2019年11月6日水曜日

言ってはいけない

すっかり「主治医」となった若者の父上に思い切って聞いてみることにした。
診察室は、静かで、落ち着いた時間が流れている。

「ご家族の……皆さんの名前を知りたいのです。お名前で呼んで、ありがとうと、言いたい。これまでの旅で出会った人の名前も知る機会がなかった……知ってはいけないのでしょうか……」
後半は涙声になった。近頃はよく泣いている気がする。

「そう。名前を教えることはできません。消えず見えずインクの旅の人に名前を呼ばれると、我々も罪を問われるのです」

知らなかった。消えず見えずインクの旅の者とかかわるとそんな危険があったとは。ますますこれまで出会い、世話になった人々への思いが募る。申し訳ないような、切ないような、でも、腹の底から有難さが沸き上がってきた。

「……そして、旅の人の名前を訊ねることもできません」
主治医が続けた。