2021年12月30日木曜日

真っ白い ノベルバー2019 day30

温かな白いセーターを買った。白猫に嫉妬され、白兎に羨まれ、とうとう雪に知り合いと間違われた。私の肩だけ、他のところより雪が積もっていく。「しがない白セーターです」震えながらセーターは訴える。温かいのか寒いのかわからない。

2021年12月29日水曜日

冬の足音 ノベルバー2019 day29

「冬を泊めてやってくれ」と連絡が来た。サンタクロースといい寒い季節の者共は慌てん坊である。 室内での冬の足音は軽やかだ。浮かれていると言っていい。居心地よかったようで我が家での滞在が長引き、早過ぎたからうちに泊まったのに結局遅刻だ。

2021年12月28日火曜日

ペチカ ノベルバー2019 day28

粗朶がパチパチ鳴る音と匂い。熾火になる頃にはだいぶ家全体が温まってくる。さあダッチオーブンだ。肉と野菜をいっぱいに詰めてある。ハーブもたっぷり。毎秋、火を入れた日はこれと決まっている。レンガにも冬の匂いが染みこんでいく。

2021年12月27日月曜日

銀の実 ノベルバー2019 day27

雪の森に生る銀の実を見つけるのが弟は得意だった。「音が聞こえる」とよく言っていた。「雪に吸い込まれる音で探す」とも言っていた。「銀の実がよく見える時は自分も雪に吸い込まれそうになる」とも。弟は銀の実を採りに行ったきり、戻らない。

 

2021年12月26日日曜日

にじむ ノベルバー2019 day26

自分の足音が大きく聞こえる。涙が出るのは、夕焼けが眩しすぎるから、木枯らしが冷たすぎるから、他にも理由はあるけれど。ポケットから出したハンカチは一番古い持ち物だ。ひらがなで名前が書いてあった。サインペンの母の字は、もう読めない。

2021年12月25日土曜日

初霜 ノベルバー2019 day25

葉が白いのを確認する。霜柱への期待も高まる。毎年の地点までやってくると、黙って小さく頷き合い、踏みつける。待望の感触。大きく頷き合う。二つの足跡をそこかしこに付けながら、二人の少女は一言も話さないまま朝の雑木林を学校まで歩く。

2021年12月24日金曜日

蝋燭 ノベルバー2019 day24

音楽に合わせてゆったりと炎を揺らす蝋燭に、激しい曲を躍らせてみようと画策したが、拒絶された。マッチでもライターでも火が着かない。他の蝋燭を近づけてもダメ。とうとう火が着いていないのに、ぐにゃりと下を向いてしまった。すまないことをした。

2021年12月23日木曜日

温かい飲みもの ノベルバー2019 day23

ゆっくりゆっくりココアを飲むので「冷めないの?」と聞くと、きょとんとされた。どんなカップでも、どれだけ時間を掛けても、冷めたことがないと言う。その理屈は全く以てわからないが、そういえば、この手に触れられた私はずっと温かい。

2021年12月22日水曜日

冬将軍 ノベルバー2019 day22

当然のことながら冬将軍は暑さに弱い。「天敵がいるのに将軍を名乗るのはおこがましくない?」と将軍に詰め寄るのはいつだって小春ちゃん。口では小春ちゃんには敵わないが威圧感では負けない。その押し合いへし合いによって冬将軍は勢力を伸ばすのだ。

2021年12月21日火曜日

ボジョレ・ヌーボー ノベルバー2019 day21

世界同時解禁のお祭り騒ぎの裏では、新酒による新酒のための厳しい品評会が行われる。新酒として落第した酒は、ずいぶん落ち込み、しばらく臥せってしまう。が、言うまでもなく、本当に美味いのは寝込んだ酒だ。

 

2021年12月20日月曜日

橋の上 ノベルバー2019 day20

学校に行くのに橋を4つ渡った。一番小さいのは頑張れば飛び越えられた。一番大きいのは車もビュンビュン通る。忘れ物に気づくのも、英単語を覚えるのも、夕焼けを見るのも、告白するのも全部橋の上だったけれど、猫を拾ったのだけは橋の下だった。

2021年12月19日日曜日

残光 ノベルバー2019 day19

藍と茜の間のほんのり白いところに住む鳥がいると聞いて、毎夕、空を見上げて一生を過ごした人の物語。

2021年12月18日土曜日

毛糸 ノベルバー2019 day18

毛糸をくれと狸が訪ねてきた。狸は厳選の上、紅葉色の三色を選んだ。それは今年、私がマフラーにしようと思っていた毛糸だったのだけど。暫くしたら狸が残った毛糸を返しに来た。首巻を作ったという。マフラーは無事に完成した。期せずして狸とお揃い。

2021年12月17日金曜日

通信士 ノベルバー2019 day17

「『応答せよ』だけ言っていればいい」と言われて30年。さすがに能がないので地球上のあらゆる言語で「応答せよ」と言った。返事はない。異星語でも「応答せよ」と言ってみた。ただしボロボロの古本『宇宙人との話し方』に載っていたものだ。

2021年12月16日木曜日

編み込み ノベルバー2019 day16

細かい文字がびっしりと書かれたリボンを髪の毛に仕込んでいく。どこの何という文字かはわからない。いつもは絹のようになめらかに輝く髪が、心なしか傷んでいる。髪を結う指先も時折チクリと痛む。じんわり痛みが強くなる。

2021年12月15日水曜日

七五三 ノベルバー2019 day15

「どんなに暖かい年でも七五三の頃になれば冷え込む」と言われて育ったが、今年はまだそれほど寒くない。買ってきた千歳飴も心なしかやわらかそうだ。手に持ってみたら、やわらかそうどころか、ぐにゃぐにゃだった。金太郎がちっとも強そうに見えない。

2021年12月14日火曜日

ポケット ノベルバー2019 day14

子供の頃、いつもポケットに手を入れて歩いていた。「転んだ時危ない」とよく叱られたが、親はそんなことは言わなかった。生まれる前から握りしめていたものを入れているのを知っていたから。母は時々「ちょっと見せて」と言った。嬉しそうな涙声で。

2021年12月13日月曜日

あの病院 ノベルバー2019 day13

高級住宅街に突如現れる古ぼけた建物、「あかね医院」は近隣の豪邸が建つより早くからそこにある。「あかね」は院長の娘の名で、今の院長は「あかね」さんの孫だ。病院の周囲には銀杏が植わっていて、葉が落ちると青い屋根瓦が見えなくなる。

2021年12月12日日曜日

並行 ノベルバー2019 day12

この道を歩く時、いつも左手を誰かと繋いでいる感触がある。姿は見えなくとも歩調はぴったりと合う。繋いでいるのは馴染みのある手ではあるが、父でも母でも、恋人でもない。あえていえば、そしてそれはあまり確信を持ちたくないのだが、自分の手だ。

2021年12月11日土曜日

時雨 ノベルバー2019 day11

通り雨の後、しっとりと濡れたアスファルトを歩き、和菓子を買いに行く。
「あんず時雨ください」
口に入れる前に、ひび割れを覗き込む。何かが芽吹きそうだ。さっき歩いた道路でも、春になればきっと、ひび割れからタンポポが生える。

2021年12月10日金曜日

私は信号 ノベルバー2019 day10

私を無視する輩にどう罰を与えようか、生まれてこの方そればかり考えている。今日も赤信号で歩いていった人間が八人いた。この赤い光を最大出力以上の威力で、人間目掛けて鋭く照射したい。もうすぐ100歳になるのだから、それくらいできるはずだ。

2021年12月9日木曜日

ポツンと ノベルバー2019 day9

真っ赤な葉が一枚落ちている。周りに落ち葉は他になく、樹木もない。何しろここは屋内なのだ。なんだか迷子のように見えてきて、拾い上げた。美しい葉だった。誰かがどこかで拾い、そして落としてしまったのだろうか。そっと手帳に挟む。

2021年12月8日水曜日

天狼星 ノベルバー2019 day8

青き狼は仔連れで天を駆けまわる。いよいよ寒くなってきた頃に現れ、瞳を鋭く輝かせながら夜毎駆ける。夜空は狼たちの眼光に縮み上がり、おかげで冬の星空は冴え冴えとするのだ。

2021年12月7日火曜日

朗読 ノベルバー2019 day7

私が私の書いた詩を読み上げる時、その声音、その抑揚、その速度をすべて再現することができる。
詩はいい。物語でそれをやると、自分が物語に取り込まれて戻ってこれなくなる。だから作者本人の朗読はいつだってどこかヘタにやらねばならぬのだ。

2021年12月6日月曜日

当日券 ノベルバー2019 day6

「誕生日の当日券ありますか?」 心細そうな人に訊かれる。 「どうしても、今日中に生まれたいのです」 なるほど、色々と事情がありそうだ。上の者と相談して「誕生 11月6日 当日のみ有効」券を発券した。無事に生まれることができただろうか。

2021年12月5日日曜日

トパーズ ノベルバー2019 day5

「皇帝」という名を冠したトパーズの指輪を酔っ払いが飲み込んだ。「うまそうな酒に見えた」と言う。確かにコニャックのような色ではあったが。
その後、彼は酒を断った。四六時中ほろ酔い気分で欲しなくなったのだ。今は国を治め皇帝と呼ばれている。

2021年12月4日土曜日

恋しい ノベルバー2019 day4

寒さとともに人恋しくなるのは、どんぐりも同じことのようだ。拾ったどんぐりをポケットに入れてあると、木から落ちるどんぐりが頭に当たる確率は高くなる。驚かさぬよう小声で「イテ」と言いながら拾ってポケットに入れるとほんのり温かくなる。

2021年12月3日金曜日

焼き芋 ノベルバー2019 day3

「や〜きいも〜」の声を生まれて初めて聞き慌てて外へ出る。育った町では焼き芋のトラックが通ることはなかった。運転席から出てきたニット帽を被ったおじさんを見て「あ」と声が出た。この人はさつまいもの化身だ。夏の間は蔓に巻かれているのだろう。

2021年12月2日木曜日

手紙 ノベルバー2019 day2

達筆過ぎる貴方と酷く悪筆な私、互いに書く文字がほとんど解読できないのに、文通はもう30年続いている。内容は全く以てわからないが、封筒を開けた時の気配、筆の勢いで様子は感じられる。雪国に住む貴方の手紙からは一足早く冬の匂いがした。

2021年12月1日水曜日

窓辺 ノベルバー2019 day1

景色がすべて黄色くなるのはもう少し先だろう。部屋の正面に聳える大銀杏のおかげで私の部屋の窓からはイチョウしか見えない。 窓から見る景色が明るい黄緑から黄色に移り変わる日々は、古い日記帳のページを捲るのに似ている。

2021年11月30日火曜日

はなむけ #ノベルバー day30

馬の世話は経験がそれなりにあるがこんな馬はいなかった。絶対に顔を正面から見せない。目や歯も検めたいが、ままならない。まともに顔を見ないまま旅立ちの時がやってきた。馬がこちらを見る。初めて目が合う。鼻先を撫でる。歌声のような美しい嘶き。

2021年11月29日月曜日

地下一階 #ノベルバー day29

ここの地下鉄は階層に分かれている。地下三階の地下鉄は繁華街を結ぶ。地下二階は住宅街を巡る。地下一階の地下鉄は「緊急用」と呼ばれている。が、市井の人はその実態をよく知らない。救急・警察・災害、色々噂はある中「亡者を運ぶ」が一番有力だ。

 

2021年11月28日日曜日

隙間 #ノベルバー day28

横着で名高い人はドアを開けるのも億劫で、閉め忘れたドア、閉まりかけのドアからスルリと出入りする。隙間すり抜けの技術の向上が極まり、ついに閉まったドアからも出入りするようになった。盗人扱いされ、常に監視される身分になったが、横着は治らない。

2021年11月27日土曜日

ほろほろ #ノベルバー day27

「ほろほろ、ほろほろ」流暢に話しているつもりだったがそれしか言えなかった。鳩とは言葉が通じて一日中鳩と遊んでいた。今は「ほろほろ」以外にも話せるようになったけれど、友達は鳩のほうが多い。最近は異国の鳩とも交流すべく「ホロホロ」を練習中。

2021年11月26日金曜日

対価 #ノベルバー day26

私は小さな絵を描く。あなたはおいしい珈琲を淹れる。貧乏画学生だった頃からの習慣だ。私の絵がどうしようもなく好きなのだとあなたは言うが、自分の絵が増殖する喫茶店は日に日に居心地が悪くなる。「お金を払わせて」と言っても聞き入れてもらえない。

2021年11月25日木曜日

ステッキ #ノベルバー day25

老人から「ステッキが勝手に伸び縮みして困っている」と相談を受けた。ステッキの言い分は「私は歩行補助用の杖ではない」 そこでスキップを勧めると、老人は「足が痛いのに」と当初は嫌がっていたが、今ではすっかりスキップに慣れたようだ。

2021年11月24日水曜日

月虹 #ノベルバー  day24

「月虹を潜ってやってきたものは、虹を渡って帰る」という札を付けてやってきた大量の異星人は手のひらに乗るほど小さく、毛深くて、よく食べ、人懐っこい。この島では月虹は珍しいものではないが、こんな地球外生物を召喚したのは初めてだ。

2021年11月23日火曜日

レシピ #ノベルバー day23

献立帖を拾った。日付と料理名のほかはアルファベットと数字が書き連ねてあるばかり。持ち主はすぐに見つかった。クリーニング屋の隣の画家の物だ。クリーニング屋に頼んで返してもらう際、頁を捲った店主は確かに「うまそうな顔料ばかりだ」と呟いた。

2021年11月22日月曜日

泣き笑い #ノベルバー day22

豊か過ぎる人生経験を持つその人は「泣いたり笑ったりを繰り返すのがイヤになったから」と、飛びきりの笑顔で涙をハラハラ流しっぱなしにすることに決めたのだという。

2021年11月21日日曜日

缶詰 #ノベルバー day21

早朝、積み上げた缶詰が崩れ落ちる音で目が覚める。つられてどこかの鶏が鳴く。猫たちが喚き始める。
缶詰は猫が倒したのではない。夜の内に高く積み重なり、朝方「早く開けろ」と言わんばかりに勢いよく崩れる。猫よりも早く猫の空腹を察知する猫缶どもめ。

2021年11月20日土曜日

祭りのあと #ノベルバー day20

逆立ちで踊り、練り歩くその祭りは三日間行われる。七十二時間を逆立ちで過ごした人々の何割かは、足で歩くのが面倒になるらしい。そのまま逆立ちで暮らしているが、頭の位置を挿げ替えることができるここの人々にとっては特に不自由ないそうだ。

2021年11月19日金曜日

クリーニング屋 #ノベルバー day19

どんな服も真っ白にしてしまうクリーニング屋がある。青い服も赤い服も黒い服も、まるで色などなかったように、眩しいほど白くなって返ってくる。 
「色はどこへ行くんですか?」と店主に訊くと、「隣の画家に聞いてみな」と返ってきた。

2021年11月18日木曜日

旬 #ノベルバー day18

十日間で生まれ変わるこの異星人は、顔、仕草、喋り方、歩き方、好きな食べ物……を次々変えて地球人を研究中なのである。十日というのは如何にも慌ただしく、転生サイクルを変更したいと思うが、実は「ジュン」という名前が枷になっている。

2021年11月17日水曜日

流星群 #ノベルバー day17

流星の中にもあまり人込みを好まぬものもいるのだ。行列になったり群衆になったりは煩わしい、できればひとりで宇宙空間を走りたい、と。今夜の流星群は、そんな孤独を好む流星ばかりで構成されている。どうなることやら。答えは天体観測で。

2021年11月16日火曜日

水の #ノベルバー day16

固体化したことのない南国出身の水は、自らの点を探して旅に出ることを決めた。点が一つあれば固体になれる。と、東洋生まれの老人が言っていたのを水は信じているのだ。

2021年11月15日月曜日

おやつ #ノベルバー day15

「八つ時に八つ橋を八つ食べてもよい」という呪文をわざとらしく低い声で唱えるとあの子が八重歯を見せてケタケタ笑ったものだ。呪文を唱えるのは決まって夜八ツ、つまり丑の刻だったが。今頃は好きな菓子を好きなだけ食べられているだろうか。

2021年11月14日日曜日

裏腹 #ノベルバー day14

「ドーナツを食べた後に腹を裏返すと、ドーナツの穴に落ちるから気をつけたほうがいいぞ」と言われたので、「マカロニを食べる時には腹の裏側に隠れないと竹輪に嫉妬されるぞ」と言っておいた。

2021年11月13日土曜日

うろこ雲 #ノベルバー day13

うろこ雲のうろこを並べる仕事をするんだと言っていた高校時代の友人を馬鹿にしたことは一生の不覚であった。私はいま、うろこ雲のうろこを剥がして集めて炙る仕事をしている。鱗雲酒は、鰭酒より美味いぞ。

2021年11月12日金曜日

坂道 #ノベルバー day12

坂道を転げ落ちていく毛糸玉の玉を追いかけるか、毛糸を辿ってみるか。

2021年11月11日木曜日

からりと #ノベルバー day11

戸が開く。乾いた秋風が入る。あなたが短く笑う。

2021年11月10日水曜日

水中花 #ノベルバー day10

 埃まみれのそれが水中花だと気づいたのは無口な兄だった。水に沈めてみろと身振りで言う。汚れかと思った赤っぽい部分は花だった。花が開くにつれて水が濁る。埃を掃ってからにすればよかったが、鮮やか過ぎる赤い花を見ずに済んだのは幸いだった。

2021年11月9日火曜日

神隠し #ノベルバー day9

 神が行方不明になり、大騒ぎになった。何日経っても戻らない。日照りが続き、人々はいよいよ不安になる。
 ある朝、ひょっこり戻った神に理由を訊ねると、「子供達とかくれんぼをしていたが、なかなか見つけてもらえなくて、犬小屋で寝てしまった」という。

2021年11月8日月曜日

金木犀 #ノベルバー day8

 花が咲く前日に桂花茶を飲めば、その年は私の勝ち。という競争を近所の金木犀と始めて、もう20年になるだろうか。相手は樹齢の長い大木だ、敵うわけがない。今年も樹に寄りかかって茶をすする。金木犀は「茶なんぞには負けられない」と芳香する。

2021年11月7日日曜日

引き潮 #ノベルバー day7

岸辺からファーストキスを奪った波は、あっという間に帰ってしまった。しかし、悲しむ暇がない。次々と波がやってきてはキスをしてすぐに帰っていくのだ。もうどの波が初めの相手だったのかわからない。止まることののない波のキスを岸辺は甘受し続ける。

2021年11月6日土曜日

どんぐり #ノベルバー day6

 毎秋、おいしいどんぐりの見分け方を須田爺さんに習うが、次の秋になるとすっかり忘れている。
「爺さんはどうして覚えていられるんですか」と尋ねると、「覚えていられるもんか。ゾウムシに訊くんだ」と言う。そういえば、このやりとりも毎年のことだ。

2021年11月5日金曜日

秋灯 #ノベルバー day5

 冷たい風が気持ちのよい夜は秋灯を集めるのに相応しい。住宅街をゆっくり歩き、ぽつりぽつりと家々の光を頂戴する。感のよい人は電灯が一瞬消えたことに気付くかもしれない。集めた秋灯はもっと寒くなるまで大切に取っておく。秋灯で照らし読む冬の本は格別だ。

2021年11月4日木曜日

紙飛行機 #ノベルバー day4

 紙飛行機の製作に傑出した技術を持つその国では、国民はひとり一機の紙飛行機を所有し、日常の乗り物として浸透している。しかし、類い稀な進化をしているとはいえ所詮は紙飛行機。風任せの交通手段に適応した呑気な国民性で、外交には支障をきたしている。

2021年11月3日水曜日

かぼちゃ #ノベルバー day3

 ハロウィーンから数日後、大王の亡骸がそこかしこに転がっている。多くの者は見て見ぬふりで弔おうとはしない。子供の頃、毛布が四六時中手放せなかった者だけが、その亡骸を煮物にするか、畑に植えるか迷う権利を持っている。

2021年11月2日火曜日

屋上 #ノベルバー day2

 屋上庭園はやがて小さな森となった。森たちは手を広げるように枝を伸ばし屋上と屋上が繋がり、森林は東京中の空を繁茂し、覆いつくした。
 人々は、かつて地上だったところを「地下」と呼び、かつて地下だったところは「地底」と呼んでいる。

2021年11月1日月曜日

反響性言語

  決して発語してはならない言語があるのをご存じか。これがその言語の辞書だ。書き言葉としてのみ存在する。
 その言語を発すると、本人の意思に関わらず最低百二十八回は大声で繰り返し発語され、喉が渇き、意識は朦朧とする。
 その語の音声は地球上の物質あらゆるものにこだまし、山海を越え、世界中で鳴りやまぬこと七十六日。
 安心したまえ、ここはこの辞書の発音記号を習得するための特殊な吸音部屋だ。

鍵 #ノベルバー day1

 祖父母の気難しい家を引き継ぐことになった日、たくさんの鍵の束を前に祖母は「鍵束の中から甘い鍵を一本だけ探し当てなさい。それがその時刻の鍵よ」と、紅茶を飲みながらのんびり言った。
「鍵が違っていたら?」
「ポストに淹れたての紅茶を注いで、やり直し」

2021年10月23日土曜日

願譚 160

そっくりな装丁なのに、あべこべな内容の二冊の本をかわりばんこに音読して、世界を混乱に陥れたい。

2021年10月18日月曜日

願譚 159

 気分屋の方位磁針と改竄甚だしい地図を持って、おさんぽに行きたい。

2021年10月16日土曜日

願譚 158

仲の良い大仏から「螺髪が玉蜀黍になった」と連絡が来たので、食べに行きたい。

2021年10月10日日曜日

願譚 157

ドイツ生まれの老キリンが湖のほとりで寛いでいるのを日がな一日眺めていたい。

2021年10月7日木曜日

願譚 156

無沙汰をしている雑木林を訪れることになったので、挨拶に枝拾いをしたい。

2021年10月4日月曜日

願譚 155

歯軋りし過ぎて砕けた歯を追いかけ転び、前歯を折る夢を見た日には、湯豆腐が食べたい。

2021年10月3日日曜日

願譚 154

互いに組立と分解を繰り返す二体のオートマタを監視するドールを作りたい。

2021年9月28日火曜日

願譚 153

キャンドル先生の名講義「行灯と提灯とランタンが『ん』で終わることについて」を暗い部屋で聞きたい。

2021年9月25日土曜日

願譚 152

モンブランの生い立ちを毬栗から振り返るために、秋の空を移り変わりを巻き戻したい。

2021年9月22日水曜日

願譚 151

世界が静寂に包まれるなら、蟻の足音を聞きたい。

2021年9月14日火曜日

願譚 150

 夢を見なくなった人類の脳に、古い映画を送信したい。

2021年9月9日木曜日

願譚 149

言の葉が茂る大きな木の下で寝転がり、古の言葉を聞いてみたい。

2021年9月6日月曜日

願譚 148

夢の中で書いた物語と夢中で書いた物語、ベッドで読むとどちらがより眠たくなるか、戦わせたい。

2021年9月2日木曜日

願譚 147

目玉クリップが「挟むものはないか」と無闇にウロウロしているので、よく見える目玉を付けてやりたい。

2021年8月30日月曜日

願譚 146

何をもって「大きくなった」とするのか、「大きくなったらカブトムシになりたい」と書いた子に訊きたい。

2021年8月27日金曜日

願譚 145

世界中のコードやケーブル、いっぽん残らず猫を配置したい。

2021年8月19日木曜日

願譚 144

笹舟で旅立つ友に対抗して、紙風船の気球を作りたい。

2021年8月16日月曜日

願譚 143 

巨大なたんぽぽが咲いたと聞いたので、綿毛になったら掴まって風に乗りたい。

2021年8月15日日曜日

願譚 142

放浪する町を止めるために、町の電源ケーブルを噛み千切る鼠を雇いたい。

2021年8月8日日曜日

願譚 141

 段々と細くなる螺旋階段を降りて行った先端で、眩暈の向こうを覗き見したい。

2021年8月4日水曜日

願譚 140

 交通手段が風船か気球という町に、飛行船で乗り込みたい。

2021年8月3日火曜日

願譚 139

すべての階段が鍵盤の町で、黒鍵だけ踏み鳴らして駆け上がりたい。

2021年8月2日月曜日

願譚 138

「黄金虫よ、私の気分とは無関係に頭の上を景気よく飛び回っておくれ」と頼みたい。

2021年7月31日土曜日

願譚 137

夏空の下、サングラスを掛けて自転車に乗り、 透明な砂利の上で盛大に転びたい。

2021年7月26日月曜日

願譚 136

 狭くて暗い地下トンネルを通るときには、親切で博学な鼠に案内を頼みたい。

2021年7月22日木曜日

願譚 135

ゆうらりゆゆららと不規則に揺れる耳より大きなイヤリングをぶら下げて、すれ違う人を惑わせたい。

2021年7月17日土曜日

願譚 134

 ともかく、晴れ渡り、真っ白な雲が浮かぶ、黄色い空が見たい。

2021年7月13日火曜日

願譚 133

猛暑日には「氷熨斗」と呼ばれる冷たくて冷気の出るアイロンで服を伸すというクリーニング店を見学したい。

2021年7月12日月曜日

願譚 132

涎が甘露だという結露を舐める妖怪を捕まえるため、大きなグラスにおいしい氷水を用意したい。

2021年7月11日日曜日

願譚 131

出演者無しと発表された劇場で、満員の観客席から誰が最初に舞台に上がるか固唾を呑んで見守りたい。

2021年7月7日水曜日

願譚 130

誰よりも小さな短冊に誰よりも小さな字で願い事を書いて、誰にも見つからないことを願いたい。

2021年7月2日金曜日

願譚 129

「泉-izumi-」と名付けられた財布を買ったから、お金が滾々と湧き出て欲しい。

2021年6月29日火曜日

願譚 128

音が出ないクラリネットや、ピストンの動かないトランペットや、弦が張れないヴァイオリンや、破れたティンパニーを集めて楽団を作りたい。

2021年6月27日日曜日

願譚 127

キイキイと鳴り止まぬ古いブランコに油を差す仕事をしながら、世界中の公園を巡りたい。

2021年6月26日土曜日

願譚 126

ミョウガ専門店に紛れ込んでしまったショウガを何食わぬ顔でレジに持って行き、店長を慌てさせたい。

2021年6月20日日曜日

願譚 125

懐中電灯の所持を固く禁ずるというその町で、提灯屋を開きたい。

2021年6月18日金曜日

願譚 124

勉強のし過ぎで鉛筆の先から煙が出てきたので、因数分解の難問を煙に巻きたい。

2021年6月14日月曜日

願譚 123

 「イチニノサン!」と声を掛けられると、寸分違わず12.3インチ飛び上がってしまう魔法に掛けられたい。

2021年6月13日日曜日

願譚 122

溶けかけのアイスクリームと、凍りかけのアイスクリーム、どちらがおいしいか比べてみたい。

2021年6月12日土曜日

願譚 121

小鳥とその卵を匿う獣に「尾は鳥を狙わないのかい。さっきからチロチロ舌が出ているけど」と尋ねたい。


三沢厚彦《Animal 2020-03》2020 年 
2021年6月 オムニスカルプチャーズ——彫刻となる場所 武蔵野美術大学美術館


2021年6月1日火曜日

願譚 120

 グラスから溢れた炭酸水の行方を、ウイスキーと一緒に探しに行きたい。

2021年5月30日日曜日

願譚 119

真夜中の水族館で下手なバイオリンを弾いて、イルカに白い目で見られたい。

2021年5月28日金曜日

願譚 118

もう三日も警報機を鳴らしっぱなしの踏切に、耳栓をしっかり入れてから「あんたもさみしい身の上だねえ」と話しかけたい。

2021年5月26日水曜日

願譚 117

夜の黒電話が鳴り響き、世界が不眠症になったので、催眠作用のある雨を降らせたい。

2021年5月25日火曜日

願譚 116

 「電話が欲しい」と夜が言うので、目立たぬよう黒電話を贈りたい。

2021年5月22日土曜日

願譚 115

夜中に蕎麦を打ち始める狐を「うるさいよ?」と一応、説得したい。

2021年5月20日木曜日

願譚 114

雨音を音階別に保管したい。


2021年5月18日火曜日

願譚 113

卓上の牧場に小さな羊を飼い、春になったら毛刈りをし、数十年掛けてセーターを編みたい。

2021年5月15日土曜日

願譚 112

世捨て人になったら、いかにも古くてボロい小屋に「未来庵」と名付けて暮らしたい。

2021年5月8日土曜日

願譚 111

独自の文字を作り、その文字で日記を書き、三日坊主で終え、三年後に読めない日記帳を前に頭を抱えたい。

2021年5月7日金曜日

願譚 110

故人が撮った写真を見る時には、幽霊でよいので撮影者による解説を聞きたい。

2021年5月2日日曜日

願譚 109

晴れた日、白猫の抜け毛と蒲公英の綿毛、どちらがよく舞い散るか比べたい。

願譚 108

独りだといつまでも夜更かししてしまうので、グッドナイトコールを梟に頼みたい。

2021年4月29日木曜日

願譚 107

雨粒と雨音を長年収集し、分類・分析を行い、このほど論文にまとめたというシュネッケ博士に会いに行きたい。

2021年4月27日火曜日

願譚 106

 読書家の蛙におすすめの散歩コースを教えてもらいたい。

2021年4月24日土曜日

願譚 105

初めて会う人には、ハチャメチャな肩書とヘンテコな名前の名刺をニッコリ笑って渡したい。

2021年4月22日木曜日

願譚 104

雨の日には、軒先にたくさん吊るした色が変わる飴玉を眺めて過ごしたい。

2021年4月21日水曜日

願譚 103

もしも身体が小さくなったら、豆本を持ってフラスコの中に入り、硝子に閉じこもって読書したい。

2021年4月18日日曜日

願譚 102

 煙突の中で昼寝して、全身よーく煤けたのちに、夜の散歩に出掛けたい。

2021年4月13日火曜日

願譚 101

怖がりで人見知りのお化けを電柱の影から「ワッ!」と驚かせたい。

2021年4月10日土曜日

願譚 100

ロボット合体シーンを現実に、ミニチュアサイズで見てみたい。

2021年4月6日火曜日

狂詩曲も歌えない

ボヘミアの翁の致命者エウフェミアと同名の娘、泥棒と縁組む。
ボヘミアの翁、滂沱の涙。
 
There was an Old Man of Bohemia,
Whose daughter was christened Euphemia;
But one day, to his grief,
she married a thief,
Which grieved that Old Man of Bohemia.  
 
エドワード・リア『ナンセンスの絵本』より

2021年4月5日月曜日

願譚 99

鏡のようなピカピカの服を着て、歓楽街の真ん中でネオンライトを浴びながら踊りたい。

2021年4月2日金曜日

願譚 98

細密画のような髪の毛になれるなら、腰まで伸ばしてみたい。

2021年4月1日木曜日

願譚 97

大泥棒と大泥棒にそっくりな巡査部長が企てた四月一日に実行する悪戯に参加したい。

2021年3月29日月曜日

願譚 96

どうしても封筒からはみ出すと言って聞かない一筆箋に、いっそ溢れんばかりの祝福の言葉を綴ってもらいたい。

2021年3月26日金曜日

願譚 95

眠れぬ夜の思考をタイピングするドワーフを雇い、明け方に出来上がった文書で朝から焚火をしたい。

2021年3月21日日曜日

願譚 94

「暁の黄昏」という名の酒が美味だと聞いたので、あっかんべーをしてから飲みたい。

2021年3月19日金曜日

願譚 93

巨大なシャボン玉をめぐって、花の王と月の王が戦うのを見たい。

2021年3月17日水曜日

願譚 92

すべての屋根がドーム型だという町に行って、滑り心地のよい屋根を探したい。

2021年3月16日火曜日

願譚 91

 硝子製のヘルメットを被って、ヒヤヒヤしながら散歩したい。

2021年3月15日月曜日

願譚 90

雷雨の翌日かその翌日に雷の仔を集めて、太鼓の稽古をしたい。

2021年3月11日木曜日

願譚 89

「生まれ変わったら徳利になりたい」と、ぼやく急須と一杯やりたい。

2021年3月7日日曜日

願譚 88

「日傘は日を避けるのではない、太陽を押しやり夜にするためのものだ」と語った謎の老人にもう一度会いたい。

2021年3月4日木曜日

願譚 87

金網で囲まれた空き地に立つ自動販売機で買った賞味期限切れのコーラを飲みながら、不動産登記証明書を音読したい。

2021年2月28日日曜日

願譚 86 

 滝のココア、泉のココア、湖のココア、どこから湧いたココアが一番美味いか飲み比べたい。

2021年2月26日金曜日

願譚 85

足踏みミシンが縫い書く詩を、ミシンの音に負けぬ大きな声で読み上げたい。

2021年2月22日月曜日

願譚 84

美味い饅頭をお茶の刃がばったばったと薙ぎ倒す、そんな時代劇が見たい。

2021年2月20日土曜日

願譚 83

尾長の金魚の尾びれ製ドレスと尾長の鶏の尾羽製髪飾りを付けて、雪上でひとり静かに舞う人を、そっと見守りたい。

2021年2月19日金曜日

願譚 82

枯れた芒野で季節外れの月見をして、天上の人と酌み交わしたい。

2021年2月15日月曜日

願譚 81

 光る繭玉とか、やわらかな水晶を拾って、SF小説を書いてみたい。

2021年2月11日木曜日

願譚 80

サルやカピバラと混浴できる温泉で、ヒトの愚かさについて考え過ぎてのぼせたい。

2021年2月8日月曜日

願譚 79

極寒の地でオーロラを見ながら虹は本当に七色か議論したい。

2021年2月3日水曜日

願譚 78

 梅干しの種の中身を幾つ集めたら神社を建てられるのか、大宰府に尋ねたい。

2021年2月2日火曜日

願譚 77

毎日使っているのに茶碗のことを何も知らないので、まずはどこの土か聞いてみたい。

2021年2月1日月曜日

願譚 76

 紫の調色がうまくいかないと嘆く徹夜明けの魔女に朝食を作ってあげたい。

2021年1月30日土曜日

願譚 75

音楽に合わせて優雅に、だが延々と回っている陶人形に、三半規管の鍛え方を訊きたい。

2021年1月26日火曜日

願譚 74

子どもの頃「卵ボーロを温めたら何が生まれるの?」とよく言っていた甥に、この小さな生き物を今すぐ見せに行きたい。

2021年1月25日月曜日

願譚 73

彼岸まで行っても翌年には戻ってくる暑さや寒さに、彼岸がどんな所か聞いてみたい。

2021年1月23日土曜日

願譚 72

結晶のことは雪に聞いてみるのが一番だと塩が言うので、冷型集音器を作りたい。

2021年1月22日金曜日

願譚 71

猫しか住めないその町に、木天蓼と爪研ぎを定期的に届けたい。

2021年1月21日木曜日

願譚 70

切り株の上にバウムクーヘンを乗せて、ドイツで教わった早口言葉を唱えたい。

2021年1月19日火曜日

願譚 69

猫の首輪になったら、鈴を大小数多集め、用途によって鳴らし分けたい。

2021年1月17日日曜日

願譚 68

裏声でずいずいずっころばしを優雅に歌い上げ、ネズミをおびき寄せたい。

2021年1月15日金曜日

願譚 67

 下駄に下駄を履かせ、天気占いをやらせたい。

2021年1月14日木曜日

願譚 66

機嫌よくて歌う鼻歌がダミ声で機嫌が悪くなるから、美声の鳥に代歌を頼みたい。

2021年1月12日火曜日

願譚 65

いつまで経っても読み終わらない絵巻物にしびれを切らしたい。

2021年1月10日日曜日

願譚 64 

屋根も天井も硝子にしたら、素敵な絵も本も色褪せてしまうからやめておきなさいと、ガラガラとブロックを掻き回す幼い建築家に進言したい。

2021年1月9日土曜日

願譚 63

異星の人と知り合った時に備えて、ギリシャ神話を勉強したい。

2021年1月8日金曜日

願譚 62

ポケットは飴玉が大好きらしいが、17個に1個くらい、ドライいちじくを入れたい。

2021年1月7日木曜日

願譚 61

次の雨の日、苔町に招待されることになっているから、長靴を買い替えたい。

2021年1月6日水曜日

願譚 60

街灯は発光シャボン玉だというその町に行ってみたい。

2021年1月5日火曜日

願譚 59

 標本箱に溜まった埃から、蒐集談義を聞きたい。

2021年1月4日月曜日

願譚 58

初詣に行けなかったから、狛犬におみくじを届けてもらうための地図を描きたい。

2021年1月3日日曜日

願譚 57

ハンモックを吊るすに相応しい樹木をそこら中に植えたい。

2021年1月2日土曜日

願譚 56

 冬の夜、スキップしながらご機嫌な口笛を吹いて、音符が凍るのを見たい。

2021年1月1日金曜日

願譚 55

来年の元日は 「我こそは月の化身なり!」などとは言わぬ、無口な丸餅を食べたい。