鴉は耕したばかりの畑を、降ったばかりの雪道を、しっかりと踏みしめる。鴉の足跡は素敵だ。「鴉」の字の左っ側に似た足跡が付くと嬉しい。けれど、どうしても空には足跡が残せない。飛行機は何やら白いのが残るではないか。空飛ぶもの同士なのに。飛ぶからいけないのか。歩いてみようか、この青空を。
2024年12月24日火曜日
2024年12月17日火曜日
「香」(2021年2月、月々の星々のテーマ)
「O香」という駅で電車を降りる。超満員電車だったが他に降りた人はいない。迎えの車で病院に行く。部屋は和室、患者は私一人。大勢の同じ顔の看護師がすべての世話をしてくれる。私がやることは、まばたきだけ。手術を終え、誰にも会わないままO香を離れた。「るびせんか」と読むことは後から知った。
2024年11月12日火曜日
「雪」(2021年1月、月々の星々のテーマ)
ニクスは雪のように白い紙で本を作って売り歩く。お客は不意にニクスの前に現れて「よいタイトルだね。中を見ても?」と決まって言う。パラパラ捲って「面白そうだ。君が書いたの?」と、これも必ず聞かれてニクスは曖昧に微笑む。ニクスはペンを持っていない。雪のように白い本を、汚したくないから。
2024年11月5日火曜日
「灯」(2020年12月、月々の星々のテーマ)
少々軽薄だが口遊みたくなるメロディーが聞こえる。「ポカポカ印の灯油販売車です」あぁ半年ぶりの灯油屋か。春まで毎日聞くことになるだろうが、販売車は何年も見ていない。この辺りでは焼き芋屋も竿竹屋も売り声だけが残っていて、今も変わらず夕暮れの町内に響く。灯油屋も大方そんなところだろう。
2024年10月29日火曜日
#秋の星々140字小説コンテスト 「長」投稿作
「具合が悪いのです」と渡されたのは月長石だった。石に具合も調子もあるものか。私は獣医だ。「黒猫の温もりと月光浴が必要です」疑いつつ入院中の黒猫に月長石を差し出すと「委細承知」の顔で石を抱えて丸くなった。満月のよく見える部屋で一晩過ごさせると、黒猫も石も見違えるほど艶やかになった。
2024年10月28日月曜日
#秋の星々140字小説コンテスト 「長」投稿作
小さな黄色い長靴は強情である。雨が降れば外に出たがり、水溜りに飛び込んでは軒先で逆さ吊りにされベソをかく。最初の持ち主の我が子は歳を取り、曾孫らはこの長靴を怖がる。思い出深く捨てられなかったせいで付喪神にしてしまった。足の弱った私に代わり、大きい長靴が小さい長靴を散歩に連れ出す。
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予選通過
2024年10月27日日曜日
#秋の星々140字小説コンテスト 「長」投稿作
同種の者たちに比べて己の姿が不恰好だというのは、薄々気が付いていた。それが長過ぎる触角のせいだとわかったのは、最近の事である。空気の震え、匂い、音、味……数多の情報が触角を通じて入り込み、伸び過ぎた触角は歩行に支障を来たす。体が重い。いっそ昆虫蒐集家に見つかって、標本になりたい。
2024年10月18日金曜日
秋の星々140字小説コンテスト「長」未投稿作
文字が泳ぐ湖に網を投げるのに憧れましたが、私の腕力では引き上げることはできませんでした。結局、自分で作ったタモ網のようなものを使っています。網は見様見真似で編み、柄は箒だった竹の棒です。長さが丁度よいのです。それで掬い上げた140個の文字を並べたものが今あなたが読んでいるものです。
2024年10月11日金曜日
秋の星々140字小説コンテスト「長」未投稿作
秋祭りに誘われ、友人の故郷を訪れた。収穫後の田んぼの上を巨大な杉玉が宙を漂っている。杉玉からは白っぽい粉が撒き散らされ、装束姿の人々が長い竹棒を田んぼに突き刺しながら走り回る。「灰とか肥料を杉玉にまぶしてあるんだ」と友人の解説。田の土が灰で白いうちに雪が積もれば来年も酒がうまい。
2024年10月10日木曜日
秋の星々140字小説コンテスト「長」未投稿作
十八歳の誕生日の二週間後、私はひとり夜行列車に乗っていた。窓の外を流れる夜をぼんやり眺めながら、朝までこうしているのも悪くないな、と思った。線路も夜も、人生も、ずっと長く続くような気がしていた。あの時乗ったブルートレインはもうないが、揺れながら過ごした夜のことを最近よく思い出す。
2024年8月14日水曜日
「風」(2020年10月、月々の星々のテーマ)
祖父母の家では雄鶏を飼っていた。なんとなく平べったい印象で、よく空を眺めたりなんかしていて、うまく言えないけど、あまり鶏らしくなかった。祖父は「あれは風を読むのがうまいんだ」と目を細めて言っていた。元々は祖母の生家の屋根に付いていた風見鶏だと知ったのは、祖父母亡き後のことである。
2024年8月11日日曜日
「月」(2020年9月、月々の星々のテーマ)
驢馬に乗って歩くと詩が出来るらしい。昔の中国の詩人がそう言っていた。まずは驢馬と知り合うため鶏に伝手を訊ね、牛と山羊に話を聞き、やっと驢馬と知り合いになれた。「一緒に詩を作らないか?」と月明かりの下、驢馬を口説く。「構わんが、推敲はやりたくないね」いよいよ驢馬と吟行に出かけるぞ。
2024年8月7日水曜日
「影」(2020年8月、月々の星々のテーマ)
どんより薄曇りの日が長く続いているせいで、影と暫く会っていない。もちろん月明かりでも蛍光灯でも影は生じるわけだが、光源によって性質が異なるようで、蛍光灯の影などは頗る愛想が悪い。太陽光による影だけが我が友だ。うららかな陽気の中を影と語らいながら、ひとり散歩を楽しみたいものである。
2024年8月5日月曜日
「海」(2020年7月、月々の星々のテーマ)
祖父の遺した古いノートは航海日誌だということがやっとわかった。船の揺れのせいか、ただでさえ癖の強い文字はひどく乱れ、気象用語と思しき単語が踊っている。祖父が船乗りだったとは俄には信じ難い。僕は一度も海を見たことがない。3.4%の塩水を作ってみたが、塩水の味か涙の味か、よくわからない。
2024年8月1日木曜日
夏の星々140字小説コンテスト 「高」未投稿作
毎朝、木に登る。私が誕生したその日に父が庭に植えた木だ。枝に腰掛けて町を眺めるのが日課だ。私の身長はとっくに成長を止めたが、木は今も伸び続けている。眼下の町が少しずつ小さくなる。夜明け前から登り始めないと枝に辿り着けなくなってきた。朝焼けに目を細める。ずいぶん高くまで来たものだ。
2024年7月31日水曜日
またね #文披31題 day31
「バイバイ」でもなく「じゃあね」でもなく、「またね」と意識して言うようになったのは、いつからだったろうか。約束はせずとも、次がある。そんな小さなおまじない。振り返ると、まだ手を振っている父母が見えた。ブンブンと大きく腕を振って応える。またね!
2024年7月30日火曜日
#夏の星々140字小説コンテスト 「高」投稿作
うちはお盆に牛や馬は作らない。茗荷で鳥を作る。精霊鳥は高いところに飾ると祖母が言うので以前は二階の窓際あたりに置いていたが、最近は屋根に上げる。精霊鳥なんて作るのは近所でもうちくらいだから、何故そんなものを拵えるのだと祖父に問うと、見たことのない愁い顔で仏壇に視線をやるのだった。
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予選通過
色相 #文披31題 day30
マンセル色相環をクルクル回しながら歩いていたら、向こうからオストワルト色相環を回している奴が来た。オストワルト色相環は回転を速め、あっという間に表色系に変身してしまった。ちぇ、カッコよくてムカつくなぁ。マンセル表色系は重たくて、変身に時間が掛かるんだよ。
2024年7月29日月曜日
#夏の星々140字小説コンテスト 「高」投稿作
あまりに美しいソプラノで、少年は薔薇を枯らしてしまったという。心を痛め、変声期を過ぎて高い声が出なくなっても歌は歌わなかった、と。何度も聞いた祖父の逸話。なのに私は祖父の子守唄をよく覚えている。二人きりの時だけ、祖父は温かいテノールで幼い私に歌を聴かせた。もう一度、聴きたかった。
焦がす #文披31題 day29
虫眼鏡を探したら、なんだかものすごくレトロなのが抽斗から出てきた。「お前のひぃじいさんが、新聞読むのに使っていた虫眼鏡だよ」と父さんが言った。それを使って、ベランダに出て、紙を焦がしながら字を書いた。けっこう難しい。「ひいおじいちゃんへ はじめまして」
2024年7月28日日曜日
ヘッドフォン #文披31題 day28
コードレスのヘッドフォンを買った。私によく似合うと思う。何も聞いてなくても首に掛けて、いつも一緒のヘッドフォン。私が再生しなくても音楽を流してくれるヘッドフォン。時々、私が大好きなミュージシャンに嫉妬して、音飛びしたり曲を変えたりするヘッドフォン。
2024年7月27日土曜日
鉱物 #文披31題 day27
目鼻立ちのぼんやりしたその人は、鉱物の欠片に蜜を絡めて金平糖にする仕事をしていると語った。「石が入った金平糖なんて、食べられないでしょう?」と訊くと、「もちろん人間が食べるもんじゃありませんよ……」と呟いて、ポケットからパチンコを出して夜空に向けて撃った。
2024年7月26日金曜日
深夜二時 #文披31題 day26
うなじが暑い。付けたままのはずのクーラーが寝てしまったかのように静かだ。蛍光緑の小さな電源ランプも、こころなしか暗い。手探りでリモコンを取り、設定温度を一度下げると大袈裟な音を立て冷風を吐き出し始める。もう一度、眠りを手繰り寄せよう。熱帯夜よ、おやすみ
2024年7月25日木曜日
カラカラ #文披31題 day25
空き缶に小豆を入れて、子が振って遊んでいる。はじめはガシャガシャと喧しかったが次第にリズムよくカラカラと楽器らしくなってきた。一緒に踊ってみせると、子は飽きてしまった。夜中、缶から「しょきしょき」と聞こえる。小豆洗いの小さいのが缶の中に現れたようだ。
2024年7月24日水曜日
朝凪 #文披31題 day24
静かな朝、海は小さな波を立てるのさえ忘れて眠っている。泡ひとつも立たない海は時が完全に止まったようで恐ろしい。太陽も完全に姿を現した。早く起こさなくちゃ。「起きろ!」叫びながら海に入る。大袈裟に手足を動かして泳ぐと、海が慌てて目覚める気配がした。おはよう!
2024年7月23日火曜日
ストロー #文披31題 day23
ストローを囓るクセがあったから、あなたのグラスはすぐにわかる。昨日はクリームソーダ、今日はコーヒーフロート。姿は見えない。誰も注文を受けたことがなく、誰も会計したことがない。在るのは飲み終えたグラスだけ。夏だけの常連客様、だいぶツケが溜まっております。
2024年7月22日月曜日
雨女 #文披31題 day22
雨女の雨は、飾りを流す。化粧や塗装、宣伝広告や美辞麗句……世の中は白くなった。流れる飾りがなくなっても雨女の雨は降る。飾りの主も流れていった。車、看板、店舗、粧しこむ人、世辞をいう人、皆どこかへ流れた。雨女はさびしいと泣きながら美しい着物を着て、紅を引く。
2024年7月21日日曜日
自由研究 #文披31題 day21
研究のため自由を収集することにした。予備校をサボる浪人生、気ままに散歩する老人、とりあえず寝ている猫……採取したサンプルを分析、資料にまとめて、夏休み明けに学校で発表するのだ。しかし自由の標本はあまりにも多彩で、眺めていたらどうでもよくなってしまった。
2024年7月20日土曜日
摩天楼 #文披31題 day20
ビルからビルへ飛び渡るのは気分がいい。アメリカン・コミックの主人公にでもなったみたい。でも俺はスーパーヒーローじゃなくて、スーパーボールの姿でなぜか超高層ビルの屋上を飛び回っている。早く誰かに見つけてほしい。俺を捕まえてくれ。大都会の空を、見上げろ。
2024年7月19日金曜日
トマト #文披31題 day19
ミニトマトを植えたはずなのに大トマトが生った。両親は喜んだが私と犬は「何かがおかしい」と感じた。犬は「気をつけろ」と目配せし、怖ず怖ずと食べ始めたがすぐに我慢できなくなった。とてつもなく美味だった。大きいのは初めの1つだけであとはちゃんとミニトマトだった。
2024年7月18日木曜日
蚊取り線香 #文披31題 day18
古生物学者も驚くほどの巨大な蚊が生まれ、世界は混乱に陥った。幸いなことにこの蚊は図体の割りに丈夫ではなく、市販の蚊取り線香が一本燃え尽きる前に退治できてしまう。巨大な蚊取り線香は作らずに済んだ。蚊取り線香の煙と匂いが街に充満しなくて本当によかった。
2024年7月17日水曜日
半年 #文披31題 day17
ショボいタイムトラベラーである僕が半年前からやってきて、暑い暑いとボヤいている。半年後は寒いぞ、オマエ想像できるか? マフラー巻いて手袋して白い息吐いてるんだぜ、せいぜい覚悟しな。「暖冬かもよ?」半年前の僕が混乱しているうちに、僕も半年後へ行かなくちゃ。
2024年7月16日火曜日
窓越しの #文披31題 day16
私の部屋の窓辺で美しい歌を聴かせてくれる小鳥が怪我をした。どうして怪我をしてしまったの? と訊くと、それも歌にして教えてくれた。美しくも痛々しい歌だった。「手当てしたいから、部屋に入って」と頼んだけれど、どうしても入れないという。私も小鳥も泣いている。
2024年7月15日月曜日
岬 #文披31題 day15
海辺の爺さんの小屋の近くに小さく海へ突き出した所があった。子供の頃、そこに腰掛けて海を眺めていた。時々、魚でも海獣でもないモノが見えるのが楽しかった。見る度に爺さんに報告するが「へぇ」と言ってニヤニヤするだけだった。今は私が「へぇ」と言ってニヤニヤする係だ。
2024年7月14日日曜日
さやかな #文披31題 day14
誰かが熱帯夜を破って、乾いた涼しい風を入れてくれたようだ。今夜は星が明るい。貴重な夜だから、川沿いを散歩する。あちらこちらで小さな光がひゅっと動く。蛍かもしれないし、超小型ドローンかもしれないし、異星から来たものかもしれない。ずいぶん未来に来たものだ。
2024年7月13日土曜日
定規 #文披31題 day13
ランドセルから滑り落ちてしまった竹定規は、そのまま旅に出ることにした。故郷の竹林をもう一度見てみたくなったのだ。パタンパタンと立ち上がっては倒れ込み、進む。30cm何回分になったか、ずっと数えていたが、途中で巻尺と知り合って意気投合したらわからなくなった。
2024年7月12日金曜日
チョコミント #文披31題 day12
チョコミントちゃんは、毎朝すれ違う子。いつも「ミントグリーンとダークブラウン」色の服を着ている。さっきチョコミントちゃんは本物のチョコミントアイスを食べながら歩いてきた。すれ違いざまに「食べる?」と言われた。ミントの香りと甘い声が離れてくれない。
2024年7月11日木曜日
錬金術 #文披31題 day11
あなたは紅茶を淹れるように金を生み出す。「金属の屑」をポットに入れ、湯を注ぐ。時計の砂が落ちるのを息を殺して待つ。三分後、あなたが妙に優美な動きでポットを揺すり、傾けると熱々の金が溢れ出る。私はそれをつい手で受け止めようとして、いつもあなたに笑われる。
2024年7月10日水曜日
散った #文披31題 day10
急に降り出した雨に、大勢いた公園の子どもたちは皆いなくなってしまった。まだ遊べると思っている仔が「もーいいよー!」と叫んでみたりする。残念だけど、かくれんぼはもうおしまいだ。人間の子は雨に弱いんだ。そう伝えると、人間には見えない尻尾が寂しそうに垂れた。
2024年7月9日火曜日
2024年7月8日月曜日
雷雨 #文披31題 day8
雨漏りを直して欲しいと隣の家の老夫婦に頼まれ、脚立を掛けて屋根へ上がることにした。いくら上っても屋根に辿り着かない。眼下の爺さんが米粒サイズになってやっと着いたのは雷様の雲邸だった。「雷雨は程々に」と頼んで酒を酌み交わしている。帰りに脚立を降りるのヤだなぁ。
2024年7月7日日曜日
ラブレター #文披31題 day7
2024年7月6日土曜日
呼吸 #文披31題 day6
昼寝する子の腹がゆったりと上下している。同じリズムで猫のしっぽも揺れている。右に左に振り向き続ける扇風機の首もなぜか時々ぴったりシンクロして私は少し笑う。すると猫のしっぽはバシバシと抗議を示し、子は寝返りを打ち、扇風機は向こうを見る。もう一緒に寝てしまおう。
2024年7月5日金曜日
琥珀糖 #文披31題 day5
友人の蟻のため、せっせと琥珀糖を作り庭の東の端に置いている。友人の暮らす巣の入口は庭の西側にあるので、もっと巣の近くに置こうかと訊いたこともあるのだが「美しい琥珀糖を運ぶのは、重たくとも好い気分なのだよ」という。わかる気がする。今日は黄色の琥珀糖を作ろう。
2024年7月4日木曜日
アクアリウム #文披31題 day4
一緒に暮らすことになった小さな人魚の姫のために水槽造りを始めた。優雅に揺れる水草。そうだ、城も建てよう。築城中に姫は成長し、水槽は手狭になり、インテリア好きの姫により、この家はすっかり人魚仕様になった。今夜もシュノーケルをしたまま人魚に抱かれて眠る。
2024年7月3日水曜日
飛ぶ #文披31題 day3
大きな紙飛行機が飛んでいたので「乗せて」と叫んだら、すぅと降りてきた。折り目の隙間にうつ伏せに乗り込むと凄い勢いで飛び立った。あぁ紙飛行機だから誰かが飛ばしたんだ。どんなに大きな手だろうか。振り返りたかったけれど、うつ伏せでは難しく、ただ入道雲が迫ってくる。
2024年7月2日火曜日
喫茶店 #文披31題 day2
神輿や、法被を着た者たちが窓の向こうを次々通り過ぎる。外の喧騒をよそに店内は驚くほど静かだ。ぬるい珈琲を啜りながら祭の様子を眺める。異形の者が紛れ込んでいる。彼らは私に見られていることに気付くと会釈を寄越す。その瞬間だけ祭囃子が私の鼓膜を激しく揺らすのだ。
2024年7月1日月曜日
夕涼み #文披31題 day1
さっきまでカキ氷を頬張っていた君が寒いと言う。熱気の抜けた風が吹く夕暮れは近頃、滅多にない。「昔の夏はこんな感じだったよ」カーディガンを貸してやりながら言う。いつの間にか私の服がブカブカじゃなくなってきたね。まだ柔らかな手を繋ぎ直す。ゆっくり歩いて帰ろう。
2024年5月15日水曜日
言葉の舟 140字小説コンテスト 習作3
島には本屋も図書館もないけれど移動図書館なら来る。図書館船だ。船長兼、館長の趣味丸出しの図書館船は少し妖しくて、大人は乗りたがらない。陽射しと潮風に当たりっぱなしだから本はゴワゴワしていて色褪せている。そこでたくさんの言葉を覚えた。デカダンスは大きい箪笥のことじゃない、とかね。
2024年5月8日水曜日
言葉の舟 140字小説コンテスト 習作2
雨のビート。同心円に広がる水の高まり。雨粒が水溜りに作る波を見つめる。その波紋の中心から宇宙船が出でくると長い間、信じていた。どこかで聞いたおとぎ話だと思っていた。今、真剣な眼差しで小さな宇宙船を水溜りに浮かべる恋人に傘を差し掛ける。静かに沈む宇宙船。おとぎ話なんかじゃなかった。
2024年5月6日月曜日
言葉の舟 140字小説コンテスト 習作1
旅人が筏でやってきた。よく出来た筏だと褒めると「差し上げます」という。「新しい舟を作ります」と、どこからか大きな笹の葉を採ってきて器用に笹舟を作り、ささやかに出航していった。その人は昔、豪華客船の船長だったそうだ。舟を簡素にしながら旅を続けているという。さて、私は筏で向こう岸へ。
2024年4月20日土曜日
#春の星々140字小説コンテスト投稿作 「細」投稿作
鉄骨が一本、また一本と外されていく。あっちでは観覧車が、こっちでは跨線橋が解体されている。横たえられた鉄骨たちは草臥れ果てて眠っているように見えた。こんなに細かったんだねぇ、ぼくたちを支えていたものは。鉄骨たちが寝ているこの場所も、以前は電波塔が立っていた。空がどんどん広くなる。
2024年4月15日月曜日
#春の星々140字小説コンテスト投稿作 「細」投稿作
和紙の層に刃を入れます。「小口」と名を得たその断面は鋭く整い、しかし、ふんわり空気を含んでいます。しばし見惚れた後は切り離された紙片の中でとりわけ細い――糸のように細いものを――つまみ上げ「ふ」と息を吹き掛けます。すると、ごく偶に青葉が舞います。ごくごく稀に小さな蝶が飛んでいきます。
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予選通過 佳作受賞
2024年4月14日日曜日
#春の星々140字小説コンテスト投稿作 「細」投稿作
細く尖った月に刺さるもの。古代ロケット、異星人のミイラ、宇宙服の襤褸……それを回収するのが私の仕事。地上に持ち帰ったら湖でよく洗って、博物館に展示する。「お月さま、あんまり変なモノ釣らないでくださいよぅ」と、私はお決まりの文句を言う。明晩、上弦の月から暫しの休暇。さて何処に行く?
2024年3月11日月曜日
2024年2月23日金曜日
金魚鉢(もしくは猫の日)
ね、この猫は金魚を狙っているわけではないんだよ。金魚には気の毒だけどね。ほら、こんなに逃げ回って。水草を触りたいわけでもないんだよ。ゆらゆら揺れてるけどね。水は触るの好きじゃないね、この猫は。撫でてごらんよ。金魚鉢の前で、じっとしている、ふわふわの、この猫を撫でてごらんよ、人間。
2024年2月13日火曜日
図書館
あなたは今日からこの図書館の雑用係として働き始める。長く働けば、司書見習い、司書助手、司書、と出世することも可能だ。
この図書館はあるお方の邸宅だった建物で、ほとんど宮殿と言っていい、6階建ての大きな図書館だ。階段の踊り場は、初代館長の膨大なコレクションの展示に使われている。下階から、デスク、チェアー、ランプ、万年筆、便箋だ。展示物には触れないように。え? さっき万年筆を使ってしまった? インクが掠れて、罵詈雑言を書かされた? そうだろうそうだろう。万年筆には私から詫びを入れておく。
トイレは6階だ。6階にしかない。だが、数え切れぬほどある個室は非常に広く、デスクとランプ、ソファも備え付けられている。自分の部屋として使っている職員も多いから、適当な空き部屋を見つけるといい。名札が掛かっていないトイレならどこを使ってもよろしい。ちなみにトイレは和式だ。あまり下を見ないこと。
あなたは足音を立ててはいけない。だからこの図書館内では宙を泳いで移動するのが基本となる。水中と同じ要領だ。難しいことはない。空気を手足で掻き分けて飛べばいいのだ。もちろん、図書館を一歩出れば、空中に浮くことなんてできない。
あなたは図書館を訪れる人を見ることはない。だが、本が動いたり、ページが捲られたりするのを見ることはあるだろう。本が独りで動いているように見えるが、ちゃんと人がいるから安心しなさい。当然あなたの姿も他の人からは見えない。
あなたの主な仕事は、館内の掃除だ。書棚の埃を落とし、閲覧室のテーブルと椅子を拭き、廊下を磨く。6階のトイレの掃除と紙の補充も忘れずに。ああ、名札が掛かっているトイレの掃除は不要だ。それから初代館長のコレクションも。
一番大事なのは、本から落ちた文字の回収だ。何しろ古くて大きくて重たい本が多いから、毎日のように文字が落ちている。埃や塵と一緒に捨ててしまわぬように。一文字残らず箒と塵取りで壊れないように集めて、本に戻す。どうしてもどの本かわからない時は、専用の封筒に文字を入れて、5階の館長室のポストに入れておきなさい。文字が落ちていた場所もメモするように。私が本に戻しておこう。
2024年2月8日木曜日
2024年1月22日月曜日
#冬の星々140字小説コンテスト投稿作 「広」投稿作
カラフルなバスも、かっこいい文字が並んだ看板も、きれいな写真がいっぱいのチラシも、すべて「広告」というものだと知ってしまった子は、世界に心底がっかりした。今夜も、チラシで折った紙飛行機から夜の町に真っ白なペンキを撒いて、白くなった町にクレヨンで大きな鳥の絵を描く夢を見ている。
2024年1月13日土曜日
#冬の星々140字小説コンテスト投稿作 「広」投稿作
子供の頃に住んでいた町には広場があった。小さな時計台があり、フィドル弾きが鳩や猫を相手に演奏していた。古い郵便ポストがポツンと淋しそうにしていたから、よく手紙を出した。書ける文字は少しだけ。切手も貼っていない。その手紙が60年を経て届いた。孫が喜び、返事を書くんだと張り切っている。
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予選通過
2024年1月8日月曜日
#冬の星々140字小説コンテスト投稿作 「広」投稿作
往来で文字通り大風呂敷を広げている人がいる。警官に注意されても気にする様子はない。口上を述べるが異国の言葉なのか、聞き取れない。最後に風呂敷に飛び込み、吸い込まれた。大風呂敷は軽やかに宙に舞い、電線に絡み付き停電が起きた。大風呂敷に消えた人を案ずる者が一人でもいればよいのだが。
2024年1月4日木曜日
果実戯談 パイナップル
パイナップルの飛行性能を人類はやっと活かせるようになった。若者は自由に乗りこなし、老人もパイナップルを抱きしめて飛び回り始めた。抱かれたパイナップルは照れくさいのかトゲトゲしくぶっきら棒な飛びっぷりになるが、その分おいしくなることを酸いも甘いも噛み分けた老人たちはよく心得ている。