「ワン!」と言わないのは何故だ……樹だからだ。どうして「ワン!」と言わないんだろう……樹だ……。
という自問自答を何回も繰り返す。座り込んで街路樹を撫でまわしている姿は、さぞ滑稽だろうということに気が付き、ようやく立ち上がったが、手に残る感触と目の前の樹がまだ結びつかない。
フラフラと今度は建物に近づく。少し古そうな揺らぎのある硝子の窓をそっと指で触る。冷たくて、硬い、硝子窓であるはずのそれが、今度こそ樹皮を触るような心地なのだった。見た目と触り心地がまるで一致しない。
はたと気が付いて、顔を撫でた。……芝生だ。
髪をかきあげると、ぬるりと茹でたてのスパゲッティを掴んだような感触がした。茹でたてのスパゲッティを手で掴んだことなどないのに。
「わああああああああああああああ」
いままで出したことのないような声を上げる。人々が一斉にこちらを見るのがわかったが、声が止まらなかった。