く浮いている。

今まさに、この街でおそらく最も古い建造物のひとつであろう、朽ち掛けたレンガ造りの建物の下に、先導する小さい人は迷いなく進んでいこうとしている。

2019年2月17日日曜日

匍匐が叶う

「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を介抱する者はおらぬか!」
赤い鳥は絶え間なく叫び続け、三回は転んだ。
初めに転んだのと合わせて都合四回も転べば、多少は巧くなるもので、顔から激突する事態は初めの一回だけで済んだ。
とはいえ、転ぶ度に顔や服は汚れており、鏡を見ずとも相当にみすぼらしい風体になっていることは明らかだった。
こんな格好で、赤い鳥が焦るように叫ぶから、なかなか「介抱する者」は現れない。

「どこかで手を洗わせてもらいたいのです」
と、赤い鳥の叫びに付け足すように言いながら地に足が付かぬまま歩いていると、赤ん坊を抱いた人が声を掛けてくれた。
「我が家でよければ、案内します。シャワーもありますし、古くて構わなければ着替えの服も差し上げましょう」
ありがたい申し出だった。さらに良いことに、この人の体格なら、服の寸法もちょうどよさそうだ。
「この子の真似をして歩けば、誰も不審に思いませんから、どうぞ這って付いていってください」
赤ん坊は地面におろされると、「委細承知」という面持ちで、ハイハイで進みはじめた。それに続いて、這って行くことにする。

2019年2月15日金曜日

匍匐の欲望

全く奇妙な出来事だった。
3インチ浮いた身体で、3インチ浮いた小石につまずき、転び、浮いていない地面に激突した。そして、顔から血を流しているのだ。

何が起きているのか判らず、しばらく地面に突っ伏していた。この街に来てやっと触れることのできた地面の感触を確かめてもいた。
手で触れる地面は、よく知っているアスファルトの舗装道路と同じようだ。

こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を介抱する者はおらぬか!」
赤い鳥はサイレンのように叫び続けている。しばらく構わずに地面に触れていたが、人が集まってきてしまったので、立ち上がることにした。
起き上がって、立つことはできた。が、二本の足で立ち上がった瞬間、もう足は地面につかないのだった。

血の滲む顔で笑うと、集まっていた人々は拍手し、そして少しずつ去っていった。
どうにも地面が恋しいが、這って歩くわけにもいかない。浮いて歩くことに慣れなければならない。何より、この汚れた顔と手を洗わなければ。

2019年2月11日月曜日

浮く世の道

足だけではないのだ。
街灯も、街路樹も、車も、建物も。何もかもが、3インチくらい、浮いていた。

思い切って、そのまま立ち上がった。浮くというのは、生まれて初めての経験だ。
ふわふわしているのとも違う。それよりも……風船の上に立っていると言ったほうが、近いかもしれない。
宇宙や宇宙船の中は無重力というが、おそらく、それとも違うだろうと思う。
赤い鳥も肩から浮いているが、特に気にしている様子はない。

足の感触と周りの景色に慣れようと、足踏みしたり、あたりを見回したりしているうちに、気球はいなくなっていた。

ゆっくりと歩き出した。なんとも心許ない。
!!
何が起きた理解する前に赤い鳥が叫んだ。
こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を介抱する者はおらぬか!」

2019年2月9日土曜日

遠い地面

雷鳴に押しつぶされ、身体が紙のように薄くなったように感じた。
いつの間にか身体の感覚が戻り、目を開けると、上空にいた。
気球に乗っていたのだ。
「ここはどこだ?」
気球に乗っているということはすぐにわかったのに、思わずそう呟くと、懲りずに付いてきたと見える赤い鳥が言った。
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方は此処は何処かと問うておる!」
「まもなく街に到着します」
操縦士がいることにそれまで気が付かなかったことに驚いたが、言葉も通じるし、音色もおかしくはなさそうだ。

気球を降りる前に、慎重に周囲を見渡す。街の景色は、元居た街とは異なる雰囲気が少しあるものの、何かが酷く違って見えるわけではなさそうだ。

だが、その「異なる雰囲気」が何であるかは、地面に降りようとして、すぐに気が付いた。
地に足が付かないのである。

2019年2月7日木曜日

スポットライトを浴びながら

招かれた舞台に立つ。
美しい人と、楽団員と、観客の、ガラスが割れるような大きな拍手が身体に突き刺さる。
思わず、手に視線をやる。血は流れていない。

「さようなら。どうぞ、お元気で」
接吻しそうな近さで、美しい人が挽き肉を捏ねるような声で囁く。
忽ち、あの甘く官能的な感覚が蘇った。からかわれているのではないだろかという疑念がよぎるが、それどころではない。膝から崩れ落ちそうになるのを堪えて「ありがとう」と呟き返すのが精一杯だった。

「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
美しい人に促されて、シンバル奏者が楽器を携えてやってきた。
「よろしいですか」と問われて、「はい」と答える。
照明が暗くなり、すぐに目が眩んだ。スポットライトが当てられたようだ。観客の視線がこちらに集中しているのがわかる。
丸く薄い銅板が、背と腹を勢いよく挟む。雷鳴が響いた。

2019年2月4日月曜日

プレスティッシモ

衝撃的な音が身体に堪える。が、他の観客たちは、恍惚の面持ちで、音楽に身を任せているようだった。
やはり、この街にも長くは居られない。次の街に行こう。
そう思ったところで、音楽は鳴りやみ、観客は一斉に立ち上がり、拍手を始めた。ガラス瓶が割れるようなスタンディングオベーション。

指揮者が振り向いた。美しい人だった。
鼓動が高鳴る。鼓動までが、違う音……古いメトロノームの音とそっくりであることに気づき、一層、激しくなる。

今まで置物のように動かなかった赤い鳥が歌い出した。
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
美しい人と、視線が合う。手招きをされた。隣の客も微笑み、促す。

仕方なく舞台へ向かう。その間も赤い鳥は歌い続けた。
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」

2019年1月31日木曜日

交響的断絶

振り払っても湧いてくる思考を連れて歩き回っていたら、音楽ホールと思われる大きな建物が現れた。
この奇怪な音の街にどんな音楽があるというのだろう。
近づいてみると、ちょうどコンサートが開かれるところだという。
気分転換にはちょうどいいかもしれない。

ホールの座席は、とても座り心地が良い。舞台もよく見える。立派なホールだ。
楽団員が楽器を抱えて入ってきた。
ヴァイオリン、ビオラ、コントラバス……クラリネット、フルート……トランペット、トローンボーン、ホルン……シンバル、ティンパニー、……
一つひとつ確かめたが、見知らぬ楽器や奇妙な楽器は見当たらない。

演奏が始まった。ティンパニーが激しい水音を鳴らす。滝のようだ。
続いて、金管楽器が雄々しく叫ぶ。肉食獣の声で。
シンバルが激しく叩かれると、座席が揺れるほどの雷鳴が響いた。

2019年1月30日水曜日

戸惑いの痺れ

美しい人は、おそらく目を覚ましていたと思うが、引き留められることはなかった。
赤い鳥を肩に乗せ、喧噪の街へ出た。
今日も天気はよく、そして耳に入る音はとんでもない。
だが、雑音が、考え事にはちょうどよかった。

美しい人との交わりを回想する。互いの消えず見えずインクに触れあった時の甘い痺れを思い出す。
転移の能力を人体に添付する消えず見えずインク。それだけだと思っていた。あんな官能的な感覚を引き出す作用があるとは。

いや、あの人が美しかったからだ。消えず見えずインクは関係ない。
いやいや、やはり、消えず見えずインクの仕業だ。そうでなければ、あのような感覚はあり得ない。
次の街でも、また、出会えるだろうか……同じインクを肌に持つ人に。

危険な考えだと知りながら、そんな思いがどうしても湧いてくる。

2019年1月29日火曜日

衣衣の別れ

金属のフォークとナイフが食器にぶつかる音は、木製のそれにしか聞こえなかった。
初めはちぐはぐに感じたが、次第に心地よくなっていく。
久しぶりに、酒を飲んだ。躊躇したが、美しい人が「大丈夫ですよ」と言うので、飲んだ。
背中の消えず見えずインクのあたりが疼くような気がしたのは、たぶん心理的なものだ。

温かい食べ物と、久しぶりの酒で、知らぬ間に眠っていたようだった。食事の前にも長く眠ったはずなのに。
眠る美しい人の顔が、目前にあった。
唇が触れそうなほど近くても、やはり美しかった。
いや。そうだ。眠りに落ちる前に、この唇には実際に触れたのだ。

この人に、気を許し過ぎたかもしれない。
旅の終了は、自ら決定してよいことになっているが、やはり、まだ早いのではないか。
床に落ちた服を集める。おおよそ服とは思えぬ、衝撃音がした。
一部始終を見ていたであろう赤い鳥は、じっとそれを聞いている。

2019年1月27日日曜日

言葉の向こう

「まさか、貴方が……」
美しい人は、ほんの一瞬だけ、少し寂しそうに笑った。
「この街には、長く滞在しているのですか?」
「ええ、四度の『転移』でこの街に来ました。それから、二年ほどこの街に居ます」
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方は、二度の転移を完遂された!」と、赤い鳥が代わりに叫んだ。完遂という言葉はおかしい気もしたが。


「そうです、この街はまだ二つ目で、なにが何やらわからないことが多すぎる。前の街では色彩が狂いました。ここでは耳が変になったようです。貴方は何か変調をきたしませんでしたか?」
久しぶりにまとまった量を喋った気がする。声がおかしく聞こえるのは、この街のせいだけではないかもしれない。
「そうですね、そういう旅なのです、我々が課せられたのは」
美しい人は、多くを語らない。語れないのかもしれない。
「食事を用意してあります。一緒に如何ですか?」
と、美しい人の部屋に招かれた。
 

2019年1月26日土曜日

訳知り顔の訳

一体どれくらい眠ったのだろう。
起き上がって、もう一度シャワーを浴びた。ティンパニーの水音を聞きながら「本当の水音ってどんな音だっただろうか」と思っていることに気がつく。
適応したのか、元の街を離れてからの時間が長くなってきた証拠なのか。

着替えたところを見計らったように、ノックが聞こえた。知っている扉を叩く音とは違う気もしたが、ノックだとわかった。
「よく眠れましたか?」
部屋に入ってきた美しい人は、やはり美しかった。肉を捏ねるような声も変わりなかったが、それがこの人に相応しい声だと思った。
「ありがとうございます。……貴方は一体?」
色々と具体的に訊きたいことがあったはずなのに、不躾な質問が真っ先に出てきてしまった。己の口を恥じる。
美しい人は、まったく気にする様子もなく、黙って腕を伸ばし、ポケットから懐中時計を出して、腕にかざした。
「これは……」
この、うっすらと浮かび上がる文様のようなものは
「そう『消えず見えずインク』です」

2019年1月25日金曜日

心地よい不快な声

「静かな場所にご案内しましょう」と、声を掛けられた。
ハッとするほど美しい人だったが、ひき肉を捏ねるような声だった。

小さなビルの一室に案内された。古いホテルの客室のようだ。
ベッドと小さなテーブル。シャワールームもある。十分過ぎるほどの部屋だ。
ティンパニーの水音のシャワーを浴びた。身体はさっぱりしたが、まだ頭は音に混乱してズキズキと痛む。

「よく眠ってください、前の街でも、元の街でも、ほとんど寝ていないのでしょう?」
と、美しい人は訳知り顔で言った。不快なはずの声が温かく心に染み渡る。
「ぐっすりと眠れば、この街の音にも少し慣れるはずです。何時間でも、何日でもこの部屋をお使いください」
多くの訊きたいことがあったが、もう瞼は閉じかけていた。
「隣の部屋にいますから、心配しないで……」

2019年1月22日火曜日

奇なる音声

吹いているはずのメロディーではない音がする。
おおよそ口笛とは思えない金属を擦ったような、細く掠れた音。 
そういえば、口笛だけではない。石畳の通りを歩くこの足は、確かに硬い石を感じているのに、靴音はポップコーンが弾けているようだ。
振り向いて、出てきた噴水を見る。知っている水音ではない。ええっとこれは、そうだ、ティンパニーに似ている。

この街は音が違うのだと気が付いた途端に、明るく爽やかに見えていた街の様子が歪んでいった。
 「助けてくれ、頭が痛い!」
絞り出した声は、古いラジオから聞こえるようだった。
 「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方は、頭痛を訴えている!」
 赤い鳥の声だけ、前の街よりも美しい。

2019年1月19日土曜日

特技の喪失

どこまで落ちても地面にぶつかることはなく、ふいに持ち上がる感覚がした。
そして全身が濡れる感覚の後、一瞬、意識が遠のいた。

「風呂にでも出たか」と思って体を持ち上げ、あたりを見回すと、どうやら噴水から噴き出したらしいとわかった。見上げるほど高く水が吹き上がっている。
赤い鳥はやっぱり肩にいた。一緒に飛び降りた人は、いなかった。

噴水の池を出て、歩き始めた。よく晴れて暖かい。乾いた風が心地よく、濡れた身体もあっという間に気にならなくなった。
前の街と違って、色彩がおかしいということはなかった。少し雰囲気は違うけれど、住んでいた街とそれほど違うようには感じない。

人々の容姿にも、大きな違和感はない。少し拍子抜けする。
口笛を吹いた。あまりにも気持ちがよい街なのだ。スキップするのは気が引けたが、口笛くらいならいいだろう。
だが、どうも、うまく吹けない。口笛は得意だったはずなのに。

2019年1月18日金曜日

誓いの墜落

ただただ、街を見下ろしていた。寒々しいと思っていた街が、こんなにも鮮やかだったとは。
すれ違う人、スープをごちそうしてくれた夫婦に、謝りたくなった。もっと笑顔で受け答えすべきだったように思ったのだ。次の場所では、きっと。そこがどんなに暗く寂しいところでも。
「行きますか?」
との言葉に頷いた。精一杯の笑顔で。
その人は服をまくり上げ、背中の消えず見えずインクを剥き出しにすると、後ろから抱きしめてきた。少し驚くが、撫でられた時以上に温かく、どこか安心した。そういえばこんな風に人と触れ合うのはずいぶん久しぶりだったのだ。

そして、そのまま飛び降りた。
ビルの谷間を墜落していくと、また街は青銅色になったけれど、もう寒くはなかった。

2019年1月15日火曜日

驚くべき光景

その人は、左腕を手に取り、消えず見えずインクのあたりを確認した。
それからシャツをめくりあげて、背中の消えず見えずインクをそっと撫でた。

背中がみるみるうちに温かくなり、冷えていた心も溶けていくようだった。
肩に止まった赤い鳥は、沈黙している。
こちらにどうぞ、という仕草をするので、付いていった。
ビルのひとつに入り、エレベーターに乗った。長い長い上昇だった。

屋上に出、その景色に息を呑んだ。見下ろす街が、青銅色ではなかったからだ。
実にカラフルな街並みが、眼下に広がっていた。ジェリービーンズのような街並みが眩しくて、目が痛いほどだ。
「次の街に行きますか?」と、その人は言った。赤い鳥を介さず、言葉が聞き取れた。
「……こんな色だったんですね、本当は。もう少し眺めていたい」
呟くと、その人はニッコリ笑った。

2019年1月11日金曜日

明るさは希望か

「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
繰り返し赤い鳥が朗々と啼いているが、それらしき人は現れない。
「もう、いい。少し静かにしたい」と呟くが、赤い鳥はお構いなしのようだ。
この街に出てきたときの鳥籠にも行ってみたが、「もう役目は終えた」と言わんばかりの朽ち果てようだった。青銅色はその憂いを強くし、鳥籠のつなぎ目は緩み、今にも崩れそうだ。

そういえば、いままで同じ通りばかり歩いている。東西南北はよくわからないが、この通りを直角に貫く道を歩いてみることにした。
角を曲がると、ビルも道も青銅色に違いなかったが、何故か少し景色が明るく見える。
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
二十三回目の赤い鳥の台詞に、前を歩く人がこちらを振り返った。この街の人にしては、頬が赤い。

2019年1月5日土曜日

決意より先に

夫婦に礼を言い、赤い鳥を肩に載せて外に出た。左腕の消えず見えずインクのあたりをさする。
ここにしばらく留まるか、どこかへ行くか、まだ決められない。少しこの景色に慣れてみたいとも思うし、もうこんな青銅色の街は懲り懲りだとも思う。

しばらくあてもなく歩いた。足音が響く。この街の人と全く違う足音を立てて歩いていると、酷く惨めなような、不安なような気持ちに襲われた。
さっき食べたばかりのスープの温かさは、心からも身体からも消えて、冷めきった。空を見上げると、青銅色の雲がぽっかりと浮かんでいる。大きく息を吸った。
「こちらに御座します、消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方を然るべき儀式で送る者はおらぬか!」
赤い鳥が大音量で啼いた。

2019年1月4日金曜日

見慣れない者を見慣れ始める

青銅色のスープとパンは、温かくはあったが、味はよくわからなかった。
よくわからなかったけれど、寒かったし、空腹だったし、不味くはなかったから、心底ありがたかった。
たぶん、この町では、ほかの家へ行っても、高級レストランへ行っても、やっぱりこんな朽ちかけた青緑色した食事が出てくるのだろうと思う。

「御馳走様でした。助かりました」
と、頭を下げる。すかさず、赤い鳥が「消えず見えずインクの旅券を持つ旅のお方は『馳走になった』と仰っている!」と歌うように言った。
夫婦は満足そうに頷いた。少し、この見慣れぬ容貌の人の表情がわかるようになってきた気がする。

2019年1月3日木曜日

万物の色相

その男女は、笑顔で何事か言うている。今まで聞いたことのある言葉とは似ても似つかない音声だった。錆びた歯車が軋むような発音だが、男女が親切で穏やかな人柄だろうということはわかり、安堵する。しかし、たとえ十年この町に留まっても、挨拶すらできるようになるとは思えない。

鳥は、どうやらこちらの言葉は訳してくれるが、向こうの言葉は訳してくれないらしい。
一方的に要望を喋り、赤い鳥が高らかに宣言するのを繰り返した。

二人は青銅色のビルの地下へと案内してくれた。
暖かい部屋だったが、何もかもが青銅色だった。家具も、壁も。
皿も、スプーンも。スープも、パンも。
赤い鳥だけが、赤かった。