2004年7月11日日曜日

影喰う人

「腹が減りましたな」
と特急列車内で隣合わせた老紳士が言った。
「はぁ」
私はそれほど腹が減ってはいなかったが、否定もできず、そう答えた。
「あなたのを戴いてもよろしいかな」
「あの、私は弁当もつまみも持ち合わせていないので・・・車内販売を探してきましょうか」
紳士はさも愉快そうに、顔だけで笑った。
「あなたは若くて健康そうだから」
「ええ?私はまずいです」
「頭もよさそうだ。でも、あいにく私は人喰いの趣味はない。
私が戴きたいのは、あなたの影だ。ひとくちでよいのだが」
私は結局、断ることができなかった。
なんとなく、影を食べる様子を見てみたい気になったのだ。
紳士は大きめの箸を持ち、屈み込むと、私の左腕の影を綿飴のように絡め取った。
「酒が欲しくなりますな」と言いながら箸に巻き取られた黒いモヤを
とても旨そうにしゃぶった。
別れ際、紳士は欠けた影は数日で元通りになるはずだ、ごちそうさま、
と言って丁寧にお辞儀をした。
明日、大きめの箸を買に行こう。