超短編
「けれども」自動人形の司書は続ける。「ここにある本は、まだ誰にも読まれたことがありません。そして、一度しか読むことができません」私は図書館内をぐるりと見渡した。立派な背表紙が並んでいる。「一度しか、読めない……?」なかば独り言のように訊ねる。「一度でも目を通した文字は消失します」
「ここにある本は、ちゃんと読めるのですか」自動人形の司書に訊ねると、やや間があり「読めなければ本ではありませんね」と返ってきた。続けて「今、名前を書いた紙のように文字が滲んで読めないことを心配しているのです」と言えば「本館に所蔵している本はすべて解読可能です」やけにきっぱり言う。
煉瓦作りの建物に入ると自動人形の司書に迎えられた。素朴ながら人工知能を持っているらしい。口頭でのやりとりも可能だ。入館記録書に記名するように言われ、紙とペンを差し出される。私の名前だった文字は紙を汚し、汚れた紙は自動人形の手でギクシャクと書類箱に仕舞われた。ボロボロに崩れながら。
この町に、本はあるのだろうか。手で触ても崩壊しない、滲んでいない文字で書かれた本は。図書館がひとつだけあることは役場で聞いてあった。大学は百年ほど前に廃れてしまったそうだ。私は控えてあった図書館の所番地への行き方を下宿の管理人に聞き、外へ出た。図書館は町の外れ、森の手前にあった。
触れれば崩れるほど脆い紙の町とは誰も教えてくれはしなかった。文字が解読できぬほど滲む紙の町で学問が盛んだったとはとても思えない。苦労して遠いこの町へ来たというのに。故郷の図書館で読んだ歴史書は幻想の書だったか。老人、船乗り、役人……皆がこの町の古くて美しい詩を聞かせてくれたのに。
封筒の宛先もインクが滲んでいる。郵便配達人を呼び止めてどう読んでいるのか聞いたが、怪訝な顔をされるだけだった。突然あることに気付き、冷汗が噴き出た。二日前、私はここにやって来た。勉学をしに来たのだ。かつて、この町には優秀な学者が集い、美しい詩に溢れていた。それを調べ、学ぶために。
封を切り、畳まれた便箋を開くだけで指先はガサガサになった。開いた便箋は折り目から破け、インクが滲み過ぎてどこに文字が書いてあるのかわからない。ペン先が引っ掛かるのか所々穴が空いている。ここの紙は粗悪に過ぎる。私の故郷の紙がいかに質がよかったか、初めて思い知る。手紙ひとつ読めない。