「毎日来てますよ、ね?」
休憩時間にいつものコーヒーショップに入ろうとして、店から出てきた女に呼び止められた。
「はあ」
そんなふうに女性に声をかけられるのは、はじめてだった。毎日、と言われても女の顔には覚えがなかった。真ん中に分けられた髪の毛から細い束が二本、つんと尖った鼻まで垂れていた。触角みたいだ、と思った。両手に持った紙コップのうち右手だけをちょっとだけ挙げて「これ、あなたの分です」と言った。
ベンチに座ると女はカバンからケースに入った細いストローを出した。ストローはクルクルと巻かれていて、それは何十年かぶりに「ペロペロキャンディー」を思い起こさせた。このストローじゃないとうまく飲めないのだ、と巻かれたストローをほどきながら女は説明した。
おれは黙って女の買ったコーヒーを飲んだ。隣で真剣な面持ちでストローをくわえる女の横顔を盗み見しながら。まつげが長かった。
女はゆっくりだが一息でコーヒーを飲み終えた。
「じゃあ、また」
女は細い前髪をひくひくと揺らしながら去っていった。
女の座っていた所には尻の形に粉が落ちていた。おれは指でそれをなぞり、舐めた。何の味がしたわけではないが、結局全部舐めた。止められなかったのだ。
家に帰るなり妻が「蝶に化かされたのね」と言う。
なぜ、と問いながら、鼓動が速くなるのがわかる。妻は事もなげに「匂いでわかるし、あなたの目が潤んでいるから。鱗粉を舐めたでしょ?」と応じた。
「ねぇ、蝶さんはきれいだったでしょう?ずるいよね、男の人しか会えないんだもんね」と妻の目が光る。妻を抱き寄せながら、ペロペロキャンディーはどこで買えるだろうか、と考える。
きららメール小説大賞投稿作 最終30編