愛用の印泥の容れ物には鳳凰が描かれている。妙に躍動感のある鳳凰が気に入って求めたのだった。時々、鳳凰の格好が違って見えるが、前の様子を具に憶えているわけでもない。最近になり、落款の周りに鳥の足跡のような汚れが付くようになった。そのうち私の印泥から飛び去ってしまう気がしてならない。(140字)
2025年3月9日日曜日
2025年3月7日金曜日
2025年3月6日木曜日
2025年2月2日日曜日
冬の星々140字小説コンテスト「重」未投稿作
朝日の射し込む部屋でスピーカーのコーンが力強く跳ねている。徹夜で作った曲のはずだが、何かがおかしい。スピーカーから繰り出される重低音の激しいリズムに撃たれ、立っていられなくなった。寝転がると徐々にリズムは緩やかになり、私のようで私ではない美しい歌声に包まれていく。音楽に眠らされる(140字)
2025年2月1日土曜日
冬の星々140字小説コンテスト「重」未投稿作
庭に埋められ空襲を逃れたという重箱に、おせちを詰めていく。かれこれ百年経つ筈だが、欠けも剥げもなく見事に四角い。だが今年、同じ寸法で一段だけ誂えた。やはり与の段で菜箸が止まる。盛り付けようとすると煮しめの人参が、蓮根が、弾かれ宙を舞う。飛翔人参は華麗に新重箱に着地した。拍手喝采。(140字)
2025年1月31日金曜日
#冬の星々140字小説コンテスト「重」投稿作
荒れた家だった。手入れされないままの植物が屋内外に放置されていた。「現代の八重葎だな……」と独り言ち、淡々と植木鉢を軽トラに積んでいく。出来心で荷台の植木鉢にホースで水を撒くと、瞬く間に緑が鮮やかになった。花を咲かせるものまである。振り返れば、やけに奇麗になった家が澄ましていた。(140字)
2025年1月20日月曜日
#冬の星々140字小説コンテスト「重」投稿作
昔住んでいた古いマンションのエレベーター前には大小の石ころが積まれていた。軽くても重くても警告音が鳴る。私の身体は、このエレベーターには軽かった。手ぶらの時は形の良い漬物石のようなのを抱き、買い物帰りにはゴツゴツした黒い石を握る。馴染みの石がいる生活は悪くない。懐かしい思い出だ。(140字)
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予選通過
2025年1月16日木曜日
#冬の星々140字小説コンテスト「重」投稿作
鉛のようになった身体で歩く帰り道。そんな夜には重金属が漂っているのだと教えてくれる人がいた。スキップしながら帰るといい、と言われたことを思い出し「らんららん」と靴を鳴らす。私の足取りは軽くなり、街路灯は仄暗くなって、アスファルトに鈍い光を放つ澱が溜まっていく。東京の空に満天の星。(140字)
2025年1月1日水曜日
「花」(2021年4月、月々の星々のテーマ)
寒空の下、バラ園内を歩く。人は見えず、小さな草花がちらほら咲いている。頭の中では悩んでも仕方のないことばかりが絶えず流れている。急に強い香りが鼻腔を襲ってきた。季節外れのバラが一輪。大きい。ずいぶん威張っている。そして少し寂しそうだ。傍らのベンチに腰掛け、共に真冬の風に吹かれた。(140字)